草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句 / 蛍 (九分九厘)

2008-06-16 | Weblog

風匂ふ来るや曽爾の青芒

奈良県宇陀郡曽爾村は青蓮寺川沿いの峡谷の合間にある村である。山を登ると一望に開ける曽爾高原がある。今は青芒であるが秋になると「地上に銀河を見つけました!」と言われる、素晴らしい風景が見られるそうだ。秋には是非とも再訪しようと思った。夕食後蛍狩りに出かけた。成人してからわざわざ蛍を見に行った記憶がない。俳句のお陰の蛍狩りで、いうなれば大変ロマンティックな夜であった。

忘却の淵を覗くや蛍狩り
手の甲に蛍潰せし幼な時
たはむれにほうたる愛すことなかれ

曽爾原の天をさぐるや五月闇     
漆黒の杉の高きに蛍舞ふ  

蛍にも門限ありし曽爾の宿           
蛍火と別れし帰路の暗さかな     
手のひらに蛍とどめし旅の夢     

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13 コメント

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印象に残る句 (ゆらぎ)
2008-06-16 23:20:08
曽爾原の天をさぐるや五月闇 
 芒の原の闇の時間を共有させていただいた小生にとって、やはりこの句は好きな句です。闇の中での対話は思い出に残ります。

たはむれにほうたる愛すことなかれ
 そうです。愛するなら全力で! たはむれは、いけませんね。思い出の詰まった句でしょうかね。



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たはむれに (百鬼)
2008-06-17 05:58:05
 たはむれにほうたる愛すことなかれ
この句をいただきます。
 たはむれに女人愛すことなかれ
と、何故か読んでしまいました。主情を強く出された句ゆえに、こういう置き換えを誘発するのでしょうか。追憶と軽い悔恨。象徴的で詩的です。すばらしい!
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蛍狩りの句 (フェニックス)
2008-06-17 08:43:01
☆風匂ふ来るや曽爾の青芒

このお写真の青い芒原がみんな銀色に染まると素晴らしいでしょうね。まさに地上の銀河になるのでしょう。私事で恐縮ですが、昔、阿蘇か九重で薄原を観て詠んだ句を思い出しました。

 薄穂の揺れて光を広げたり


☆曽爾原の天をさぐるや五月闇     
  
蛍を求めて漆黒の闇の天を見つめられている。一人でもいいですが、お仲間がいられると静かな言葉の遣り取りも感じられていいですね。

☆漆黒の杉の高きに蛍舞ふ

この景はまだ私は目にしたことがありません。蛍ってそんなに高くまで飛ぶのですか? 夜の杉木立の中を、しかも上の方まで飛ぶ蛍を見てみたいものです。

☆手のひらに蛍とどめし旅の夢
 
 ロマンチックな蛍狩りの夜の余韻が感じられる句ですね。実際に手のひらにそっと載せてみられたのですか。 ポーッと明滅するあの光を。 また、昔の我が拙句を思い出しました。

 ほうたるの少女の肩を点したり 

☆たはむれにほうたる愛すことなかれ

 フランスのロマン派の劇作家、アルフレッド・ド.ミュッセの作品に「戯れに恋はすまじ」(On ne badine pas avec l'amour.うのがありますが、それにしても、九厘様の「ほうたる」と「愛」の取り合わせは絶妙ですね。「はかない命と永遠の愛」なあ~んて、ちょっとこの年では気恥ずかしいことを考えました。
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好きな句 (龍峰)
2008-06-17 10:26:36
風匂ふ来るや曽爾の青芒

数年前の秋にこの曽爾高原へ行き、一面の銀の海を見て感動しましたが、写真の青芒もいいですね。まさに風が匂ってくる実感が伝わってきます。作者の現地に立った瞬間の句のように感じます。

忘却の淵を覗くや蛍狩り

作者のご幼少の頃を思い出されたのでしょうか。昔は家の前で蛍狩りが出来、もっと身近に楽しめたのに残念です。もっとも小さい頃は遊ぶだけでしたが。


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コメント再び。 ”風匂ふ......” (フェニックス)
2008-06-17 11:16:17
☆風匂ふ来るや曽爾の青芒

