鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

マンホールの蓋   北陸編

2022-09-04 19:26:03 | マンホールの蓋
(富山県富山市)(人口約41万人)(市の花 ヒマワリ)


マンホールの蓋には「あざみ」が描かれています、「あざみ」の根は
薬草になるので、富山の薬売りの伝統を意味するのかも知れません。

富山県の県庁所在地でお隣の金沢市に次ぐ人口を誇る工業都市なんですよ。

(富山城 再建された天守閣)




江戸時代には加賀前田家の分家でも10万石とは流石にご立派でおます。

加賀前田家2代藩主前田利常の次男で前田利次が分家として分地されたのは
母親が徳川秀忠公の娘で珠姫さんであったのが大きく影響したのかも?

(富山県富山市)


こちらは富山県の名峰「立山」をデザインしたようですね。

この他にも新しいマンホールの蓋が登場しているそうですが
鉄ちゃん爺や、2014年に訪れたのが最後なのでこの2枚だけ。

(JR富山駅舎 建設中)(2014年10月撮影)


2015年には北陸新幹線が金沢まで延伸し、鉄ちゃん爺やも
2017年に富山駅を通過してるんですが車中なので画像はナシ。

(富山の銘酒 立山)


鉄ちゃん爺やが現役時代に富山市内の化成品メーカーさんに出張した際
担当者と二人で、富山の魚と、このお酒にお世話になったもんです。

(富山県富山市・旧八尾町=やつおまち)




2005年(平成7年)までは八尾町(やつおまち)と呼ぶ
人口約2万人の小さな山村でしたんや。

平成の大合併で現在は富山市に編入されているようでんな。

「越中・おわら風の盆」と言うお祭りで全国に知られてますかな。

今年は3年ぶりに開催されて昨日で無時に終わったそうです。

(八尾町 おわら風の盆) (2009年9月撮影)










毎年9月1日~9月3日まで、揃いの浴衣と菅笠で夕方から
早朝まで3日間町内を練り歩き踊りあかすお祭りでおます。

鉄ちゃん爺やのコンデジではフラッシュ使用禁止で写りが悪くご免なさい。

哀愁を帯びた胡弓と三味線の音色が素朴な中に素晴らしい雰囲気でおます。

この3日間には全国から数十万人が見学に訪れるそうなんだって。

(富山市八尾=やつお 坂の町)




橋を渡って坂道を登ると八尾町(やつおまち)の中心街になりまんねんで。

この橋から先は観光バスなどを含め八尾町以外の車は入れまへんのや。

(富山県高岡市)(人口約16万人)(市の花 かたくり)




高岡市は富山県では人口で富山市に次ぐ第二位の町でおます。

昔は国府が置かれ、富山市よりも大きかったはず、有名な大友家持も
越中の国守として、ここ高岡に4年間滞在されたそうですわ。

マンホールの蓋は、高岡市の北部で富山湾に面した風光明媚な
「雨晴海岸=あまはらしかいがん」の風景をデザイン化したもの。

(雨晴海岸の風景)






冬場の晴れ間に、ここから遠くに見える立山連峰が絶景だとの説。

鉄ちゃん爺やも4度ばかり訪れてますが立山連峰が見えたのは1度だけ。

確かに何度来ても見飽きない風景かもしれませんね。

(前田利長公の銅像)


加賀百万石の初代藩主とされ、父親の前田利家が亡くなった後
豊臣家の五大老の一人とされましたが、父親の遺言で3年間は
大坂城を離れるなの意見を忘れて加賀の国に帰国。

徳川家康の策略に嵌って母親を人質にして軍門に下ったとも。

親子ほど離れた弟の前田利常に家督を譲りここ高岡に隠居とのこと。

元々から年上だった徳川家康ならいざ知らず息子の徳川秀忠に
頭を下げることなど潔しとはせず、前田家の安泰を図るために
弟の前田利常に徳川秀忠の娘を嫁にし百万石を投げ出した形に。

(高岡市 瑞龍寺)




前田利常は100万石を譲られた恩義に兄の死後に高岡市内に
瑞龍寺を建立して兄の御霊をお祀りしたんだそうですよ。

曹洞宗の荘厳なお寺で鉄ちゃん爺やも2度ばかりお参りしました。

回廊を一周するのには約30分ぐらいを要しますかな。

(高岡大仏)


日本三大仏とか言いますが奈良の大仏様と鎌倉の大仏様は当然でおます。

三番目が茨城の牛久大仏とここ高岡の大仏で争われている感じでんな。

高岡市は今でも鋳物の街として有名で、高岡大仏もその象徴として建立か?

(石川県金沢市)(人口約46万人)


北陸3県では最大の都市として空襲にも免れた関係でて古い街並も残り
落ち着いた雰囲気は兼六公園と共に観光客に親しまれる街でしょうね。

説明するまでもなく加賀100万石の城下町として有名ですわな。

市の花が「花菖蒲」「サルビア」「ベゴニア」「ゼラニウム」
「インパチエンス」など 多く指定されこれには困惑する状態。

2011年4月に東日本大震災の後に、ここ金沢市から次の福井市まで
画像を収集したはずが、この前後の画像が行方不明になってますんや。

(福井県福井市)(人口約25万人) (市の花 アジサイ)


福井大空襲に福井地震それと福井大水害と終戦前後に3度もの大被害。

その被害から不死鳥のように蘇ったのが福井市だと言われていますかな。

その不死鳥をデザインにしたマンホールの蓋は北陸三県ではピカいちかも。

金沢市と同じく画像を行方不明にしてますんでこのマンホールの蓋のみ。

(福井県敦賀市) (人口約6万3千人) (市の花 萩)


北陸新幹線が来年の2023年度末に金沢駅からここ敦賀駅まで延伸。

関西や名古屋の人ならご存じの敦賀市も現在は、なに県か知らない人も。

おそらく北陸新幹線の敦賀駅までの開業で全国的に有名になるのかな?

