鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

令和の元号に慣れましたかな~?

2019-09-01 21:16:22 | 古文書
5月1日 「令和」の元号になって4か月が過ぎましたね。

「平成」 ⇒ 「令和」 そろそろ馴染んできのかもしれません。



若い方は西暦だけで元号(年号)は不要と言われる方も多いとか?

でも、日本歴史をたしなむ、鉄ちゃん爺やには元号が必要ですな。


応仁の乱      西暦1467年の乱 では意味が不明。

明暦の大火     西暦1657年の大火 では中途半端な感じ。

明治維新      西暦1867年の新政府では 重みを感じない。


やはり日本の歴史は、元号と対で暗記した方が分かりやすく感じる。

二番煎じになりますが「令和」の元号を復習してみました。


(梅花の宴) (羽曳野市図書館の蔵書から)


(令和の元号の 語源になった万葉集の序文)


ご承知とは存じますが「令和」は248番目の元号だそうですな。

西暦645年 元号がスタート   大化の改新(乙巳の変)

「大化」が記録に残る最初の元号だと教わりましたかな。

(元号 年号から読み解く日本史) (羽曳野市図書館の蔵書)


西暦645年の「大化」から一時中断するも、西暦701年の「大宝」から
綿綿と続く元号は、現在では世界中で日本にしかない貴重な制度でもありまぁ。

248ある元号ながら漢字は、73の中で組み合わされているようですわ。

奈良時代に5つつだけ4文字の元号が記録されてますが、その他243は
全てが二文字の漢字で表示されて今日まで続いているんだそうです。

「令和」の上の文字は、今回に初めて採用されたとのこと。

「令和」の下の文字は、今回が20回目と4位にランクされる常用漢字。

過去に「令」の付く元号が考案されたことがあるようでっせ。

(未採用の 元号候補) (羽曳野市図書館の蔵書から)


西暦1864年  甲子の改元

平安時代から江戸時代まで旧暦の「甲子」と「辛酉」の年には
中国の易姓革命の影響で、元号を改めることが通例だったとか。

朝廷では江戸幕府に「令徳」と「元治」の二つを提案したんだそうです。

朝廷では「令徳」を希望し、不可の際には「元治」をとだったとも。

江戸幕府は「令徳」に反対はしないが、「元治」も然るべきと返答。

「令徳」は、徳川に命令するとも、読めるので不快に感じたとの説。

結局は徳川幕府に忖度して「元治」に改元されたそうですわ。

この「元治」を挟んで幕末最後の天皇である孝明天皇の21年間に

「弘化」 「嘉永」 「安政」 「万延」 「文久」 「元治」 「慶応」

なんと7回も元号が変更されるようなことが起こってますかな。

(令徳の 元号の解説) (羽曳野市図書館の蔵書より)



西暦1864年(元治元年)は有名な新選組の池田屋事件などの
騒動で、たった1年足らずで「慶応」に改元されたんだって。

そして「慶応」も3年で明治維新を迎えることになったんですわ。

その後は「一世一元」で今日に至るようになったんですわな。

蛇足ながら鎌倉時代には天変地異や騒乱や将軍や天皇の代替わりで
頻繁に元号が改元された為に、多くの元号が残っているそうです。

1年に満たない元号も2~3つ記録されているようでんな。

江戸時代には朝廷に唯一残された、元号を改元する権限があり
朝廷や公家さんには重要な収入源として改元されたことも有ったとか。

PCが珍しく今日はご機嫌がよくブログの更新が出来ました。

それでは~ 9月も宜しくお願いしまして、さいなら~♪





コメント (14)
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