鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

大阪府は イエローステージ(警戒)2 に成ってますよ!  

2020-08-10 18:33:25 | 大阪のミナミ 食の町
新型コロナウイルスの感染者が増加して大阪府は7月14日に
「大阪モデル」の数値から黄色を点灯し府民に警戒を告げてました。

その後「イエローステージ(警戒)1」と補足されてましたんや。

(通天閣 デザインは大阪のゆるキャラ もずやん)


(万博公園 太陽の塔)


7月31日に改めて「イエローステージ(警戒)2」にランクをアップ。

8月6日~8月20日まで新たに大阪ミナミの一部の地域に限り
酒類を提供するお店に、営業自粛と営業時間短縮を要請をしました。

東京都・夜の街 営業自粛と営業時間短縮に同調したような感じ。

(道頓堀 グリコの看板)




(大阪ミナミ 道頓堀 かに道楽の看板)


(大阪ミナミ 宗右衛門町の通り)


(大阪ミナミ 周防町の割烹)


大阪ミナミで南北の通りである御堂筋と堺筋に囲まれた地区で
東西の通りで千日前通りと長堀通りに囲まれた地域になりますかな。

大阪ミナミで最大の歓楽街を含む一帯とも言えまっしゃろか。

(大阪ミナミ 法善寺横丁)




勿論、法善寺横丁も千日前通りの北側でっさかいに含まれまぁ。

「感染防止宣言ステッカー」を掲示してる、お酒を提供する店には
AM5時~PM20時までの営業に、お願いをしたそうですわ。

「感染防止宣言ステッカー」を掲示していない、お酒を提供する
接待を伴うお店とカラオケ店には営業自粛を要請したとのこと。

居酒屋さんも含めて20時までしか営業が出来ないと成れば
1日2万円の補償では足らないんだけど休業するしかないのかも?

鉄ちゃん爺やも20時で閉店なら居酒屋やスナックには行きまへんわ。

勿論、1月下旬から以降はミナミやキタには出かけてまへんけど。

(大阪心斎橋と 長堀通り)


画像の奥の方は心斎橋筋になりますんや
「イエローステージ(警戒)2」の地域に含まれまっせ。

逆に鉄ちゃん爺やが撮影している地点から後ろは適用外になります。

ちなみに、こちら側は南船場地区と呼ぶんですよ。

(大阪ミナミ 御堂筋)


画像の向かって右側は適用地域で、逆に左側は適用外でっせ。

画像の右側は大丸百貨店から心斎橋筋や島之内になりますんや。

左側はアメリカ村とよばれ若者に人気の地域になりまぁ。

ここも規制地区にすべきだとの声も有るように聞いてまっけど。

(大阪難波 高島屋)


(大阪ミナミ ナンナンタウンの地下街)


この辺りは千日前通りより南に成りますんで適用から外れるんですわ。

不公平だとの声もおますけど、線引きしないと仕方がないのかも?

これで新型コロナの感染者を抑え込めるかどうかは疑問でっけど。

やらないよりは~ やった方が良いぐらいの事にしておきまひょ。

(大阪新世界の 通天閣)


(大阪新世界の 人気スポット)


(ふぐ料理 ずぼらやさんの提灯)


大阪で「ふぐ料理」を安く味わえる店として人気でした。

春から営業を休止してはりましたが、9月で廃業になるとの発表が。

「ふぐもどき」だと悪口も有りましたが、ふぐに違いはおまへんでした。

そりゃ~ トラフグはこんな安い値段で食べられへんのは承知ですわな。

(通天閣の人気者 ビリケンさん)


足の裏を撫でて新型コロナが収まるようにお願いしておきまひょ。

それにしても今年は大阪の大きな、お祭りやイベントが中止でんがな。

(7月25日 大阪天神祭り)


船渡御と呼ばれる日本三大祭りも今年は中止になりましたで。

確か戦後の昭和20年台から初めてのことだと記憶しますんや。

(岸和田の だんじり祭り) (毎年9月に開催)




全国から観光客が50万人も訪れる有名なお祭りだっせ。

これも新型コロナの影響で今年は中止と決まりましたそうな。

(PL花火大会 毎年8月1日開催)




これも大阪で有名な花火大会で中止に成ったのは、台風で中止に成った
昭和57年以来の事だとの話で、初代教祖様の命日の行事だそうですわ。

昔は10万発で東洋一と称していましたが最近は長岡や大舘などが有名かも?