 この句につきましては、九厘様の解説の秋の芒に心が飛んでしまい、肝心のこのお句へのコメントを書きそびれていました。 龍峰様が仰るように、その場に立たれての感慨がとてもよく伝わる句だと思います。ああ、今年もまたやって来た、曽爾の高原の青芒。
何と芳しい風だろう。「来るや」の感嘆がとても生きていると思いました。
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御礼 (九分九厘)
2008-06-17 21:32:59
ゆらぎ様
 芒原の暗闇は自然の神秘と野性を同時に感じるものでした。黙っているわけにもいかず、ついつい声高にしゃべっていたのは、人間の生きている証拠でもあったかのようでした。秋にはぜひ再び訪れたいと思っています。
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御礼 (九分九厘)
2008-06-17 21:44:13
百鬼 様
 こういう句を作って一人ほくそ笑むのが、俳句の楽しみの一つのようです。ご同感のコメントを頂き、なお一層の楽しみが加わりました。有難うございます。
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御礼 (九分九厘)
2008-06-17 22:10:10
フェニックス様
 
 薄穂の揺れて光を広げたり

阿蘇の芒原はまたその広さにおいて、また格別の光景があるのでしょうね。われらの宗匠は芒を詠むことにかけて日本一のお方で、芒は四季を通じて詠むことが出来るそうです。

漆黒の闇に人間を放り込むと、無性に人と話したくなってきます。蛍の光がその話声を遮っているように思えました。蛍は思いがけもなく、とても高い上空を蛍飛ぶのに驚きました。

 ほうたるの少女の肩を点したり

この句は可憐でいい句ですね。蛍が優しく少女に寄り添っていて、自然と人間が共生している光景ですね。「ほうたる」と書けばがらりと、句の雰囲気が変わってきますね。蕪村の句で好きな句を一つ。

 学問は尻からぬけるほたる哉

尻から抜けるとは、物忘れの早いことを意味します。蛍雪で学問をすることにもかけて作っている句です。 
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御礼 (九分九厘)
2008-06-17 22:20:24
龍峰 様
 俳句を詠みにわざわざ遠くまで出かけて青芒を見に行くというのが、そもそもの感動の源であったのかもしれません。蛸壺に似た地形ゆえに、全面が銀色になると壮観な眺めになることでしょう。今度ご一緒致しましょう!
忘却とは、一切をすっかり忘れてしまうことなのですが、蛍で今まで忘れていた僅かな記憶が蘇ってきました。脳生理学からこの記憶の再生のメカニズムを知ると面白いでしょうね。
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好きな句ほか、コメント (かつらたろう)
2008-06-17 23:07:35
☆忘却の淵を覗くや蛍狩り
御句の忘却の「淵」との語句に、遠い昔の事となってしまった幼い頃の想い出、はたまた意識して忘れ去ろうとした苦くて蛍の火のように儚い想い出の事などを勝手に想像してしまいました。後書きにもありますように、思い掛けないイベントは忘却の世界から、再度現実の世界へと連れ戻してくれますね。俳句を嗜む事とははそれだけ、日常生活を豊かにしてくれるとの、お手本のように素敵な句です。
☆たわむれにほうたる愛すことなかれ
色々な思いの受け取り方が出来る御句ですが、ここは素直に蛍の生態について述べてみます。蛍は成虫になってから、一週間ぐらいお互いに相手を求めて真っ暗な夜に光りますが、朝に見ますと一晩中光った疲れからか、何とも哀れな光り具合になりますね。儚くも妖しい光りを愛でるぐらいにして、そっと見守りたいものです。
☆蛍にも門限ありし曽爾の宿
実際には、蛍狩りを売り物にしているホテルも案内する時間の門限があるようですね。或いは、蛍そのものに光る時間が決められているようにも思え、諧謔の面白味さえ感じられ愉快に思います。
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