熊本熊的日常

日常生活についての雑記

銭形平次

2014年05月27日 | Weblog

貯金箱というわけではないのだが、空き缶に小銭を貯めてある。缶が大きいので満杯になったことはないし、そもそもある程度の重さになると中味が気になって出してしまうのでどれくらい入るものがわからない。ずいぶん前に葉書で申し込んでおいた能の公演の切符が代金の振込用紙と共に昨日送られて来た。給料日から間もないというのに薄給なので金繰りに困ってしまい、缶のなかの小銭で払うことを思いついた。ついでなので、缶の中味を一旦郵便貯金の口座に入金して、振込にその口座を使うことにした。

缶の中味を出してレジ袋の小さいのに入れると、嵩はそれほどでもないが重さはそこそこにある。金属なのだから重いのは当たり前だ。それを持って出勤し、職場近くの郵便局のATMで入金する。ATMには硬貨は一回100枚までと書かれていた。通帳を突っ込んで操作画面の「硬貨」に触れると硬貨投入口の細長い口が開く。一応「硬貨も使えます」ということにはしてあるが、なるべくなら使って欲しくない、というような意志が感じられる機械の造りになっている。そんな細い口を通しても、結局は一旦大きな皿のようなところに落ちるのだから、その細い口の意味がわからない。利用者が硬貨を入金しようという意志を挫くために細い口を設けているとしか思えない。当然、硬貨の投入には時間がかかる。まだ手元の硬貨の投入が終らないうちに、機械が動き出して口が閉じられてしまった。私はただ立ち尽くすだけだ。間もなく「ご利用ありがとうございました」という気持のこもっていない機械音声と共に通帳が吐き出されてきた。100枚まで、とかいいながら57枚で受け取りを終えてしまったので、続けて入金しようとそのまま同じ機械の前に立っていた。なんだか通帳を返した後も不安らしく、操作画面に「もうしばらくおまちください」という表示を出したまま、ガチャガチャと硬貨を数え直しているらしい。数え間違えていたら後から誰かが追いかけてくるのだろうか。数分間後、ようやく受付画面に戻ったところで同じ操作を繰り返したら、今度は13枚で早々と口が閉まった。どうやら機械が「あっ、またこいつだ」と思って、「とっとと帰れ」と言っているらしい。こっちも意地になってきて、ずっとこの機械を相手に硬貨を入れ続けてやろうかと思ったのだが、出勤しないといけない。隣の機械に移動して残りの硬貨を入金した。

硬貨は正しくは「補助貨幣」というらしい。硬貨が補助貨幣なのではなく、主たる貨幣を補助するものを補助貨幣と呼び、多くの場合は硬貨がその役割を担うということのようだ。日本の場合、補助貨幣単位は「銭」と「厘」だが、実体としては硬貨がその役割を果たしているのだそうだ。「補助」なのだからそれを「主」に使うのは本来の目的から外れている。邪険な扱いを受けても文句は言えないのである。スーパーのレジなどで自分の前の人が財布から小銭を出すのにまごついていて、その間に隣のレジで何人もの人が勘定を済ませたりしていると、「今日は厄日かな」などと思ってしまったりする。硬貨というのは決して使い勝手のよいものではないと思うのだが、これがなくならないというのは、やはりないとまずいことがいろいろあるのだろう。あるいは単に習慣のことでしかないのかもしれない。それにしても、硬貨だけでなく貨幣の使い勝手というものはもう少しなんとかならないものかと思わないでもない。

子供の頃、「銭形平次」というテレビドラマがあって、主人公の十手持ちが容疑者確保の際に武器として「寛永通宝」と刻印のある銭を投げつけるのである。お役目大事とはいいながら天下の通用を投げるというのは大胆なことだと思っていたが、今となれば投げつけたい気持がわからないでもない。


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