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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

出発間近

2009-10-05 08:36:12 | 報道写真考・たわ言
インド行きを数日前に控えて、トリビューンの同僚であるナンシーの家に居候になりながらシカゴで雑用を済ませるための数日間を過ごしている。

新聞社を離れてすでに一ヶ月以上、そろそろ懐具合が心配になってきた。銀行に幾ばくかの蓄えはあるものの、ムンバイについてからもしばらく収入はないだろうから、貯金は減っていく一方だ。

地元の人たちの話しによると、どうもアパートを借りるのにも最初に10ヶ月とか1年分まとめて家賃を払わなくてはならないらしい。ムンバイは家賃が高いので、これは痛い。

ガス、水道といった基本的設備から、インターネットの配線取り付けなどといった手続きも、日本やアメリアのようにはスムーズにいかないようだ。まあインドだからそれなりの覚悟はしているが、ある程度の生活環境が整わないと取材にもでられないので、できることなら余計な面倒は避けたいなあ。

まあなるようになるんだろうけど。。。

これから英語と日本語の両方で写真を主にしたインド報告ブログのようなものもやっていきたいので、どういうかたちがいいか思案中だ。

(写真:ソファーで宿題をするムス。本文とは関係なくて失礼)

ボストンへ

2009-09-26 13:31:47 | 報道写真考・たわ言
3日半のニューヨーク滞在を終え、いまボストンに向かうバスの中。

グレイハウンドのような米国の長距離バスに乗るのはもう何年ぶりだろう。最近まで知らなかったのだが、値段の安さと便利さで最近人気のボルト・バスというのに乗ってみた。車内には電源プラグやワイヤレス・ネットワークも装備されている。ボストン在住の頃はニューヨーク行きにはアムトラック(鉄道)を利用していたのだが、その運賃も今では100ドルほどになってしまった。対するボルトバスは19ドル。新聞社を辞めてフリーになったこの身、こんなところでもしっかり節約せねばならないのだ。だけどなにかワイヤレスの調子が悪いようで、ネットへの接続がとぎれとぎれ。まあこういういい加減なところはアメリカらしいんだけれど。。。

ニューヨーク滞在中はぎっちりアポをいれて、3日間で12の雑誌編集者とフォトエージェンシーと会ってきた。時間があればもっと多くをまわりたかったところだが、タイムやニューズウィークをはじめとした大手はカバーできたのでまあよしとしよう。

手応えはまずまずといったところか。。。10分で簡単に話しを切り上げられたところから1時間以上じっくりつき合ってくれた人までそれぞれだったが、編集者たちと話す事は僕としてはいい勉強になったし、何より僕の顔と作品を知ってもらった事でインドに移ってからのやりとりが楽になる。これからあとは自分の作品と売り込み方次第。写真の良し悪しに関わらず定期的に給料が振り込まれてきた新聞社のスタッフ時代と違って、手を抜けばそれがもろに自分に跳ね返ってくる厳しいフリーの世界だ。これまでとは違った心構えでやっていかないと餓えるなあ。。。

シカゴに移ってから5年以上、一度もボストンに戻る機会がなかったが、今夜久々に元の同僚や旧友たちと会えるのが楽しみだ。





ニューヨークでの顔つなぎ

2009-09-23 02:24:10 | 報道写真考・たわ言
日本で2週間ほど怒濤のような日々を過ごし、昨夜シカゴへ戻ってきたのもつかの間、朝7時の便でニューヨークへやってきた。

東京での1週間を営業、というかネットワーキングのために費やしてきたが、この先数日はニューヨークだ。これからフリーでやっていくために必要な、編集者たちへの「顔見せ」である。タイム・マガジンをはじめとしたニュース雑誌からフォト・エージェンシーに至るまで、なるべく多くの編集者たちと顔つなぎをしておかなければならない。インドに行ってからの仕事にすぐに直結するかはともかく、これからフリーランスとして生き延びていくために必要なプロセスだ。