これから先の新大阪駅までの延伸は鉄ちゃん爺やが死んでからの話に。

(敦賀市の市標が描かれた マンホールの蓋)


(越前の国 一の宮 気比神宮=けひじんぐう)




鉄ちゃん爺やは、ここ敦賀市は若狭の国だと信じていたんですわ。

江戸時代にはお隣の小浜市を統治していた酒井家が若狭の国で
ここ敦賀市も領地だったことが間違いの元でしたんですわ。

越前の国一の宮・気比神宮が鎮座する地なので昔から越前の国でした。

ここから西へ約1kmぐらいの海岸に「気比の松原」がおますんや。

(福井県敦賀市 気比の松原)






  

日本三大松原だそうで、最初のマンホールの蓋もここをデザインしてまぁ。

静岡市の三保の松原と九州は佐賀県の虹の松原それにここ気比の松原だとか。

(敦賀の赤レンガ倉庫)


(旧 敦賀港駅の跡地)


明治時代に名古屋駅が出来るよりも早くここ敦賀市には国鉄が出来ました。

知多半島から長浜市を通りここ敦賀港駅が終点だった時代が有ったんだって。

ここからは船でロシアのウラジオストック港と繋がったそうです。

そこからはシベリヤ鉄道でモスクワまでと今では考えられないコース。

(敦賀市 街おこしのモニュメント)




宇宙戦艦ヤマトと、二つ目は銀河鉄道999かしら?

これで北陸三県のマンホールの蓋を終了します。

次回は信州・長野県のマンホールの蓋を紹介しまひょ。

ほんなら、これでお仕舞、さいなら~♪
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マンホールの蓋   お城とのコラボ編

2022-08-21 15:06:52 | マンホールの蓋
残暑お見舞い申し上げます!

コロナが収まらず、鉄ちゃん爺やもネタ切れ状態でおます。

趣味で収集しているマンホールの蓋を使って
日本各地を巡ってみることにしますかな。

先ずは地元の大阪市から初めまひょ。

(大阪府大阪市) (人口約275万人) (市の花 桜・パンジー)






(旧 第4師団司令部) (大阪城内に現存)



大阪市民の寄付金、約150万円で昭和6年(1931年)に
3度目の天守閣として完成し、昨年で90周年を迎えました。

寄付金150万円は現在の価値に換算したら約12~13億円。

その内で天守閣に47万円を陸軍第4師団司令部に80億円
周囲の整備に23万円が使用されたと記録が残ってますんや。

共に大阪大空襲の1トン爆弾にも耐えて現存し登録文化財に認定されてまぁ。

鉄骨鉄筋コンクリート製の天守閣としては日本初だったとのこと。

(愛知県岡崎市) (人口約38万人)(市の花 藤・桜)




徳川家康公の生まれたお城という事で江戸時代には
譜代大名が配置され、東海道の重要な場所とされてました。

「五万石でも岡崎さまは,城の下まで船が着く」(岡崎音頭)

現在は名古屋市・豊田市に次ぐ愛知県では第三位の中核都市。

蛇足ながら鉄ちゃん爺やの息子はここ岡崎市に住んでまんねん。

(香川県高松市) (人口約41万人)(市の花 ツツジ)






昭和の時代までは宇高連絡船の発着する四国の中心都市として
大いに賑わったんですが、瀬戸大橋が開通しフェリーも廃止され
少し陰りが見えるのが残念でおますかな。

江戸時代には水戸徳川家の分家である高松・松平家のお城でした。

明治初期に天守閣は破却され戦後に出来た櫓と城址公園のみ。

マンホールの図柄は源平合戦で那須与一が扇の的を撃つ伝説から。

(兵庫県豊岡市出石)(人口約7万5千人)(テッセン・チューリップ)








江戸時代の宝永3年(1706年)信州上田より転封を命じられた
お殿様が幕府への腹いせもあって蕎麦職人を引き連れて但馬に入国。

関西圏はほとんどが、うどん圏なのに、ここ但馬の出石では「蕎麦」
しかも豊岡市には出石の仙石家と豊岡に京極家と二つの藩がおましたんや。

現在でも人口がわずか7万5千人の街にしては珍しいでっしゃろ。

歴史的に重要な地域とも思えず謎の多い豊岡市としておきまひょ。

(広島県広島市)  (人口約119万人)(キョウチクトウ)






広島城は当然ながら原爆投下で焼失してますよね。

戦後の再建ながら昔の面影を取り入れているんだとか。

原爆ドームや平和公園の方が有名で、広島城を訪れる人など
珍しく鉄ちゃん爺やが訪れた際も人影はほとんどなし。

(福岡県北九州市) (人口約92万人)(市の花 ツツジ・ヒマワリ)










松本零士さん生まれは久留米市だそうですが学生時代には
小倉市に住み、銀河鉄道999を構想したのも小倉市だったとか。

JR小倉駅周辺に9種類のマンホールの蓋が銀河鉄道999の
デザインで設置されているそうです。

現在は北九州市小倉北区と住居表示が変わってはいますけど。

(長野県長野市松代) (人口約36万人)(市の花 リンゴ)






