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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

クリスマス・イヴに思う

2008-12-25 11:30:08 | 報道写真考・たわ言
クリスマス・イヴの今晩、街は静まりかえっている。

職場が休みのところも多いし、レストランや商店の多くも閉まっているので、日中もダウンタウンは閑散としていた。仕事の後、普段なら30分近くかかるラッシュアワーの帰り道も、高速がすいていたので10分そこそこで帰宅できた。

僕の住んでいるアパートには6世帯はいっているが、恐らくみな帰省してしまって誰もいないのであろう、今夜は物音ひとつ聞こえない。部屋にある置き時計の秒針の音が、いつになく耳に響いてくる。

ちなみにこちらのクリスマスは、日本の正月のようなもので、家族が集まって家の中で過ごすのが一般的。逆に正月は外に出て派手に騒ぐので、日本とはまるきり反対である。

そんなわけで、ダウンタウンからそれほど離れておらず、普段は騒々しい僕の近所も今晩はしんとしている。あまりに静かなので、なんだか映画「I am Legend」のウィル・スミスのように、世界に一人残されたような気分だなあ、などと思っていたら突然携帯がなりだした。

「メリークリスマス、アンクル・クニ!!」

ギフトからだった。

ノエミとアサタと3人姉妹が揃って受話器の向こうでクリスマス・ソングを大声で合唱してくれた。3人にクリスマス・プレゼントを送っておいたのだが、本来なら25日に開けるものを今晩もう包みをひらいてしまったようだ。

そういえば、ギフトがアメリカにやってきたのも12月。あれからもう丸2年がたった。それだけ僕も歳を重ねたということだ。歳を重ねても、なかなか自分が納得するような写真が残せていないし、そんなことを考えて焦りを感じてしまうこともしばしばある。

来年のこの日は、何処にいるだろう?

来年は何が撮れるだろう?





言葉のフラストレーション

2008-10-25 05:09:46 | 報道写真考・たわ言
前回のブログに書いたように物置の整理をしていたら、昔のネガのファイルと一緒に日記のようなものがでてきた。数枚のレポート用紙に当時の自分の気持ちがだらだらと綴ってある。

こんな物書いたかなあ、いや、書いたような気もするなあ、と、記憶は曖昧なのだが、ここに綴られている僕自身の気持ちは今でもはっきりと覚えている。

アメリカに来たばかりの1990年、当時つきあっていたアメリカ人ガールフレンドのメイン州の実家に、冬休みを利用して遊びにいった時のことだ。

自分の日記なのでちょっと恥ずかしいが、そのまま少し引用してみる。

「。。。毎日毎日みんなとテーブルを囲んでゴタゴタとローカルな、自分の理解できない話をされて、完全に自分がおいてきぼりになったときの孤独感は本当にみじめなものだ。なによりも自分自身に腹が立つ。これだけ長い間英語を勉強しているのにも関わらず、そのうえ渡米してからもうかれこれ6ヶ月にもなるのに、自分の英語力に全く進歩がかんじられないことだ」

「。。。せめてもう一人日本人がいて、自分の意志を鉄砲玉のようにダダダダッと表現できれば(アメリカ人の目の前ならもっといい)どんなにすっきりするだろうかと思う」

そして、こんなことまで殴り書きしてある。

「だまれ、うるさい、お前らの話なんかききたくない。胸がむかむかする。早く俺を一人にしてくれ」

今読み返すと赤面ものだが、相手の言っている事がよく理解できず、かつ自分の意見もいえないというもどかしさ、それも相手が自分のガールフレンドの家族ということで、この時のフラストレーションは相当なものだったことが思い出される。

このあと僕は、英語で意思の疎通をはかろうという努力をあきらめて、自分をシャットダウンした時期さえしばらくあったのだが、そのうちに「相手が自分の英語を理解しないのは俺のせいじゃない。俺の発音が聞きとれない相手が悪いんだ」という、驚くべき自己中心的な開き直りの発想転換で、英語の生活に順応していったのだ。

それから18年。ネイティブのようなという訳にはいかないが、言葉で日常生活に不自由する事も無くなった。

今でも時折、英語をうまく話せない人間を見下げたように軽くあしらうアメリカ人を目にする事がある。そんな場面に接するたびに、嫌な記憶がよみがえってくる。僕もたどたどしいながら英語で話す努力をしているのに、きちんと聞いてくれようとせず、まともに相手にされなかった経験はいくらでもあるからだ。

