草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 紅葉狩/龍峰

2021-11-28 | Weblog

      花矢倉展望台より蔵王堂方面を望む



      蔵王堂前の護摩の儀式

      


      東南院の紅葉

先日吉野山へ紅葉狩りに出かけた。桜の頃は何回も来ているが、秋の紅葉は初めて。以前皆で吟行に来たが、もう少し季節は遅かった。今年の紅葉は、団子屋のおばさんによれば暑い季節が長かったためか、桜紅葉も、楓紅葉も色が、残念ながら余り鮮やかでないと。
当日蔵王堂迄来ると、堂の前の広場で年一度の大護摩の儀式が、当日は全国から修験者が集まって盛大に行われていた。護摩の炎と煙が立ち上り、般若経はじめいろいろなお経が上がり、法螺貝の音が合わせていた。
中千本まで移動の途中、吉水神社の紅葉を愛でる。ご存知のように、ここは南朝の後醍醐天皇の皇居となり、義経と静御前の隠れ家となり、秀吉が花見の本陣とした歴史の舞台となった。書院には歴史の跡が残されている。

      大護摩に迎へらるるや紅葉狩
      鐘太鼓に護摩の火盛る冬の空
      冬の日や法螺の音の追ふ般若経
      冬将軍迎へ立ちたり蔵王堂

      南朝の悲願宿るや冬の院
      身をかくす二人の影や古襖
      吉野山もみじ眺めて葛うどん
      吉野建の軒に西日や吊るし柿

宿は江戸時代から続く旅館に一夜をとった。向かいの山に如意輪寺が紅葉に囲まれて見えた。
宿は歴史があることから、当代の主から貴重な宿帳を見せて貰った。明治以降のそうそうたる人物が訪れており、今を時めく渋沢栄一や乃木大将の直筆を目にすることができた。
二日目は奥千本より下千本まで歩き、途中水分(みくまり)神社などに寄り、初冬の紅葉狩りができた。
尚、この神社の本殿は慶長年間に建てられた社で、400年以上の風雪に耐え、鎮まっていた。


      水分神社の本殿

      みよしのや冬の一夜の宿灯り
      宿帳に明治を探す冬の夜
      月冴へて塔仄かなる如意輪寺
      朝焼けの紅葉の峰や露天の湯
      
      紅葉散る奥千本の社影
      慶長の水分社もみじ中
      みよしのの茶屋の一息栗ようかん 
      紅葉散る深きねむりの吉野山
      
      
    
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8 コメント

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お礼 (龍峰)
2021-12-02 23:29:10
たらう 様

10句もの大量の句を取り上げて頂き、いつもの懇切丁寧なコメント頂き有難うございます。
以前12月に入っての吉野への吟行でご一緒しました。その時は冬の吉野を肌で強く感じましたが、今回は紅葉を求めてでした。

吉野山を歩いていて、感じるのは、歩く距離も、見渡す光景も、春は桜、秋は紅葉、そして山岳信仰の日本の中心の一つであり、時々の歴史の舞台となってきて、話題も豊富にあり、ロマンもあり、歴史の痕跡があちこちに残されている、色々な要素が一杯詰まっている山だと云うことです。
幾つものの焦点がぎゅうっと詰まったこの山は、堪能するのに、何べん来ても、実に興味の尽きない山ですね。

大護摩、冬の日の句ーー訪ねた日が大護摩の儀式の日だったことはラッキーでした。全国から修験者が集まっていたとのこと。
吉野と云えば修験者の法螺貝です。仏を呼ぶのでしょうか、般若経と唱和して心地よく耳に届きました。

蔵王堂の句ーー本堂と云い、高さ7mの巨大な御本尊といいい、吉野の冬の厳しさは俺が守るのだと言わんばかりの頼もしさです。単に景色が良くて、お土産屋があるだけでなく、この金峯山寺が吉野をピリッと締めていますね。

南朝の句ーー吉水神社の中の書院で、後醍醐天皇の玉座なども残された部屋を見ていると、大変な歴史の舞台が、目の前に残されている。タイムトリップして思いを馳せます。

身をかくすの句ーー後醍醐天皇の玉座のある書院の隣が二人の隠れ家の部屋。古襖はその部屋の襖です。

冬の一夜、宿帳、朝焼けの句ーー一夜の宿での滞在句です。凡そ修行の心から程遠い俗人ですが、山に包まれて一夜を過ごすと、心が洗われる気分になりますね。

葛うどん、栗ようかんの句ーー小難しい話だけでなく、食い気を満たすことも大事です。
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好きな句鑑賞、他 (かつらたろう(桑本栄太郎))
2021-12-02 16:08:07
龍峰様