長野市の繁華街は善光寺の門前町ですが少し東南に離れた
松代地区は江戸時代には真田家10万石の城下町でしたんや。

元々は外様大名でしたが江戸時代後期に願い譜代大名となり
老中に就任するお殿様が出たと記録されてますかな。



今日はこれぐらいでお仕舞にしまひょ。

ほな~ これで、さいなら~♪
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マンホールの蓋  探索の旅  姨捨駅から松本駅へ

2020-06-07 16:54:04 | マンホールの蓋
今回はJR姨捨駅(おばすてえき)からスタートしまっせ。

日本三大車窓として鉄道マニアには良く知られた駅なんですよ。

(日本三大車窓 姨捨駅 JR東日本)


(JR姨捨駅 説明掲示板)


(JR姨捨駅 駅名標)


日本三大車窓は 北海道の根室本線・狩勝峠 

九州の肥薩線・JR矢岳駅と、ここJR姨捨駅でおます。

狩勝峠はルートが変わって現在は見れなくなったそうですわ。

(JR姨捨駅から 善光寺平を見下ろす)










鉄ちゃん爺やが初めて姨捨駅から善光寺平を眺めたのはまだ独身時代。

1967年(昭和42年)のお盆休みで信州への一人旅でしたかな。

当時ディゼルカーだった急行「しなの」で名古屋駅から長野駅へ向かう
車掌さんの車内放送で通過する風景に感動した記憶がおますんや。

二度目に訪れたのは1981年(昭和56年)の家族旅行でした。

この時は往復で電化され特急「しなの」に格上げされてましたかな。

普通電車で機会が有れば途中下車してみようと考えていたんですわ。

特急「しなの」では通過するだけで写真を撮れるのはほんの一瞬。

結局は四度ばかり通過したけど機会は意外な展開で訪れましたんや。

2011年(平成23年)東日本大震災の直後の旅行の際でした。
関東へ向かくことが出来ず、信州を巡ることに成った訳ですわ。

(JR姨捨駅舎を背景に駅員さんが撮影)


(JR姨捨駅 全景)


(JR姨捨駅を ホームから撮影)


この駅は標高550mほど冠着山の中腹に造られた駅なのでSLでは
停車できず、スイッチバックという形でカバーする外が無かったとか。

現在の電車なら別にスイッチバックが無くても停車が可能でっけど。

(スイッチバックで姨捨駅に 進入する115系電車)






長野駅から松本駅へ向かう列車は本線で一度左手の平坦面に停車し
今度はバック運転で姨捨駅のホームに向かって入線します。

姨捨駅で乗客の乗り降りを終えると、今度は前進で本線に出て
冠着トンネルに向かって峠を登っていきます。

逆の松本駅から長野駅へ向かう電車は本線からバック運転で
一度右手の平坦面に出てから、前進で姨捨駅に進入します。

姨捨駅で乗客の乗り降りを終えるとバック運転で平坦面に出て
今度は前進で本線から長野駅方向へ峠を下って行きまんねん。

(スイッチバック中の 車窓から本線を眺める)


(本線の踏切から JR姨捨駅を見上げる)


(姨捨公園の標識)


車中からは印象がないですが本線と姨捨駅は意外な高低差が。

なんでもこの辺りは25パーミルの急な坂が連続する区間なんだって。

蛇足ながら特急電車はJR姨捨駅には立ち寄らず本線上を通過します。

(JR姨捨駅構内の 版画)




松尾芭蕉は姨捨駅の下にある長楽寺で句会を開いたとか
この長楽寺の領地である四十八枚の棚田が現在も残ってるとか。

田んぼに水を入れる時期には「田毎の月」と呼ばれる、月が
水面に写る風景が現在でも観光の名所になっているそうですわ。

(旧 更埴市 マンホールの蓋)(JR姨捨駅の近くで撮影)


現在は長野県千曲市ですが昔のままのマンホールの蓋が
中央の市章がネットで検索して判明しましたので。

(115系 信州カラーの 普通電車を背景に)(2011年4月撮影)


停車時間中に普通電車の運転手さんにお願いしての撮影でした。

この信州カラーで塗装された115系も数年前に引退したはず。

それではJR姨捨駅を出発して松本駅の方へ向かいまひょ。

冠着トンネルを抜けると東筑摩郡に変わりますんで信州も
これから先は中信と呼ぶことになるようでんな。

(JR篠ノ井線 聖高原駅 駅名標)


JR東日本さんの長野県ではこんな駅名標が各地でみられまぁ。

鉄ちゃん爺やが若い頃は国鉄の麻積駅(おみえき)と呼び
江戸時代には善光寺参りの宿場町だったようでっせ。

確かに、ここなら歩いて1日ぐらいで善光寺さんに行けまんな。

(JR篠ノ井線 坂北駅舎)


JR坂北駅は特急「しなの」が単線区間なので待ち合わせの
運転停車をすることになる駅で、5分ぐらい停車しますかな。

これから筑摩山地をトンネルで抜けると松本盆地に出てきますよ。

(JR篠ノ井線 明科駅 駅名標) (長野県安曇野市)



車窓の視界が開けて西側に北アルプスが遠くに眺められますよ。

ここから犀川(さいがわ)を渡ると有名な大王わさび農場に出ますよ。

途中下車をしようとしたが下車しそこなって次のJR田沢駅で下車。

(JR篠ノ井線 田沢駅舎) (長野県安曇野市)


(長野県安曇野市 マンホールの蓋)


安曇野市(あづみのし)は人口約9万で松本盆地に有りますんや。

駅の西側を犀川(さいがわ)が流れ橋を越えて安曇野市の中心街は
豊科駅の辺りになるようですが、歩くのは夕方の為に諦めました。

合併の際に安曇野市を「あずみの」か「あづみの」にするかで協議し
最終的には「あづみのし」に決まったんだって。

次の電車でJR松本駅に向かいまひょかな。

(JR東日本の 整列乗車のPR)


(夕暮れの 常念岳)


ピラミッドの型をした松本市付近からでも一目で分かる山ですね。

標高は2857mもあり北アルプスの前衛に成る綺麗な山でおます。

(JR篠ノ井線 松本駅舎) (2009年撮影)


(JR松本駅 駅名標)


松本市は人口約23万9千人で長野市に次ぐ長野県第二位の都市でおます。

松本市の方は長野と呼ばず「信州」と呼ぶことが多いそうでんな。

県庁所在地の長野市に対抗する雰囲気が有るような気が有るんかも?

