■11時半にミーディンバスターミナルでⅾフートウのターンバア・マンラン行きのバスを待つ。時間にシー君が添乗員に連絡してくれて駅玄関に迎えに来てくれた。小型のバスに荷物と乗客は僕のほか1人だけ、でもバス停で呼び込みをしていろいろなところで荷物、郵便物を運ぶ。フートウまで100kmくらいでハイウエイで行けば2時間だがこのバスは4じかんかかった。僕が最後の目的地の客で添乗員が電話でシー君に連絡してバス停(このあたりはその辺の店先)で待っていてくれた。代金はそこでシー君が払う。60Kdぐらいのはず。
この辺の農家の家といってもコンクリート3階建て。古いスタイルでも上階はグレコローマンな感じのエンタシス柱のがあってまるで3階は昔の銀行見たい。でもトータルでモン・クメール風なにぎやかな感じのアジア風になっている。配色はこれがまた落ち着きのない黄色と赤のベトナムカラーだったり、が残念だがこれが田舎の平均的な家なのだ。シー君に聞くとやはり彼は日本に行ったときその部屋の小ささにびっくりしたそうだ。そーです。ウサギ小屋と言って、、、。普通日本人にはその自覚がない、、当然だけど、、。
シー君の家は小さい平屋で靴のまま入っていいと言われても皆はだしだったり。50平米ぐらいの居間で、食事や団らん。外の土間でコーンの皮むきをしていたりする。ここに父母と彼ら夫婦と障害のある2人の子の6人が住む。隣の区画にはもっと古くて大きい家、というよりお寺の本堂みたいな感じの家。祖先らしき祭壇があって古い祖父母の写真や家系図が立派に飾られている。祖父は亡くなっているがここに1人住まいの83歳のおばあちゃんにお会いした。とてもかわいいおばあちゃんで人からもらったというグルコサミンの飲み方をきかれ、外箱の日本語説明文を読んであげた。
ここが代々の戸主の屋敷で長男が継ぐ、つまりシー君はこの家を継がなくてはならない。敷地内は灌漑用の魚もいる大きな池があり、バナナ畑がある。バナナは中国に出荷するそうだ。オンタオ(かまどの神)はここでは畑の中にある。道の反対側に田圃がある。陸稲のようだ。3か所に田圃があって人に貸して作ってもらっているようだ。ここでは初めての試みらしいが中古のコンバインを買った人がいて作業訓練をしていた。
3歳の息子ソー君るが入院をすることになったそうで病院に迎えに行く。出生前検査に異常なかったが出生後おかしくなり、常に自傷反射行為がある。自分の手で顔を突こうとするのでいつも手を抑えていないといけない。食べても吐いてしまうので収まるまで病院で点滴しないといけない。夜中にねむれなくて突然なき叫ぶので夫婦で交代に起きなければならない。
6歳兄のダン君はおとなしいがまだ立って歩けない。聞くことはできてもしゃべれない。でも、話しかけるとわずかに目の表情が変わる。
夜、ぼくの歓迎会風の宴が始まり家族の他、妹夫婦、隣家夫婦とその子供たちが集まり、ぼくのおぼつかないベトナム語を酒の肴に、、、楽しく過ごす。
皆が帰ったあと、シー君は僕の勉強を助けてもらい、僕はその晩は近くのホテルにとまった。
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