今朝も時差ぼけで午前3時過ぎに目が覚めてしまい、なんだか頭もすっきりしない状態だけれど、そんなことは言ってられない。

これからまず最初のアポ先であるビジネス・ウィークの編集者に会いにいってくる。

引っ越し準備

2009-08-28 05:11:19 | 報道写真考・たわ言
前回のブログに対して、いろいろと励ましのコメントをいただきました。どうもありがとうございます。

昨日、5年前シカゴに移ってきてからずっと住んできたアパートを引き払った。いまはトリビューンのカメラマンの友人宅に居候中だ。

船でインドへ送ってしまうものと自分で運ぶものとの仕分けに結構時間がかかって、引っ越し前数日はずっと睡眠不足。昨夜ようやく7時間ほど寝ることができた。

会社を辞めてフリーになるのも結構金がかかるとあらためて実感。これまで使ってきたカメラやパソコンなどはみな新聞社のものなので、辞職と同時にすべて社に返却せねばならず、先週なんとか最小限の機材を自費で買いそろえた。その上、機材にかける保険金もばかにならない。特に紛争地などへいくことにもなる僕のような場合は余計に保険金も上乗せされるし、これまではカメラやレンズの具合が悪くなっても、社で代わりのものと交換すれば済んだものが、これからは修理代や修理にかかる時間のことも考慮しなくてはならないのだ。

まあそんなことは覚悟の上だったし、車を売った金で、購入した機材代も随分まかなえたので助かった。

やはり少しばかり寂しいのは友人との別れ、かな。

シカゴで過ごした5年の間に、少数とはいえいい友人に巡り会う事ができた。特に親しくつき合ってきたトリビューンのカメラマン仲間数人や、日本人のカラオケ仲間たちと日常的に会えなくなるのが残念だ。

それでもカメラマン達に関しては、お互いこんな仕事をしている「身軽な」仲間たちだ。そう遠くない将来また会うことになるんじゃないか、とは思っているのだけれど。





あらたなチャレンジ

2009-08-22 13:19:43 | 報道写真考・たわ言
昨日、トリビューンのスタッフ・フォトグラファーとして最後の日を勤めてきた。

機が熟した、とでも言うべきか、これからインドに拠点を移しフリーとしてやっていくことに決めてボスに通知したのが2週間前。

紛争地をはじめ、多くの取材のチャンスを与えてもらったトリビューンでの5年間は、カメラマンとしての僕のキャリアに実に有意義なものだったと思う。

最後の日ということで、ボスがケーキを注文し、オフィスを去る時に写真部のみなが拍手で見送ってくれた。これまでのリストラで、挨拶さえもできずに社を去って行った同僚たちのことを考えると、少し複雑な気分。

ボストン・ヘラルド時代から数えて14年間を新聞社のカメラマンとしてやってきた。この歳でフリーとして出直すのはかなりきついと思うけど、もうやるしかないな。

いろいろと準備をすませてから引っ越しは来月末あたりを考えている。

腎臓結石

2009-07-22 13:58:42 | 報道写真考・たわ言
数時間前、一ヶ月ぶりにシカゴに戻ってきた。

3週間のベトナム取材を終えてから、メルボルンに住んでいる僕の従姉妹一家を訪ねる機会も兼ねてオーストラリアで数日を過ごしてきたのだが、なんとそこで腎臓結石になってしまった。

何の予兆もなくいきなり腹部の激痛に襲われ、床に臥せったまま立ち上がる事もできなくなった。幸い知人の家を訪れている時だったので、そこから病院に運んでもらい一夜を過ごす事に。

腎臓結石は相当痛い、と聞いていたので、できれば生きているうちはご免被りたいものだと思っていたのだが、どうやらそんな願いは天に聞き入れてもらえなかったようだ。右腹の痛みだったので、はじめは盲腸が破裂でもしたかと思い、病院に向かう車の中で、「俺もここまでか。。。」などと縁起でもない思いも脳裏をよぎったが、その半端ではない痛みはこれまで経験したなかで最悪だったんじゃないかと思う。

