鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  造幣局の工場見学に参加

2015-04-25 10:45:54 | デジカメ散歩
4月20日は生憎の雨でしたが造幣局の工場見学に
九州からお越しのブログ仲間さんと出かけましたんや。

造幣局の工場内の見学は無料でっけど二週間前までに
電話で予約した後に申込書を郵送かFAXしまんねで。

まずは造幣局の正門前でお互いに記念撮影でもしまひょ。

(造幣局の正門前で撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

鉄ちゃん爺やは造幣局の通り抜けや造幣博物館には
何度も訪れてるので、その画像も含めて紹介しまっさ。

でも~ 造幣局の工場内部の見学は今回が初めてでしたんや。

(造幣局 大阪本館と車寄せ)


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造幣局は大阪を本局にして東京都豊島区と広島市佐伯区に
支局が二つあり、現在は独立行政法人となってまんねん。

大阪の造幣局が創業したのは明治4年(1871年)4月4日

数字の4が三つ並んでますんで覚えやすいでっしゃろ。

でも~ 何で東京じゃなくて? 大阪が本局なんでっしゃろ。

それは戊辰戦争の混乱が残る東京を避けたと云われてますんや。

大事な貨幣を造るには明治新政府が東京ではまだ自信がなかったとか。

大坂商人から軍資金を得る為に明治新政府が考え出したとの説。

それと江戸時代からの経済の大坂をやはり重視したとの説もおます。

まずは、スライド映写機で造幣局の概要からスタート。

(造幣局の工場見学 スライド映写機にて説明)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

私たちはAM10時からの見学に参加し人員は15名前後でしたかな。

午前中に  9時30分  10時00分  10時30分

午後から 13時00分  13時30分  14時30分

土日や祝日は工場がお休み、平日に限り毎日6回行われるようですわ。

造幣局では現在は1円~500円まで6種類の硬貨を製造してますんや。

硬貨には「日本国」と圧印されているので注文は財務省からなんだって。

紙幣は国立印刷局で製造され「日本銀行券」と印刷されてますんで
こちらは、日本銀行から注文が入るんだそうですわ。

(造幣局の 工場見学に向かう参加者)


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係の女性に意地悪な質問をしてみましたで、ご身分は?

国家公務員なんだって、財務省からの出向かな。

まずは構内を歩いて工場入口の展示品の説明から。

(造幣局 創業期の圧印機)


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明治の初期には日本ではこんな機械は作れないのでドイツやフランスから
輸入して明治新政府は近代的な貨幣を造ろうとしたようでんな。

蒸気機関で動かして手動で圧印したそうで1分間で60枚だったとか。

この展示品の横から造幣局の工場へ入ることになりましたで。

(貨幣の原材料となる コイル状の金属)


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現在は金属を溶解(ようかい)して圧延(あつえん)する工程までは
広島支局の工場で製造して大阪や東京の造幣局に搬入されるとのこと。

たとえば500円硬貨なら、下のような配合で合金にするんだって。

銅 72%  亜鉛 20%  ニッケル 8%

出来上がった500円硬貨は ニッケル黄銅貨幣と呼ぶようでんな。

(造幣局工場内部  圧穿=あつせん)


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まずは~ コイル状の金属から貨幣の形に打ち抜く作業が最初になりまぁ。

造幣局ではこれを円形(えんぎょう)と呼んでいるそうでっせ。

(圧穿=あつせん後に 残ったシスル)


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圧穿(あつせん)で形抜きした残りカスを造幣局ではシスルと呼んでまぁ。

これを全て広島の支局に返送して再び溶解(ようかい)・圧延して
コイル状の材料に再生する仕組みが繰り返されているんだって。

金属の投入量から貨幣の出来上がった重量まで厳しいチェックがなされ
たとえ硬貨1枚でも不足となれば、総員で調査になるそうでっせ。

(造幣局工場内部  焼鈍炉=しょうどんろ)


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焼鈍炉(しょうどんろ)とはコイル状の金属を熱して加工が
やりやすいように、金属を柔かくする機械だそうですわ。

工場内はビデオなどの動画撮影は禁止でっけどデジカメなどの
静止画像はOKなんだって、ガラス越しでの撮影になりまっけど。

殆んどがオートメーションになっているんので見学者用に細部は
リアルタイムのモニター画面で観れるようになってるそうですわ。

(モニター画面から 硬貨に圧印及び検査する機械)


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表と裏を同時に圧印した後に、模様の検査をして不合格品が出れば
取り除いてから、最後は計数をカウントする工程になるんだって

