熊本熊的日常

日常生活についての雑記

なんとかノート

2008年06月11日 | Weblog
古い日記を読み返していたら、そこに書かれていた目標のようなことのいくつかが、きちんと実現されていた。いい加減な人生を歩んでいると思っていたが、堅実なところもあるものだと、我ながら妙に感心した。実現していることについての記述に共通していたのは、実現の時期を明記していることだった。手帳で、夢に日付をつけましょう手帳、のような商品があるが、個別具体的な願望というのは、それなりに行動すればかなうものであるようだ。

今年の年賀メールに「2007年は激動の年でしたね」と書いてきた奴がいた。なにかと個人的な事件が多い年というのはある。しかし、それは自分にとっては2001年だったと思う。当然なのだが、災厄は突然やってくる。しかも、不思議と災厄は2つ3つと続くのである。厄年というものがあるが、思い返せば自分にとってはこの年が厄年だったと言えそうだ。それに比べると2007年の「激動」は取るに足らない。そもそも不測の事態というものはひとつもない。以前から続いていたことが計画や予定に従って推移したというだけのことである。

2008年も既に半分が過ぎようとしているが、今のところは、特に問題なく推移している。囚人のような生活というのは想定の範囲内であるし、足腰の故障は自分の年齢を考えれば、あって当然というものだろう。隠遁生活に近いので人間関係の煩わしさもない。「岡目八目」という言葉があるが、自分の生活基盤がある場所から遠く離れることによって、それまではよく見えなかったことが、かえってよく見えてくることもある。以前、今回のロンドンでの生活はミニマリズム実現の試み、というようなことを書いたと思う。現状はまさにその通りだ。小さな不満はいろいろあるが、自分に我というものがある限り、不平不満から完全に解放されるとうことはあり得ない。

ただ、冒頭に書いたように、日記に記した目標が実現されているということには少し驚いた。自分がそんなものを書き記していたということが意外だったし、書いたことが実現されているということがもっと意外だった。言葉には言霊というものがあるという人もいるが、言葉にすることで考えが整理され、行動に移しやすくなるということはあるのだろう。この一ヶ月ほどの間に今年後半のイメージを描くことができたので、そろそろ来年へ向けて、次の手を考えなければならないと思っている。