一旦痛みが襲ってくるともう横になってうんうんと唸ることしかできなくなるのだが、病院では強力なモルヒネを射ってもらいなんとか痛みをしのぐ事ができた。このモルヒネだが、あとで医療関係の人と話したところ、日本では病院でも使用が認められていないらしい。

確かにモルヒネというと日本人の感覚では「麻薬」というイメージが強いので、僕も実際に痛み止めとして射ってもらっているときも、このまま中毒になってしまうのでは、などと頭の片隅で少し心配してしまったが、西洋の病院では普通に使われているようだ。

ところでこのモルヒネの語源が、ギリシャ神話に登場する夢の神モルフィスだということを今回初めて知った。痛みを鎮め夢心地にするその効用から、この夢の神にちなんで名付けられたらしい。確かにこの夢の神の薬のおかげで、激痛に襲われてもすぐに微睡んでよく眠る事ができたなあ。

腎臓結石とモルヒネ。。。初めて訪れたオーストラリアでの、忘れられない思い出になりそうだ。

ガス無し生活近況

2009-05-14 10:45:46 | 報道写真考・たわ言
今年の春はどうもすっきりしない。

夏のような暖かさが訪れて、「ああ、ようやく来たか」と喜んでいると、また急に10度以下まで冷え込んだりする。今日も朝からずっと雨で気の滅入る一日だった。

ガス無し生活ももうかれこれ3週間になった。

コメントのなかで「イラク従軍とどっちが辛いですか?」という質問があったが、面白い事に、 同じような事を同僚などからも言われたりする。「イラクの砂漠に比べればましだろう」などと、人ごとだと思って気楽なもんだ、とも思うが、それでも正直なところこんな生活にも徐々に慣れてきた。まあ慣れなくてはやっていけないから仕方がないのだけれど。

シャワーは、トリビューンのジムに行ける時はそこで浴びてくる。ジムに寄る時間のない時は、かけ声をあげながら冷水を浴びるか、あまりに気温が低くて身の危険を感じる時はベイビーワイプで身体を拭くだけ。

料理のほうは、電気卓上コンロを持っているので、なんとかそれで間に合わせる。ひとつしか熱源がないため2つ以上同時に煮たり焼いたりできないのが難点だが、要領よくやればまあなんとかなるものだ。

どういう了見か知らないが、大家はもうガス代を払うつもりはないようで、復旧の見通しは全くない。しかし引っ越すのもそう簡単ではないし、金もかかる。ひょっとしたらこうやって住人を追い出すのが大家の魂胆かも知れないし、そうだとしたらすごすごと出て行くのも癪に触る。

そういうわけで、もう長期戦だ、と、あと数ヶ月はこのまま粘ろうと覚悟を決めた。まずは弁護士を雇い、合法的に家賃不払いの手続きを済ませたので、もう家賃は払わなくていい。2、3ヶ月このまま住めば電気代を差し引いても結構金が浮く事になる。そう考えると多少は不便でも割はいいな、などと貧乏根性が顔を出してくる。

しかし、ひとつだけ心配な事があるのだ。

この大家、水道代は滞納してないだろうな。。。。?


敬遠される記事

2009-05-10 09:50:54 | 報道写真考・たわ言
最近日本の雑誌への写真売り込みがきつくなってるなあ、と、どこにも掲載のチャンスをもらえない写真記事を抱えながら閉口していたのだが、先日ある雑誌の写真担当者とこの話題についてメールのやりとりをする機会があった。

以下のような彼の言葉を読んで、やっぱりそうか、と、半ばわかっていた事とはいえ悲しいような気持ちになる。

「日本の雑誌メディアの場合、『売れるか、売れないか』というのがネタ選びの大前提にあります。最近は特にその傾向が強まってきていて。。。(中略)。。。社会問題、特に海外の話題、民族や宗教がらみの紛争、環境問題などは『売れない』ネタとして敬遠されがちです」

まあこういう傾向は今に始まった事ではなく、社会問題のような「硬い」記事は、それで雑誌の売り上げが伸びるなどの採算の合うネタではないのでもともとあまり歓迎されるものではない。いわば金勘定よりも、「この問題は人々にとって大事なことだ」とか「国民に考えてもらう必要がある」とかいった、記事の社会的意義を理解する編集者たちの「良心」や「メディアに関わる人間としての責任感」とかによって、掲載が決まるようなものだろう。

