鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

信州を巡る旅  木曽谷から諏訪湖へ

2020-06-28 19:40:21 | 旅行
机上で巡る信州の旅、今回は岐阜県の中津川市からスタートしまひょ。

人口約7万5千人の街で昔から木曽谷や伊那地方との繋がりの深い
宿場町として栄え、2027年には予定ですが建設中の
中央リニア新幹線の中津川駅が出来るとか言われてますね。

JR東海の名古屋駅から特急「しなの」で約50分ぐらいでしたかな。

快速電車なら名古屋駅から約1時間15分で到着しますんや。

(JR東海の快速電車ですれ違い) (2009年4月撮影)


背景の山は岐阜県と長野県の境に聳える恵那山で標高が2191m。

中央アルプスの最南端で、この恵那山から西側になる西南日本では
2000mを越える山が存在しないことは知られていないかも?

近畿・中国・四国・九州には1990m以上の山がおまへんのや。

ズームアップしてみまひょかな。

(日本100名山の一つ 恵那山 標高2191m)(2009年4月撮影)


中世までは東山道(とうさんどう)と呼ぶ国道がここから神坂峠を越えて
伊那地方へ抜けてから諏訪方面へ向かっていたそうでっせ。

東山道の難所だったので江戸時代には木曽谷を通る中山道(なかせんどう)に
変更されたそうですが、現在は中央高速道が恵那山トンネルで抜けてまんねん。

恵那山の左手が神坂峠に成りますので、ここから約1000mほど高度を上げて
長い登坂車線を経て恵那山トンネル長さ(約8600m)を潜り抜けますんや。

現在も恵那山トンネルは危険物を搭載したトラックなどは通過できません。

中央高速道は恵那山トンネルを抜けて飯田市や伊那市の方へ北上してますんや。

(中津川市の マンホールの蓋)(2011年3月撮影)


「おいでん祭」を描いた綺麗なデザインで風流踊りだそうですわ。

毎年の8月13日頃に催される伝統的な民俗舞踊のようですな。

栗きんとんの発祥の街としても有名になってますかな。

この中津川市を過ぎると信州の木曽谷に入ることになりまっせ。

岐阜県から長野県に入る訳で、関西や名古屋から信州に向かうには
鉄道ならJR中央本線で木曽谷を遡上することに成りますんや。

(JR東海 南木曽駅名標)(2009年4月撮影)


一つ手前の田立駅(ただちえき)からが長野県に入るようでした。

JR南木曽駅前から路線バスで妻籠宿や馬籠宿に入るルートのようですね。

途中下車しましたが何もない駅前ですぐに次の電車で再スタート。

鉄ちゃん爺やも昭和の時代に神坂峠でバスを降りて徒歩で
馬籠宿と妻籠宿を訪れましたが、当時はカメラはオリンパスの
36枚撮りのフイルム製でしたので画像では残ってまでへん。

(JR東海 普通電車の車内を撮影)


観光客は特急「しなの」で先を急ぐ訳で、車内は地元の方のみ。

鉄ちゃん爺やのような暇人は数えるばかりの2~3人でしたな。

のんびりと木曽川の流れを見ながらの良い車窓風景でっせ。

(JR中央本線 車内から撮影)




列車は標高290mの中津川駅から分水嶺の鳥居峠まで上り坂の連続。

画像の左側は木曽川の流れと中山道から名前を変えた国道19号線でっせ。

確か鳥居峠のトンネルが標高960mだから一寸した登山鉄道の気分でおます。

昔から鉄ちゃん爺やが信州へ向かうルートで大好きな車窓風景なんですわ。

横を走る国道19号線は道路の改良が進み危険物を積載したトラックで
中央道を通らなくても約1時間ぐらいの差で運行が出来ると聞いてますんや。

こちらは高速道路の使用料の節約にもなりまっしゃろ。

(JR中央本線 車窓から撮影)