現在の機械は優秀で殆んど不合格品はでないとの説明でしたわ。

ここまでが工場の1階部分を2階から見学した画像でっせ。

次は3階のフロアに移動することになりました。

(造幣局工場の 3階フロア)


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画像の手前を走るのは工場内で材料や完成品を運搬する自動搬送機でっせ。

こんな広いフロアなのに工員さんが殆んどみかけませんがな。

動いているのはロボットや自動搬送機ぐらいしか見えまへんでした。

(計数の検査 現在も手作業が大半)


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造幣局の工場の内部でここだけは人間が多く配置されているんだって。

機械で検査を合格した貨幣がここで人間の眼でもう一度最終のチェック
そして最終の日本銀行へ送る袋詰めの工程になるんだそうな。

この部署は人間の眼が重要で30分ごとに検査員の交代が必要で
しかも熟練した厳しい眼力が要求される重要な部署なんだそうでっせ。

(日本銀行へ送られる 貨幣袋と封印器具)


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完成した硬貨は各地の日本銀行へ送られて初めて日本のお金になりまぁ。

当然ながら造幣局の工場に出入りする工員全員には朝晩共に厳重な
金属探知機でのボディチェックが実施されているそうな。

貨幣を造る為の金型に興味を覚えて女性係員さんに質問しましたんや。

(造幣局の工場 貨幣を造る金型)


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貨幣の偽造を防止する為に外注には一切ださないのは当然ですわな。

なんでも担当者以外は入室すら出来ない金型を企画・製作する部署があり
当然ながら見学出来ないのは、当たり前だと納得しましたんや。

日本でも有数の金型を製造する技術者を揃えているとのことでしたわ。

どのメーカーさんでも金型の善し悪しが製品の善し悪しに繋がる
一番大事な部品だとは鉄ちゃん爺やも昔から良く存じてましたけど。

造幣局は貨幣ばかりじゃなく勲章や記念メダルに金属工芸品の製造
他にも貴金属の品質や品位の証明まで幅広い事業をしてまんねんで。

(新幹線開業50周年 100円記念硬貨)


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今週の4月22日に金融機関に並んで交換された方も居られるかな?

鉄ちゃん爺やも昔は記念硬貨などで良く並んだけど、現在は止めました。

もう10年も生きられるかどうか分からないのに今さらという感じ。

ここで工場内の見学は終了し、通路で繋がっている造幣博物館へ移動

(造幣博物館 ご来館記念のパネル)


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造幣博物館は2年前ぐらいに訪れてますので今回が二度目でした。

特に珍しいものを3~4枚だけ画像で紹介しておきまひょ。

(太閤秀吉が造った 天正菱大判・天正長大判)


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画像に向かって右側の天正菱大判は特に貴重な物で、日本全国を探しても
5~6枚しか現存していないと云われる国宝級の代物でっせ。

値段は~ とてもじゃないが付けられないが、数億円クラスはするとも。

次は名前だけは良く知られている慶長大判でっせ。

(慶長大判 1枚 時価3500万円前後)


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前回に訪れた際は普通のガラスのの陳列ケースに展示されていたはず。

今回は頑丈なガラスの柱に埋め込んで展示されてますがな。

なんでも金槌で叩いたらセンサーが稼働して警報機が鳴るんだって。

しかもこの日は館内を巡視する係員が多数配置されてましたで。

勲章や東京オリンピックのメタルなどは厳重に撮影禁止でしたわ。

前回に内緒で撮影した鉄ちゃん爺やのアルバムから貼り付けて置きまひょ。

(大勲位菊花大綬章  正章)


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日本では最高級の勲章で天皇陛下を始め成人男子皇族の方が正装の儀式に
着用されている勲章で、総理大臣経験者が没後に受賞されることが多い。

現在民間の日本人で生存者で受賞されてるのは中曽根元総理大臣のみ。

外国の元首には儀礼として授与されるケースがあるんだって。

天皇陛下はこの勲章と同じく大勲位菊花大綬章頸章も着用されますね。

(文化勲章)


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勲章類は殆んどが七宝焼きで地金は銀製が多いんだって。

この勲章の展示されているガラスケースに鉄ちゃん爺やが触れたので
係員の方が指紋が付いてないか横から覗いてましたよ 気分悪いね~

(東京オリンピック 入賞メダル)


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次の東京オリンピックでも、おそらく造幣局に入賞メダルの発注が
有るんでしょうが現在の処は申し込みはないとのことでした。

(明治時代の 50銭銀貨)


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珍しくはないけど1枚でも所有していたら数万円はするのかな?