だから、最近になって「硬い」記事がいっそう掲載されにくくなったのは、こういうこときちんと考える骨のある編集者が減ってしまったのか、それともまともな編集者がいても、営利主義の上部からの圧力が強くなって思うように記事を選ぶことができなくなったか、ということなんだろうかと思う。

この写真担当者のメールには、こんなことも書かれてあった。

「。。。いわゆる『社会派』ネタも載せますが、割合としては減ってしまいました。。。(中略)。。。『くだらない・ユルい』ネタをありがたがって載せています。たとえばオバマ。就任してしまったとたん、日本では政策面での報道はほとんどありません。あるのは夫人のファッション、そして「犬」ですから。クライスラー、GMがどうなろうと日本人は興味がないんですね。世界の経済はつながっているといいうことが見えていないんですよ」

別に僕は「軽い」ネタを否定している訳ではない。自分だっていつも硬いドキュメンタリーものばかり読んでいる訳ではないし、女の子のグラビアが載っていれば鼻の下のばして見いってしまう。

しかし、そのために伝えられるべき大切なものが犠牲になってはまずいよなあ、と思うのだ。娯楽と社会問題、両方きっちり伝えなくてはいかんでしょう。娯楽ばかりでは、人間腑抜けになってしまうし、考える力も、いざというとき闘う力も失ってしまう。日本人の国際社会に対する認識欠如や社会問題に対する無関心さも、実のところこういった「売れるものしか相手にしない」というメディアの姿勢に大きな責任があるのだと思う。

すこし前にこのブログでも紹介したメキシコからの不法移民マリアナの話だって、根本的には日本で先日おこったカルデロン一家の問題と同じなのだ。そう考えれば、彼女の話を「遠い世界の悲しい話」などと他人事で片付けていられる場合ではないと思うのだけれど。。。

そういえば、以前はこのブログに対する反応も賛否両論もっと多かったのだけれど、いつの頃からか寄せられる意見もめっきり減ってしまったようだ。雑誌に記事が売れなくなってきたように、こういう「硬い」ブログも、だんだん敬遠されるようになってきたかな。。。(苦笑)




金の亡者たち

2009-04-30 10:13:14 | 報道写真考・たわ言
またアパートのガスが止められている。

以前この事態がおこったときにもブログに記したが、以来さらに2度程こういうことが起こっているので、年に一度くらいの割合でガスが止められているということになる。もちろん大家がガス代を滞納しているのが原因だ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/db6720dc248bc3d0da716db7ede87fc6

ガスが止まっていることには日曜日にシカゴに戻ってきたときに気づいたのだが、他のアパートの住人の話では、なんと僕がペンシルバニアに出かけた水曜日に元栓が閉められたという。今日ですでに1週間になるわけだ。

僕らが何度電話をかけても、メールをだしても、大家からはなんの返事もこない。仕方がないのでシカゴ市のサービス・ラインに連絡するが、こちらも役所仕事で時間がかかる。ガス局に電話して、「僕がとりあえずガス代を払ってあとで家賃から差し引くから」と申し出ても、口座が大家名義になっているので、それも不可能だという。

なんだ一体このシステムは?

お湯なし、暖房なし、料理もできない。これが真冬だったらどうなるか?さらに、それも老人や赤ん坊のいる家庭だったら、下手すれば死人が出る可能性だってあるんじゃないか?

それにしても、一体大家はどういうつもりなのだろう。

最近わかったことなのだが、この大家は僕の住むエリアでいくつものビルを所有する不動産屋で、ここ数ヶ月の間にビルの売却で数百万ドルの利益をあげた、とビジネスニュースで紹介されていた。

そんな金持ちなのに、たかが僕らアパートのガス代を滞納か?