木曽谷と言えばヒノキが有名で昔は貯木場があちこちに見られましたが
最近はトラック輸送に変わった関係でほとんど見かけられませんね。

(JR中央本線 車窓から撮影)


右手の遠くに見えるのは中央アルプスの木曽駒ヶ岳か空木岳のはず。

共に標高2900mクラスの名峰で山の向こうは伊那地方になりまぁ。

左手には木曽の御嶽山が一瞬だけ見えると書かれてますが、電車から
確認するのは難しく、鉄ちゃん爺やも観た記憶がおまへんのや。

(JR中央本線 車窓から撮影)




鳥居峠は太平洋と日本海の分水嶺になってますんで、太平洋へ流れる
木曽川からトンネルを抜けると日本海へ流れる奈良井川に変わりまっせ。

奈良井川は上高地から流れてきた梓川と合流し犀川となり北上し
善光寺平の川中島付近で千曲川に注ぎ最後は信濃川となりますんや。

鳥居峠のトンネルを抜けたJR奈良井駅で途中下車することにしまひょ。

この奈良井駅がJR東海で一番標高の高い駅で914mになるんだとか。

JR中央線では富士見駅という方が上回りますがこちらはJR東日本。

(JR中央本線 奈良井駅舎】(2009年4月撮影)






奈良井宿は江戸時代には中山道34番目の宿場町として木曽11宿では
「奈良井千軒」と呼ばれるほど賑わった宿場町だったそうでっせ。

中山道の宿場は東海道の宿場よりも2割ほど宿賃が安かったとの説。

それと川止めが無く距離は長いが江戸や京都への到着が狂わなかったとも。

江戸からやってきた旅人は鳥居峠の難所を控えて、ここで一泊すると
英気を養い鳥居峠(標高1197m)を越えて木曽福島へ向かったとか。

現在は標高930m付近から鳥居トンネルがあるので電車なら
ものの10分もしない内に通過できるんですけどね。

歩いて現在の鳥居峠を越えて薮野宿まで約8kmで3時間ぐらいだとか。

当時はもっと標高の高い峠だったので半日ぐらい掛ったのかも?

(JR中央本線 鳥居トンネル 奈良井側の出口)(2009年4月撮影)


(木曽の大橋 奈良井川に架かる観光用の橋)(2009年4月撮影)




木曽のヒノキを使って橋のモデルは岩国市の錦帯橋だとか。

橋の左手は国道19号線の道の駅「木曽の大橋」なんでっけど
当時は名前だけで何の設備もなし、冬場は橋の使用も禁止だったはず。

当時は駐車場と男女別トイレしかない道の駅でしたから。

あれから11年が経ってますので変わったかも知りまへん。

国道19号から橋を渡ると「奈良井宿」の街並みに入れますんでね。

(木曽の大橋から 奈良井川を撮影)


それでは奈良井宿の方を散策としますかな。

江戸時代の西暦1840年頃の街並みが残されているんだとか。

何度も大火に見舞われたけど天保時代の建物が残っているらしい。

現在は街並みが重要伝統的建造物群保存地区に指定されているとのこと。

(奈良井宿の 街並み)












(奈良井宿の カフェにて撮影)


当時はまだ自撮りが出来ませんでしたのでカフェのご主人に撮影を依頼。

ご主人もカメラのマニアで信州の雪山を写すのが好きだとの話でした。

(長野県木曽郡楢川村の マンホールの蓋) (現在は長野県塩尻市)


清流に住むイワナが描かれているようですが、現在は長野県塩尻市だとか。

木曽郡楢川村の方が江戸時代の面影を残す奈良井宿にはお似合いかも?