花火の玉の数え方が10年ぐらい前に変わったので比較が難しいとか。

最近のPLは2万発とか言いますが、日本一とは称してないようでんな。

PL花火大会のフィナーレに8000発の花火を一斉に打ち上げると
夜空が昼間のように明るくなる見事な物なんですよ。

画像は我が家の近くから写した物ですが約4kmぐらい離れているのと
鉄ちゃん爺やのポケデジでは上手く写せまへんのでご容赦のほど。

(大阪城の 天守閣)


こちらは、5月20日から休業要請が終了して再開されているはず。

でも~ 観光客はあまり多くないように聞いてまっけど。

大阪の新型コロナ感染者は7月中旬までは100人を上限に二桁で
終始してましたが、8月に入り急増してるんですわ。

8月6日 225人   8月7日 255人   8月8日 180人

8月9日 196人   8月10日 123人  8月11日 102人



8月9日現在  大阪府の統計によれば

PCR検査数 82,268件   陽性者累計 4916人 (陽性率 6%)

入院者数  356人   内 重症者  30人  (重症率 20%)

退院者数 3286人      死者  92人 


皆様も十分に新型コロナの感染にはご用心くださいね。

ほんなら~ これで、さいなら~♪
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インバウンドで賑わう  戎橋筋 & なんば駅前

2018-02-04 17:04:14 | 大阪のミナミ 食の町
大阪のミナミって何処から何処までなんですか?

他府県から来られた方から、こんな質問を受けますんや。

大阪の「キタ」と「ミナミ」を少しだけ説明して置きまひょ。

(大阪城の天守閣)


(地下鉄・御堂筋線 梅田駅名標)


江戸時代から戦前まで大阪市の中心は「船場」でしたんや。

「船場」から見て北側になる梅田や曽根崎辺りをキタと呼び。

逆に南側になる道頓堀や心斎橋や難波をミナミと言いまんねん。

「船場」の旦那衆がその昔に遊んだ色街がルーツのようでっけど。

(大阪市の 市章)


最近はミナミが少しだけ膨らんで堀江地区(西区)や
日本橋筋から新世界地区(浪速区)まで含める感じもしまぁ。

新世界地区は本来なら「あべの・天王寺」になりますんやけど。

少しだけ話が脱線しましたが、ミナミの戎橋筋に向かいまひょ。

(大阪のメインルート 御堂筋) (船場地区)


(大阪のメインルート 御堂筋) (難波地区)


戎橋筋とは前回に紹介しました道頓堀の戎橋から南へ約700m

なんば駅前の高島屋さんまで、南北の賑やかな通りを言いますんや。

大阪では戎橋筋と、同じ道が道頓堀川を越えて北へと延びる
心斎橋筋と合わせ、昔から一番の繁華街だと呼ばれてましたかな。

(戎橋筋商店街の 垂れ幕)


(戎橋筋商店街の 賑わい)




鉄ちゃん爺やは学生時代から独身時代まで大阪市内でも南部になる
住吉区に住んでましたので、ミナミは生活圏だと考えてましたんや。

内の奥さんと初めてデートをして食事をしたのが下の画像のお店。

(お好み焼き ぼてぢゅう本店)


お店は改装されてますが、場所は今も同じところに健在でっせ。

大阪ミナミでお好み焼きと言えば「ぼてぢゅう」と「千房」
それに「鶴橋風月」と「福太郎」などが最近では有名かも?