この男とは何度か会って話をしたことがあるが、もともと金の事にしか頭にないような嫌な輩だ。

ふと考えてみたが、トリビューンのマネージメントの連中とこの大家はきっと同じ穴の狢に違いない。自分の下で生活している人間のことなど、人とも思っていないのだろう。金がすべてで、自分の生活さえ安泰であれば、従業員を何人解雇しようが、アパートの住人が寒さに凍えようがおかまいなしだ。他人が被る犠牲など考えてみる事もないのだろう。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/9342f5c072668efd17701bd52d8b163b

そういえば先週のトリビューンの大解雇のあと、トップの連中はリストラで浮いた金でヌケヌケと1千4百万ドルのボーナスを申請したそうだ。

ここまでくると、こういう連中は「犯罪者」と呼んでも差し支えないのではないか?なぜこんな馬鹿げたことを法律で規制できないのか?

ああ、腹が立つ。しかしカッカと燃える頭とは裏腹に、部屋は寒い。。。








また解雇!

2009-04-24 21:50:07 | 報道写真考・たわ言
水曜日、フィラデルフィアの空港に着いて携帯のスイッチを入れた途端、トリビューン写真部の同僚からメールがはいってきた。

「写真部から、カメラマン7人を含む12人が解雇。電話くれ。。。」

僕は思わず眼を疑った。

編集部から20パーセント人員削減が発表され、この日にまたあらたな首切りの通達があるのは知っていた。しかし、写真部からはすでに昨年だけで10人以上が切られていたし、今回はダメージは多くても1、2人だろうと高を括っていたのだ。それが、なんと12人も!これでは20パーセントどころか、写真部としては30パーセント以上の大打撃だ。僕らカメラマン達の誰もが予想していなかった大事件だった。

社のオーナー、サム・ゼル、昨年新任してきた編集局長は勿論の事、このあまりに不公平なカットを受け入れた写真部のボスに対しても、僕は非常に頭にきている。だいたいこのボスはもともと自分の保身ばかりしか頭にない人間で、どんな場面でもカメラマンの立場に立ってくれたことは一度もなく、僕らの間からは非常に評判の悪い上司だった。

昨日から僕の携帯には、解雇された記者やカメラマン達から次々と「別れの挨拶」のメールがはいってきている。多くが僕がシカゴに移ってからの5年間、一緒にやってきた仲間たちだ。これが会社勤めの運命、といってしまえばそれまでだが、やはり会社のトップ層が給料カットを含めたなんの犠牲も払わずに、僕ら現場で働く人間たちが簡単に切り捨てられるという不条理には憤りを感じずにはいられない。

本来ならギフトとムスの近況を書きたかったのだが、それはまた後日にまわさねばならなくなった。。。






難しい決断

2009-04-07 01:04:26 | 報道写真考・たわ言
昨日マリアの弟から連絡があった。彼女の具合がまた悪化したらしい。

人の命のことなので、僕の都合の事などつべこべ言っている場合ではないのだが、またタイミングの悪いことになった。

明日からちょうど、春休みでフロリダに遊びにいっているリベリアの少女たちギフトとムスに会いにいく予定だったのだ。

このブログでは書き損じていたかと思うが、結局学生ビザが認められて、ムスは昨年12月にペンシルバニアのジョディのところへやってきた。しかし、ジョディの家庭事情と僕の立て込んだスケジュールのためにこれまでムスに会いにいく機会がなかったのだ。
http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/e/023028b1f4ca2589c109e539a448d7ae

少女たちにはまた会う機会があるだろうし、今回はマリアの取材が優先なのはいうまでもない。しかし、ギフトとの約束を破ることになるうえ、先月のようにマリアがまた立ち直る可能性もあるので僕としてはなかなか決断の難しいところだ。トリビューンとしても、さすがに今度ばかりはこのために1週間も2週間もメキシコに滞在させてはくれないだろう。

とりあえずは今晩ぎりぎりまでマリアの様子をみて決めるしかないか。。。

Mallet Finger

2009-04-01 23:25:04 | 報道写真考・たわ言
指を怪我した、とはいっても実際に怪我をしたのは10日以上前のことなのだが、なかなか治らないので昨日病院を訪れるはめになった。