最近は上高地が松本市に編入されたり、鉄ちゃん爺やは首を傾げてますんや。

それでは再びJR奈良井駅に戻り旅を続けることにしまひょ。

(JR塩尻駅 駅名標)  (2011年4月撮影)


(JR中央本線 塩尻駅舎) (2009年4月撮影)


この駅まで来るとJR東日本さんの管轄に変わりますんや。

だから中津川駅や名古屋駅から来た列車の乗務員さんは交代になりまぁ。

(JR中央本線 塩尻駅の連絡橋から撮影) (2009年4月撮影)


画像の左へカーブしているのが中央本線の新宿方面への線路でっせ。

右へカーブしているのが中央本線の名古屋方面への線路に成りまぁ。

そんな訳で塩尻駅から新宿駅方面はJR中央東線とも呼びますかな。

同じく塩尻駅から名古屋駅方向はJR中央西線と呼ぶことがおます。

同じ中央本線ですが西線と東線を繋ぐ電車は運行されてませんからね。

JR東日本さんとJR東海さんのライバル関係もおますんかな?

鉄ちゃん爺やもここでJR中央東線に乗り換えて先を急ぎまひょ。

(JR岡谷駅 駅名標) (2010年4月撮影)


現在は伊那地区へ向かうJR飯田線はここで乗り換えが便利かも。

JR飯田線は次回にしますので次の駅に向かいまひょ。

この駅を出ますと右手に諏訪湖が見えてきますんで、先ほどの
駅名標もそんな風景を表示しているようですわ。

(JR下諏訪駅 駅名標) (2009年4月撮影)


(JR中央本線 下諏訪駅舎)(2009年4月撮影)


ここは長野県諏訪郡下諏訪町と呼ぶ小さな町で人口も約1万9千人ほど。

お隣の岡谷市や同じく諏訪市に挟まれながらが合併もせずに頑張ってまぁ。

昔は中山道(なかせんどう)と甲州街道の分岐する宿場町として
江戸時代には賑わいを見せた町でもありますかな。

この町には諏訪大社の下社秋宮・同じく下社春宮が鎮座してますんや。

諏訪大社は上社が二つと下社が二つの四つが離れてお祀りされてますよ。

(諏訪大社 下社秋宮)(2009年4月撮影)




七年に一度(寅年・申年)に有名な御柱祭りが行われますよね。

実際は六年に一度なんですが、お祭りの年も含めて七年に一度と呼びまんねん。

毎年ながら死傷者が出る坂落としとよぶ荒行事で始まることで有名ですわな。

この上社と下社の御柱祭りは日時も異なり神事の内容も異なってますんや。

そんなことも関係して下社の町である下諏訪町は伝統と誇りを伝える為に
小さい街ながら合併を望まず今日まで来たように考えられますかな。

(諏訪大社 下社秋宮の 一の御柱)(2009年4月撮影)


この諏訪大社の秋宮の四方を守る4本と春宮の四方を守る4本 計8本を
山から切り出した大木で交換する神事が御柱祭りでっせ。

同じようにお隣の諏訪市と茅野市の管轄する諏訪大社の上社でも
8本の御柱を交換するのが、次は二年先の2022年4月になりまぁ。

(諏訪大社・下社秋宮で 夕方のお祈りをされる宮司さん)(2009年4月撮影)


(諏訪大社・下社秋宮の 拝殿)






実は数年前から実行している六十余州の一之宮巡りとご朱印を当時はやってませんでした。

当時はお寺のご朱印だけでしたので神社のご朱印は考えが及びませんでしたね。

考えたら諏訪大社の四つの宮は信濃の国の一之宮になってますのや。

改めて次の機会を見つけて信濃の国を訪れることにしまひょ。

(諏訪大社 下社 御柱祭りの綱)(2009年4月撮影)


(長野県諏訪郡下諏訪町の マンホールの蓋)(2009年4月撮影)


つつじと桜が描かれているようですね。

それではJR下諏訪駅に戻り一駅だけですが次のJR上諏訪駅に向かいまっせ。

(JR中央本線の 車中より諏訪湖を撮影) (2009年4月撮影)


JR中央本線で諏訪湖を眺められるのは岡谷駅を発車してから上諏訪駅まで。

特に下諏訪駅を出たころは諏訪湖のすぐ側を走ることになりますんや。

(JR上諏訪駅 駅名標) (2010年4月撮影)