アメリカ国内はもとより、取材で国外にでるときなど、英語を母国語としない人々と接する機会が少なくないが、自分自身の苦い経験のお陰で、得意でない英語を使ってコミュニケーションをとろうとしてくれるそんな人々に対しては、僕はきちんと眼を見て、辛抱強く会話をすることを心がけるようになったのだ。

言葉ができない、というだけの理由で、人間としての価値まで下げられてしまってはたまらないだろう。

写真とは関係のない話で失礼。


ネガの整理

2008-10-15 23:16:37 | 報道写真考・たわ言
来年引っ越しをする可能性がでてきたので、今のうちから少しずつ所持品を減らしておこうと、先日から物置の整理を始めた。
一番の頭痛の種は、写真のネガやプリント類だ。

写真学校時代から数えてもう20年近く写真を撮り続けてきた。ここ6、7年はデジタルでの撮影なのでCDに落とすことで写真の管理は済んでしまうが、それ以前はすべてフィルムを使っていたから、その量は膨大なものになる。 時々思いついたときに整理はしていたのだが、なかなかその数を減らすのは難しい。今でも物置の半分以上はネガやポジのファイルと、プリントのはいったケースで埋まってしまっている。

撮影したフィルムを捨てるというのはなかなか勇気のいることなのだ。

勿論、自分のポートフォリオにいれるような大切なフレームはデジタル化して残してあるが、それ以外でもなんとなく思い入れがあったり、単に記録として残しておいたほうがいいかな、などといろいろと思いが頭を巡り、ついつい捨てるのを後回しにしてしまうものが少なくない。

こんな写真は将来まず使い道がないだろうと思われるようなつまらないものでも、その一枚一枚にはストーリーがあり、眺めていると撮影当時の思い出が心に蘇ってくる。そこには、僕のカメラマンとしての歴史、というか、自分自身の成長の記録が重なっている、とも言えるのだ。

僕はこの職業を選んだせいで、写真という媒体を通して、普通に生活していたなら出会わなかったであろう多種の人たちと時間や経験を共にする事ができた。様々なタイプの人間たちとの接し方というものを、僕は写真を撮りながら彼らとの付き合いから学んできたのだ。

だから、過去に撮ったネガを眺めていると、その向こうには当時の僕自身の姿が見えてくる。

そんな感傷に浸ってしまうと、またまた整理がおぼつかなくなってくる。やれやれ。。。


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So What? だから、それがどうした?

2008-10-10 09:47:35 | 報道写真考・たわ言
数日前、ジャーナリストである友人と電話でこんな話をした。

ニューヨーク・タイムスのある著名な記者(不覚にもその名前を忘れてしまった)と話す機会があって、その人がこんな事をいっていたという。

「記事を書いたあと、”so, what?”(だから、それがどうした?)と繰り返し自問することが大切だ」

せっかく時間をかけて取材・分析した記事を書いても、読者にとってどうしてこの記事が大切なのか、必要なのか、ということをはっきりさせないと、その価値が半減してしまう、ということらしい。

例えば、 記者が労力をかけて政治家や官僚などの腐敗などを暴いたとしよう。しかしこの腐敗のために読者である市民のみなさんがこれこれこういう風に損害を被っているのですよ、というところまで掘り下げていかないと、結局は「so, what?」で終わってしまう、ということだ。

この話を聞いて、「まさにそのとおり!」僕は思わず大きく相づちをうってしまった。これは僕が文章を書くときにいつも苦労するところなのだが、うまく言葉で言い表してくれた、と思ったからだ。

イラクやリベリアをはじめ、海外で起こっている惨状のことを、いかに日本の人々に伝える事ができるか。。。これは僕が日本の媒体に記事を寄稿するときにいつも直面する課題でもある。

いくら戦争や貧困などの現状を切実に訴えても、日本人にとっては所詮は遠い国の話、自分の日常の生活とは関係がない。せっかく記事を読んでもらっても、結局は「so, what?」で終わってしまう事が多いのではと思う。

だからできるだけ読者である日本人の生活と関連するポイントを記事の中に織り込まなくては、と頭を悩ますのだが、それでもどうしても接点がみつからないこともある。日本と比較的繋がりの濃いアジア諸国のことならまだしも、遠いアフリカなどのことになると、一般的な日本人に真剣に記事を読んでもらう事はいっそう難しくなるのだ。

