草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 小春日和(ゆらぎ)

2021-11-20 | Weblog
      (写真は、新幹線名古屋駅の上りホームでのきしめん)

いくつになっても恋心はもちたいものです。恋の句を主に詠みました。 なお、それらの句はすべてフィクションです。念のため。(笑)

 肌寒やスープの香り吾子の笑み

 冬めくやきしめん啜る漢(おとこ)あり


 老いが恋忘れむとする時雨かな  
     
 恋文や切なさだけの一葉忌

 火を埋む秘めごと妻に隠しつつ
 

 冬灯消し愛しき人に逢ひにゆく

 冴ゆる日や日記は未だ捨てられず

 煩悩の罪の闇路や星冴ゆる

 
 迂生はと恋文に書く小六月
  ”迂生”~自分のことをへりくだっていう。男性が手紙文に用いる。

 八十の父の夜遊び冬紅葉
  ~写真は、丹波にある高源寺の冬紅葉です。    







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8 コメント

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好きな句 (九分九厘)
2021-11-20 17:23:34
ゆらぎさん
 今回はすべてが恋の句である由。フィクションとことわりがありますが、もしかしてと想像するのが楽しいです。恋の句を選ぶとなると、どこに評価ポイントを置くかで各人まちまちになり、難しいものとなります。心の何処かで共鳴する句を選ぶことになります。ということで下記の四句を頂戴します。

 冬めくやきしめん啜る漢(おとこ)あり  
     
必ずしも恋の句とは限る必要がないようです。これを恋の句とすると、寒い夜空にやけくその啜る響きを感じてしまう失恋の句と解釈。

 恋文や切なさだけの一葉忌

恋の切なさと一葉の関係を探ってみました。恋に関する一葉の名言に「恋とは尊くあさましく無残なものなり」「せつなる恋の心は、尊きこと神のごとし」とありました。24年しか生きなかった一葉にも切ない恋があったと知りました。これにちなんだ作者の感情がよく分かります。

 冴ゆる日や日記は未だ捨てられず 

季語と中七下五との関係が絶妙です。老いてますます記憶が生々しくなってきます。

 八十の父の夜遊び冬紅葉

上五中七と下五の季語との落差が大きくて、さていかに解釈すべきかと迷う句です。「夜遊び」の言い訳に「冬紅葉」を使った。本当の話でライトアップされた「冬紅葉」見に行った。或いは、この句を詠んでいる人は80の父親の息子が娘ですが、父の夜遊びを快く許していて、その遊びの上品かつ枯淡なところを「冬紅葉」と称している・・など。 解釈の難しい句です。私は最後の解釈となります。
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若さの秘訣 (龍峰)
2021-11-20 23:12:08
ゆらぎ 様

作者がいつまでも若々しい秘訣を、図らずも吐露しましたね。
幾つになっても艶めく情を忘れない、かような世界を俳句にたくする、大いに結構ですね。
厳選して次の句を頂きます。

   冬めくやきしめん啜る漢(おとこ)あり
この句は艶めくとは裏腹に男のほろ苦い哀愁を感じます。さては思いし人に袖にされたとか。

   冬灯消し愛しき人に逢ひにゆく
この句は小説のワンシーンです。どこか大正ロマンか、昭和の戦前のいそいそとした男を想像します。今のスマホの世界ではないです。

   冴ゆる日や日記は未だ捨てられず
実体験として自分が書き溜めた日記は捨てられないものです。しかし、この句での作者の込めた思いは、恋を、愛を書き連ねた日記でしょう。既にその相手にはさられたが、どうしてもその当時の日記だけは捨てられないと。

   八十の父の夜遊び冬紅葉
八十路を超えての夜遊びは、足元も相手にも見透かされて、危なっかしい。それを承知で本人は突き進んでゆく。もはや老いの業ですね。
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お礼 (ゆらぎ)
2021-11-21 11:47:08
龍峰様
 四句をお採りいただき、心温まるコメントをありがとうございました。ハイ、幾つになっても心ときめく心情を持ち続けたいと思っております。