(長野県松本市 マンホールの蓋)


「松本てまり」を描いているようで江戸時代からの伝統手工芸品だとか。

関西でも和歌山市が「てまり」のマンホールの蓋を使用してますよ。

こちらは「てんてん てまりの てがとれて~」の童謡からだったはず。

信州の松本と言えば国宝・松本城の天守閣が有名でっしゃろ。

(国宝 松本城の天守閣)






豊臣秀吉の時代に石川数正・康長の親子によって築城されたお城で
黒い壁から「烏城=からすじょう」とも呼ばれているそうでんな。

天守閣には窓が少なく鉄砲ハザマなど防御を重んじた実戦的なお城。

金沢市と同じくアメリカ軍の空襲を免れたので関西の姫路城と並び
日本での国宝天守閣の双璧とも呼ばれるようでんな。

(鉄ちゃん爺や 松本市内での定宿)


天然温泉の大浴場が備わったビジネスホテルなんですよ。

長くなりますんで、お仕舞にしまひょ。

次回はJR大糸線で北アルプスの麓を北上しまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪
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マンホールの蓋  探索の旅  北信濃を訪ねる

2020-05-31 21:40:31 | マンホールの蓋
最初にお断りをして置きます。

昔の画像から机上で編集した旅行ですので悪しからず。

今は引退した鉄道車両など懐かしく再現した物なので宜しくね。

2015年(平成27年)3月に北陸新幹線が金沢駅まで延伸。

多くの線区が第三セクターに移管され列車も大きく変わりましたんや。

(683系 特急はくたか) (北越急行の車両)(2014年10月撮影)




北陸新幹線が金沢駅まで開通する前は関東から北陸へ向かう優等生でした。

上越新幹線で越後湯沢駅で乗り換えて「はくたか」で金沢駅まで
最速で4時間ぐらいで東京駅から金沢市へ行けるようでしたかな。

お役ご免でこの車両はJR西日本へ譲渡され塗装を変えて金沢駅から
名古屋駅へ向かう特急「しらさぎ」に使用されているとのこと。

(JR富山駅 駅名標)(2014年10月撮影)


(あいの風とやま鉄道 PR表示板)


ご承知の通り昔の北陸本線は新潟県の直江津駅までJR西日本の管轄。

それが北陸新幹線が出来たために金沢駅から先が細切れに分割されて

石川県内が IRいしかわ鉄道  金沢駅 ~ 倶利伽羅駅

富山県内が あいの風とやま鉄道 倶利伽羅駅 ~ 市振駅

新潟県内が えちごトキメキ鉄道 市振駅 ~ 直江津駅

金沢駅から東へは北陸新幹線をご利用くださいだって、悲しいね。

鉄ちゃん爺やのように普通列車の旅を楽しむことが難しくなりましたんや。

(JR富山駅構内の 立ち食いそば屋さん)(2014年10月撮影)


現役時代はここで、そばを食べて得意先へ向かったことがおます。

当時は地上のホームでしたので、北陸新幹線が開通後には
在来線も高架式のホームに変わり、今は営業をしているのかしら?

(455系 JR西日本 交流型郊外電車)(2014年10月撮影)






この455系の電車も国鉄時代からのロートルなので引退したはず。

糸魚川駅から直江津駅方面へ向かいまひょ、出発! 進行!

画像の2014年(平成26年)ならこんな感じでしたな。

現在は途中の泊駅で乗りかえて直江津駅まで約2時間チヨイの旅になりまぁ。

(北陸新幹線 上越妙高駅 駅名標) (2016年7月撮影)






富山駅から新幹線に乗り上越妙高駅まで各駅停車で40分でした。

ここで、えちごトキメキ鉄道はねうまラインで高田駅へ向かいまひょ。

(JR高田駅舎=現在は えちごトキメキ鉄道)(2011年4月撮影)


(JR時代の 高田駅 駅名標) (2011年4月撮影)


(新潟県上越市の マンホールの蓋)(2014年4月撮影)


新潟県上越市は1971年(昭和46年)に直江津市と高田市が合併して
新潟県では新潟市・長岡市に次ぐ三番目の大都市に成るようですわ。

人口が約18万8千人で冬場は新潟県でも豪雪地帯に含まれますんや。

(新潟県上越市 JR高田駅前の商店街) (2011年4月撮影)


こんな雪除けの街並みが高田城址まで続いているようでした。

訪れたのは4月4日で関西では桜が満開を迎えるような時期でしたかな。

高田城址は桜の名所ですが、とてもじゃないが寒くてまだ冬の季節でしたよ。

(JR高田駅構内の ステンドグラス)(2011年4月撮影)




JR東日本から、えちごトキメキ鉄道に変わったけど高田駅舎は
そのまま使用されていると思いまんねんで。

素晴らしい駅舎でこのまま受け継がれて残ることを希望しますね。

それでは、当時のJR信越本線・高田駅からJR長野駅へ向かいまひょ。

(189系 JR東日本 普通電車 妙高号)(2011年4月撮影)


