熊本熊的日常

日常生活についての雑記

三日目

2011年01月20日 | Weblog
今日も2点を販売。友人知人の来訪は4名。

11時の開店からギャラリーに詰めていたが、どうやら来場者がある時間帯というのは昼過ぎから日没くらいまでのようだ。カフェの2階にあるギャラリーなので、友人知人のように端からギャラリー目的で訪れるということでない限り、昼食や喫茶のついでに2階のギャラリーを覗いてみるということになるのだろう。

今日初めてお目にかかったお客様で、小ぶりの茶碗を1点お買い上げ頂いた方は、このカフェの常連で、ご自身も時々手芸品などをギャラリーで販売されているのだという。当然と言えば当然なのかもしれないが、手工芸品に興味のある人は、自身が手工芸品の作り手でもあることが比較的多いのだろう。そこにある種の共通言語が暗黙裡に交わされているのかもしれないし、少なくとも共通感覚的な要素を共有しているということはあると思う。

やはり自分で行動を起こしてみないことには、自分の置かれている環境を認識することはできない。自分が考えていること感じていることを具象化して、それに対してどのような反応があるのか、あるいは無いのか、ある場合にはどのような反応なのか、そうした諸々の材料から自分自身についての一定の認識が得られる。世の中を観察してみれば、単なる欲望と自我との区別がつかない人が多く、また、そういう人が増殖しているように感じられる。欲望だけを抱えてそれを満足させるための行動も意志も無いというのでは、その周囲に人々にとっては我儘で厄介な人にしか映らないだろうし、そうであれば他者との親しい関係など構築できるはずもないだろうから、孤独に陥るのは自然な成り行きなのである。

今日で個展も三日目を迎えたが、訪れる人の半分くらいは友人知人だが、数は多くなくても毎日確実に今までお目にかかったことの無い人達との出会いがある。それは一期一会のようなものでしかないかもしれないし、そこから思わぬ展開があるかもしれない。発展があってもなくても、他者との出会いは自分の世界がほんの少し大きく深くなるような心持がして楽しいものだ。

ところで、昨日、手箒と束子を購入した亀の子束子西尾商店の本社の写真を掲載する。この建物を前にして、しかも入口に「小売します」という札が下がっていたら、とりあえず中に入ってみるというのが自然な人情だろう。