熊本熊的日常

日常生活についての雑記

倫敦塔

2008年12月21日 | Weblog

ロンドンは入場無料で質の高い博物館や美術館がいくつもあってよいと思っていたが、なかには驚くほど高額の入場料を求められるところもある。キュー植物園が13ポンドで、ロンドン塔が16.5ポンドだ。どちらも世界遺産に登録されていて、維持にそれなりの費用がかかるということなのだろう。さらにロンドン塔の場合は、貴金属や宝飾品も収蔵されているので、その保険料も少なくないだろう。

クリスマス前の最後の日曜日は物見遊山で市内を徘徊している奴などいないだろうと思って心躍らせながら出かけたのだが、夏場の観光シーズンほどではないにしても、けっこう人出があるものだ。

漱石は2年間のロンドン留学中に一度だけ、着後間もない冬の日にロンドン塔を訪れたと「倫敦塔」にある。私には漱石が目にしたような幻影は、何一つ見ること能わなかった。見物客が多い所為もあるのだろうが、私の感性が鈍いというのが最大の理由だろう。文豪と称される人と比較してはいけない。少し期待感が強すぎたということもあるかもしれない。その歴史からして、もう少しおどろおどろしい雰囲気があるのかと思っていた。尤も、過去を知らなければ風景から読み取ることのできる情報は薄っぺらなものでしかない。かつてダッハウの強制収容所跡を訪れた時、そこだけ見れば悲劇の跡を感じることはできなかった。抜けるような青空の所為もあったかもしれないが、それだけ今が平和だという現実の所為もあるだろう。人を見るときも同じことが言えるのだろう。ひととなりを判断するのに、あまり深いことは考えずに今の印象から自分に都合のよい情報だけを取り出して勝手に相手のことを決めつけているものだ。それで多くの場合は不都合は無いのだが、付き合いが深まり、相手を理解する努力をすることなく距離感だけが縮まってしまうと様々な違和感に襲われることになる。現在の姿は過去の蓄積の上にあるという当然のことを肝に銘じておかないと期待と現実の差に戸惑うことになる。

ロンドン塔の正式名称はHer Majesty’s Royal Palace and Fortressであり、宮殿兼要塞だ。歴史的には監獄であった時代もあり、囚人としてここに投獄されると生きて出るのは稀であったとされている。多くの人々がここで処刑されおり、その方法は一様ではなかったそうだが、ジェイン・グレイが描かれた絵の影響か、英国の処刑と言えば斬首と思ってしまう。犯罪者や政敵の命を奪うのに、その首を切り落とすというのはどこの文化でもよく見られるものだ。人は首というものに、その根源的な存在の象徴を見るのだろうか。

程度の差ということでしかないが、城のもともとの姿に興味がある人にとっては、ここよりもドーバー城のほうが興味深いかもしれない。世界遺産に登録されているとはいえ、ロンドン塔は現役の宮殿であり、ロンドン屈指の観光地でもあるため、外見は往時の姿でも中身は現代そのものだ。ドーバー城も1995年まで軍事施設として本来の目的のためにつかわれていたが、現在はEnglish Heritage管理下にある文化財で、外も中もなるべく元の姿を維持するように配慮されている。入場客数もロンドン塔とは比較にならないほど少ないであろうし、ドーバーのほうが落ちついて歩くことができると思う。(2008年7月12日付「備忘録 Dover」参照)

テムズ川の対岸から眺める佇まいは「倫敦塔」にもあるように様々の歴史的事件を想起させるのに十分なものだ。中に入ってみたり、遠くから眺めてみたり、歴史のあるものはいくらでも楽しむことができる。


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