JRの普通電車や快速電車には愛称がつかないんですが、例外がおました。

当時のJR信越本線で長野駅から直江津駅までを一日4往復だけしていた
普通電車「妙高号」はグリーン車まで連結した例外の電車でしたんや。

元は国鉄の信越本線で特急「あさま」として走っていた特急列車で
普通電車なので指定券なしで乗れるマニアには良く知られた電車でしたかな。

(189系 妙高号の車内)(2011年4月撮影)


特急列車で利用されただけに座席はリクライニングの素敵な雰囲気ですかな。

それでは、残雪の信越国境を越えてJR黒姫駅へ向かうことにしまっせ。

(建設中の北陸新幹線 上越妙高駅付近を通過) (2011年4月撮影)




豪雪地帯の信越国境ですから街を離れると周りは雪景色に変わりましたよ。

実は東日本大震災の直後で関東へ向かうのを止めて信州旅行をした画像です。

(名峰 妙高山の遠景) (2011年4月撮影)








新潟県と長野県の境に独立峰で聳える日本百名山の一つですよね。

標高が2454mもあり信越国境ため積雪も多いようですよ。

この妙高の中腹に現れる雪形が馬が跳ねる姿に見えるので地元では
「はねうま」と呼び、「えちごトキメキ鉄道はねうま線」と呼ぶ
第三セクターの鉄道の名前としてのルーツに成っていますよ。

(JR二本木駅で 妙高号とすれ違い)


ここは現在でもスイッチバックが残る珍しい駅なんですよ。

妙高山の麓をJR信越本線は高度を上げながら長野方面へ進みます。

(JR妙高高原駅を通過) (2011年4月撮影)


ここまでが新潟県で「えちごトキメキ鉄道」は現在は乗り換えになり
長野県の「しなの鉄道・北しなの線」と変わるようでんな。

(JR妙高号の 車中より撮影) (2014年4月撮影)


(上信越自動車道路も 並行しているのかも) (2014年4月撮影)


この辺りが地図上で長野県と新潟県の県境を通過しているんだそうです。

次のJR黒姫駅で途中下車してみようと思います。

(JR黒姫駅 プラットホームにて撮影)(2014年4月撮影)


(JR信越本線 黒姫駅舎の全景)(2014年4月撮影)


(JR黒姫駅にて 撮影)  (2014年4月撮影)


タクシーの女性ドライバーさんが駅名標を入れて写してくれました。

冬の時期は野尻湖畔には行かない方が良いかなとのコメント。

ナウマン象の骨が出土し、その博物館が有るんだけどね。

(長野県信濃町の マンホールの蓋)(2014年4月撮影)


(小林一茶の句碑)




(江戸時代から続く 宿場の旅館)(2014年4月撮影)


やはり標高が高いので昼間でも気温が3度ぐらい凄く寒い散策でした。

まだ奥信濃路は4月上旬と言えども、冬の気温に近いですよね。

デジカメ撮影をほどほどにして再びJR黒姫駅へ向へ戻りましたんや。

(189系+183系 JR信越本線 妙高号)




この電車も2019年に運行を停止して除籍されたとフアンのコメント。

最後は臨時の特急「あずさ」や「おはようライナー」などで活躍し
どうやら2020年中にも解体されるとのコメントがありますね。

(JR信越本線 車中から撮影) (2014年4月撮影)


(JR信越本線 豊野駅を通過)(2014年4月撮影)


ここまで下がってきたら積雪はゼロ、間もなくJR長野駅に到着するようです。

長野市は人口36万8千人で長野県の県庁所在地ですよね。

勿論、長野県では人口が一番多く、善光寺さんの門前町でもありまぁ。

(長野市の マンホールの蓋) (2011年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅舎 善光寺口)(2011年4月撮影)




(JR長野駅 連絡通路)(2014年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅 駅名標) (2014年4月撮影)


(JR信越本線 長野駅 新幹線口)(2014年4月撮影)


善光寺に今回は参拝を遠慮して松代に路線バスで向かうことにしました。

松代は現在は長野市内になりますが江戸時代は真田藩10万石の城下町。

(松代の真田藩邸)(2014年4月撮影)


(長野市松代の 武家屋敷)


(観光用に再建された 松代城内)(2014年4月撮影)


(松代の蕎麦屋さんで 昼食) (2014年4月撮影)


とろろそば定食と地ビール1本だった記憶だけど定かじゃおまへん。

(長野電鉄 松代駅舎)  (2014年4月撮影)


なんでも長野電鉄のこの支線が来年にも廃止に成ると蕎麦屋のおばさんお話。

それじゃ今回乗って見るかと立ち寄ったら次の電車まで30分待ち。

この古い駅舎も取り壊されて今は存在しないはずですよ。

(長野電鉄 屋代線の電車)(2014年4月撮影)


(しなの鉄道 屋代駅舎)(2014年4月撮影)


(長野県千曲市の マンホールの蓋)


(長野県更埴市の マンホールの蓋)


実は更埴市と千曲市は2003年(平成15年)に合併したんだそうです。

だから更埴市のマンホールの蓋は昔の物が残っていると言う訳ですな。

(あんずの里) (2011年4月撮影)


(あんずの花 一輪だけ) (2011年4月撮影)


(あんずの里から 戸隠方向の雪山を撮影) (2011年4月撮影)


あんずの花祭りが始まったと聞いて路線バスでやって来たんだけど
あんずの花は一輪だけ咲いているだけで、時間の無駄をしました。

(あんずの里で 路線バスと撮影)(2011年4月撮影)


路線バスのドライバーさんに慰められて写真を一枚だけお願いしました。

しなの鉄道の屋代駅に戻り長野県の上田駅の方へ動くことにしました。

(169系 しなの鉄道)(2014年4月撮影)




JR東日本から一編成だけ譲渡の電車だけど2016年に引退したとのこと。

しなの鉄道はこのようにJRの古い電車を利用して黒字を出しているとか?