鉄ちゃん爺やが若い頃には国鉄の上諏訪駅構内に温泉がおましたんや。

現在は足湯だけになりましたが駅のホームは昔と変わってない感じですかな。

(諏訪湖側の 片倉館) (2009年4月撮影)




(諏訪湖畔の 間欠泉を撮影)  (2009年4月撮影)










(諏訪湖の 遊覧船) (2009年4月撮影)


何せ11年前の画像ですから現在は新しい遊覧船に変わったかも知れまへんけど。

諏訪湖で名物に成っていた白鳥をデザインした遊覧船として運行されてました。

撮影したのは4月2日だったのでまだ冬場の係留中だったと記憶てますんや。

(諏訪湖畔から 沖の島を撮影) (2009年4月撮影)


(長野県諏訪市の マンホールの蓋) (2009年4月撮影)


諏訪市は人口が約4万8千人の諏訪湖を望む温泉と観光の街なんですよ。

描かれているのは市の花である「あやめ」のようでした。

鉄ちゃん爺やには昭和の60年頃に予約もせずに8月15日に息子と訪れ
ホテルが何処も満員でタクシーで塩尻市と松本市まで探し回りそれもダメ。

諦めて旅を中止し夜行の急行だった「ちくま」で帰阪したことがおました。

当時は予約などせずに駅前の観光案内所で当日でも宿泊が可能でしたんや。

何せ8月15日が有名な諏訪湖では花火大会の当日とは知りまへんでした。

そんな、のんびりした時代の旅が昭和の時代は当たり前でしたんや。


今回の机上での旅行はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は2010年4月に見学した諏訪大社・上社の御柱祭りと
JR小海線からJR飯田線を巡る旅を紹介しまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北アルプスを眺めながら  JR大糸線の旅

2020-06-15 19:34:40 | 鉄道
JR大糸線は長野県の松本駅から新潟県の糸魚川駅までの鉄道なんですよ。

北陸新幹線が金沢駅まで開通して糸魚川駅(いといがわえき)は
「えちごトキめき鉄道」へ北陸本線から名称が変わったんですわ。

そうするとJR大糸線の糸魚川駅から南小谷駅までのJR西日本の
部分が飛び地のようになり孤立しているのが現状なんでっせ。

JR西日本管轄では赤字路線の最大の区間に成っているとも。

(キハ120形 JR西日本の気動車)(2011年4月撮影)


(JR糸魚川駅名標) (2011年4月撮影)


この駅名標は当然ながら「えちごトキめき鉄道」のデザインに変わったはず。

昔はこの駅から特急「白鳥」で大阪駅まで乗ったこともありましたけど。

(JR北陸本線時代の 糸魚川駅ホームにて)(2011年4月撮影)


(糸魚川駅構内の ラッセル車)(JR北陸本線時代に撮影)


JR松本駅まで約105kmでっせ、それでは~ 出発! 進行!

列車はヒスイを産出する姫川を遡上するように進みますんや。

姫川は長野県の白馬村辺りから北へ流れて糸魚川市で日本海に注ぎます。

発車して周囲は直ぐに雪景色と変わってきましたで。

(JR大糸線 姫川沿いを南下)(2011年4月撮影)




この区間は過去に集中豪雨や大きな雪崩や地震などで被害を受け
たびたび不通となりJR西日本の、お荷物的な存在なんですわ。

1日の乗客が80人~90人とも言われ被害のたびに廃線かな?