今日は!!。
急激な寒波到来の中、吉野へ紅葉狩りとはその若さと行動力には驚きですね?嘗て芒の会にて吉野へ吟行に行った事を、昨日のように
懐かしく想い出しました。彼方此方を見て回り吟行を行いましたが、みぞれ混じりの雪が降りだし、寒さが苦手な小生は困りました。想い出の吉野山です!!。・・
尚「昨日の夜選句の上鑑賞コメントを9時~11時までかかり掛かり、8分まで書き上げましが途中で文字入力のカーソルが作動しなくなり、昨日は諦めて本日となりました。遅くなりました」
さて、佳句・秀句ばかりの御句の中で選句に困りましたが、敢えて下記の句を選ばせて頂きました。

      ☆大護摩に迎へらるるや紅葉狩
      ☆冬の日や法螺の音の追ふ般若経
      ☆冬将軍迎へ立ちたり蔵王堂
吉野金峯山寺は飛鳥の昔、役小角の開基となる密教寺院であったようですね?丁度山伏姿の僧による護摩壇の行事の最中に訪れられたようですね!!。法螺貝を鳴らし、護摩焚き供養の炎と煙のとても勇壮な光景が想われます。あの立派な蔵王堂が懐かしく想い出され、世界遺産登録も最ものようです。この行事が終われば、金峯山寺一体は冬将軍を迎えるようです。ここの広場で、龍峰様の詩吟を聞いた事も想い出しました。     

      ☆南朝の悲願宿るや冬の院
船上山の戦いにおいて幕府側に勝利した後醍醐天皇は、京都に戻り、建武の新政を初めました。その後武士の権威が落ちる事を懸念した足利尊氏との争いとなり、足利尊氏は別の天皇を擁立して争いとなったため、後醍醐天皇は吉野へ逃れ南朝を立てました。吉野に没した後醍醐天皇の陵は、北の京都へ向かって建てられて居り、後醍醐天皇の悲願の思いを見るようです。      

      ☆身をかくす二人の影や古襖
この句は、義経が兄頼朝より一足先に京へ攻め上ったものの、兄と不仲になり疑いを掛けられ、妻の静御前と吉野山へ逃れた時のものですね?吉野吟行の時に見学しました、小さなお堂が想い出されます。      
      
      ☆吉野山もみじ眺めて葛うどん
春の吉野山千本桜の見事な景色とは裏腹に、吉野全山に籠った哀しい歴史もあり、現代となって紅葉を眺めながらの「葛うどん」を頂けば、何やらホッとしますね?吉野ならでは葛入りうどんが好いですね!!。     
      
      ☆みよしのや冬の一夜の宿灯り
      ☆宿帳に明治を探す冬の夜
      ☆朝焼けの紅葉の峰や露天の湯
山深い吉野山の山中にある鄙びた宿が想われます。山気溢れる寒い冬の吉野の宿に止まれば、宿の灯かりさえ淋しそうです。そして、その宿は嘗て島崎藤村も止まったと云う宿のようですね?宿帳を捲る光景が想われます。そして朝焼けの紅葉を眺めながら、露天風呂とは何と贅沢で非日常の事でしょう!!。      

      ☆みよしのの茶屋の一息栗ようかん
「みよしの」とは漢字で書けば「深吉野」ですね?翌日の紅葉狩りの時、茶屋にや立ち寄り栗羊羹を頂き一服ですね!!。 
以上であります。

尚、ここで小生の最近の一句献上です。
      ☆神在りの月の出雲や海荒るる
      ☆鬼貌のたれとも知れず芙蓉枯る
      ☆綿虫の青き翅浮く川辺かな
      
      
      
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お礼 (龍峰)
2021-12-01 20:07:00
九分九厘 様