そろそろ新型電車を製造して入れ替える時期には来ているようだけど。

(長野県上田市の マンホールの蓋)


ご存じ真田家の六文銭を描いている真田家の発祥の地ではあるけど。

真田家は1622年(元和8年)にここ上田城から松代へ領地替えを命じられ
明治維新まで長野市の松代の時代の方が長いんだけどね。

上田市が先に六文銭の家紋を採用したから本家のように思っているのかも?

まあ~ 同じ真田家の領地として観光では仲良く並立しいるのかも。

(しなの鉄道 信濃国分寺駅舎)(2014年4月撮影)




上田市は現在は人口15万3千3人と長野市や松本市に次ぐ県下第三位の都市。

だけど、奈良時代から平安時代には国分寺が置かれ国府も在ったとの説。

当時は長野市や松本市よりも大きな信濃の国の中心地だったようでっせ。

(信濃国分寺跡)


この信濃国分寺は平将門が平貞盛を関東から追ってきて戦闘に成り
国分寺はその際に兵火により焼失したとのことらしい。

平将門が信濃の国までやって来たとは信じられないけどね。

(長野県小諸市 鉄ちゃん爺やの定宿)


信州から昔の会社である埼玉へ、逆に埼玉から信州へ、鉄ちゃん爺やの
一人旅をする際の定宿に成った感がしますんや。

(長野県小諸市の マンホールの蓋) (2009年4月撮影)


(しなの鉄道 小諸駅舎)(JRと併用の駅舎)


新幹線がお隣の佐久平に駅が出来た関係で少し寂しいかな?

でも東信濃路では現在も重要な街の一つでは有りますけど。

人口が4万1千人と、こじんまりした街ですが趣のある観光地で
江戸時代の宿場町の雰囲気も残して居るように思いますな。

(小諸城址 懐古園・三之門)(2010年3月撮影)


(長野新幹線 軽井沢駅前にて 自撮り)


(浅間山の夕暮れ)


長くなりましたので今回はこれにて中断いたします。

次回は日本三大車窓のJR姨捨駅や松本城などを巡ります。

ほな~ これで、さいなら~♪
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マンホルーの蓋  探索の旅  北陸三県を巡つて

2020-05-24 15:18:45 | マンホールの蓋
JR大阪駅から普通電車で一番遠くへ行けるのは福井県の敦賀市なんですわ。

大阪人の感覚では敦賀市は福井県の嶺南地区なので若狭地方と考えてました。

ところが敦賀市に在る氣比神宮にお邪魔したら越前の国の一之宮でおます。

江戸時代には若狭・小浜藩の領地でしたから風俗も若狭に近いと言われてまぁ。

確かに北陸地方と言うよりは関西圏の雰囲気を感じる気もしますんや。

(福井県敦賀市  マンホールの蓋)


(越前の国一之宮 氣比神宮)


(福井県敦賀市 氣比の松原)


日本三大松原である「氣比の松原」に立町岬をあしらった綺麗なデザイン。

福井県敦賀市は人口が6万4千人の中小都市ですが明治の初めは現在の福井県の
県庁所在地が3年半ですが置かれていた、重要な港湾都市でもおました。

鉄道は軍事的な面もあり、明治の早くに名古屋から敦賀港まで開通した訳ですわ。。

戦前には敦賀港とロシヤのウラジオストクを結ぶ定期航路もおましたんや。

(JR北陸本線 敦賀駅舎)(2011年4月撮影)


(関西方面から 到着する新快速電車)


関西からの新快速はここで折り返しになりますんや。

ここまでは直流電化区間で、その先は交流電化区間になりまぁ。

2023年(令和5年)には、ここ敦賀駅まで北陸新幹線が延伸だとか?

それじゃ北陸トンネルを抜けて福井県の県庁所在地になる
JR福井駅に向かいまっせ、トンネルを抜けたら嶺北地区と言いまぁ。

(JR北陸本線 福井駅舎) (2011年4月撮影)


(福井県福井市 マンホールの蓋)


福井市のマンホールの蓋には福井市のシンボル不死鳥が描かれてまぁ。

1945年の福井大空襲(死者1583人)及び1948年福井地震(死者3769人)
その直後の九頭竜川の大洪水で壊滅的な被害を受けたそうですわ。

それから不死鳥のごとく復活し、戦前の人口の2倍に達したそうでんな。

だから不死鳥は福井市のシンボルとして今も語り継がれているんだって。

続いてJR北陸本線を北上して石川県の金沢市に向かいまっせ。

(JR北陸本線 金沢駅舎)(2014年10月撮影)


人口が46万3千人と北陸三県では最大の都市に成るようでんな。

加賀百万石の城下町で戦争中の空襲に会わなかった珍しい都市の一つ。

現在は東京からの北陸新幹線の終着駅として賑わってますかな。

そんな関係でJR大阪駅からの特急電車は概ねJR金沢駅で打ち切りに。

(金沢市内で 北陸電力のマンホールの蓋)(2014年10月撮影)