2010年にも地元と協議するとの発言もあり現在も代替えの
バス路線さえ難しい、険しい山岳地帯を走ってますんや。

この辺りで新潟県から長野県に変わったはずなんですけど。

(JR大糸線 中土駅付近を通過中)(2011年4月撮影)




ご承知の通りこの辺りは糸魚川・静岡のフォッサマグマと呼ばれる
地溝帯の真っただ中を鉄道が走っていることになりまぁ。

だから崩れやすい山岳部に合わせて冬場の豪雪地帯なんですから。

毎年のように不通となる鉄道の難所でもありますかな。

(JR大糸線 南小谷駅=みなみおたりえき)(2011年4月撮影)






長野県北安曇郡小谷村(きたあづみぐんおたりむら)と読みます。

寂しげな山村ですがJR東日本とJR西日本の唯一の連絡駅ですわ。

松本駅からやってきた電車も、糸魚川駅からきた気動車も全てが
この駅で乗り換えとなりますんや。

(JR南小谷駅構内で 撮影)(2011年4月撮影)


画像の左側はJR東日本の特急「あずさ」で、右側は鉄ちゃん爺やが
糸魚川駅から乗ってきた普通列車の気動車になりますよ。

この駅で糸魚川駅から約35kmほど乗ってきたことになりまぁ。

JR東日本とJR西日本の列車が並ぶのは日本ではこの駅のみでっせ。

鉄道フアンには珍しい画像ですが、一般の方には普通の写真ですわな。

(JR大糸線 E127系 普通電車) (海ノ口駅で撮影)


今度はワンマンカーで2両編成の普通電車に乗りますんや。

後ろ乗りで前から降りる、関西人には慣れない方式ですわ。

(JR白馬大池駅名標)(2011年4月撮影)


険しい山間部を抜けて右手に後立山連峰が見えてきましたで。

これからは4月ながら残雪の北アルプスが眺められまんねん。

(白馬大池付近を通過中に 撮影)  (2011年4月撮影)


間もなくスキーのメッカである白馬村に近づいてきましたな。

長野オリンピックでジャンプ競技場に成ったのが白馬村でしたかな。

(JR大糸線 白馬駅名標) (2011年4月撮影)


(JR大糸線 白馬駅舎) (2011年4月撮影)


(長野県白馬村 マンホールの蓋)


この日は白馬村で1泊して白馬三山をホテルから眺めることにしまひょ。

寒かったですが露天風呂から観る白馬三山は素晴らしい眺めでしたで。

(白馬ハイランドホテル)(2011年4月撮影)


(白馬三山をズームアップ)(2011年4月 ホテルの客室から撮影)








翌日は再びJR白馬駅に出て松本市の方へ向かうことにしました。

昭和の時代に改札口を入った所に掲げていた旧の駅名版を発見しました。

現在は白馬駅ですが当時は信濃・四ツ谷駅だったはず。

(JR大糸線 昔の 信濃・四ツ谷駅名標) (2011年4月撮影)


(白馬村付近の 姫川の流れ)  (2011年4月撮影)




姫川も白馬村の辺りまで来ると小川のような流れになりましたね。

まだ残雪が見られますので寒々とした風景ではありますけど。

(五竜岳に 武田菱の雪形を発見)(2011年月撮影)


五竜岳の雪形は4月か5月中旬まで長くみられると言われてまんな。

五竜岳は標高2814mの後立山連峰の中央付近に聳えていますよ。

鉄ちゃん爺やが雪形の実物を見たのはこの時だけでおます。

(JR大糸線 神城駅名標)(2011年4月撮影)




(JR大糸線 神城駅舎)(2011年4月撮影)


ここから列車は小さなの峠を越えて長野県の大町市に入りますよ。

姫川はこの辺りが源流で峠を越えると高瀬川となり安曇野市へ向かう
犀川(さいがわ)の支流となり、流れも南向きに変わりますかな。

(JR大糸線 先頭車両から撮影) (2011年4月撮影)








(JR大糸線 簗場駅名標) (2011年4月撮影)


(JR大糸線 簗場駅舎) (2011年4月撮影)


(仁科三湖ですが まだ氷結してますね) (2011年4月撮影)