最近あまりそういう記事を書いていなかったので、いいことを思い出させてもらった。

「so, what?」の自問、忘れないようにしたい。




駄文

2008-10-07 12:04:22 | 報道写真考・たわ言
ブログの更新しなきゃなあ、などと思いながらも、なかなか気分が乗らない。最近ずっと仕事がらみで長い文章を書いているので、そのうえブログでまた文を書く気になれないのだ。根が筆無精だからつらい。

それに加えて、なにか書くにしても思いつくのはみな愚痴ばかり。。。トリビューンの新デザイン(今月から紙面が一新された)の吐き気をもよおすほどのひどさや、相変わらずつまらぬ撮影が多い事など。こんなことを書いても自分の気が晴れる訳でもなし、読む人もつまらないだろうと考えていたら、さらに筆が遠のいていってしまった。

実際いいことといえば、今週気候が持ち直してまた少し暖かくなったくらいだ。

今年もあと3ヶ月をきった。リベリアに自費で戻った以外、ろくな取材ができていないと、少し焦っている。ひょっとしたら今月末からちょっと面白い仕事がはいりそうなので、それに期待。。。

なにも内容の無い駄文で失礼。


紛争地の取材

2008-08-29 08:41:38 | 報道写真考・たわ言
数日前に友人のカメラマンQさんがグルジアから戻ってきた。
(しかし日本ではどうしてグルジアと表記するのだろうか?地名はGeorgiaで、西洋ではそのままジョージアとよんでいるんだけれど。。。)

知っての通り3週間ほど前からロシアがグルジアに侵攻し、戦争状態(といってもロシアがほぼ一方的に侵略したようなものだ)になったので、その取材のためだ。

ニューヨークに帰ってきた彼と電話で話すと、現場に入るのも遅かったし思ったようには撮れなかった、と少々残念がっていたが、何よりも金がかかったようで、撮れる写真との割が合わないとぼやいていた。

飛行機代だけで3000ドル近くかかり、現場に着いてからもドライバーやホテル代で一日300ドル。(その他食費や雑費もかかる)他のカメラマンと経費を折半したのでなんとかなったとQさんは言うが、これでは一人だったらアサインメント抜きではとてもやっていけない。

紛争地の取材はもともと金がかかる。地元のドライバーや通訳たちも、自らの危険を冒して仕事をするわけだから、そうそう安い額では納得しない。悪い事にCNNやABCなどの大手テレビ・ネットワークが、金に糸目を付けずにそういう現地人をどんどん雇うので、それがさらに相場を引き上げる事になる。

また、ドルが弱くなったのもアメリカ在住の僕らには痛いところだ。ヨーロッパ圏では特に厳しい思いをすることになるが、Qさんの話では、ドライバーによっては一日200ユーロを要求してくる輩もいたらしい。

いずれにしても、こういう状況では、フリーランサーにとって、雑誌や新聞社から経費を保証されたアサインメントがはいっていない限り黒字をだすのは難しい。

今回も、僕も行きたいのはやまやまだった。今年は全然紛争地帯に取材に入っていないし、欲求不満がたまっている。しかし、不景気のトリビューンからアサインメントをとれないのはわかっていたし、仮に休暇をつかって自費でいったとしても、エージェントの後ろ盾のない僕が写真を売る事などほとんど不可能。少なくとも3~4000ドルは赤字になるのはわかっていたし、残念ながらこれはとても手の出せる取材ではなかった。だいたい今年4月に自腹を切ったリベリア取材の元さえまだとれていないのだ。

こう考えると、トリビューンがほぼ崩壊状態になってしまった現在、国際取材に関してはスタッフである僕もフリーランサーとほとんど変わりはない。しかし写真を自由に売れないだけ、こちらのほうがフリーでやるより条件は悪いといえる。

いずれにしても、僕らとっては厳しい時勢になった。





青空色の滝

2008-08-11 14:38:05 | 報道写真考・たわ言
久しぶりに仕事を離れて10日ほど休暇をとって息抜きをしてきた。

はじめの5日間はアリゾナでキャンプ、その後はニューヨークへ。

いまシカゴに戻る便を待ってラガーディア空港でこれを書いているのだが、天候が悪くもう6時間もここで足止めを食っている。

アリゾナでは、グランドキャニオン近くのネイティブ・インディアン居住区までテントを担いで訪れたのだが、ここではこれまで見た中でも最も美しい滝で泳ぐことができた。

ハバスパイ族の居住地にあるこの滝の水の色はまるで青空のようなミルキーブルー。冷たく、寒がりの僕には身体を入れるにはちょっと度胸がいったが、その水はまるでそのまま飲んでしまいたくなるように透き通っていた。滝壺の青色は水に含まれる石灰のためだという。