最近は中国人や韓国人が行列して食べられなくなった
鉄ちゃん爺やの、お気に入りのお好み焼き店を下の画像で。

(お好み焼き 美津の 千日前店)


何時も行列で1~2時間待ちとか、食べる気がしまへんがな。

インバウンドが始まる前まで、鉄ちゃん爺やのお馴染みでした。

かれこれ~ もう10年ぐらい食べてないような感じですわ。

(551蓬莱 豚まん! の看板)


大阪きたら とりあえず! 豚まん

関東では「肉まん」と言うらしいでっけど、大阪では「豚まん!」

関西では「肉」と言えば牛でっさかいに、肉まんとは言いまへんで。

確かに関東で食べた「肉じゃが」は豚肉でしたわ~

関西では「肉じゃが」は牛肉を使いますんで味が異なりますんや。

話を「豚まん」に戻しまひょ。

(551 蓬莱 本店)


(551の 豚まん!)


宣伝をするつもりはおまへんけど、大阪人なら知らぬ人は無し。

テレビのCMまでやってる、豚まんと言えば551となりまぁ。

実はスーパーの冷凍品で売ってる「蓬莱」さんとは別会社で
551を強調しているのが、「551蓬莱」さんなんですわ。

だから同じ「蓬莱」のマークは付いてまっけど、スーパーの
「豚まん」と「551蓬莱」のとは味が異なりますんや。

同じルーツを持つようですが「551蓬莱」さんは店頭で
蒸して仕上がり品を、その場で販売するのがメインなんでっせ。

(551蓬莱 本店)


(551蓬莱 本店前の行列)


551の豚まんは冷凍品を販売しているのは新大阪駅構内と
ここ本店だけで、他では売ってないのをご存知かしら?

しかも~ 東京や名古屋にも店を出さないというこだわり。

京都や奈良や和歌山には店舗は数多くおますんやけどな。

味の分かる、関西人にだけ食べて欲しいとの意気込みかも?

我が娘も広島に来るなら「551豚まん」を買って来て~

昔は豚まんの臭いがしてヒンショクを買ったことも有ったけど
最近は申し出れば、二重包装にしてビニールで包んでくれまぁ。

これなら新幹線や高速バスに乗っても大丈夫ですわ。

大阪に来られた際には、騙されたと思ってご賞味くださいね。

「551蓬莱」さんから宣伝代を頂いてませんので念のため。

(戎橋筋商店街の垂れ幕)


(大寅さん 本店)


関西では天ぷらと言えば練り物と普通の天ぷらの二つがおます。

魚のすり身を油で揚げた方の、天ぷらの有名店なんでっせ。

我が家ではお正月の「かまぼこ」は昔からこのお店で買いまんねん。

(大寅さんの 天ぷら)


支店がアベノの近鉄百貨店地下におますんで、鉄ちゃん爺やは
大阪市内へ出かけた際には、そちらで良く買って帰りまっせ。

鉄ちゃん爺やにはお酒のアテに、内の奥さんにはご飯のおかず。

練り物の「天ぷら」は関東では、あまり聞きまへんでしたけど。

「さつま揚げ」はおましたが、それよりもこちらは美味しいでっせ。

(南海ビルデイングの 全景)


(国指定 登録有形文化財の銘板)


1932年(昭和7年)に南海電鉄がターミナルビルとして建設。

テラコッタタイルを張り付けたコリント様式の当時は珍しい建物で
テナントとして百貨店の高島屋さんが当初から入居したんですわ。

だから南海ビルデイングという正式名称は一般には知られて無く
高島屋ナンバ店として、大阪人には認識されていたような感じ。

(オオサカ高島屋さん 正面玄関)


鉄ちゃん爺やが幼い頃は南海タカシマヤとか呼んでましたで。

ビルの3階部分に南海電鉄の難波駅があり、通路で高島屋とも
つながり冷暖房が完備された初めてのデパートでしたんや。

現在の難波駅は改装されて約200mほど南へ移動したようで
鉄ちゃん爺やが通勤に使用していた風景とは違いがおますけど。

高島屋側の外装は殆ど当時と変わってないように思いまんねん。

(南海ビルデイング 構内の彫刻)


「羽根車」の文様は鉄ちゃん爺やが知ってる頃の南海電鉄の
社章なんで、懐かしくてデジカメで写しましたんや。

当時の南海電車にはこの「羽根車」が描かれてましたで。

最近の若い方には、何の意味なのかご存知もないでしょうな。

(NAMBAなんなん 地下への入口)