JR大糸線はこの辺りが最高地点で下りに入り残雪もこの辺りでお仕舞のようでした。

野生の日本猿に見送られ、峠を下ると海ノ口駅という無人駅に到着しましたよ。

(JR大糸線 海ノ口駅舎を背景に)  (2011年4月撮影)






海のない長野県ですが「海ノ口駅」とはこれは如何にと言うような感じ。

別の線区には「小海駅」とかいうのも有りまして不思議ですよね。

この駅まで下って来ると雪は消えて春の花が咲いていましたよ。

(雪解けで 春の花が咲いてました) (2011年4月撮影)




(JR大糸線 海ノ口駅付近の 線路)(2011年4月撮影)


線路を歩くのはマナー違反ですが、なにせ1時間半ぐらい電車は来ませんので。

ご免なさい~ 近道をして30分ほど散歩をさせてもらいました。

(JR大糸線 先頭車両から撮影) (2011年4月撮影)


(特急電車あずさ号と すれ違い)(2011年4月差釣り)


E257系で長くJR東日本で使われてきましたがE353系が新しく参入し
2019年3月で定期運行から引退し、臨時特急や急行に時々は走るそうですが
E353系が続々と進出するので廃車になるのが近いかも?

(JR大糸線 信濃大町駅舎) (2011年4月撮影)




(JR大糸線 信濃大町駅名標)  (2011年4月撮影)


(長野県大町市 マンホールの蓋)  (2011年4月撮影)


(長野県大町市 塩の道 博物館) (2011年4月撮影)


信濃大町は立山・黒部アルペンルートの長野県側の起点となりますんや。

路線バスで大町温泉郷へ出て扇沢からトロリーバスでスタートですよ。

そんな関係で観光都市として夏場には凄く賑わいをみせるんですわ。

鉄ちゃん爺やが家族旅行で訪れたのも35年近く昔に成りましたけど。

(北アルプス 爺ケ岳 & 鹿島槍ヶ岳) (2011年4月撮影)




左側の三つの峰を持つのが「爺ケ岳=じいがだけ」で標高が2670m
右側の二つの峰を持つのが「鹿島槍ヶ岳=かしまやりがだけ」で
標高が2889mで鹿島槍ヶ岳は、後立山連峰の主峰と言われてますかな。

信濃大町駅を出た列車は北アルプスの東麓を一路走り続けますよ。

(JR大糸線 安曇追分駅名標)(2011年4月撮影)


長野県安曇野市(あづみのし)なのに駅名は「あずみおいわけ」ですな。

他にも安曇沓掛駅(あずみくつかけえき)も先ほど見かけたんだけど。

「づ」と「ず」を使い分けているのはネットで検索して正しいと判明でした。

(有明山=ありあけやま) (2011年4月撮影)


有明山は別名を有明富士または信濃富士とも呼ばれるそうですわ。

安曇野の一番東側に聳える山なので冬場でも積雪が少ないんだとか
北アルプスらしからぬ山だと言われますが台形型の目立つ山ではありますね。

標高が2268m有りますが意外に高く感じないので気の毒にも感じまぁ。

北アルプスの山なのに登山をする方も少なく人気のない山の一つだとか?

(JR大糸線 穂高駅舎)  (2011年4月撮影)






近くに穂高神社が鎮座してますので駅舎も神社の建物のような感じでんな。

この駅前からレンターサイクルで大王わさび農場や碌山美術館など観光客が
のんびりと、安曇野(あづみの)らしい風景を堪能できる街でもあります。

鉄ちゃん爺やも2005年にレンターサイクルで回りましたが当時はまだ
デジカメじゃなくて、使い捨てのカメラで写していた頃で画像がおまへん。

(穂高神社 本殿) (2011年4月撮影)




穂高神社やの奥宮は上高地の明神池の側にあり、ここが本宮の様でした。

安曇野には道祖神が各地にあり、観光客にも人気のスポットだとか。

安曇野(あづみの)って何となく情緒のある地名だと思いまへんか?

