鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

庭の紅梅が見ごろになりましたよ!

2021-02-28 19:13:46 | 
我が家の庭に紅梅の木が1本だけおます。

見ごろを迎えましたが例年より一週間ぐらい早い開花かも。

(我が家の紅梅の花)








もう植えてから30年ぐらい経ちますので木も大きくなりました。

通りすがりの人も時々ですがスマホで写している方がおられますよ。

(内の奥さんが 溝の掃除中)


正面から写すと嫌がりますので横顔も伏せて、はい~ チーズ!

彼女の育てている庭の花も併せてブログに載せておきまひょ。

(クリスマスローズ)






(リュウキンカのはず)


(ヒマラヤ雪ノ下)


(手前は槇の木と紅梅に奥は金木犀)


(大谷石の 蛙の置物)




この蛙の置物は単身赴任中に宇都宮市の下請けさんから
頂戴した物で、引っ越しの荷物と一緒に帰阪したんですわ。

下の大きい岩石は「かんらん岩」なんですが「大谷石」とは
異質なのに、同じような感じで不鮮明に写りご免んなさい。

ご存じとは思いますが「無事かえる」「すぐにかえる」とか
縁起を担いで置かれることが多いとも聞いてますんや。

「大谷石」は関西では珍しいが、柔らかいので加工がしやすく
関東では石垣や門柱などによく利用されてるようでんな。

やっと古い写真の復元が終わりましたので次回から
少しづつ思い出のブログを始めさせて貰いまひょ。

ほな~ 今日はこれで、さいなら~♪
コメント (16)
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不思議な風景!  澤田八幡神社の境内

2021-02-21 20:21:47 | 神社
今回は神社の境内を鉄道が通過する不思議な風景でっせ。

40年近く通勤で通っていたんですが気が付いたのは10年ぐらい前。

お隣で藤井寺市の沢田という地名にそんな場所がおますんや。

(澤田八幡神社の社標)


神職もいない地元でもあまり知られていない神社なんですよ。

祭神は近くにある応神天皇陵のお名前が誉田別尊(ほむたわけのみこと)

(境内を通過する 近畿日本鉄道の電車)


(澤田八幡神社の 鳥居の位置から撮影)


普通は鳥居を潜ってその先から拝殿までは神社の境内ですわな。

その境内を近畿日本鉄道が通過するんで不思議でっしゃろ。

(澤田八幡神社の境内から 鳥居を撮影)


(近畿日本鉄道 藤井寺第7号踏切)


踏切を渡って境内の広場を抜けると拝殿になってますんや。

江戸時代に沢田村の鎮守様として創建されたようですわ。

(澤田八幡神社の 拝殿)


(澤田八幡神社の境内を 近鉄電車が通過)


何で澤田八幡神社の境内を避けて鉄道が施設できなかったのか?

実は明治時代から大正時代にかけて南河内の事情がおましたんですわ。

(近鉄・道明寺駅付近の Google Map)


地図の向かって右サイド中央に道明寺駅がおますやろ。

ここから現在は枝線となってしまった近鉄・道明寺線が右上へ
JR柏原駅で現在は連絡できるようになってますんや。

そもそも近鉄・道明寺線は1898年(明治31年)河陽鉄道が
柏原駅から道明寺駅を経由して我が町の古市駅から南下して
富田林駅までの貨物輸送と旅客輸送を狙って開業したんだって。

ところが資金難で倒産し「河南鉄道」が経営を引き継ぎ後に
大阪鉄道(大鉄と呼びました)と社名を変えたんですわ。

(近畿日本鉄道・道明寺線 大和川橋梁)


橋梁部分は明治の時代のままで近鉄では最古の鉄橋だとのこと。

橋脚の部分だけはコンクリートで補強されているようでんな。

(近畿日本鉄道 最古の大和川橋梁)


日本最大の営業路線を持つ近畿日本鉄道ですが戦前戦後の統合で
大きくなりましたが、一番古いのは現在の近鉄・道明寺線になりまぁ。

元々はJR柏原駅で当時の大阪鉄道(後に国鉄)と線路幅も併せて
大阪市内への延伸と国鉄との連携を考えていたようでんな。

でも大阪鉄道は国有化されて河南鉄道は方針を変更することに。

この大阪鉄道は後の大鉄(大阪鉄道)とは別の会社ですのでね。

道明寺駅から90度左へカーブさせて大阪市内へ向かうことに。

(近鉄・道明寺駅付近の Google Map)


道明寺駅の左手には道明寺天満宮が地図の上部には国府遺跡と
允恭天皇陵がおまして大きく左へカーブするしかなかったとか。

(允恭天皇陵)(世界文化遺産に指定)




その先には大きな仲津姫皇后陵や応神天皇陵が存在しているので
澤田八幡神社の境内を横切って藤井寺方向へ向かうことに。

(仲津姫皇后陵)(世界文化遺産に指定)




八幡神社の北側には沢田の集落と大阪府道が出来ていたので
沢田集落の了解を得て神社の境内を通過することに成ったとか。

(近鉄・道明寺駅のホーム)


画像の右側が近鉄の道明寺線で左側が本線の南大阪線でっせ。

次の画像で本線が左へ大きくカーブしているのがわかりまっしゃろ。

(近鉄・道明寺駅手前の 急カーブ)




近畿日本鉄道・南大阪線ではこの急カーブが最大のカーブだとの事。

特急列車もここは45kmに速度を落として通過して行きまっせ。

(反対側の 道明寺駅へ向かう方向から撮影)