大阪で初めて地下街が出来たのは、ここ高島屋と南街劇場に
挟まれた道路の地下に完成したのが1957年(昭和32年)
クリスマスの頃に悪友と遊んだを今でも覚えてますんや。

鉄ちゃん爺やはまだ高校生だった頃で、暗いイメージだった
地下道が一変し、ショッピング街になったとは驚きでしたな。

昨年に60周年を迎え当時よりもリニューアルもされてまぁ。

(NAMMBAなんなん 60周年の垂れ幕)


(NAMBAなんなん 地下街の通り)


昔は地下道と言うのは階段の昇り降りに難点はあるんだけど
安全に道路を横断する為に、作られた道にすぎまへんでした。

大阪でも御堂筋の地下を潜る順慶町や清水町におましたで。

堺筋の西側から三越百貨店の高麗橋店の地下と結んだような
地下道も出来てましたが、店舗などは出来てまへんでした。

それが地下道を全面的に利用した地下街はここが日本初かも?

(NAMBAなんなん 地下街の通り)




名古屋駅前の地下道が日本一古い地下街だとかネット上では
書き込まれてますが、全面がショッピング街ではなかったはず。

一部に店舗はあったが地下道の感じが強かったような記憶が。

対して現在の「NAMBAなんなん」は当時は確か名前は
「ナンバ地下センター」と呼ばれ、昭和49年頃だったか?

「ナンバなんなんタウン」と変わり平成18年の全面改装を経て
現在は「NAMBAなんなん」と名前を三度変更したんだって。

(NAMBAなんなん 地下通路)


大阪には梅田に「ホワイティうめだ」がアベノに「あべちか」
千日前通りの地下に「なんばウオーク」が京阪京橋駅前に
「コムズガーデン」などがあり、全てが大阪地下街㈱という
大阪市の第三セクターの会社が管理してますんや。

今年4月に大阪市営地下鉄が民営化される際にこの大阪地下街㈱も
大阪メトロと名称を変える地下鉄事業会社の系列に移管するとか。

大阪地下街㈱って年間で5億円ぐらいの利益を計上する優良企業で
大阪メトロと合わせて大阪市には多額の配当が入るんだとの話。

(NAMBAなんなん 喫茶店で小休止)




長くなりますんで今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は大阪ミナミの新歌舞伎座や上方芸能の今昔を
画像を交えて紹介させてもらいまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵



















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インバウンドで賑わう  道頓堀 & 千日前

2018-01-28 10:22:34 | 大阪のミナミ 食の町
黒門市場から足を延ばして道頓堀(どうとんぼり)へ

観光客が大阪市内で訪れるベスト3と言えば

一番が 「道頓堀=どうとんぼり」 

二番が 「大阪城」

三番が 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」

現在はこんな感じになると思いますんや。

(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


(大阪市営地下鉄 なんば駅)


この見慣れたロゴマークも今年の3月31日まで。

4月1日から民営化されて「大阪メトロ」という
名前の地下鉄になるとの発表がおました。

橋下市長の時代からモメてましたが市議会で
当分の間は株式を売却しないとの条件で可決成立。

日本最大の公営鉄道が民営化されるんですわ。

それでは道頓堀(どうとんぼり)の方へ向かいまひょ。

大阪では難波駅から道頓堀や心斎橋筋の辺りを
ミナミと呼び、梅田や曽根崎の辺りをキタと呼びまぁ。

(御堂筋から 道頓堀川を撮影)


有名なグリコの看板の前で観光船は停船しますんや。

観光客は一斉に写真撮影をしてはりますわ。

観光船から眺めるグリコの看板は趣が変わりますかな。

(御堂筋から 戎橋を撮影)


(中央区 心斎橋筋の住居表示)


道頓堀川の一つ北側で東西の通りを大阪では

宗右衛門町(そうえもんちょう)と呼びますんや。

「きっと来てねえと~ 泣いていた~ かわいあの娘は~

  うぶなぁのうか~ 何故に泣かすか~ 宗右衛門町よ~」

        大阪の名曲 宗衛門町ブルース

あの当時200万枚を超える大ヒット曲だったとか。

この歌が流行った頃は、鉄ちゃん爺やもまだ30歳代?