「冬めくやきしめん・・」の句は、いつも新幹線の名古屋駅上りのホームできしめんを食べるのを楽しみにしている私の心情を詠んだものです。なにせ
名古屋で育ちましたので、名古屋名物のきしめんを愛好しています。ただ、それだけの状況です。しかし、”男のほろ苦い哀愁”、と言われると、さもありなんと思ってしまいます。

「冬灯消し」の句はまさに小説のワンシーンにしようと思って詠みました。

「冴ゆる日」の句意は、ご指摘のとおりです。しかし、私にとっては、あくまで俳句の上のことであって、フィクションです。実体験ではありません。(笑)

「八十の父の夜遊び」、では、たしかに老いの業ではありますが、今まさに散りゆかんとする紅葉に、父親の心境を重ねあわせて詠みまし
返信する
お礼 (ゆらぎ)
2021-11-21 14:28:53
九分九厘様
 「心のどこかで共鳴する句」ということで四句をお採りいただきありがとうございました。

「冬めくやきしめん」の句ですが、私は名古屋で育ちましたので、若い頃から名古屋名物のきしめんを愛好しています。名古屋に立ち寄った時、あるいは東京からの帰り道、新幹線の上りホームできしめんを食べて楽しんでいます。”失恋”の句ですか! 面白い。

「恋文や切なさだけの・・」の句意は、ご指摘のとおりです。

「冴ゆる日・・・」若き日の愛しい人との交情の思い出を綴った日記は、なかなか捨てがたいものがあります。そのことを想像して詠みました。これもフィクションですよ!

「八十の父の夜遊び」についてなかなかユニークで面白い解釈を頂きました。小生の句意は、八十になって夜遊びしている父と、まもなく散り始める冬の紅葉のイメージを重ねあわせて詠んだものです。最後の夜遊びかと。

”俳句は読み手によって成長する”、と言われることがあるようですが、九分九厘さんの解釈で、拙句が少しはましな句になったような気がしました。ありがとうございました
返信する
好きな句 (葉有露)
2021-11-21 16:36:18
ゆらぎ様

 高源寺の写真を見せて頂き、とても懐かしく思い出しました。小生勤務し福知山工場の南西に在り、仲間と数回行ったことがあります。所在地の青垣町から通ってくる従業員もいました。冬、雪の深い
所です。

 秋冷の候に、かくも深き情念をかきたてる句を
ならべられ、なにやらざわめきを覚えます。
 しかしながら、句意をくみ取るには力不足で
次の二句とさせていただきます。

 ・冬めくやきしめん啜るあり
麺に対する思い出は、万人に親しまれるだけに様々です。小生は大学時代、仲間とリュックを担いで 乞食旅行を毎年楽しんでいました。其の時の昼食は、たいがい駅の信州そば(100円)でした。

 ・冴ゆる日や日記は未だ捨てられず
 この句も、多数の人々の経験する所でしょう。
その人の人生の証ともいえるものを、簡単には
捨てられません。
返信する
好きな句鑑賞、他 (かつらたろう(桑本栄太郎))
2021-11-21 20:07:43
ゆらぎ様

今晩は!!。
男性は何歳となっても、恋ごころは持っていたいものですね?それが男の「お色気」のようです。
小生の中学校の頃の教師はいつも「唇に歌を!心に太陽を!」と教えて居ました事を想い出しました。心の太陽とは恋人の事とも!。
さすがゆらぎ様ならではの、心意気の若さの面目躍如のようですね!!。すべてフィクションとわざわざ「断りを入れる」ところがどうも!!??。否、決して老いらくの恋などとは言いません。
さて前置きは是ぐらいで、以下の御句を選び鑑賞させて頂きました。

   ☆冬めくやきしめん啜る漢(おとこ)あり
名古屋の食べ物名物と云えば、幅広饂飩のきしめんと名古屋コーチンの地鶏のようですね?
ゆらぎ様の想い出の地ならではきしめんです。・・・「こりゃ~うみゃ~でかんは!!」との独り言が聞こえるようです。
 
