口惜しき梅雨に濡ればむ桜島
さつま揚げ食して今際の夏なりし
なみだ梅雨知覧の遺書の染み深し
さればこそ知覧の蛍さまよひて
生きている長きを検算梅雨晴れ間
霧島から鹿児島市内に入る。島津磯別邸と尚古集成館を見る。大河ドラマ篤姫に出てくる斉彬公の建白書なるものを拝見。車は知覧町に向かう。旧坊の津街道にある武家屋敷を見学したが、この場所は大戦時に特攻基地があったことで有名だ。特攻隊員の遺品や資料を集めた知覧特攻平和会館に入るかどうかで、かなりの躊躇があった。かつて若い時に涙して悲憤慷慨したこの悲劇に、今更この年になって再び対峙すること自体に脅えたのかもしれない。これは、平和呆けしてきたのか、或いは己の加齢現象なのかも知れない。躊躇したもう一つの理由がある。愛国の行動とは言え、個々の人間にとってはやはり自殺行為であった事実は否定できない。人間としての生を全うすることに、他の選択肢、即ち自殺行為を自認しない方法が他に取れなかったのかどうか。こうした疑問は終戦時から時代が推移すればするほど、その傷口が大きくなって来る。長生きをしてきた自分にとって、この疑問を若くして散った青少年達、実際は自分より一回り先に生まれた先人達に問いかけるのは、やはりタブーなのである。
館内に陳列されているものの殆どが、1037人の遺影と遺書である。遺書の内容は例外なく父母兄弟に宛てたもので、自分が死ぬことに不幸と悲嘆を感じて欲しくない、という内容である。遺書の文字の一字一字が必死の様相の字体であり、すべての遺書が達筆であったことに、久し振りの感涙を落とした。
写真: 青島の「蔓荊(はまごう)」
なみだ梅雨知覧の遺書の染み深し
さればこそ知覧の蛍さまよひて
ブログへの、しばしのご無沙汰お許しください。
旅に出るということは、己を見つめ直すことでしょうか。そんな想いが伝わってくる句であり、旅日記ですね。どちらもしみじみと読ませていただきました。
でもあんまり、”今際の際”というような事を言わないでください。もう少しあとの事にしましょう!
「知覧の蛍」の句は、日本人ならだれでも知覧のことを知っているので、重く響いてきます。
”長生きをしてきた自分にとって、この疑問を若くして散った青少年達、実際は自分より一回り先に生まれた先人達に問いかけるのは、やはりタブーなのである”ー仰る通りです。自分が、その場に置かれていたら、やはり同じような道を辿ったことでしょう。それよりも、まったく意味のないことを有為の若者に強いた軍の上層部に怒りを覚えます。
生きている長きを検算梅雨晴れ間
蛍は、しばしば魂に比されますが、知覧の蛍という言葉に、さまざまな思いが込められていると思いました。次の句の、「生きている長きを検算」とも強く引き合っていると感じました。そしてその検算が、梅雨の晴れ間になされたことに共感を覚えました。そして、この戦争について、国としての検証が今も行われていないことが残念です。
ハマゴウのお写真有難うございました。きれいな紫の花ですね。この花ついて面白い文を読みました。7月の句会に、コピーを持って行きます。
☆さればこそ知覧の蛍さまよいて
☆生きている長きを検算梅雨晴れ間
嘗て同じ年代の高校生の頃、「きけわだつみの声」の本の中で、知覧の神風特別攻撃隊、特殊潜航艇回天の
特攻出撃の事を知り驚愕の思いでした。若い命を特攻で散らせた人達は、どんな思いであったのかの涙があふれ出て仕方がありませんでした。自分の生死を自分で決められない時代であったとよく聞かされましたが、それにしても現代の自爆テロといい、その時代の特攻といい、かくも国家、イデオロギー集団による教育、洗脳の恐ろしさを今更のごとく思います。国の為、親兄弟の家族の為、愛する恋人のため、否、密かに想っていた愛する人の将来の為など、あたら二十歳前後の若い身でそこまで考え、笑って死に赴く事が自分であれば出来たのであろうかと考え、涙が溢れてきて仕方がありませんでした。今でも、この特攻関係の新聞記事、映画などを見ると真摯に平和の事を考えます。今ある平和は、簡単に与えられたものではなく先人達の我々の世代に向けての、厚い思いの賜物なのであるという事に思いを致し、平和は守り育てていかなければならないと思います。自分を責める事はありませんが、やはり政治の行方には絶えず目を配り、強い信念を持って対処する事が大切と思いました。御句に