国内では電子マネーの関係で硬貨の製造は減少する傾向にあるんだって。

それで外国の貨幣の注文なども増やしているとか。

なんでも偽造を防止する技術なんて世界一だとの評判でしたよ。

(造幣博物館 全景)


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明治時代の発電所だった建物を改造して博物館として一般公開。

造幣局内に残る明治時代の西洋風の貴重な建物なんだって。

土日と祝日は休館でおます、通り抜けの期間中も休館でっせ。

普段は正門でサインするだけで自由に見学ができますんや。

無料で貴重な貨幣や勲章や美術工芸品が観れるのは最高でっかな。

(明治の頃から咲いている 藤の花 & 藤棚)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


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明治天皇が造幣局に行幸された際に生け花として部屋を飾った物を
挿し木で植えたら、こんな立派な藤の花に育ったんだって。

明治初期の行幸だから樹齢は100年を越えているんだね。

何度も八重桜の頃にこの前を通過していたんだけど
桜に眼がいってしまい、今回初めて気が付きましたんや。

(簪桜=かんざしさくら 八重桜の前で自分撮り)


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ご婦人の簪(かんざし)のように見えるので名前が付いたとか。

今年の造幣局の通り抜けは4月15日で終了しましたんで
殆んどの八重桜は散り始めて、満開はこの簪桜ぐらいでしたな。

本当は通り抜けが終了した次の日ぐらいに造幣局を訪れて
八重桜の写真を写してみるのが最高じゃおまへんかな。

通り抜けを一人占め~ なんちゃってね。

今回は修学旅行生の団体に初めて遭遇しましたんやけど
造幣局の工場や博物館の見学が増えても良いんじゃないかしら。

両方とも無料なので大阪見物の一つに推奨しておきまひょ。

本日はこれにて終了、ほんなら さいなら~♪


















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鉄ちゃん爺や   お花見の見納め

2015-04-11 18:42:51 | デジカメ散歩
根来寺からJR阪和線に向かいましたんや。

和歌山側の紀伊駅から一駅だけ大阪側へでまひょ。

(JR阪和線 紀伊駅舎)


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(JR阪和線 山中渓駅)


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一昨年までは紀州路快速も通過してたんでっけど
現在は関空快速と分離する日根野駅から各駅停車でおます。

この山中渓駅は昔から桜のシーズンになると鉄道写真を撮る
マニアが押し掛けて賑わう駅として有名なんですわ。

普段はほとんど乗客も見られない無人の駅なんでっせ。

なんでもJRでは大阪府内で無人の駅はここのみだって?

桜のシーズンだけはお隣の駅から臨時の駅員さん出張だとか。

(JR山中渓駅 ホームから大阪方向を撮影)


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この日も一眼レフの高級カメラを持ったフアンが大勢いてはりまぁ。

鉄ちゃん爺やはコンデジだから恥ずかしくて近寄れない雰囲気。

(JR山中渓駅構内の ポスター)


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このフレーズの鉄道写真をマニアの方は写してはりますんや。

このポスターは新型になっている特急くろしお号のようでんな。

(特急くろしお号 山中渓駅を通過中)


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たまたま旧型の特急くろしお号が通過なんで素早く撮影した画像。

381系の振り子式の特急電車で昭和40年代に登場したんですわ。

鉄ちゃん爺やも名古屋から信州へ特急しなの号で何回も乗りましたで。

この381系も製造から40年を超えてますんで2015年秋で
引退と決まったようで、この雄姿はまもなく見れなくなります。

満開の桜を背景に通過する特急電車も良いもんでっしゃろ。

(JR西日本 紀伊駅から180円)


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本当は無人駅なのでここで下車して駅舎を撮影してから満開の桜を
デジカメで写そうと思ったんでっけど、臨時の駅員さんがいはりまぁ。

ホームから写真だけ撮影して再び和歌山方面へ逆戻りしましたんや。

本当はルール違反でっけど改札を出てないから素知らぬ顔で乗車。

自動改札機はこんな使い方までチェックをしてまへんのでセーフ。

3~4時間経過したらブザーが鳴って呼びとめられるのでご注意を。

和歌山県には紀ノ川と云う大きな川が流れてまんねんで。

奈良県の大台ケ原附近から流れ出し奈良県の時は吉野川と呼ばれ
和歌山県に入ると紀ノ川と名前が変わりますんや。

(JR和歌山線車中より 中流附近の紀ノ川の流れ)