(安曇野の 道祖神)  (2011年4月撮影)






(長野県安曇野市 マンホールの蓋) (2011年4月差釣り)


(安曇野から眺める 常念岳の峰々)


常念岳は標高2857mで北アルプスの手前で常念山脈とも言うらしいでんな。

安曇野市から眺める常念岳は周りの風景とマッチして信州らしい眺めでおます。

JR大糸線も穂高駅を出ると約30分ぐらいで松本駅に到着しますかな。

南小谷駅から松本駅までは70.1kmと表示されてました。

糸魚川駅からの旅も、これでお仕舞になりまぁ。

次回は木曽の奈良井宿と諏訪湖畔などを机上で巡りまひょ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンホールの蓋  探索の旅  姨捨駅から松本駅へ

2020-06-07 16:54:04 | マンホールの蓋
今回はJR姨捨駅(おばすてえき)からスタートしまっせ。

日本三大車窓として鉄道マニアには良く知られた駅なんですよ。

(日本三大車窓 姨捨駅 JR東日本)


(JR姨捨駅 説明掲示板)


(JR姨捨駅 駅名標)


日本三大車窓は 北海道の根室本線・狩勝峠 

九州の肥薩線・JR矢岳駅と、ここJR姨捨駅でおます。

狩勝峠はルートが変わって現在は見れなくなったそうですわ。

(JR姨捨駅から 善光寺平を見下ろす)










鉄ちゃん爺やが初めて姨捨駅から善光寺平を眺めたのはまだ独身時代。

1967年(昭和42年)のお盆休みで信州への一人旅でしたかな。

当時ディゼルカーだった急行「しなの」で名古屋駅から長野駅へ向かう
車掌さんの車内放送で通過する風景に感動した記憶がおますんや。

二度目に訪れたのは1981年(昭和56年)の家族旅行でした。

この時は往復で電化され特急「しなの」に格上げされてましたかな。

普通電車で機会が有れば途中下車してみようと考えていたんですわ。

特急「しなの」では通過するだけで写真を撮れるのはほんの一瞬。

結局は四度ばかり通過したけど機会は意外な展開で訪れましたんや。

2011年(平成23年)東日本大震災の直後の旅行の際でした。
関東へ向かくことが出来ず、信州を巡ることに成った訳ですわ。

(JR姨捨駅舎を背景に駅員さんが撮影)


(JR姨捨駅 全景)


(JR姨捨駅を ホームから撮影)


この駅は標高550mほど冠着山の中腹に造られた駅なのでSLでは
停車できず、スイッチバックという形でカバーする外が無かったとか。

現在の電車なら別にスイッチバックが無くても停車が可能でっけど。

(スイッチバックで姨捨駅に 進入する115系電車)






長野駅から松本駅へ向かう列車は本線で一度左手の平坦面に停車し
今度はバック運転で姨捨駅のホームに向かって入線します。

姨捨駅で乗客の乗り降りを終えると、今度は前進で本線に出て
冠着トンネルに向かって峠を登っていきます。

逆の松本駅から長野駅へ向かう電車は本線からバック運転で
一度右手の平坦面に出てから、前進で姨捨駅に進入します。

姨捨駅で乗客の乗り降りを終えるとバック運転で平坦面に出て
今度は前進で本線から長野駅方向へ峠を下って行きまんねん。

(スイッチバック中の 車窓から本線を眺める)


(本線の踏切から JR姨捨駅を見上げる)


(姨捨公園の標識)


車中からは印象がないですが本線と姨捨駅は意外な高低差が。

なんでもこの辺りは25パーミルの急な坂が連続する区間なんだって。

蛇足ながら特急電車はJR姨捨駅には立ち寄らず本線上を通過します。

(JR姨捨駅構内の 版画)




松尾芭蕉は姨捨駅の下にある長楽寺で句会を開いたとか
この長楽寺の領地である四十八枚の棚田が現在も残ってるとか。

田んぼに水を入れる時期には「田毎の月」と呼ばれる、月が
水面に写る風景が現在でも観光の名所になっているそうですわ。

(旧 更埴市 マンホールの蓋)(JR姨捨駅の近くで撮影)