触発されて、自分の心情を長々述べてしまいましたが、御句のどの句からも真摯に重く受け止められている心情が良く伝わりました。戦争という人類の愚かな歴史の中で、私達は平和の真の意味を問うためにも、時々はかくのような事実を見つめる必要があるかもしれませんね。その意味でも九州への旅は有意義であったものと感じます。
「旅に出るということは、己を見つめ直すことでしょうか」この言葉に改めて自覚の念を強くしました。本当にそうゆうことのようです。
資料館には、特攻隊の隊長を代表にしてその他何名と記載して、特攻の軍功に対し軍部トップからの出された感謝状がずらりと並んでいました。どれも同じ文面でしたが、なんとも言えない空しい気持がしました。
コメントありがとうございます。この種の俳句はやはり一寸特異なものになりすね。その場に行かない限り詠めないものと思いました。はまごうの花についての話を期待しております。
長文のコメント有難く拝読しました。現地に行って初めて知ったことですが、当時40歳前後の女性が、知覧で特攻隊員を相手に食堂を経営していて、その人の名前を「鳥浜とめ」さんといいます。この人が母親代わりに多くの若き特攻員の最後の面倒を見ていったそうです。戦後彼女の努力で特攻隊員の供養が始まったといいます。かつて、石原慎太郎がとめさんと知り合い、当時の特攻隊員の様子をつぶさに聞き取り、とめさんの話を記録に残しているそうです。近々、石原慎太郎がプロデュースする知覧特攻の映画が封切りされるそうです。岸恵子がとめさんを演じます。平和会館の宣伝では「特攻隊員は愛する人のために死んでいった」とのキャッチフレーズを映画のポスターに書いています。石原慎太郎のフィルターが当然かかるものと思いますが、彼の特攻隊についての解釈に興味がありますので、封切りされたら見に行こうと思っています。
”なみだ梅雨知覧の遺書の染み深し”
”さればこそ知覧の蛍さまよひて”
作者の深い苦しい思いを抑えながらも、それが滲み出た句だと思います。
知覧は私も一度訪れたことがありますが、綺麗に整えられた、今も人が住んでいる武家屋敷町、知覧茶などの平和なイメージの他に、忘れてはいけないのが特攻隊の問題ですね。 私自身実際の戦争を知らない世代ですが、かつら様が触れられている「きけわだつみの声」、その他で戦争の、特に末期の悲劇をさまざまな機会に知らされ、その度に心を痛め、今でもその気持ちに変りありません。
ところで、九厘様が触れられている、知覧で特攻隊員を相手に食堂を経営していて、若い特攻隊員に母親のように慕われていた「鳥浜とめ」さんという女性のことは、こちら、九州では、とても有名で多くの人が知っています。確か、テレビでも何回かドラマ化されたり、当時の実録の写真なども8月の終戦記念日前後に放映されたことがあったように思います。
石原慎太郎氏の新しい映画も、どんな視点で描かれているか観てみたいですね。
ご紹介を有難うございました。
”惜しき梅雨に濡ればむ桜島”
どんと落ち着き座っている桜島。噴煙を上げている櫻島。 どちらも好きですが、”梅雨に濡ればむ桜島”も新しい発見ですね。
色々考えさせていただける句を有難うございました。
コメントありがとうございます。仰るように知覧は古い日本の平和な一面と近代の悲劇を兼ね合わせた町なのですね。ゆらぎさんに教えられたのですが、旅をして己を見つめ直すことが時には必要なのでしょうね。旅行をしてある特定な場所で俳句が詠むことができたとしたら、かなり自己再発見をしていることになるのかも知れません。そこでは自然の写生のみでなく、つい心象を詠いたくなってきます。