鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

インバウンドで賑わう  道頓堀 & 千日前

2018-01-28 10:22:34 | 大阪のミナミ 食の町
黒門市場から足を延ばして道頓堀(どうとんぼり)へ

観光客が大阪市内で訪れるベスト3と言えば

一番が 「道頓堀=どうとんぼり」 

二番が 「大阪城」

三番が 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」

現在はこんな感じになると思いますんや。

(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


(大阪市営地下鉄 なんば駅)


この見慣れたロゴマークも今年の3月31日まで。

4月1日から民営化されて「大阪メトロ」という
名前の地下鉄になるとの発表がおました。

橋下市長の時代からモメてましたが市議会で
当分の間は株式を売却しないとの条件で可決成立。

日本最大の公営鉄道が民営化されるんですわ。

それでは道頓堀(どうとんぼり)の方へ向かいまひょ。

大阪では難波駅から道頓堀や心斎橋筋の辺りを
ミナミと呼び、梅田や曽根崎の辺りをキタと呼びまぁ。

(御堂筋から 道頓堀川を撮影)


有名なグリコの看板の前で観光船は停船しますんや。

観光客は一斉に写真撮影をしてはりますわ。

観光船から眺めるグリコの看板は趣が変わりますかな。

(御堂筋から 戎橋を撮影)


(中央区 心斎橋筋の住居表示)


道頓堀川の一つ北側で東西の通りを大阪では

宗右衛門町(そうえもんちょう)と呼びますんや。

「きっと来てねえと~ 泣いていた~ かわいあの娘は~

  うぶなぁのうか~ 何故に泣かすか~ 宗右衛門町よ~」

        大阪の名曲 宗衛門町ブルース

あの当時200万枚を超える大ヒット曲だったとか。

この歌が流行った頃は、鉄ちゃん爺やもまだ30歳代?

(宗右衛門町を示す 看板)


鉄ちゃん爺やも若い頃はこの辺りで良く遊んでましたで。

ミナミではスナックやクラブが並ぶ歓楽街なんですわ。

道頓堀川から南側は昔からの食事処となりまんねん。

今はおまへんけど芝居小屋も五つほどあったようでっせ。

宗右衛門町から北側が二次会用の繁華街となりまぁ。

(ミナミの名所 グリコの看板)


(グリコの看板を背景に 自撮り)


グリコの看板はこれが4代目だとか聞いてまんねん。

観光客なら必ず写真に収めるミナミで一番の名所ですわ。

鉄ちゃん爺やは2代目からを見てきたと思いまんねん。

(戎橋から 道頓堀川の東側を撮影)


(戎橋の標識)


(戎橋の 説明板)


(道頓堀通りから 戎橋方向を撮影)


この「戎橋」を挟んで北側を船場まで「心斎橋筋」と呼び、

南側は難波駅前迄を「戎橋筋」と大阪では呼びますんや。

今宮戎神社への参道として江戸時代に造られたそうで
道頓堀川に架かる橋を「戎橋」と呼ぶようになったとか。

大阪市内では南北の道を「筋」と言いますんや。

東西の通りは「通り」と言いますんで念のため。

(道頓堀通り かに道楽本店の看板)




この看板も昔から観光客の撮影スポツトですかな。

中国の方も韓国の方も、盛んに写真を写してはりますわ。

「かに道楽本店」は一度ぐらいしか入った記憶がおまへん。

(明治製菓さん カールの看板)




カールは東京など東日本では販売が中止になったとか。

三橋美智也さんの高いキーでのCMが懐かしいでんな。

関西ではカールはまだスーパーで買えるようでっけど。

(道頓堀通りの賑わい)




(大衆向け ふぐ料理の すぼらや)


「ずぼらや」さんは大衆向けで安いフグ鍋が食べれるので
今も昔も庶民には人気のある大阪の味とでも言いますかな。

トラフグのような高級なフグじゃないがフグには違いなく
手軽にフグ鍋を食べてみるなら、ここらあたりでしょうね。

(道頓堀通り 雛寿司さん)


女性に喜ばれる小さいサイズのお寿司屋さんでっせ。

鉄ちゃん爺やも女子事務員さんを連れて食べましたで。

お値段は高いけど話のネタになる、お寿司屋さんでっけど。

ここから南の方へ足を向けていきまっせ。

(法善寺横丁の 看板)




鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中に大火で焼けてしまい
再建に鉄ちゃん爺やも5千円だけ寄付をさせて貰いました。

昔ながらの法善寺横丁が再建されたようで良かったですわ。

本来は防火の関係でこんな細い通路は許可がでないんだとか。

大阪市が特例で昔ながらの通路の幅で許可をだしたんだって。

(有名な 水掛け不動尊)


ミナミでは水商売の女性には凄く人気のある「お不動さん」

水を掛ける と 願いを掛ける そんな語呂合わせかも?

不動尊は商売繁盛と恋愛成就の有り難い お方だそうです。

浪花情緒が残る数少ない光景がミナミの名所になってまぁ。

お寺は昭和20年の空襲で焼けてしまいまして不動尊と
金毘羅堂だけが残っているだけですわ。

江戸時代から千日供養をしたのが法善寺で庶民は
千日寺と呼び、千日前はこのお寺の境内だったとも。

(水掛け不動に 並ぶ観光客)




水掛け不動さんに水を掛けるのもこんな行列でっせ。

中国の方に水掛け不動さんの意味が分かるのかしら?

お隣は織田作之助の小説で有名な「夫婦善哉」だっせ。

(法善寺横丁の角 夫婦善哉)


(織田作之助 馴染みのお店)


割烹で「正弁丹吾亭」(しょうべんたんごてい)と読みまぁ。

戦前からここに有った割烹で店の前に「肥樽」が置かれてた。

飲み客の小便の為の「肥樽」だったと言われてますんや。

まさか「肥たんご」とは名乗れまへんので当て字にしたとか。

お店の前には織田作之助さんの句碑が置かれてましたで。

(織田作之助さんの句碑)


「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 織田作之助 

(法善寺横丁の 風景)


(月の法善寺横丁 歌詞を刻んだ石碑)


「包丁一本~ 晒に巻いて~ 旅に出るのも板場の修行~ 

  待ってて こいさん~ 悲しいだろうが~ 」

これも大阪のミナミをイメージした名曲でしたかな。

鉄ちゃん爺やも、カラオケで時々でっけど歌いまっせ。

こいさんとは、船場言葉で一番年下の娘さんのこと。

通り過ぎて右へ曲がると千日前という通りに出ますんや。

(ビッグカメラの 千日前店ビル)


ここには鉄ちゃん爺やが若い頃には千日デパートビルが。

大きな火災で多数の死者を出した悲しいことがおました。

そもそも、この千日前という地名は江戸時代には刑場と
墓場が在った、大阪でも寂しい場所だったそうですわ。

明治の大火で刑場と墓場が立ち退きとなり大阪市が公募で
土地を売り出したけど、誰も買う人が無かったとか。

逆に遺骨の処理費を出してまで買ってもらつたとの話も?

なんでも近くの老婆が当時1円で数千坪を買ったとか。

現在の賑わいを見たら考えられないことですわな。

南海電鉄さんなどが進出し昭和になってから千日前は
ミナミの盛り場に仲間入りをしたと聞いてますんや。

(千日前の商店街)




(回転ずしの元祖 元禄寿司の看板)


(元禄寿司 千日前店)


今でこそ回転ずしと言えば、誰もが知っている店ですよね。

この元禄寿司の先々代がアサヒビールの吹田工場でビールが
瓶詰めされるラインを見て回転ずしを思い付いたんだって。

大阪の布施に1号店を出したそうですが、当時は売れなかった。

そんなわけで回転ずしの機械も特許を取らなかったとのこと。

昭和の30年代から継続したのが平成になってから爆発的に
回転ずしが流行りだして、元禄寿司さんは苦笑いしたとも。

逆に特許が取れていたら、今のような流行はなかったのかも?

(なんばグランド花月 吉本興業の本拠地)


(なんばグランド花月の前で 自撮り)


(なんばグランド花月 出演者の名札)


(吉本興業 芸人さんのゆるキャラ)


関西の方ならこの「ゆるキャラ」が誰なのかが分かるかも?