早々にお目通しを頂き、6句もお取り頂き有難うございます。そして深堀の長文のコメントや独自の解析・分析を頂き本当に有難うございます。

古代より、その時代時代に人々から崇められ、時に山岳信仰の修行の場として、また数々の歴史の舞台として登場したこの山は、今は修験者の場とするほかは、現代の我々は、主に桜を愛でる対象としているようですが、その足跡を訪ねて、先人のそれぞれの胸中に思いをいたすとき、この山が尊く神々しくさえ思えてきます。

冬将軍の句ーー蔵王堂の三体のご本尊や聳える本堂の前に立つと我こそ山を守るぞとの気概が伝わってきます。

南朝の句ーー今回は訪れませんでしたが、如意輪寺の裏手にある後醍醐天皇の陵は、しきたりに反して京の方向を向いて作られている。このことを見ても天皇はじめ当時の人々の気持ちが伝わってきます。

紅葉散る奥千本の句ーーかって詠んだ三千院のあわ雪の拙句と対比してのコメント、光栄の至りです。決してそのような高尚な気持ちでありませんでした。

紅葉散る深きの句ーーなかなかの深読みに感心しております。己の句は、正に表に出れば読み手のものとなるを痛感します。
ゆらぎさんのコメントでも記しましたが、投稿後に  気づきましたことは、本句は季重なりになっているようだと云うことです。「深きねむりの吉野山」は「山眠る」の季語に同じではないかと云うことです。

葛うどん、栗ようかんの句ーー恐れ入りました。学術的なコメントで、新たな人生観の見方を教わりました。駄句を並べる中で肩の凝らない、息抜きの句を詠んだものです。
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好きな句 (九分九厘)
2021-12-01 12:03:29
龍峰さま
 この厳しい季節に吉野紀行とは驚きです。健康・健脚・健啖・勇健・・が、ご夫妻毎日の人生を豊かにされているご様子に拍手です!!
 流石に、吉野吟行の結果まことに多くの句をものにされました。すべての句に物語があって、こうした一体化した紀行文の中から、句を選別して講評を付けるのはやや抵抗感がありますね。
 とは言え、従来の通りの投句の行儀にしたがって、次の六句を選びました。

   冬将軍迎へ立ちたり蔵王堂

 蔵王堂に仁王立ちする青色の三体の像の巨大さは、今もって記憶が新たなものです。堂内で見上げても尊顔が見通せない圧倒的なものでした。これに上五の冬将軍と中七の表現が見事に対応しています。いいですね!この俳句は滅多にお目にかかれない見事なものだと思いました。

   南朝の悲願宿るや冬の院

 南朝にからんで、「冬の院」という簡単で多くを語る言葉を見つけられました。この句が、吉野が現代につないできた日本の歴史の一端を美しく表現しているもの思いました。
          
   紅葉散る奥千本の社影

 龍峰さんが、かつて京都三千院を俳句と油絵で表現されたことを思い出します。三千院は雪でしたが、これが吉野では散る紅葉に変わります。龍峰さんの共通した美意識に思いを寄せました。
     
   紅葉散る深きねむりの吉野山

 表向きでは何処かで見たことのあるような句ですが、深読みすると少し理屈っぽいですが面白い句です。「紅葉散る」の風情は、葉が多くて風が強ければ
小雨のごとく降りしきる景となり、或いは殆ど葉が落ちていて寂しい景である場合など、・・・多様な解釈が成り立つと考えています。この句の場合、既に「吉野山は深い眠り」に入っています。「上五の季語」と「中七+下五」が同義であるとすると、解釈にも多様性が読み手に出てきます。私の解釈は、「寒い風に一斉に紅葉が降りしきっているが、当の吉野山御大は既に深い眠りに入っている。こんな寒い山に、わざわざ散る運命の紅葉を見に来る人間がいるとは!。これは有り難いどうぞ御ゆるりと」となります。

  吉野山もみじ眺めて葛うどん
  みよしのの茶屋の一息栗ようかん

 この二つの句は、寒い吉野での一服感が快い感じで伝わってきます。
「共時的・通時的」と組み合わせる対義語があります。一般的に、東洋人の人生観は「通時的」、西洋人は「共時的」といわれます。この句の特徴は、日本の古い歴史の流れに今の我々の生活があるという「通時的」な歴史観を俳句に言付けたもので、そのキーワードに「葛うどん」と「栗ようかん」をもってきたものと考えます。日本人同士には暖かい感情が伝わってきます。
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お礼 (龍峰)
2021-12-01 11:33:43
葉有露 様