てっきり金沢市のマンホールの蓋だと勘違いしてたようですわ。

ネットで調べたら北陸電力のマンホールの蓋だとのコメントが。

実は兼六公園の近くでデザインマンホールの蓋を探してたんですが
探し切れずにJR金沢駅に戻って駅前で撮影したものですけど。

(金沢市の 兼六公園 有名な石燈籠)


こんな感じで描かれたマンホールの蓋が有ることを承知でしたが
その日は2時間かけて探したんですが、見事に失敗で退散でした。

機会が有ればもう一度ぐらい金沢市内へと考えてますんや。

今度はネットで調べて撮影したいと考えてますけど。

現在は「IRいしかわ鉄道」に変わった第三セクターの電車で
JR富山駅へ向かいます、電車は直通ですが富山県にはいると
こんどは「あいの風とやま鉄道」に成るようでんな。

画像を撮影したのは北陸新幹線が開通する半年前でしたかな?

だから当時はJR北陸本線のJR高岡駅で下車しましたんや。

(富山県高岡市 雨晴海岸のマンホールの蓋)


(JR氷見線 雨晴駅名標)


JR高岡駅でローカル線のJR氷見線に乗り換えて
雨晴海岸(あまはらしかいがん)へ立ち寄りましたで。

海の向こうに立山連峰が、手前に男岩と女岩が海中にあり
特に残雪の頃は絶景に成る人気のスポットでんな。

いつ見ても雨晴海岸の風景は素晴らしいですよ。

鉄ちゃん爺や、お勧めの鉄道スポットの一つでおます。

カメラフアンで年中賑わうローカル線の駅裏が海岸なんですわ。

(雨晴海岸の風景)






(富山県高岡市 マンホールの蓋)


こちらは高岡市の標準規格品のようで地味な図柄ですわ。

江戸時代の初めまでは富山市よりも、こちらが中心の街だったとも。

高岡市は鋳物や錫製品の街で高岡大仏もその象徴の作品だそうですわ。

(高岡大仏の お姿)


(曹洞宗 瑞龍寺)




加賀百万石の初代藩主の前田利長公をお祀りした富山県で唯一の国宝なんですよ。

30歳ほど年下の弟・前田利常公に藩主を譲りここ富山県の高岡に隠居されたとか。

恩義を強く感じた前田利常公が菩提寺とし、兄の為に建立したとされてますんや。

加賀百万石はこの前田利常公が徳川将軍家から嫁を貰ったことで安泰に。

(前田利長公の銅像) (高岡城址公園内)


前田利長公は徳川将軍家に臣下の礼を取らされて憤慨の隠居との説も。

徳川家康公ならともかく徳川秀忠公など元は自分より目下の存在でしたからね。

前田利長公は前田利家公が死亡の後は短期間ながら五大老のひとりでしたから。

(JR北陸本線 高岡駅舎)


(JR高岡駅に到着の 特急サンダーバード号)


(JR高岡駅~JR大阪駅 普通乗車券)


現在はサンダーバード号はJR金沢駅が終点で、高岡駅からは乗れまへん。

昔なら国鉄時代の特急雷鳥号など懐かしい風景がもうみれませんのや。

それでは富山県第二の都市である高岡市を後に富山市へ向かいまっせ。

(JR富山駅舎) (2014年10月撮影)




北陸新幹線の開通目前で新しく建設中のJR富山駅舎でおます。

撮影後の2015年に北陸新幹線は開通したように聞いてまぁ。

昔の富山駅は毎年2~3度ぐらい出張で来ましたが様変わりの風景でした。

(富山県富山市の マンホールの蓋)


当時は市の草花だった「あざみ」ですが最近は富山県でも見れなくなったとか。

マンホールの蓋だけが昭和の時代を思い出させてくれる風景になりました。

現在は人口が41万5千人と石川県の金沢市に迫る大都市になりました。

なんでも日本の県庁所在地で面積が静岡市に次いで第二位の大きな街だとか。

(富山市内の路面電車)


この路面電車もJR富山駅が高架に成り北側から新駅を潜り抜けて
南側の路面電車と合流できるようになったと聞いてまぁ。

(富山城の遠景)


戦後に出来た観光用のお城だと思いまっけど。

JR高山線で暫く走れば越中八尾(やつお)がおますんや。

ここも現在は富山市に編入されてしまったとのこと。

(富山市八尾町 マンホールの蓋)


(越中八尾 風の盆)






毎年9月1日から3日間催される有名な盆踊りですがご存知かしら?

この図柄のマンホールの蓋を探したんだけど発見できませんでした。

現在は富山市に編入されて無くなったのかもしれまへんけど。

さらに南下すると普通電車の終着駅となるJR猪谷駅でおます。

(富山県の猪谷駅前  マンホールの蓋)


(JR高山線 猪谷駅名標)


冬場は富山県でも豪雪地帯と言われるところで3m~5mの積雪。

JR西日本とJR東海さんの接続駅で普通電車は100%乗り換えで
山間部をトンネルで抜けながら、飛騨の高山や下呂温泉に出ますんや。

今日はこれでお仕舞にしまひょかな。

次回に信州のマンホールの蓋などを紹介しまっさ。

ほんなら~  これで、さいなら~♪



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我が街にも  カラーマンホールの蓋が設置!