   ☆老いが恋忘れむとする時雨かな
恋は何歳になってもいつまでも続く訳でもなく、その終焉は必ず来るようです。老いてからの恋は時雨のように、身に堪えるようですね!!。
     
   ☆恋文や切なさだけの一葉忌
11月23日が若くして亡くなった天才小説家樋口一葉の忌日ですね?
「たけくらべ」「にごり絵」「十三夜」などの若くして恋の切なさを充分知っていたようです。
 
   ☆火を埋む秘めごと妻に隠しつつ
恋の楽しみ、苦しみは秘め事ならではですね?愛人からの付文を火鉢の火で焼き、妻に隠し通してしまいます。この辺りが「火遊び」と云われる所以のようです。 
 
   ☆冴ゆる日や日記は未だ捨てられず
恋の日記ではありませんが、今より30年前の現役の頃病気になり、臨床心理の医師にかかった事があります。毎日の出来事の怒り,悲しみ、喜びなどを書き出してみて下さいと云われ、2年間書き綴りました。鉛筆の細かい文字でびっしり記入されていて、今思えばその事自体が良くなかったとも想う事があります。それでも捨てられませんね?

   ☆煩悩の罪の闇路や星冴ゆる
人は生きて居るからこその煩悩ですね?時には罪の意識の闇路に入り込み、足搔く事があっても、その事により自己を責める事は無いようです。その時々に一生懸命考え、決定すれば苦しむ事もなくなりそうです。又は天の神様にゆだねる事も一法かとも?

   ☆八十の父の夜遊び冬紅葉
八十の父とはゆらぎ様自身の事でしょうか?(ごめんなさい!)
年老いてからの夜遊び、火遊びは決して治らないとも?それが元気の源と思いそのまま楽しく行きましょう!!。

最後に、本日11月21日はゆらぎ様にご紹介頂き、すっかりファンになりました歌人会津八一の忌日です。
嘗て奈良万葉植物園~志賀直哉旧宅に向かう吟行の時に見つけ、感動しました事を想い出し、一句献上です。
「春日野のひらがな歌碑や八一の忌」
以上であります。
  
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お礼 (ゆらぎ)
2021-11-22 10:30:48
葉有露様
 高原寺に足を運ばれていましたか。若い頃なら、上の三重塔まで登れたでしょうが、今となっては途中までです。それでも紅葉の美しさを満喫しました。

「きしめん」と「冴ゆる日」の二句をお採りいただきありがとうございました。名古屋で育ったので、新幹線の名古屋駅で下車する時は、いつも上りホームの立ち食いの店できしめんを味わっていました。

「冴ゆる日」の句ですが、愛しい人とあれこれあったことを記した日記には捨てがたいものがありますね。なお、これはフィクションですよ。念の為。(笑)
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遅ればせのお礼 (ゆらぎ)
2021-11-23 16:16:07
たろう様
 七句をお採りいただき懇切丁寧なコメントをありがとうございました。京都へ、一泊泊まりで出かけていましたので、お礼が遅くなりました。

「きしめん」の句ですが、名古屋育ちの育ちの私はいまもきしめんを愛好しています。新幹線名古屋駅上りホームの屋台のきしめんが殊のほか気に入っています。

「老いが恋」の句は、忘れようとして忘れられない恋心を感じていた時に、ちょうど時雨がばらばらと降り掛かって淋しい心境になったのを詠みました。

「恋文」の句意はご指摘の通り。

「火を埋む」ですが、埋み火は灰の下で燃え尽きるとの意味もあり、それと妻に隠し通すこととを結びつけ詠みました。

「冴ゆる日」・・・若き日の思い出を描いたその頃の日記は、なかなか捨てられませんね。

「八十の父・・」私の親父は、早逝しましたので、「八十父」は実在しません。想像上の句です。その父の最後の夜遊びと、散りゆく紅葉をかけました。

たろうさんの”春日野のひらがな歌碑や八一の忌”は、いいですね。春日大社にある歌碑のことでしょうか。”かすがのにおしてるつきのほがらかに・・・” この歌、私も大好きです。
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