私は大阪人だから一緒に写してもらう気はおまへんけど。

地方からの観光客には良い記念写真に成ったかもしれまへん。

少しだけ戻ると昔は有名だった「大劇」さんの場所に。

(昔 大劇の在った場所)




田畑義夫が好きだった親父に連れられて実演を見に来たね。

美空ひばりさんも、ここで少女時代には歌っていたはず。

現在はビジネスホテルに代わってしまったようですわ。

(元 大劇跡 ホテルの玄関)


(千日前商店街の 垂れ幕)


これからもう一度だけ「戎橋筋」の方へ戻ってみまひょ。

昼食をと考えたがどこも中国人で満員の状態でおます。

諦めて、難波駅の喫茶店へでもと変更したんですわ。

戎橋筋から、なんなんタウンは次回に紹介しまひょ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵

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インバウンドで賑わう 黒門市場を散策

2018-01-22 18:44:34 | 大阪のミナミ 食の町
大阪のミナミに黒門市場という所がおますんや。

普段はプロの料理人や割烹の板場さんが常連客。

ミナミの高級な料理店などの魚は必ず黒門市場
鉄ちゃん爺やも、昔からそのように聞いてました。

東京のアメ横と同様で年末には一般客も訪れるが
5~6年前までは、ごく静かな市場だったはず。

それだけに新鮮な魚介類なら大阪一でっしゃろな。

その黒門市場がインバウンドで何故か人気が沸騰中!!

(大阪市の マンホールの蓋)


昨年中に大阪府を訪れた外国人は1111万人だとか。

500万人前後から一気に倍増したとの情報でっせ。

経済効果も1.4兆円を軽くオーバーしているとの話。

一時の爆買いから観光客に変化が見られるんだって。

地盤沈下がささやかれた大阪がインバウンドで急上昇!!

喜んでいいのか、騒がしくて不満なのかは不明でっけど。

(黒門市場 入口)




江戸時代の文政年間から鮮魚の売買が始まったとか。

圓明寺というお寺が近くにあって山門が黒塗りだった。

当初は圓明寺市場と呼ばれていたのが、何時の間にか
黒門市場と呼ばれようになったのは、明治の後半から。

1902年(明治35年)黒門市場が始まったとの説も?

圓明寺は明治45年のミナミの大火で焼失してしまい
現在は黒門市場の名前だけが残っているんだって。

大阪人でも黒門市場のルーツを知らない方が大半かも。

(黒門市場の 風景)




外国人が黒門市場の名前を知って押し掛けるようになり
魚介類を食べさせる店や屋台が急激に増えた感じですわ。

黒門市場と言えば「ふぐ」が有名なんでっせ。

流石に「ふぐ」は一匹が7千円~1万円前後はしまぁ。

外国人は見るだけで買う人は殆どおりまへかな。

並んでるのは天然物で下関港の「とらふぐ」でおます。

(黒門市場の ふぐ)




お金持ちの中国人が「ふぐのコース」を食べれば
1人前で2万円前後はすると思いまんねん。

中国人の口には合うのかどうかは知りまへんけど。

刺身である「てっさ」 ふぐの白子で「酢の物」

ふぐ鍋の「てっちり」がメインの料理でっかな。

最後は「ふぐ雑炊」で閉めるというのがコース。

高級な店ではコースで「ふぐ」を1匹使いまんねんで。

鉄ちゃん爺やも現役時代に何度か食べた事おますけど
引退してから約20年近く、ご無沙汰なんですわ。

何せ「ふぐ」の売り上げの50%は大阪府だとの話。

大阪では「ふぐ」を食べたいと言う人が多いようでんな。

(高級な ふぐ料理店 太政=ふとまさ)


ここが東京からお越しになった、お偉さんを接待して
3人で飲み代を含めて6万円ぐらい請求されたはず?

バブル全盛時代で平成がスタートした頃でしたかな。

大阪人の鉄ちゃん爺やでも天然の「ふぐ」を食べたのは
記憶では2~3度ぐらいしか、ないと思いますんや。

(黒門市場で 自撮り)


(黒門市場の賑わい)






日本語が聞こえまへん、中国語が大半のようですわ。

韓国人は高価な魚なので見るだけで素通りかも。

こんな賑わいは大晦日の12月31日だけだったはず。

時代が変わって、大変な変わりようにビックリ!!

立ち食いの店や屋台も中国語しか聞こえてきまへんで。

たこ焼きを食べながら黒門市場を歩くなんてことは
昔は見られなかったはず、変な風景だと感じましたわ。

(黒門市場の 賑わい)






昔は昼間なら料理人さんがチラホラ通るだけでした。

インバウンドの凄まじさを見せつけられましたで。

やはりネットの噂が中国人に広まったんでしょうな。

カニなどはその場で焼いたり刺身で食べれる店も有るとか。

「ふぐ」は生で買っても素人では料理は難しいですわな。

耳障りな中国語の喧騒から黒門市場を退散しまひょ。

表の通りは大阪市内では二番目に有名な「堺筋」でっせ。

(堺筋の 道路標識)


(堺筋は 北行きの一方通行)


(日本橋 ビアホール)


看板だけ古そうだけど、この店は記憶がおまへんな。

店の構えから昭和の時代から在ったとは思えない。

昼間からビールを飲んでいる方が大勢ですわ。

鉄ちゃん爺やは夕方から飲み会なので素通りしまひょ。

(高級 精肉店 関口)


(高級 肉料理 せきぐち)


(ミナミで見つけた 銘板)


この精肉店とお隣りの料理屋は昔から在った記憶が。

ここのコース最低でも5000円で最高が15000円
鉄ちゃん爺やは、ここで「すき焼き」など食べた記憶は無し。

それでは千日前の方へ歩いていくことにしまひょ。

今回はこれでお仕舞にしまっせ。

次回は千日前から道頓堀の賑わいを紹介しまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
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眼病封じのお寺  壷阪寺へお参り

2018-01-14 09:55:17 | お寺
岡崎へ戻る息子に遠回りだけど、立ち寄って貰いました。

西国三十三か所 第六番札所 壷阪寺(正式名 南法華寺)

真言宗豊山派の寺院なんですが、眼病封じのお寺として有名。

奈良市から桜で有名な吉野山へ向かう途中におますんや。

(西国六番 壷阪寺の 山門)


内の奥さんが2月中旬に白内障の手術をしますんや。

その前に、是非とも壷阪寺へお参りしたいとのこと。

近鉄電車と路線バスを使ってでも、これますんやけど
息子の車で立ち寄って貰えば自宅から1時間のコース。

(壺阪寺の 入山受付所)




まだ息子が独身だった平成6年に同じく立ち寄ってますな。

丁度この日が24年ぶりのお参りということでしたわ。

息子は薄っすらとしか覚えてないとの話でしたけど。

(平成6年に受領) (壺阪寺のご朱印)


ご朱印は、このように何時に訪れたのかが分かりまっせ。

この数年前から、ご朱印を始めたように思いますんや。

(壷阪寺 境内から仏閣を撮影)


右から重要文化財の三重塔、その左手が礼堂で
こちらも重要文化財に指定されているそうですわ。

次の左側が八角の円堂で、こちらが本堂になりまぁ。

一番左手は手前にある灌頂堂が写っているのかも。

階段を登って少し高い所に寺院が並んでますんや。

それでは階段を登ってお参りすることにしまひょ。

(境内から 撮影)


(重要文化財 壷阪寺の礼堂)


(壷阪寺 眼病封じ祈願受付所)


後姿で写ってるのは内の奥さんでございます。

白内障と緑内障を併発しているんですわ。

(壺阪寺の礼堂にて  眼病封じ祈願のお札)




(本尊 十一面千手観音菩薩像)


本堂の十一面千手観音さまに眼病封じをお願いし
お札を真ん中で折って、右側を奉納しまんねんで。

左側の半分は持ち帰って肌身に着けるそうですわ。

(眼病封じ 納め札)


上から五段目の右から4枚目が内の奥さんの札です。

鉄ちゃん爺やも並んで観音様にお願いしましたんや。

(本尊 十一面千手観音菩薩像)


本尊を撮影できるとはラッキ! 有り難いことでした。

奈良や京都の寺院では大半が撮影禁止でっさかいに。

ご本尊をプリントアウトして奥さんに渡しまひょ。

(弘法大師さまの像)


(重要文化財 壷阪寺の多宝塔 三重塔)


「壺坂霊験記」という物語をご存知かしら?

浪曲では、浪花亭綾太郎さんの名調子でしたかな。


「妻は夫を労わりつ~  夫は妻を慕いつつ~
 
  夏とはいえど片田舎~  」


凄く高音で伸びのある歌声は一世を風靡したもんですわ。

鉄ちゃん爺やが小学生の頃はまだ浪曲も盛んでしたな。

綾太郎さんは確か盲目の浪曲家だったと記憶してまぁ。

確か昭和35年に亡くなられたと聞いてますんや。

(壷阪寺境内の 石碑)


平成15年(2003年)には本堂で歌舞伎が演じられ

沢市役を 中村勘九郎(故 勘三郎)

お里役を 中村福助さん 

これは壷阪寺創建1300年周年の催しだったとか。

大宝3年(703年)創建の古いお寺のようですわ。

「壺坂霊験記」を少しだけ紹介して置きまひょ。

浄瑠璃で始まる、頭の部分はよく知られたセリフ!


「三つ違いの兄さんと~ いうてくらしているうちに~

 情けなや、こなさんは、生まれもつかぬ、ほうそうで

 眼かいの見えぬその上に~ 貧困にせまれどなんのその~

  一旦 殿御(とのご)の沢市さん~ 」


盲目が治らぬ沢市はお里を不憫に思い、壷阪寺の本堂から
身投げをしたとか、お里は悲しんで己も後を追って身投げを。

共に谷底で死んだはずが生き返り、沢市さんの盲目が
壺阪の観音様のご慈悲で目が見えるようになったとの話。

お里さんの三年にも及ぶ朝詣でに、観音様のお救いが。

貧しくも仲良く暮らせよのご慈悲、目出度し、目出度し。



(天竺からの 大観音菩薩石像)(高さ 約20m)




インドにてハンセン病の治療に専念した壷阪寺へ
返礼として、現地の石が寄贈されたんだって。

その石で造られたのが大観音菩薩石像だそうですわ。

高さが約20mで重さがなんと約1200トンだとか。

この立像と共に「大涅槃像=だいねはんぞう」も造られ
熱心な信者や、観光客で賑わっているようだっせ。

(レプリカの 涅槃像=ねはんぞう)


次回に、お礼参りに来る際には大観音石像と大涅槃像を
見学することにして、今回は下山することにしました。

家内の眼病封じが主な目的なので写真はこれぐらいに。

下山の途中に、こんな慰霊碑が設けられてましたで。

(陸軍歩兵 第67連隊 英霊之碑)




インパール作戦で要衝のコヒマで英軍の補給路を遮断し
一番最前線に出て、大きな損害を出したのが第67連隊。

インパールは占領できるぞと日本軍が喜んだとの逸話も。

でも英軍は飛行機でインパールに物資や弾薬を補給。

逆に日本軍は補給もなく撤退時に多くの犠牲者を出し
惨敗を喫したという戦いだったと聞いてますんや。

でも~ 第67連隊は敦賀や福井の連隊だったはず?

何故に壷阪寺に第67連隊の英霊之碑が出来たのかが不明。

(阿弥陀如来石像)


(阿弥陀如来石造と 諸仏石像)


(奉納された 十一面千手観音像)


(蓮石曼荼羅=れんげいしまんだら)




これらの石像や彫刻類もインドから寄贈された石で
造られた物のようでんな、平成6年に訪れた際は

あの大観音菩薩石像だけだったように記憶しまぁ。

(壷阪寺 眼病封じの お守り)


(戌年の記念 札入れの財布)


(壷阪寺 駐車場からの展望)


中央やや右寄りで台形の山が大和三山の一つで
畝傍山(うねびやま)といいますんや。

その左側の山裾に橿原神宮(かしはらじんぐう)が。

初代天皇とされる神武天皇の御陵も右手におます。

神話によれば、大和朝廷の出来た地とされてますかな。

左手の遠くに見えるのが生駒山で、山の向こう側は
前回に紹介した石切劔箭神社のある大阪府になりまぁ。

(近畿日本鉄道 橿原神宮前駅 駅名標)


ここで息子と別れて、近鉄電車で戻りましたんや。

本日はこれで、お仕舞にしまひょ。

次回は久しぶりに大阪市内へ出かけて見まっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵







 
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石切釼箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)初詣!

2018-01-06 18:44:50 | 神社
大阪人は親しみを込めて「石切さん」と呼びまんねん。

「でんぼの神様」 関西では腫物を「でんぼ」と言いまぁ。

関西では有名な神社でっけど全国的には知られてないかも。

ふりがな入れないと読めない難解な神社でっしゃろ。

(石切劔箭神社の お守り)


毎年の初詣は孫を連れて道明寺天満宮でしたんや。

今年は孫たちが帰ってこないので、息子の車で東大阪市の

「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)へ。

(石切劔箭神社 三の鳥居)


この三の鳥居と本殿の前に、お百度石が置かれてますんや。

「腫物や癌」の平癒を願って、ぐるぐる回りまんねんで。

本殿と三の鳥居間を時計回りに、無言でお百度参りしますんや。

平日なら数十人の方が、ぐるぐるお百度参りをされてまつせ。

元旦なので初詣の参拝客で、お百度参りすることは不能でんな。

初詣なのに、こんなに参拝客が多いとは想定外でしたわ。

(お百度参りコースには 参拝客の行列が)


社務所で買った100本の「こより」を一周するたびに
本殿にお祈りして、「こより」を1本だけ納めますんや。

100本納めで、お百度参りが結願したことが分かりまぁ。

病気平癒を願い、ひたすら神に祈る真剣な姿なんですよ。

神にすがるしかない、悲痛な祈りだとも言えますかな。

だから写真を撮ることは、憚られますので写しまへん。

この場所から撮影するのは、初詣の今回がお初なんですわ。

(石切劔箭神社=いしきりつるぎやじんじゃ  本殿)




ご祭神は「饒速日命=にぎはやひのみこと」 と

その息子「可美真手命=うましまでのみこと」のお二人。

饒速日命はスサノウノノミコトの三男だとの説がありまぁ。

天照大神の孫だとの説もあり、定かでない神様ですわ。



皇紀2年に神武天皇の命で創建されたとの社伝がおます。

でも約700年前に社殿と宝物殿の全てが焼失してまぁ。

創建された当時の記録は全く残ってないそうですわ。

平安時代の「日本三代実録」によれば、こんな文面が。

「河内の国 正六位の石切劔箭神社に 従五位下を授ける」

だから由緒もある、古い神社である事は確かなんでっせ。

(石切劔箭神社の お守り入れ)


何故、この神様が「でんぼを治す」ご利益があらたかなのか?

大阪人が考え出した、生活の知恵だったのか、それとも昔に
本当に重病の腫物を祈ったら、平癒したのかもしれまへんな。

神社の公式ホームページにも記載はおまへんけど。

私の祖母の時代には「でんぼの神様」で通ってましたで。

鉄ちゃん爺やが祖母に連れられて初めてお参りしたのは
記憶では小学校の1~2年生だったはず。

(本殿前の ご神木)(楠の古木)


ご祭神の ご神威が強固な岩をも切り裂き貫き通すほど
偉大なさまを、社名にした元々は「武の神様」だったはず。

神話によれば、神武天皇が日向の国から攻め上った際に
この地でナガスネヒコと戦って敗れたとされる地でもおます。

饒速日命(にぎはやひのみこと)は神話ではナガスネヒコの
妹を妻にして可美真手命(うましまてのみこと)を生ませた。

可美真手命はナガスネヒコを殺害して神武天皇に帰順したと。

歴史上に現れる物部氏(もののべし)の先祖だとの説がおます。

天皇家が大和に入る前から、土着していた豪族だったのかも?

(元旦のファミレスで  鉄ちゃん爺や親子)




内の奥さんと息子が久しぶりの登場になりまんな。

本日はこれにてお仕舞にしまっせ。

次回は同じく息子の運転で訪れた奈良県の壷阪寺を
紹介することにしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵







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謹賀新年!  

2018-01-01 13:51:46 | 日記


大阪は穏やかな、お天気でスタートしましたよ。

本年も拙いブログではございますが
宜しく、お付き合いの程お願い申し上げます。

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