(宗右衛門町を示す 看板)


鉄ちゃん爺やも若い頃はこの辺りで良く遊んでましたで。

ミナミではスナックやクラブが並ぶ歓楽街なんですわ。

道頓堀川から南側は昔からの食事処となりまんねん。

今はおまへんけど芝居小屋も五つほどあったようでっせ。

宗右衛門町から北側が二次会用の繁華街となりまぁ。

(ミナミの名所 グリコの看板)


(グリコの看板を背景に 自撮り)


グリコの看板はこれが4代目だとか聞いてまんねん。

観光客なら必ず写真に収めるミナミで一番の名所ですわ。

鉄ちゃん爺やは2代目からを見てきたと思いまんねん。

(戎橋から 道頓堀川の東側を撮影)


(戎橋の標識)


(戎橋の 説明板)


(道頓堀通りから 戎橋方向を撮影)


この「戎橋」を挟んで北側を船場まで「心斎橋筋」と呼び、

南側は難波駅前迄を「戎橋筋」と大阪では呼びますんや。

今宮戎神社への参道として江戸時代に造られたそうで
道頓堀川に架かる橋を「戎橋」と呼ぶようになったとか。

大阪市内では南北の道を「筋」と言いますんや。

東西の通りは「通り」と言いますんで念のため。

(道頓堀通り かに道楽本店の看板)




この看板も昔から観光客の撮影スポツトですかな。

中国の方も韓国の方も、盛んに写真を写してはりますわ。

「かに道楽本店」は一度ぐらいしか入った記憶がおまへん。

(明治製菓さん カールの看板)




カールは東京など東日本では販売が中止になったとか。

三橋美智也さんの高いキーでのCMが懐かしいでんな。

関西ではカールはまだスーパーで買えるようでっけど。

(道頓堀通りの賑わい)




(大衆向け ふぐ料理の すぼらや)


「ずぼらや」さんは大衆向けで安いフグ鍋が食べれるので
今も昔も庶民には人気のある大阪の味とでも言いますかな。

トラフグのような高級なフグじゃないがフグには違いなく
手軽にフグ鍋を食べてみるなら、ここらあたりでしょうね。

(道頓堀通り 雛寿司さん)


女性に喜ばれる小さいサイズのお寿司屋さんでっせ。

鉄ちゃん爺やも女子事務員さんを連れて食べましたで。

お値段は高いけど話のネタになる、お寿司屋さんでっけど。

ここから南の方へ足を向けていきまっせ。

(法善寺横丁の 看板)




鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中に大火で焼けてしまい
再建に鉄ちゃん爺やも5千円だけ寄付をさせて貰いました。

昔ながらの法善寺横丁が再建されたようで良かったですわ。

本来は防火の関係でこんな細い通路は許可がでないんだとか。

大阪市が特例で昔ながらの通路の幅で許可をだしたんだって。

(有名な 水掛け不動尊)


ミナミでは水商売の女性には凄く人気のある「お不動さん」

水を掛ける と 願いを掛ける そんな語呂合わせかも?

不動尊は商売繁盛と恋愛成就の有り難い お方だそうです。

浪花情緒が残る数少ない光景がミナミの名所になってまぁ。

お寺は昭和20年の空襲で焼けてしまいまして不動尊と
金毘羅堂だけが残っているだけですわ。

江戸時代から千日供養をしたのが法善寺で庶民は
千日寺と呼び、千日前はこのお寺の境内だったとも。

(水掛け不動に 並ぶ観光客)




水掛け不動さんに水を掛けるのもこんな行列でっせ。

中国の方に水掛け不動さんの意味が分かるのかしら?