現在は長野県千曲市ですが昔のままのマンホールの蓋が
中央の市章がネットで検索して判明しましたので。

(115系 信州カラーの 普通電車を背景に)(2011年4月撮影)


停車時間中に普通電車の運転手さんにお願いしての撮影でした。

この信州カラーで塗装された115系も数年前に引退したはず。

それではJR姨捨駅を出発して松本駅の方へ向かいまひょ。

冠着トンネルを抜けると東筑摩郡に変わりますんで信州も
これから先は中信と呼ぶことになるようでんな。

(JR篠ノ井線 聖高原駅 駅名標)


JR東日本さんの長野県ではこんな駅名標が各地でみられまぁ。

鉄ちゃん爺やが若い頃は国鉄の麻積駅(おみえき)と呼び
江戸時代には善光寺参りの宿場町だったようでっせ。

確かに、ここなら歩いて1日ぐらいで善光寺さんに行けまんな。

(JR篠ノ井線 坂北駅舎)


JR坂北駅は特急「しなの」が単線区間なので待ち合わせの
運転停車をすることになる駅で、5分ぐらい停車しますかな。

これから筑摩山地をトンネルで抜けると松本盆地に出てきますよ。

(JR篠ノ井線 明科駅 駅名標) (長野県安曇野市)



車窓の視界が開けて西側に北アルプスが遠くに眺められますよ。

ここから犀川(さいがわ)を渡ると有名な大王わさび農場に出ますよ。

途中下車をしようとしたが下車しそこなって次のJR田沢駅で下車。

(JR篠ノ井線 田沢駅舎) (長野県安曇野市)


(長野県安曇野市 マンホールの蓋)


安曇野市(あづみのし)は人口約9万で松本盆地に有りますんや。

駅の西側を犀川(さいがわ)が流れ橋を越えて安曇野市の中心街は
豊科駅の辺りになるようですが、歩くのは夕方の為に諦めました。

合併の際に安曇野市を「あずみの」か「あづみの」にするかで協議し
最終的には「あづみのし」に決まったんだって。

次の電車でJR松本駅に向かいまひょかな。

(JR東日本の 整列乗車のPR)


(夕暮れの 常念岳)


ピラミッドの型をした松本市付近からでも一目で分かる山ですね。

標高は2857mもあり北アルプスの前衛に成る綺麗な山でおます。

(JR篠ノ井線 松本駅舎) (2009年撮影)


(JR松本駅 駅名標)


松本市は人口約23万9千人で長野市に次ぐ長野県第二位の都市でおます。

松本市の方は長野と呼ばず「信州」と呼ぶことが多いそうでんな。

県庁所在地の長野市に対抗する雰囲気が有るような気が有るんかも?

(長野県松本市 マンホールの蓋)


「松本てまり」を描いているようで江戸時代からの伝統手工芸品だとか。

関西でも和歌山市が「てまり」のマンホールの蓋を使用してますよ。

こちらは「てんてん てまりの てがとれて~」の童謡からだったはず。

信州の松本と言えば国宝・松本城の天守閣が有名でっしゃろ。

(国宝 松本城の天守閣)






豊臣秀吉の時代に石川数正・康長の親子によって築城されたお城で
黒い壁から「烏城=からすじょう」とも呼ばれているそうでんな。

天守閣には窓が少なく鉄砲ハザマなど防御を重んじた実戦的なお城。

金沢市と同じくアメリカ軍の空襲を免れたので関西の姫路城と並び
日本での国宝天守閣の双璧とも呼ばれるようでんな。

(鉄ちゃん爺や 松本市内での定宿)


天然温泉の大浴場が備わったビジネスホテルなんですよ。

長くなりますんで、お仕舞にしまひょ。

次回はJR大糸線で北アルプスの麓を北上しまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする