須賀敦子の著作集を読んでいる。須賀は「良家の子女」と紹介されていることが多いように思う。「良家の子女」とはどのような子女のことを言うのだろうか。
広辞苑によれば「良家」とは「身分のよい家。正しい家柄。だそうだ。身分というものに良いとか悪いがあるものなのか、家柄に正しいも正しくないもあるものなのか知らないが、須賀の著作を読むと、彼女が生まれ育った家庭は、少なくとも社会的に成功し、経済面で不自由が無い、ということのようである。
河出文庫版「著作集」を第1巻から読み始め、今、第2巻目の途中だが、「ミラノ 霧の風景」を読んでいるときには、その文章が紡ぎ出す世界の美しさに感心すると同時に、描かれている時代を見て、著者が止事無き人であることが窺われた。第1巻には主に須賀のミラノの暮らしにまつわる著作が収められている。1950年代から60年代という日本人が海外に渡航すること自体が容易ならざる時に、欧州で暮らしていたというだけでも「良家の子女」らしいことが容易に想像できる。さらに読み進み著者の家庭についての文章に行き当たったときも、著者が文学とか哲学にのめり込む背景とか、「よそ者」という意識を持ちながらもイタリアで生活基盤を築くという選択をする動機のようなものが、なんとなくわかるような気がした。
須賀の家庭は、経済的には何不自由ないどころか、運転手付きのベンツがあったり、父親が愛人を囲っていたりと、恵まれすぎているほどである。1929年生まれで、大学へ進学した上に留学までできるというのは、ただならぬ家庭であることが明白だ。しかし、当時の日本に、そうした教育を受けた女性が活躍できる場が無かったことも事実であろうし、世間のなかにそうした女性の居場所がなかったのではなかろうか。自分自身の居場所を求めれば、必然的に自分の学問の場でもあるフランスやイタリアに渡るしかなかったのだろう。そして、夫君に先立たれ5年ほどで帰国する。結局、ミラノも居場所たりえなかったということだ。だが、夫君存命中の生活はそれなりに充実していたかのような印象を、その著作からは受ける。本当の居場所というものは、物理的な場所ではなく、関係のことなのだろう。居場所を物理的なもの、つまり自分の外部に求めている限り、永久に居場所は得られないということだ。
ところで「良家」だが、取り敢えず経済力と名声を備えていれば「良家」ということなのだろう。金も名誉もあるに越したことはないのだろうが、あったからといって、それだけではどうということもあるまい。
広辞苑によれば「良家」とは「身分のよい家。正しい家柄。だそうだ。身分というものに良いとか悪いがあるものなのか、家柄に正しいも正しくないもあるものなのか知らないが、須賀の著作を読むと、彼女が生まれ育った家庭は、少なくとも社会的に成功し、経済面で不自由が無い、ということのようである。
河出文庫版「著作集」を第1巻から読み始め、今、第2巻目の途中だが、「ミラノ 霧の風景」を読んでいるときには、その文章が紡ぎ出す世界の美しさに感心すると同時に、描かれている時代を見て、著者が止事無き人であることが窺われた。第1巻には主に須賀のミラノの暮らしにまつわる著作が収められている。1950年代から60年代という日本人が海外に渡航すること自体が容易ならざる時に、欧州で暮らしていたというだけでも「良家の子女」らしいことが容易に想像できる。さらに読み進み著者の家庭についての文章に行き当たったときも、著者が文学とか哲学にのめり込む背景とか、「よそ者」という意識を持ちながらもイタリアで生活基盤を築くという選択をする動機のようなものが、なんとなくわかるような気がした。
須賀の家庭は、経済的には何不自由ないどころか、運転手付きのベンツがあったり、父親が愛人を囲っていたりと、恵まれすぎているほどである。1929年生まれで、大学へ進学した上に留学までできるというのは、ただならぬ家庭であることが明白だ。しかし、当時の日本に、そうした教育を受けた女性が活躍できる場が無かったことも事実であろうし、世間のなかにそうした女性の居場所がなかったのではなかろうか。自分自身の居場所を求めれば、必然的に自分の学問の場でもあるフランスやイタリアに渡るしかなかったのだろう。そして、夫君に先立たれ5年ほどで帰国する。結局、ミラノも居場所たりえなかったということだ。だが、夫君存命中の生活はそれなりに充実していたかのような印象を、その著作からは受ける。本当の居場所というものは、物理的な場所ではなく、関係のことなのだろう。居場所を物理的なもの、つまり自分の外部に求めている限り、永久に居場所は得られないということだ。
ところで「良家」だが、取り敢えず経済力と名声を備えていれば「良家」ということなのだろう。金も名誉もあるに越したことはないのだろうが、あったからといって、それだけではどうということもあるまい。