メキシコで、マリアの子供達とバレーホールをして遊んでいたとき(他の地域はよくわからないが、彼らの村ではバレーとバスケットが人気の娯楽スポーツだ)、おかしな具合に指をくじいたらしい。左手薬指の第一関節が曲がったまま、伸びなくなった。

骨折か、と思ったが、腫れもなければ痛みもない。田舎なのでまともな病院もないし、とりあえずは村の医者の仰せの通り添え木をしてしばらく様子をみていたが、シカゴに戻って1週間経っても相変わらず指は曲がったまま。ちょっと心配になって、気は進まなかったが病院は行く事に。アメリカで病院の救急棟を訪れるのには一大決心がいる。少なくとも2時間、長ければ4-5時間も待たされる覚悟が必要だからだ。

患者が少なかったのが幸いし、それでもやはり受付から2時間近く経ってようやくX線室へ。検査の結果、骨には異常はなかったが、Mallet Fingerという、何やら聞き慣れない怪我だと判明した。ネットで調べてみると、日本では槌指変形と呼ばれており、要するに突き指の極端なものらしい。伸筋腱という、骨と筋肉をつなぐ筋のようなものが切断されるために指が伸びなくなるということだ。

添え木をして固定しておけば4-5週間で治るということなので、結局は村医者の診断と同じだった訳だ。骨折でなくて一応は安心したが、それでも薬指に添え木がしてあると、パソコンのキーをうつのに一苦労。こんな短いブログを書くのにも、やたら時間がかかるし、写真のキャプションをつける作業もスローダウンしてしまう。

毎度の事だが、「失ってみて、はじめて感じる健康の有り難み」という心境かな。。。



報道カメラマンとしての動機

2009-02-03 13:13:31 | 報道写真考・たわ言
前回のブログのコメント欄に、僕が何のために写真を撮っているのか?という質問があった。これに詳細に答えようと思うと本の1、2章分くらいにはなってしまうので、僕のカメラマンとしての転機にもなった経験を簡単に述べて答えの代わりにさせていただこうと思う。

僕は報道写真家という肩書はつけているものの、どちらかというとジャーナリストとしての使命感よりも、「撮りたい」という自分の好奇心のほうが強いのが正直なところだ。特に自分がまだ駆け出しだった頃などは、単にいい写真を撮りたい、コンテストで受賞したい、認められたいといった、自分のためだけに写真を撮っていたようなもので、ジャーナリストとしての社会貢献の意識など、ほとんど持っていなかったといえる。

しかし、取材を通して、紛争や貧困に苦しむといった、それまでの自分の人生の中で関わりを持った事のないような境遇の人々と接していくうちに、僕の写真に対する姿勢も徐々に変わっていった。決定的だったのは、2003年のリベリア内戦取材だった。

砲弾の破片で頭をぶち抜かれた少年、我が子を殺されその亡骸の横に横たわり赤子のように泣き叫ぶ父親。。。リベリアではそんな悲惨な光景を眼のあたりにする毎日だった。おまけに砲弾で手を引きちぎられた少女を自分の車で病院まで運ぶに至って、こんな無差別の暴力、そしてそれを許す体制に対してそれまで漠然と感じてきた僕の「怒り」は一気に膨らんでいった。

当時リベリア国民が強く望んでいたように、アメリカが少し介入すれば停戦はすぐに可能だったはずだ。しかしブッシュはお茶を濁すだけでなにも行動に移さなかった。平和なアメリカや日本の一般市民たちは遠いリベリアでこんな惨劇が起こっていることなど夢にも思っていない。

撮る者には、「撮る」ことに対する責任がある。

そんな強い思いを抱いたのはそのときだった。 僕には、国外からの仲介が入らない限り、この無意味な殺戮は終わらないと思えた。しかし、国外の人間達はリベリアで起こっている事など、何も知らない。こうして子供達の身体が砲弾で引き裂かれているときも、日本やアメリカでは人々がうまいもの食って楽しい時間を過ごしていることだろう。もしも影響力のあるそんな国の国民達がリベリアの現実を知って抗議の声をあげれば、内戦を止めるいくらかのきっかけにはなるんじゃないか?