お隣は織田作之助の小説で有名な「夫婦善哉」だっせ。

(法善寺横丁の角 夫婦善哉)


(織田作之助 馴染みのお店)


割烹で「正弁丹吾亭」(しょうべんたんごてい)と読みまぁ。

戦前からここに有った割烹で店の前に「肥樽」が置かれてた。

飲み客の小便の為の「肥樽」だったと言われてますんや。

まさか「肥たんご」とは名乗れまへんので当て字にしたとか。

お店の前には織田作之助さんの句碑が置かれてましたで。

(織田作之助さんの句碑)


「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 織田作之助 

(法善寺横丁の 風景)


(月の法善寺横丁 歌詞を刻んだ石碑)


「包丁一本~ 晒に巻いて~ 旅に出るのも板場の修行~ 

  待ってて こいさん~ 悲しいだろうが~ 」

これも大阪のミナミをイメージした名曲でしたかな。

鉄ちゃん爺やも、カラオケで時々でっけど歌いまっせ。

こいさんとは、船場言葉で一番年下の娘さんのこと。

通り過ぎて右へ曲がると千日前という通りに出ますんや。

(ビッグカメラの 千日前店ビル)


ここには鉄ちゃん爺やが若い頃には千日デパートビルが。

大きな火災で多数の死者を出した悲しいことがおました。

そもそも、この千日前という地名は江戸時代には刑場と
墓場が在った、大阪でも寂しい場所だったそうですわ。

明治の大火で刑場と墓場が立ち退きとなり大阪市が公募で
土地を売り出したけど、誰も買う人が無かったとか。

逆に遺骨の処理費を出してまで買ってもらつたとの話も?

なんでも近くの老婆が当時1円で数千坪を買ったとか。

現在の賑わいを見たら考えられないことですわな。

南海電鉄さんなどが進出し昭和になってから千日前は
ミナミの盛り場に仲間入りをしたと聞いてますんや。

(千日前の商店街)




(回転ずしの元祖 元禄寿司の看板)


(元禄寿司 千日前店)


今でこそ回転ずしと言えば、誰もが知っている店ですよね。

この元禄寿司の先々代がアサヒビールの吹田工場でビールが
瓶詰めされるラインを見て回転ずしを思い付いたんだって。

大阪の布施に1号店を出したそうですが、当時は売れなかった。

そんなわけで回転ずしの機械も特許を取らなかったとのこと。

昭和の30年代から継続したのが平成になってから爆発的に
回転ずしが流行りだして、元禄寿司さんは苦笑いしたとも。

逆に特許が取れていたら、今のような流行はなかったのかも?

(なんばグランド花月 吉本興業の本拠地)


(なんばグランド花月の前で 自撮り)


(なんばグランド花月 出演者の名札)


(吉本興業 芸人さんのゆるキャラ)


関西の方ならこの「ゆるキャラ」が誰なのかが分かるかも?

私は大阪人だから一緒に写してもらう気はおまへんけど。

地方からの観光客には良い記念写真に成ったかもしれまへん。

少しだけ戻ると昔は有名だった「大劇」さんの場所に。

(昔 大劇の在った場所)




田畑義夫が好きだった親父に連れられて実演を見に来たね。

美空ひばりさんも、ここで少女時代には歌っていたはず。

現在はビジネスホテルに代わってしまったようですわ。

(元 大劇跡 ホテルの玄関)


(千日前商店街の 垂れ幕)


これからもう一度だけ「戎橋筋」の方へ戻ってみまひょ。

昼食をと考えたがどこも中国人で満員の状態でおます。

諦めて、難波駅の喫茶店へでもと変更したんですわ。

戎橋筋から、なんなんタウンは次回に紹介しまひょ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵

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インバウンドで賑わう 黒門市場を散策

2018-01-22 18:44:34 | 大阪のミナミ 食の町
大阪のミナミに黒門市場という所がおますんや。

普段はプロの料理人や割烹の板場さんが常連客。

ミナミの高級な料理店などの魚は必ず黒門市場
鉄ちゃん爺やも、昔からそのように聞いてました。

東京のアメ横と同様で年末には一般客も訪れるが
5~6年前までは、ごく静かな市場だったはず。

それだけに新鮮な魚介類なら大阪一でっしゃろな。

その黒門市場がインバウンドで何故か人気が沸騰中!!

(大阪市の マンホールの蓋)


昨年中に大阪府を訪れた外国人は1111万人だとか。

500万人前後から一気に倍増したとの情報でっせ。

経済効果も1.4兆円を軽くオーバーしているとの話。

一時の爆買いから観光客に変化が見られるんだって。

地盤沈下がささやかれた大阪がインバウンドで急上昇!!