3日分の食料を含めた重いバックパックを背負っての5時間ハイクは、こんなキャンピングに慣れていない身体にはこたえたが、この滝を一目見たときにそんな疲れは吹っ飛んだ。

写真の事などあまり考えず、久しぶりに自然を満喫した数日間を過ごせたのだが、一つ残念だったのは、かなりの奥地に入ってもペットボトルなどのゴミが目についたこと。

はじめは心ない観光客が捨てていったものだと腹をたてていたのだが、どうもそういう外部の人間達だけのせいではないらしい。

ゴミの件に限っていえば、地元のインディアン達のモラルもあまり見上げたものではないようだ。村の中でも、地元の子供達がお菓子を食べた後に包装紙などを放っていったりするのを何度か見たし、中庭がまるで竜巻がきた後のようにゴミで散らかっている家も数件あった。

取材でいった訳ではないので特に調べた訳ではないけれど、この先住民コミュニティーが主な収入源として僕らのような観光客に頼っているのは明らかだ。それならばなおさらこういう環境には気を使ってしかるべきだと思うのだが、そういう配慮はあまり感じられなかった。

まあ彼らにしてみれば、観光客を受け入れなければ生き延びる事ができないので仕方なくやっている事かもしれないし、本心では外部の人間がこの土地にやってくる事を快く思っているかはわからない。

ヨーロッパからの入植者たちが先住民から土地を強奪して建国したここアメリカ。その政府の先住民政策のひずみがこんなところにも現れているのかもしれないと思うと少々複雑な気分にはなったけれど、そういう政治的なこととは別にこの土地の美しさ(この土地にはハバスパイ滝を含めて3つの滝があるがそのすべてが素晴らしい)は一見の価値ありだと思う。キャンプやハイキング好きの人にはお勧めです。













キリング・フィールドのおっちゃん

2008-07-20 10:47:57 | 報道写真考・たわ言
先日DVDで、映画「キリング・フィールド」(The Killing Fields)をみた。

クメール・ルージュによる大虐殺のおこった1975年のカンボジアを舞台にした映画だが、封切られたのが80年代半ばだから、もう一昔も前になる。実在したニューヨークタイムスの特派員記者と、現地のアシスタントの交流を描いたこの映画は、以前からずっと観たいと思っていたのだが、これまで機会に恵まれなかった。

それがある出来事がきっかけで、DVDを購入する羽目に。。。

その出来事とは、映画の主人公の一人でもあったカンボジア人ジャーナリスト、ディス・プランの死だった。

幾度も死線をさまよいながら、ポル・ポト派の虐殺を生き延び、戦後アメリカに渡りニューヨーク・タイムスのカメラマンとして働いてきたプランは、今年3月にガンで他界した。

彼の存在やキリング・フィールドのことは知識として知っていたので、数ヶ月前にラジオで彼の死のニュースを聞いたときも、「ああ、また歴史の証人がひとり亡くなってしまったのだな。。。」とある種感慨深い思いをしたのを憶えている。

それからしばらくたって、購読している全米報道写真家協会の月刊誌が自宅に届いた。もちろん、数ページを割いて亡くなったプランの紹介がなされていたのだが、ページをめくり掲載されていたプランの写真をみて僕は思わず息をのんだ。

「あのおっちゃんじゃないか!!」

僕はなんと以前彼と現場で出会っていたのだ。前述したように、僕はプランというジャーナリストの存在は知っていたけれど、彼の名前や容姿まではこのときまで知らなかったのだ。

7年前、9・11テロのおこったその日に僕はボストンからニューヨーク入りしたが、マンハッタンの消防署で撮影をしているとき、ひとりの年配のアジア人のカメラマンと出くわした。お互い挨拶し、二言三言言葉を交わしただけでその内容は覚えていないが、人当たりが良くて気さくなおっちゃんだったことは印象に残っている。あのときの取材では混乱の中、かなりの数のカメラマンたちと出会ったので、このおっちゃんのこともあまり気に留めることもなく、そのうち忘れてしまっていた。