ここで写真を撮っている僕らには、それを伝える必要がある。撮るだけではなく、しかるべき手段をつかって、僕らの見た現実を世間に知らしめることに意味があるのだ。これは報道カメラマンとして写真を撮る「権利」などではなく「義務」なのだ。物事を変えるためには、まず現実を「知る」ということが第一歩。それについて「考え」そして「行動する」ことが必要になる。報道カメラマンが担うのは、その第一段階である 「現実を知らせる」という役割だ。

こんなことを頭ではなく身体で気づかされてから、僕の写真に対する姿勢は随分変わっていったと思う。それは紛争現場に限らず、貧困問題など他の社会問題を取材するときも同じことだ。また、取材の結果として、リベリアの少女ギフトがアメリカ人の養子になったり、シカゴの貧困家庭に援助の申し出があったりするなど、写真の力によって被写体に利益をもたらすことができる、という経験ができたこともおおいに励みになった。

とはいえ、僕が特に、「使命感にあふれた志の高いジャーナリスト」に生まれ変わったわけでは全然ない。いまでも賞をとれるような写真が撮りたいとか、認められたいとかいった邪心はもっているし、現場での高揚感に魅かれる気持ちにも変わりはない。僕が以前と違うのは、そういう邪心のうえに「責任感」のようなものがくっついた、ということにすぎない。

それなりの経験をしてきて、ここ数年ようやく報道カメラマンとして地に足がついてきた感じはするし、被写体とも正面からきちんと向き合う事ができるようになったと思う。

結局のところ、イラクやリベリアの子供達や、隅田川のホームレスのおっちゃんたち、シカゴ郊外の低所得者住宅で、生活保護をもらいながら一人で暮らす老婆のような、取材をとおして接してきた人間達にもまれてきたおかげで報道カメラマンとしての今の僕があるのだろうな、とも思っている。

なんだか支離滅裂な文になったような気がしますが、ご容赦を。


流行の写真

2009-01-29 09:08:35 | 報道写真考・たわ言
数日前、写真学校時代からの古い友人とメールのやりとりをしながら、最近流行の写真の風潮に対する思いを吐き出す機会があった。

ここ数年感じていたことなのだが、特にワールド・プレス・フォト(世界報道写真コンテスト)で認められるような作品がやたらアート化、コンセプチュアル化してきているようで、少々ウンザリしている。

一見すると、「何これ?」と思うような写真が入賞作のなかにも少なくない。

アート写真ならこれでもいい。だが、僕らは一応なりともジャーナリストとしての役割も担っている訳で、写真を通してより多くの人にメッセージを伝えることは重要な課題であるはずだ。

写真を「深く読み込むことのできる」一部の人間や、玄人だけがわかるようなそういう写真は、果たしてジャーナリズムの一手段である報道写真としての役割を果たしているのだろうか?

やもすると気取った匂いさえをも発散するそんな写真が増えてきたこと、そしてそういう写真が流行のようにもてはやされていることに、僕はどうも違和感を感じざるをえない。

それとも、歳をとって頭が固くなった僕が、時とともに移り変わる報道写真の形態についていけなくなったというだけの話だろうか?


新年早々。。。

2009-01-12 09:37:40 | 報道写真考・たわ言
明けましておめでとうございます、とはいっても年が明けてすでに11日。例年の如くコンテストの準備やらなにやらで忙しく、またあまり話のネタになるようなものも撮っていなかったので、すっかりブログ更新もさぼってしまった。

今冬のシカゴはやたらと雪が多いのだが、年が明けても何も変わらず毎日のようにグレーな空が広がっている。市内では路上に積もった雪は1日も経たないうちに泥や車の廃液にまみれて黒い固まりに変化してしまい、なんとも見苦しい。

まあ今に始まった事ではないけれど、こういう気候は気が滅入るものだ。

やらなくてはならないことは山のようにあるのだけれど、どうにもエネルギーが湧いてこない。

なんかこういう気候と関係あるのかなー。

などと新年早々甘えているわけにはいかないんだけどね。。。