喜んでいいのか、騒がしくて不満なのかは不明でっけど。

(黒門市場 入口)




江戸時代の文政年間から鮮魚の売買が始まったとか。

圓明寺というお寺が近くにあって山門が黒塗りだった。

当初は圓明寺市場と呼ばれていたのが、何時の間にか
黒門市場と呼ばれようになったのは、明治の後半から。

1902年(明治35年)黒門市場が始まったとの説も?

圓明寺は明治45年のミナミの大火で焼失してしまい
現在は黒門市場の名前だけが残っているんだって。

大阪人でも黒門市場のルーツを知らない方が大半かも。

(黒門市場の 風景)




外国人が黒門市場の名前を知って押し掛けるようになり
魚介類を食べさせる店や屋台が急激に増えた感じですわ。

黒門市場と言えば「ふぐ」が有名なんでっせ。

流石に「ふぐ」は一匹が7千円~1万円前後はしまぁ。

外国人は見るだけで買う人は殆どおりまへかな。

並んでるのは天然物で下関港の「とらふぐ」でおます。

(黒門市場の ふぐ)




お金持ちの中国人が「ふぐのコース」を食べれば
1人前で2万円前後はすると思いまんねん。

中国人の口には合うのかどうかは知りまへんけど。

刺身である「てっさ」 ふぐの白子で「酢の物」

ふぐ鍋の「てっちり」がメインの料理でっかな。

最後は「ふぐ雑炊」で閉めるというのがコース。

高級な店ではコースで「ふぐ」を1匹使いまんねんで。

鉄ちゃん爺やも現役時代に何度か食べた事おますけど
引退してから約20年近く、ご無沙汰なんですわ。

何せ「ふぐ」の売り上げの50%は大阪府だとの話。

大阪では「ふぐ」を食べたいと言う人が多いようでんな。

(高級な ふぐ料理店 太政=ふとまさ)


ここが東京からお越しになった、お偉さんを接待して
3人で飲み代を含めて6万円ぐらい請求されたはず?

バブル全盛時代で平成がスタートした頃でしたかな。

大阪人の鉄ちゃん爺やでも天然の「ふぐ」を食べたのは
記憶では2~3度ぐらいしか、ないと思いますんや。

(黒門市場で 自撮り)


(黒門市場の賑わい)






日本語が聞こえまへん、中国語が大半のようですわ。

韓国人は高価な魚なので見るだけで素通りかも。

こんな賑わいは大晦日の12月31日だけだったはず。

時代が変わって、大変な変わりようにビックリ!!

立ち食いの店や屋台も中国語しか聞こえてきまへんで。

たこ焼きを食べながら黒門市場を歩くなんてことは
昔は見られなかったはず、変な風景だと感じましたわ。

(黒門市場の 賑わい)






昔は昼間なら料理人さんがチラホラ通るだけでした。

インバウンドの凄まじさを見せつけられましたで。

やはりネットの噂が中国人に広まったんでしょうな。

カニなどはその場で焼いたり刺身で食べれる店も有るとか。

「ふぐ」は生で買っても素人では料理は難しいですわな。

耳障りな中国語の喧騒から黒門市場を退散しまひょ。

表の通りは大阪市内では二番目に有名な「堺筋」でっせ。

(堺筋の 道路標識)


(堺筋は 北行きの一方通行)


(日本橋 ビアホール)


看板だけ古そうだけど、この店は記憶がおまへんな。

店の構えから昭和の時代から在ったとは思えない。

昼間からビールを飲んでいる方が大勢ですわ。

鉄ちゃん爺やは夕方から飲み会なので素通りしまひょ。

(高級 精肉店 関口)


(高級 肉料理 せきぐち)


(ミナミで見つけた 銘板)


この精肉店とお隣りの料理屋は昔から在った記憶が。

ここのコース最低でも5000円で最高が15000円
鉄ちゃん爺やは、ここで「すき焼き」など食べた記憶は無し。

それでは千日前の方へ歩いていくことにしまひょ。

今回はこれでお仕舞にしまっせ。

次回は千日前から道頓堀の賑わいを紹介しまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
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