しかしこの日、僕は月刊誌のページの写真のなかのおっちゃんと再会した。

紙面に記された彼と記者シドニーとの交流の様子を読み、そして掲載された彼の写真をみながら、どうにも涙がとまらなくなった。そして同時に、どうしようもない後悔の念が心を圧迫してきた。

「あのおっちゃんがプランだと知っていたなら。。。」

いろいろ聞きたいこともあった。なんせ、ポル・ポト派の虐殺を生き延びるなどという想像を超えた経験をしてきた人間と、そうそう巡り会える機会などない。それもニューヨークという土地で、そしてカメラマンという同業者としてだ。

ニューヨークで自己紹介をしたときに、彼の名前を聞いても反応しなかった僕に対して、プランはどう思ったのだろう?「この無知な若造め、キリング・フィールドのこと知らないな」と思ったか、それとも「俺のこと知らないようだし、いろいろ質問されずに気楽に話ができる。。。」と安堵したか、いまでは知る由もない。

映画を観ながら、あらためてプランのかいくぐってきた至難を知るにつれ、彼ときちんと話をしなかったことが一層悔やまれた。

しかし、ほんの数分の間でも、彼の温かくて気さくな人柄に直に触れることができたことに感謝すべきか、とも思っている。




「真似る」写真

2008-03-05 03:03:53 | 報道写真考・たわ言
コメント欄で、Qサカマキさんと僕の写真のいくつかが酷似しており、どちらかが「真似ている」と糾弾されているようだ。別に僕にとってはこんなことはどうでもいいことなのだが、興味がある人もいるだろうから、一応撮影の現場の状況を説明しておきたい。

コメントの返事にも書いたように、紛争地の現場ではカメラマン2-3人がチームになって取材をすることは少なくない。これは、単独行動をするよりも、暴徒に襲われる確立を減らすことができるし、いざというときにお互い助け合うことができるからだ。また、取材にかかる経費が保障されていないフリーランスのカメラマンであれば、ドライバーや通訳を共有することにより、経費を折半できる利点もある。

ちょっとニュース価値の大きな現場になると、国内外から大勢のカメラマンが集まってくる。アメリカから距離の近いハイチなどそのいい例で、2004年の暴動のときなど、市内のホテルはみなジャーナリストで一杯になっている状態だった。

ハイチの首都ポルトープランスなど、それほど大きな町ではない、暴動やデモがおこれば、何十人ものカメラマンたちは自然とみな鉢合わせになるわけだ。暴動の中で、誰かが派手な行動にでたりすると、その人間を撮ろうをカメラマンがワッとその被写体に集まってくる。みな一番いいアングルで撮るために必死なので、お互い肘を使っての押し合いへし合いになることも珍しくない。カメラマン同士の視点が似ていて、同じアングルを狙おうとすれば、それはなおさらのことだ。

これが例えば死体が路上に横たわっているような、同じ状況がある程度一定して続くような場面であれば(死体が動き出して位置が変わるということはないので)、一人のカメラマンが撮ったあとにその場所を譲って他のカメラマンに撮らせる、ということもあるのだが、緊迫した暴動などではそうはいかない。そのときの「一瞬」を撮らなければ、もうその場面はやってこない。

僕はハイチとリベリアでQさんとチームを組んで行動していた。Qさんとは1992年にハイチで知り合ってから、もう15年以上の付き合いになる。お互い経験のあるカメラマン同士で信頼できるし、僕は新聞社、彼はマガジンがクライアントなので、競争の心配もそれほどない。しかし、同業である以上、やはり現場での被写体に対する視点とかアングルが似ることは避けられない。特に被写体がひとつしかないときは、Qさんとさえも押し合いのバトルになることもある。ハイチで撮った写真の多くは、僕とQさん以外にも、他のカメラマンたちが大勢いたので、同じ被写体を撮った似たような写真がいくつも存在するはずだ。今回の場合、たまたま僕らは日本人で日本の媒体で写真を発表したから、僕ら2人の写真が比べられたに過ぎない。

僕は残念ながら取材に行くことができなかったが、2年前のイスラエルのレバノン侵攻のときも、多数のカメラマンが押し寄せ、ニューヨーク・タイムズやLAタイムス、AP通信などを含めて、撮ったカメラマンは違うのに同じような写真がいたるところで掲載されていたが、こんなことは、大きなニュースであればあるほど避けられないことなのだ。