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(JR阪和線の車中より 大河になった紀ノ川下流)


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画像に写っている山の向こう側は大阪府になりまんねんで。

紀ノ川もここまでくると堂々たる大河になりまっしゃろ。

JR和歌山駅で2時間ほど時間つぶしをしようと考えたんですわ。

(JR和歌山駅舎)


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鉄ちゃん爺やが若い頃は国鉄・東和歌山駅と呼んでましたんや。

昭和21年の春ごろに継母と湯浅町の知人宅を訪れて土産に
当時は貴重な白米を頂き、私のリュックに約2升ばかり。

継母のリュックに約5升ぐらい背負って大阪へ戻る途中に
この東和歌山駅の構内で警察に捕まって全部没収されましたんや。

幼少だった私なら見逃してくれると思ったけどダメだったとの事。

当時はヤミ米の取り締まりが凄く厳しかったんでっせ。

もはや駅構内はすっかり変ってしまい痕跡はおまへんけど。

鉄ちゃん爺や幼少時代のほろ苦い想い出なんですわ。

(和歌山市 マンホールの蓋)


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転々てんまり てん手毬り 紀州の殿さまお国入り

あの童謡に歌われた手毬が描かれてますな。

人口36万を超える和歌山県の県庁所在地でっせ。

紀州・徳川家55万石のお城は米軍の空襲で焼失し
戦後にできたお城でっせ、この駅前から約2kmぐらい西。

往復の2時間では少し厳しいので本日はパスしまひょ。

(和歌山電鐡 貴志川線 木製の看板)


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昔は南海電鉄の子会社でしたんやけど赤字で売却。

沿線の市町村の要望を受けて岡山市内の両備グループが買収。

もう15年近くになりますかな~  

終点の貴志駅構内に住んでいた野良猫の「たま」ちゃん。

愛くるしい姿が両備グループ役員さんの眼にとまり
「猫の駅長たま」としてデビューさせることになったとか。

これが大当たりで土日には観光客が殺到するようになったんだって。

(和歌山電鐡 たま電車)


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今では十数キロしかない短い路線なのに黒字に転換したんだそうな。

「駅長のたま」大功績で5~6年前に新しい駅舎まで新築だっせ。

その直後に鉄ちゃん三世(岡崎の孫)を連れて訪れた時の画像を
今回は貼り付けておきまひょ。

(和歌山電鐡 貴志駅舎) (猫のイメージ)


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2010年8月にリニューアルした桧皮葺の立派な駅舎でっしゃろ。

数億円を掛けても、これも観光客を呼び寄せるアイデアでんな。

Tシャツで背中が見えているのが鉄ちゃん三世で当時はまだ小学生
今年の春から愛知県で有名な進学校の高校生になりましたんや。

下の画像は当時の「たま駅長」で確か9歳ぐらいだったかな。

(当時の たま駅長)(平成22年8月撮影)


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和歌山電鐡を黒字に転換させた功績で現在は「スーパー駅長」だとか。

両備グループでは役員さんの待遇になるんだって。

本家の岡山市内を走る路面電車にも「たま電車」が出来たとか。

最近は「スーパー駅長たま」も老齢で後輩に平日は勤務を譲り
イベントが行われる時だけご登場だとか聞きましたけど。

もう15歳を超えるご老体だから仕方がおまへんかな。

(たま駅長の イラストパネル)


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(和歌山電鐡 おもちゃ電車)


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旧の南海電鉄時代の古い車両だけど子供が喜ぶような塗装に変え
車内におもちゃで遊べるように改造された電車なんだって。

このように子供や猫フアンを取り込む手法はご立派でんな。

アイデアさえ有れば赤字路線も黒字路線になる素敵でっしゃろ。

(和歌山電鐡 いちご電車)


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終点の貴志駅辺りは昔から「いちご」の産地だそうだっせ。

それで「いちご電車」と云う名前で走らせているんだとか。

これは2010年に鉄ちゃん三世と一緒に乗った時の画像ですわ。

(JR紀州路快速 大阪行き) (和歌山駅に停車中)


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紀州路快速は現在では日根野駅で関西国際空港からやってくる
関空快速と併結して8両編成で大阪環状線まで運行されますんや。

この日はOBとの吞み会なので和歌山駅から約1時間半ぐらい
ゆっくりと座って車窓の風景を楽しみながら大阪へ戻りました。

(再び満開の桜 山中渓駅を発車)