早々と3句もお取り頂き、遠き日の想い出をお寄せいただき有難うございます。
小生も以前花の頃に、西行庵まで行きました。今の自分の感覚からすると、とても住める所ではないです。夜露は凌いでも食はどのようにしたのかと思うと。

南朝の句ーー当時の吉野は、本当に京からは遠く、隔絶した陸の孤島のような感じがします。都への思いは大変なものだったろうと思います。

身をかくすの句ーー静御前はここを出てからは義経と別れ、一人となる。後はご存知二人の悲劇。

宿帳の句ーー宿の宝を見せて貰ったが、維新の最中でも吉野への人は絶えなかった。日本も奥深いと思いました。
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好きな句 (葉有露)
2021-12-01 09:54:12
龍峰様

 秋の吉野紀行とは、なんとも羨ましい限りです。
 小生も、大阪支社勤務の頃職場の仲間と春の吉野に行き、一泊したことがあります。
 奥吉野から、西行庵・苔清水まで行ったことを思い出しました。約七百年前の出来事を中心に次の三句を頂きます。

 ・南朝の悲願宿るや冬の院
 ・身をかくす二人の影や古襖
 ・宿帳や明治を探す冬の夜
                葉有露拝
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お礼 (龍峰)
2021-11-30 16:55:54
ゆらぎ 様

早々に5句もお取り上げ頂き、丁寧なコメントとお褒めを頂き大変ありがとうございます。
吉野への紅葉狩りには行かれたことがあるとのことですが、山桜の紅葉は染井吉野に比べたら、地味な色になるのでしょうか。

「冬将軍」の句ーー蔵王堂は現在は耐震工事などの為に全体が仮設でおおわれていましたが、もともと大変大きな木造建築で、名にふさわしい貫録の建物ですね。あの前に立つと、迎える吉野の冬の厳しさは俺が立ち向かうぞと云う感じがしてきます。

「葛うどん」の句ーー吉野に到着したのが昼前、眺めの良い店で、注文するのはやはり名物の葛うどんです。向かいの紅葉を眺めつつのうどんの味はいいですね。

「宿帳」の句ーー宿の当主に大変貴重な資料を見せて貰いました。明治の頃は、最寄りの乗り物は吉野口までで、そこからは山道を人力車などで吉野に入ったのだと思います。当時は泊り客を迎えに宿の人が吉野口まで迎えに行っています。明治から戦前までは、公族、政治家、県知事、将軍、名だたる文人など等が主な泊り客だったようです。時代が変わって、今の世は何と気楽な時代に生きているかと宿帳からしみじみ感じた。

「栗ようかん」の句――奥千本まではバスで行き、そこから下千本までゆっくり歩きました。道端の店で山を眺めながらのお茶はくつろげました。初冬の山は静寂でいいです。

「紅葉散る」の句ーー紅葉が散れば、間もなく吉野は深い眠りにはいります。投稿してから、気づいたのですが、季重なりなっているようだと。
「深かき眠りの吉野山」は「山ねむる」の季語と同じではないかと云うことです。失礼しました。
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好きな句 (ゆらぎ)
2021-11-30 11:41:28
龍峰様

 吉野山の上の方まで登られましたか!健脚ですね!小生も紅葉狩りに吉野へ行ったことがありますが、今一でした。印象に残ったのは、美味い葛切りでした。(笑) 吟行で生み出された銘句の数々、堪能させて頂きました。全句を頂きたいところですが、その中から厳選して次の五句を頂戴いたします。

(好きな句)
○冬将軍迎へ立ちたり蔵王堂~威厳すら感じさせる蔵王堂との対比で、冬将軍 を上五に持ってこられたのが絶妙です。

○吉野山もみじ眺めて葛うどん~「葛うどん」と、平易で心安らぐ下五になぜかホッとします。
 
◎宿帳に明治を探す冬の夜~文句なしに極めつけの名句です!”明治を探す”が、効いています。

○みよしのの茶屋の一息栗ようかん
 
○紅葉散る深きねむりの吉野山~紅葉が散って、やがて雪が降る。そして山には誰もいなくなる。それを”深き眠り”と表現されたのが何とも言えません。
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