以上がハイチに関する写真についての現場からの説明だが、写真を「真似る」ということについてさらに言及しておこう。

日常の現場でも、他のカメラマンが撮っているアングルをみて、ああ面白いな、とその撮り方を「真似て」撮ることは時々あることだ。これは僕自身にも経験があるし、特に学生のころや駆け出しの頃は、そうやって他のカメラマンから学んでいくことになる。やはり僕も自分独自の写真を撮りたいという気持ちは持っているので、そう頻繁にあることではないが、今でも時にはそのように他人の撮り方を「真似る」こともあるし、逆に僕の撮り方をみて、他のカメラマンが同じ角度に寄ってくることもある。

こういう撮り方がきらいなら、それを批判することは読者の自由だし、僕にはどうでもいいことだ。ただ、仮に同じ現場で誰かが他のカメラマンの写真の撮り方を「真似た」からといって、虚構の場面をつくりあげる「やらせ」などとは違って報道の本質に関わることでもないし、特に目くじらをたてるほどのこともないのにとは思うのだけれど。。。










記事の商品価値

2008-02-08 10:36:09 | 報道写真考・たわ言
またまた書き込んでいただいたコメントからブログのネタをいただいたようで恐縮だけれど、テレビの視聴率に関するコメントには非常に共感するものがあったので、僕なりの意見を書いてみたいと思う。

この点についてはテレビに限らず新聞も全く同じで、購読数、そしてウェブページならクリック数で、その記事の「商品価値」が決められてしまうようなところがある。

洗剤や車などを売るような一般企業と違い、報道に関わる新聞社には、情報を売って利潤を生む以外に、読者に知識を与え「教育」することによって社会を改善していこうというジャーナリズムの重要な役割があるはずだ。

その使命と経営上の利益とのバランスがとれていればいいのだが、経営陣が変わったりして利益だけを求めるようになると新聞社もおかしなことになっていく。コメントでも述べられているように、購読率をあげようとして「読者が求めるもの」を選んで報道するようになると、それはだんだんとジャーナリズムの使命から離れ、確実に記事の質の低下につながっていくからだ。

ウェブサイトのクリック数を調べるとよくわかるが、読者がクリックするのは芸能関係と動物関係がやたら多い。たしかにこの分野は世界情勢やその他の硬いニュースよりも一般受けするし、クリック数が多いのも納得できる。

このクリック数というのが曲者で、結構重要な役割を果たしているのだ。営業マンが紙面への広告をとるときに、「これだけクリックされているから広告の効果は期待できますよ。。。」というような売込みができるから、クリック数が多ければ多いほど、価値の高いページということになる。

しかし、だからといってこんなクリック数だけを基準にして芸能とか動物ものを記事のなかにあえて増やしたり、ウェブサイトのフロントページに持ってくるとしたら、紙面はどうなってしまうか?本来のジャーナリズムとはかけ離れた、単なる娯楽紙と成り果ててしまうだろう。

トリビューンの紙面では、昨年、フロントページに続いて2番目にあった国際情勢(World)のページが、国内情勢 (Nation)と入れ替えられて3番目にきてしまった。国際情勢は、国内のことに比べて「読者の関心が薄い」という判断によるものだが、アメリカ人はもっと世界のことを知ったほうがいいんじゃないか、と思っている僕にとっては全く納得のいかない紙面変更だった。本来なら、「読者の関心が薄い」からこそ、読者の興味や知識を高められるようにもっと力を入れて報道すべきだと思うからだ。

。。。とまあいろいろ御託を並べてしまったが、新聞社といえども所詮は企業。広告収入を経営の源のひとつとしている以上、独立したジャーナリズム機関となることは不可能だし、ましてやそこから給料をもらっているサラリーマン・カメラマンである僕が新聞のあり方を愚痴ってもあまり説得力がないな、という気もしているのだけれど。。。

「断片」に過ぎない写真

2008-02-04 07:45:38 | 報道写真考・たわ言
前回のブログで、写真の捏造についてや、天気を撮る仕事で同じ苦労をされている同業の方からのコメントがあったので、写真という媒体について、僕らの日常の仕事に絡めてちょっと書いてみようと思う。

まず、写真というのはそもそもそこに存在するすべてのものを表せるものではなく、眼の前の光景の一部をフレームに入る範囲で切り取って写しているに過ぎない。だから、そこには何を見せて何を見せないかというカメラマンの意図が入り込むことになるし、テーマの決まっている撮影の仕事なら、それに一番見合った題材を探してそこに意図的に焦点をあてることになる。