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(JR紀州路快速 車内で自分撮り)


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話は変りまして、大阪では4月9日から4月15日まで造幣局の
通り抜けが開催されてまっせ、今年は行く予定はおまへんけど。

一昨年に写した画像を最後に貼り付けて置きまひょ。

(造幣局の通り抜け)


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造幣局の通り抜けでは毎年、一品種がその年の代表に選らばれまぁ。

2015年度は「一葉」が選ばれたそうですわ。

勿論、この画像も一昨年に写したものだっせ。

(造幣局の 八重桜 一葉)


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大阪市内のソメイヨシノは殆んど散ったようですが関西は山が深いです。

吉野山に行けば現在は下の千本から中の千本辺りが見頃ですかな。

来週には上の千本から奥の千本へと4月20日ごろまで続きまっせ。

吉野山はソメイヨシノじゃなくて山ザクラが大半ですけどね。

それじゃ本日はこれにてお仕舞い、ほな さいなら~♪

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根来寺でお花見してきましたよ!

2015-04-07 21:36:16 | 
和歌山県で桜の名所と云えば紀三井寺・粉河寺・根来寺となりまぁ。

紀三井寺は関西で一番先に開花するので有名なんでっせ。

根来寺に鉄ちゃん爺やが訪れるのは初めてでおます。

何せ交通の便が悪いので行きそびれてましたんや。

(JR和歌山線 岩出駅舎)


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我が家から車なら約1時間ぐらいで行けるお寺なんですがね。

鉄道なら近鉄・南海・JRと乗り継いでこの駅までが約2時間。

もちろん急行や特急など走らないJRのローカル線でおます。

ここから町のコミュニテイバスで180円払って約15分。

お客は緑化センターで下車したのでバスは私だけの貸し切り。

(根来寺 入口の道路標識)


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(根来橋)


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この根来寺というお寺は桜の名所で有ると共に。

豊臣秀吉の「根来攻め」で日本歴史に登場するお寺でおます。

昔は堂塔が2700もあり根来衆と呼ばれた僧兵が約1万人も居たとか。

紀州だけじゃなく和泉や南河内まで領地を広げ72万石ともいわれてまぁ。

江戸時代の紀州・徳川家が55万石でっさかいにそれよりも大きかった。

あの比叡山を焼き打ちした織田信長も一目おいて攻められなかったとか。

雑賀衆と提携し数千丁の鉄砲を保持していたんだって。

豊臣秀吉は小牧長久手の戦いに際して根来寺が徳川家康に味方し
大阪の岸和田まで攻めてきたのにカンカンになったのかな。

10万の大軍で一気に攻めよせて根来寺を全山焼いてしまったそうな。

1万人近くいた僧兵も皆殺しにしてしまったようだね。

同じお寺を焼いてしまったのに比叡山の織田信長は批判されて
根来寺の豊臣秀吉は別段に批判されていないのは如何に?

(現在の根来寺 航空写真)


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現在でも境内は約36万坪あるけど、当時はその数倍はあったとか。

三方が山に囲まれた城郭のようなお寺だったようだね。

このお寺は平安時代の1140年(保延6年)覚鑁(かくばん)上人が
高野山の金剛峯寺との争いを避けて移り住んだのがスタートのようでんな。

保守派の金剛峯寺と新興勢力の覚鑁(かくばん)上人の大伝法院派の争い。

(根来寺の由来書き)


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覚鑁上人は真言宗では中興の祖と云われ江戸時代の元禄期に
朝廷から、興教大師の尊号を頂いているそうですわ。

この方の流れを引き継いでいるのが新義真言宗と呼ばれ現在は
真言宗智山派(智積院=京都)や真言宗豊山派(長谷寺=奈良)

成田山新勝寺や川崎大師などがこの真言宗智山派の別格本山でっせ。

それじゃ境内へ入り参拝させてもらいまひょ。

(国宝 根本大塔 室町時代の創建)


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豊臣秀吉の「根来攻め」に際し奇跡的に焼失を免れましたんや。

壁面の柱に火縄銃の弾痕が今も残っていると書かれてましたで。

我が国で木造・多宝塔としては最大で高さは約40mもおます。

創建は1496年(明応5年)三代将軍・足利義満さんの時代でんな。

明治32年から国宝に指定されている貴重な文化財でっせ。

(根来寺 大傳法堂)