2020-05-17 20:36:03 | マンホールの蓋
旅行のたびに各地のマンホールの蓋を撮影してきましたが
我が街にも、やっとカラーマンホールの蓋が設置されましたで。

大阪府には33市・9町・1村 43の自治体がおます。

その33市に全てカラーデザインのマンホールの蓋が
設置されたとの噂で、我が街が何故か最終になったらしいですわ。

(我が街の 新しいマンホールの蓋)


我が街の竹内街道(たけのうちかいどう)の交差点に1枚目。

取り合えず5枚しか設置されてない1枚を撮影しましたで。

あまりデザイン的に優れてるとは思いまへんけど。

なんか欲張ってゴチャゴチャと書き込んだ感じがしまんな。

それでは大阪府の各地のデザインマンホールの蓋を
紹介しますんで、眺めてくださいね。

(大阪市の マンホールの蓋)


大阪府の人口は約883万人ですが、その31%を占め
関西の中心都市で人口が約274万人だそうです。

都構想にゆれる大阪市ですが現在は政令指定都市でんな。

大阪城に桜をあしらったデザインは大阪府では評価が最高かも?

大通りにはカラーのデザインが、少し離れると同じデザインの
白黒のものが大阪市内の各地に多く設置されてますんや。

他に水都大阪を表現した大川と水晶橋の物も所々におます。

カラーの物はないと思いますんや、間違ってたらご免なさい。

次は大阪府で、もう一つの政令指定都市の堺市を紹介しまひょ。

(大阪府堺市の マンホールの蓋)




人口が約82万人を誇り我が町の西南部で境を接するようになりました。

大阪府の鳥にも指定されている百舌鳥(もず)が描かれて
周囲には堺市の木である、つつじをあしらっている感じ。

中世には日本最大の港湾都市として大いに栄えたとのこと。

次は大阪府の中核都市で人口が三番目の東大阪市を貼り付けまひょ。

(大阪府東大阪市の マンホールの蓋)


人口は約49万人で中小企業の街として優れた技術を誇る
世界的にも有名な企業が数多く存在していますよ。

戦後に布施市・河内市・枚岡市が合併してできた町だったはず。

次は我が街の南側に境を接する富田林市ですよ。

(大阪府富田林市の マンホールの蓋)


金剛・葛城の山々を背景に江戸時代からの面影を残している
寺内町が描かれています、人口は約11万人ぐらいですかな。

「とんだばやしし」と読みます、一時はPL学園の高校野球で
全国に名を知られていた頃が懐かしくなりましたね。

次は我が街と東北部で境を接する柏原市ですよ。

(大阪府柏原市の マンホールの蓋)


我が街の東側の丘陵地帯から柏原市までは葡萄の
デラウエアの産地として日本でも有数の出荷量を誇り
現在でも両方の市を合わせると第三位ぐらいのはず。

我が街はぶどうの「つぶたん」をゆるキャラにしてますが
柏原市はその物ズバリ葡萄を描いているようですね。

人口は約7万1千人と我が街よりは小さい規模になりますかな。

次は我が街の北側のお隣になる藤井寺市ですよ。

(大阪府藤井寺市の マンホールの蓋)


コピーしたので写りが悪くてご免なさい。

道明寺の天満宮にあやかり梅の花が描かれていますね。

藤井寺市は大阪府で面積が一番小さい市なんですが
全国でも面積が五番目に小さいが人口密度は高いようですわ。

人口は6万1千人と我が街の半分ぐらいに成りますけど。

我が街と並んで世界遺産の古市古墳群を形成してるんですよ。

最後の松原市は我が街の西側にある都市になりまぁ。

(大阪府松原市の マンホールの蓋)


人口が11万8千人と南河内では一番多いことになりまぁ。

大和川を越えてその北側は大阪市に繋がっているんですよ。

我が街は以上の五つの都市と他に奈良県の香芝市と接しています。

(大阪府大阪狭山市  マンホールの蓋)


有名な狭山池があり狭山市を名乗るべきでしたが埼玉県に
狭山市が先に誕生したので、大阪狭山市とすることになったとか。

小さい街ですが人口は増え続けているようですね。

大阪狭山市から西側は昔の和泉の国で泉州とも言いますんや。

最後に泉州地区の都市のマンホールを並べて置きまひょ。

(大阪府泉大津市 マンホールの蓋)


毛布の生産が現在でも国内生産の90%占めるそうで
人口は7万5千人と町としては小さい感じがしますけど。

やはり毛布の街なので羊が描かれているようでんな。

(大阪府岸和田市の マンホールの蓋)


人口19万4千人の大阪府では珍しい城下町ですよ。

昭和に成ってから天守閣が造られたようですけど。

最近は、だんじり祭りで全国的に有名になりましたかな。

(大阪府貝塚市の マンホールの蓋)


人口が8万8千人と小さい街ですが、東京オリンピックで
ニチボー貝塚の女子バレーボールで一躍有名になりました。

でも最近の若い方ではニチボーもご存じないかもしれませんね。

(大阪府泉佐野市の マンホールの蓋)


人口10万人の街で連絡橋で関西国際空港に繋がっていますよ。

連絡橋と空港の北側一部だけが泉佐野市になりますけど。

ふるさと納税で高価な商品を贈呈したとかで総務省から
ふるさと納税の資格を取り消されて有名になりましたかな。

(大阪府高石市の マンホールの蓋)


羽衣の伝説がここにもあります、面積の小さい街なんですが
お隣の堺市との合併を拒否して頑張っているようですよ。

人口も5万6千人ですが、立派だと感心してますけど。

本日はこれぐらいにして置きまひょ。

新型コロナウイルスで外出自粛が続いてまして
写真のネタが切れてしまいました。

次回は北陸から信州のマンホールの蓋を紹介しまひょ。

5月17日は大阪府の新しい感染者がゼロだったとのこと。

これは3月9日以来のことで、もう、ひと踏ん張りでんな。

ほんなら~ これで、さいなら~♪


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