天気状況を写す場合など、同じシカゴという街の中でも、場所によって雪の積もり方も違えば風の吹き方も違う。雪のニュースにあわせる写真なら、すぐに除雪車で雪が掃かれてしまう大通りよりも、積もった雪がそのままになっている路地のほうが味のあるものが撮れるかも知れないし、また風のニュースなら建物の関係で突風が起こりやすいスポットにいけば、強風を表現する写真が撮りやすくなる。

だから、その一枚の写真がその瞬間のシカゴという街すべての天気を表現しているわけではないし、それはあくまでも断片的な事象にすぎない。しかし、それもれっきとした現実の気象状況の一部を記録したものである限り、新聞写真としては十分に事足りるわけだ。

ちなみにそれはあくまで提示された「現実」からカメラマンが何を選ぶかという「選択」の問題であって、何もないところから自分の求める光景を偽造する「捏造」とは全く次元の違うものだということははっきり言っておきたい。

注意が必要なのは、この「断片的なこと」を読者が「すべて」だと勘違いしてしまうことだ。だから、僕らは「どこで、だれが、いつ、どこで、どうした」という基本的な写真の説明(キャプション)を可能な限りきちんとつけるし、それによってその写真の「断片性」をはっきりさせることができる。そのあとはもう読者の判断に任せるしかない。

戦場取材を例にとってみても同様なことがいえるだろう。例えばイラクやソマリアなどで報道されているものだけをみていると、まるで国じゅうで戦闘がおこっているかのような錯覚に陥るが、実際に現場に行ってみると意外と人々は普通に日常生活をおくっていたりする。これも僕自身を含めてカメラマンたちが戦争を報道しようという意図をもっているから、撮るものが戦闘や難民など悲惨なものばかりになるわけで、逆に意図と視点を変えれば戦場の中でも平和な光景ばかりを撮ってくることも可能なのだ。

写真というものは所詮、現実の「断片」を切り取るものでしかなく、撮影者が何を訴えたいか、という意図によってその断片も変わってくるということはすでに書いたが、僕ら報道カメラマンたちは切り取るためのその「断片」を探すのに日常の仕事の中で四苦八苦するわけだ。それを求めて2時間3時間と街を歩き回ることもあるし、締め切り時間のある新聞の仕事ではそれが見つからずに、妥協したものしか撮れずふがいない思いをすることも少なくはないのだ。






















大晦日

2007-12-31 22:56:29 | 報道写真考・たわ言
今日で2007年も最後です。日本ではあと1時間ほどで新年、というところでしょうか。僕のほうは大晦日、元旦とはいえいつもと変らず出勤です。まあそれほど忙しくはならないと思いますが。。。

昨日、トリビューンのサンデーマガジンで2007年の国外取材が特集されました。ウェブのほうでも僕を含めたインタビューを交えてビデオが掲載されていますので、興味があればご覧ください。

www.chicagotribune.com/worldphotos2007

今年もこのブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。

新年もみなさんにとって充実した年でありますように。


「傲慢な」ジャーナリストからの回答

2007-09-18 19:45:19 | 報道写真考・たわ言
この文章は本来書き込み欄のコメントに対する返事として書いていたのですが、随分長くなってしまった上に、他にもこの件に関して疑問に感じている方もいるかと思うので、ブログ本文として載せることにしました。

僕の文章や態度が、「傲慢に感じる」としたら、人それぞれ受け止め方があるのでそれは構いません。しかし、記述に対して「大風呂敷を広げている」と非難されるのは別問題で、これはいわば、僕の書いていることが嘘であるとか、大袈裟に事実を婉曲していると言われているのと同じであり、ジャーナリストとしては非常に心外ですので、少し言及しておきたいと思います。

以前から何度も強調しているように、カメラマンという立場もあり、僕はあくまで「現場での視線」というものを最重要視しています。ですから、こうすべきだ、ああすべきだ、という机上の理想論とはどうしてもかみ合わない部分も現実的にはでてくるわけです。

今回の議論のもとになった、「ジャーナリスト(もしくは第三者)が現場に存在していることによって防ぎえる犯罪」についても、確実に存在することは現場に立つ者ならだれでも感覚的にわかることだと思います。ただ、それを証明せよ、といわれても、実際におこらなかったことですから、100パーセントの「事実」として証明できるわけではありません。