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「根来攻め」の際に焼け残ったこの大傳法堂が豊臣秀吉の命令で
解体して京都市内へ移そうとしたんだが、拝領したと勘違いした
僧侶が罪に成り、解体された傳法堂は朽ち果ててしまったんだって。

江戸時代になってから本尊の大日如来他三体の仏像だけは
根来寺の再建が許されたので戻ってきたとのこど。

その朽ち果てた場所が大阪市此花区伝法町だとの説があるとか。

真言宗では本尊が大日如来さんで一番大事な仏さまなんだって。

(根来寺の 本尊 大日如来)


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堂内は撮影禁止なので外から大日如来さんだけを写しました。

ここは根来寺の僧侶が本尊の前で厳しい修業をするお堂なんだって。

この建物は江戸時代後半の1827年(文政10年)の再建だとか。

真言宗では大日如来が本地仏として説法するんだと考えるのが
「古義真言宗」で高野山・京都東寺・京都醍醐寺・四国善通寺
京都大覚寺・京都仁和寺 等の真言宗になります。

それに対して「新義真言宗」では大日如以来がさまざまな姿で
現れて加持説法するとの説で、それぞれ教義が異なるようですわ。

根来寺は徳川時代に成ってから秀吉の長男鶴松の菩提寺を拝領して
塔頭だった智積院が東山七条に大きなお寺を本山にしてますんや。

これが現在の真言宗智山派とよばれる大きな教団になりまぁ。

同じく奈良の長谷寺へ逃れた一派が真言宗豊山派として独立。

まあ~ 根来寺を二つに分裂させてしまったんですわ。

一向宗を東本願寺と西本願寺に分裂させたのと同じ宗教政策?

(根来寺 寺紋  三つ柏)


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関東の川崎大師さんは「丸に三つ柏」の紋だったような記憶。

同じ新義真言宗系だから根来寺から寺紋を採用したのかしら?

(根来寺の ご朱印)


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普通は真言宗なら大日如来さんのご朱印なんですが
今回は、興教大師さんのご朱印を貰って来ましたんや。

このお寺は興教大師さん所縁の故地ですからね。

それでは根来寺の本坊を見学させて貰いまひょかな。

(根来寺 本坊)


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本坊とは根来寺の一番偉い僧侶で座主(ざしゅ)が住まれる建物で
これは江戸時代に紀州・徳川家から拝領した物なんだって。

名草御殿・湊御殿・別院の三つの建物で出来ているんだそうな。

画像はその一つで「名草御殿」だったと記憶します。

周囲は奇麗な日本庭園になってまっせ。

(根来寺 本坊の庭園)


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(根来 手水鉢と呼ぶそうな)


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面白い形をした手水鉢なので撮影しましたんや。

こんな形のは今まで見たこともおまへんわ。

(本坊から 屋外の桜を撮影)


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本坊の隣は光明真言殿と云い当時は持仏堂だったようですな。

中央に興教大師さんの尊像を挟んで左右には歴代の座主さんの位牌。

紀州徳川家の藩主や根来寺の信徒さんの位牌も安置されてますんや。

(光明真言殿 内部の祭壇)


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中央に根来寺の座主がそして周りを根来寺の僧侶が
日夜にわたりここで回向をされる場所のようですな。

この光明真言殿を表から写したらこんな感じ。

(根来寺 光明真言殿)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この建物も江戸時代1801年(享和元年)に再建されたそうでっせ。

江戸時代には紀州・徳川家から篤いお布施が納められていたようですわ。

国宝の根本大塔の側に奇麗な桜が咲いてましたんで貼り付けておきまひょ。

(根来寺 境内の桜)


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(可愛い 童顔のお地蔵さん)


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普通はこの山門(大門)から境内に入るんでしょうがね。

バスでやってきたもんで帰りに潜る事になりましたんや。

(根来寺 大門)


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この大きな門は1850年(嘉永3年)の幕末に完成したそうで
昔の大きな根来寺にふさわしい大門で高さ約17m 幅約18m

この大門を背景にした桜も見事で奇麗でしたで。

(根来寺 大門 & 満開の桜)


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根来寺から帰りはコミュニテイバスが無いので歩くことにしました。

県道まで約2kmぐらいの道を桜を観ながら散策でおます。



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(根来東 バス停)


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ここから和歌山バスでJRの阪和線の方へ抜ける事にしまひょ。

次回はJR阪和線で昔から桜の鉄道写真のメッカ山中渓駅を紹介しまひょ。

ほんなら~ 今日はこれでさいなら~♪
コメント (18)
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