藤井寺には西國第五番の札所で「葛井寺=ふじいでら」がおますんで
参拝客を考えて藤井寺駅には立ち寄る必要があったようでんな。

(西國第五番札所 葛井寺=ふじいでら)


(西國第五番札所 葛井寺=ふじいでら 山門)


(西國第五番札所 葛井寺=ふじいでら 本堂)


大阪鉄道(大鉄)に名前が変わっていましたが1923年(大正12年)
現在の阿部野橋駅~道明寺駅間が電車で運行が完成したそうですわ。

この大阪鉄道(大鉄)も古市駅から橿原神宮駅までの延伸に成功するも
資金難で大阪電気軌道に吸収され現在の近畿日本鉄道になりますんや。

元々が「河南鉄道」の1067mmの狭軌でスタートした関係で
現在も近畿日本鉄道・南大阪線や長野線に吉野線は全て狭軌の線路で
近畿日本鉄道の本線が1435mmの標準軌道とは異なってますんや。

澤田八幡神社の境内を通過するような鉄道は鉄ちゃん爺やの記憶では
大阪府内には、ここだけの珍風景だと思いまんねん。

日本全国では存在するのかも知れまへんが調べることは不可能かも?

本日はこれでお仕舞い ほな!  さいなら~♪









 

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想い出のカニ喰いツアー  浜坂から出石へ

2021-02-08 18:55:54 | 旅行
東日本大震災の直前だったか、それとも翌年だったのか?

記憶が薄れてSDカードからも確認ができまへんのや。

ミニ同窓会をやろうと同級生が12名ほど集まりましたんや。

(浜坂の民宿での ズワイガニの刺身)


(同じく カニみそ)


(同じく 焼きガニ)


関西では山陰地方で獲れるズワイガニを松葉ガニと呼びまんねん。

これが福井県に行けば越前ガニと呼ばれますんや。

写真に載せた兵庫県の浜坂港で獲れたズワイガニを
ハマサカガニとも呼び、各地で名前がそれぞれ異なりますんや。

(浜坂の民宿に 集合した面々)


この頃でした、鉄ちゃん爺や太腿の裏筋を痛めていたので正座や
胡坐が出来ないので、一人だけ椅子に掛けてさして貰いました。



10年が経過した12名の同級生でっけど3名が既に亡くなりました。

残る9人なんですが車いすの方が1名、夜間の人口呼吸器装着が1名
杖を使用しないと歩けない方も1名、運転が可能なのは1名と成りました。

どうやら、これが最後の遠出の旅行と成りそうな記念写真でっしゃろか?

(湯村温泉 薬師の湯にて 集合写真)


この日は早朝に浜坂漁港を見学させて貰いましたんや。

民宿の主人が仲買人の資格を持っておられるとかで
普通は一般人は観れないセリを拝見させて貰いましたで。

(兵庫県浜崎漁港の セリ市)








浜崎漁港は冬場ならズワイガニが夏場にはホタルイカが有名で
特にホタルイカは漁獲高では日本一を誇っていると聞きました。

ホタルイカは富山県産が有名でっけど、関西の市場ではスーパーで
富山産は1パック500円前後、浜坂産は1パック300円前後。

鉄ちゃん爺やも初夏には、お酒の肴に浜坂産のホタルイカを食べまっせ。

(浜坂漁港で セリ落とされた ズワイガニ)




午前中に浜坂の民宿をスタートして関西では有名な観光地である
兵庫県豊岡市の出石(いずし)に向かいましたんですわ。

(出石へ向かう 国道にて撮影)






トイレ休憩に立ち寄ったのが神鍋高原の道の駅でおます。

鉄ちゃん爺やが20代に訪れたこともある関西では名の知れた
スキー場で大阪からのスキー客で賑わう観光地でおますんや。

昔と随分と変わりましたので記憶が全くおまへんけど。

(神鍋スキー場 道の駅 駐車場にて)




神鍋高原から約30分ぐらい走ったら豊岡市内に入りましたで。

ここは江戸時代は出石藩(いずしはん)5万8千石の城下町でおます。

江戸時代には5万石を超えるとお城を造る許可が下りたとか。

「但馬の小京都」とも呼ばれているんだっせ。

(出石の観光案内絵図)




(出石城公園)


こじんまりしたお城ですが明治維新に廃城となり
戦後になって、観光用に再建されたお城だと思いますんや。

(出石のシンボル 有子のしらべ)


(出石のシンボル 有子のしらべ 説明書き)




鉄ちゃん爺やが出石(いずし)に訪れたのは会社の慰安旅行で
城崎温泉の帰りに立ち寄った記憶がおましたけど。

随分と昔のことで昭和の40年代後半だったかな?

当時よりは随分と観光地化したように見受けましたけど。





関西は普通は「うどん圏」なんですが兵庫県の出石だけは
不思議なことに「そば圏」として有名なんですよ。

なんでも信州の小諸から兵庫県の出石に転封を命じられた
仙石なんとかのお殿様が、小諸の蕎麦職人を大勢引き連れて
兵庫県の出石に着任した、江戸幕府への嫌がらせのような行為。

そんな訳で関西には珍しい蕎麦の街として今日に伝わったとも。

(出石蕎麦の 由緒書き)


(出石名物 皿蕎麦)


小皿5枚に卵が1個ついて1セットになってるようですわ。

何処も同じスタイルで統一されているのはご立派。

(兵庫県豊岡市 出石のマンホールの蓋)


今日はこれにてお仕舞にしまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪



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