**komさんの書いているように、これはあくまで「予防」のことを話しているのであり、たとえば伝染病などの場合、もし病気が蔓延していたら10人が死んだか1万人が死んだかなどと事実として証明できないのと同じだからです。

これをもって、「根拠に乏しい」と思われるのは構いません。しかし、この一例のみで自分が納得いかないことを理由に、僕のブログで書いていること全てに対し「大風呂敷を広げている」と批判されるのはいかがなものか。

ムニースの件にしても、彼が脱走兵であることなど事実としてとうに認定されているからこういう記事を書いているわけであり、ジャーナリストとして裏取りが当然なことなどこの仕事をしている上で重々承知しています。

このようなケースの場合、自ら「自分は脱走兵」であるというムニースの自白をとることだけが裏取りではないでしょう。健康悪化などの緊急事態が起こったわけでもなく、報告もなしに休暇期間が過ぎても部隊に戻らなず、すでに数週間が経っている。さらに実家はすでにもぬけの殻。。。さらに、これはブログには書きませんでしたが、同じ部隊の兵士の証言によれば、ムニースはマイ・スペースというウェブサイトの自分のページに、「こっちでいい生活を送っているよ。もう帰らない」というような書き込みを残していたそうです。(すでにページ自体が削除されている)これだけの事実確認がそろっているのですから、これが僕らにとっては裏とりです。

しかし、えどしんさんは、ムニース本人から自白をとらなくては証拠にはならない、という。もちろんそれができれば越したことはないでしょう。しかし現実的に、これだけの重罪を犯した人間がそうやすやすと見つかると思いますか?仮に見つかったとしても、彼が嘘をつくかもしれない。今回の場合、僕らには、前述したとおりの現実的証拠がそろっており、ある意味これらの事実は彼の自白よりも確固とした証拠ともいえるのです。

公に向かって責任をもって発信しているブログですから、事実確認や裏取りくらいきちんとしなくては書けないことは承知しています。しかし、僕は新聞記事を書いているわけではないので、そういう裏のことまでブログでいちいち説明する必要はないし、そういうテクニカルなことが読者に知ってもらいたいポイントではないのです。

>なるほど、報道の看板を掲げれば、勝手に撮って、勝手に載せられると
>法で保障されている。したがって、報道写真は撮られる側への配慮は
>不要。高橋さんはそういう考えであると了解しました。

イラク人家庭に対する「撮影に対する同意」の件での上記のコメントですが、これも現場を知らない人がただ正義感を振りかざしてカメラマンを非難しているとしか思えません。

相手とコミュニケーションをとりながら撮り重ねていくドキュメンタリーやフォト・ストーリーと違い、現実的にこのようなニュースの現場では被写体との接触はほとんどありません。次々と変っていく状況に対応していかなくてはならないし、現実的に戦場などで被写体ごとに話をする時間などないのです。極端な場合、時には走りながら撮らなくてはならない時だってあるのですから。確かにそういう意味では冷酷だと思われても仕方がありませんが、僕らの仕事は、ニュースの現場では(前述したように、時間をかけるドキュメンタリーとは違いますから混同しないよう)、目の前でおこっていることをできるだけ忠実に「記録」することなのです。その記録を発信することによって、世間に「現実」に起こっていることを伝える。そういうジャーナリズムの目的が世間で認知されているからこそ、法律でもニュース写真では被写体の了解をとる必要がないと定められているのではないでしょうか。

もちろんこれにも程度の問題がありますから、たとえばダイアナ妃を死に至らしめたパパラッチ・カメラマンのように、有名というだけで必要以上のプライバシーの侵害には同意できませんし、そこにはモラルや自己制御が必要になってきます。しかし、こういう場合とイラクやリベリアの戦場で、被害にあった人々を撮ることとは同じではないでしょう。僕はイラクの家宅捜索などの場合でも、特に女性などから「写真を撮らないでくれ」と頼まれれば僕はまったく撮らないか、顔が写らない様な角度で撮るようにしています。ですから、いちいち了解はとらないけれど、撮らないでくれといわれればよほど必要と思われない限り撮らないようにしている、と解釈してもらって結構です。

えどしんさんがどんな職業でどんなバックグランドをお持ちの方かは知りませんが、「大風呂敷を広げている」などと相手をうそつき呼ばわりする前に、ご自身の狭い価値観や「机上の理想論」を超えた、現場での状況まで想像を広げた現実的議論をお願いしたいと思います。