草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/桐の花(龍峰)

2012-05-31 | Weblog
先月昔の長安(今西安)へ出かけた。2000年の間、秦、漢、隋、唐の都として栄えた。阿倍仲麻呂や空海が長安で活躍した。阿倍仲麻呂は役目を終え、日本へ帰国しようとしたが、果たせず異国の地に生涯を終えた。その街を見、兵馬俑を見ようとして訪ねた。折から街の至る所に大きな桐の花が咲き誇り、日本とは異なる大ぶりの花を満喫した。写真は大雁塔の公園で見かけたもの。

 遠き世の都に立つや桐の花
 長安の都大路や桐の花
 雁塔の庭に漂ふ柳絮かな

 楊貴妃の調べをまとふ桐の花
 望郷の歌人ねむるや桐の花
 長安の城壁厚く薄暑かな
 
 
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10 コメント

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好きな句 (九分九厘)
2012-06-01 21:04:40
 楊貴妃の調べをまとふ桐の花
 望郷の歌人ねむるや桐の花
 長安の城壁厚く薄暑かな

後半の三句を頂きました。桐の花と人との関係が、物語として想像されるからかもしれません。人は死んでも桐の花は毎年繰り返し咲き続けるところに無常を感じます。城壁と薄暑の関係は「然もあらんという」共感が得られます。
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お礼 (龍峰)
2012-06-02 21:39:54
九分九厘 様

3句も取って頂きありがとございました。
まず長安の桐の木の大きいこと、また花の形も違っていましたが、いずれも見事な花でした。2000年の都をたった1週間足らずで論ずることはできませんが、日本から出かけた大勢の遣隋使、遣唐使等の中から名高い人は向こうでも立派な碑が建てられ、祀られていることに感心しました。句は桐の花を見ながらにわか勉強の知識から思いめぐらしました。
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好きな句 (さゆり)
2012-06-03 21:02:42
楊貴妃の調べをまとふ桐の花
長安の城壁厚く薄暑かな

 只でさえ美しい桐の花を2千年前の超美人楊貴妃の調べをまとうていると詠まれている、その桐の花(実物)を見たいものです。お写真からも随分大きな見事な木と思います。

二句目の句、「城壁」と「薄暑」ぴったり合った句ですね。
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お礼 (龍峰)
2012-06-04 12:21:40
さゆり 様

2句お選び頂き有難うございます。色々お褒めにあずかり恐縮です。長安の桐の木は非常に高く、花も遠くからは薄墨桜のような色合いで、日本の桐の花とは少し思惑が違うようです。いずれにしろ機会ありましたら、是非ご覧になられますようお勧めします。
街の中に残っている城壁は主に明の建設のようですが、頑丈で立派な城壁です。ところどころに城楼があります。黒い煉瓦は暑そうです。
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素晴らしい句ばかりですね。 (フェニックス)
2012-06-05 11:09:19
 
龍峰さま

 御久しぶりです。 覚えておいででしょうか? 私も随分昔に西安を訪れましたので、その時の風景、旅情を懐かしく思い出させて頂きました。 私の旅は真夏が多いので、こんな素晴らしい桐の花には出会いませんでしたが、ともかく、いい季節に旅をされ、こんな素晴らしい桐の花に出逢われた龍峰さまは幸せですね。どのお句も西安の空気を感じさせるいいお句だと思います。

☆遠き世の都に立つや桐の花
☆長安の都大路や桐の花
☆雁塔の庭に漂ふ柳絮かな
☆望郷の歌人ねむるや桐の花
☆長安の城壁厚く薄暑かな
 
 日本と歴史的に深い深い関係のある古都を訪ねられてのお句、感動がよく伝わります。

 特に2句目は、大雁搭から眺めた都大路を思い出させて頂きました。
 また、最後の ”城壁厚く”は実際にその上を歩いたことを懐かしく思い出しました。
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お礼 (龍峰)
2012-06-05 13:51:50
フェニックス 様

随分久しぶりです。無論覚えております。
沢山拙句を取り上げて頂いた上に、お褒めにあずかり有難うございます。
4月にたまたま出かけたら、西安の街中に大きな桐の木の花が満開で驚きました。最初は余りにも日本の桐と比べ、木が高いので別の木かと思いました。現地のガイドに確認したら間違いなく桐だと分かり、思わず句に詠んだ次第です。2000年の間都だっただけに遺跡も博物館も充実しており、昔教科書で習ったものが目の前にあり、感激しました。それにしても日本から渡った遣隋使や遣唐使野人々はなかなか優秀な人が多かったのだとあらためて感心しました。
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好きな句ほかコメント (かつらたろう(桑本栄太郎))
2012-06-05 23:04:32
☆長安の都大路や桐の花
中国全土を統一した秦の都から始まる長安の歴史は、世界の中心としての中華思想の始まる歴史の都市でもあり、チャイナ(しな)の語源にもなった都の首都です。数千年も世界の文化歴史の中心でもあり、隋、唐の時代には日本国も文物を求めて、遣隋使、遣唐使をかの国に送り出しました。航海術もままならない時代の海外渡航は筆舌に尽くし難い苦労があったようです。唐からの高僧、鑑真和上は数回も日本へ仏教の真髄を伝えるため渡航を試み、その為、盲(めしい)になって仕舞ったほどです。阿倍仲麻呂はかの国で重用され位人臣を極めました。又日本へは律令制と都の条里制が導入され、碁盤の目の通りのある平城京、平安京に伝えられました。未だ、訪れた経験はありませんが、宮城谷昌光著の中国の春秋戦国時代の題材の小説は全て読み、小説の中で想像を逞しくしていました。ほろと憧れる長安の都と、季語の「桐の花」は抜群の相性ですね!!。大好きな一句です。

☆雁塔の庭に漂ふ柳絮かな
中国の街並みと言えば柳,柳の多いい街と言えば中国の街と想うほど中国は柳の多いい処。柳の木はしっかり根を深くまで張り、堤防を堅固にする役目も持っております。そのため池、川の堤防に植栽される事が多く風情ある景観作り出していますね?特に江南の地の柳が有名なようですが、柳絮の降る街並みとはどんなに素晴らしい光景でしょう。大変旅情溢れる好きな句です。

☆望郷の歌人ねむるや桐の花
☆長安の城壁厚く薄暑かな
阿倍仲麻呂のことは余りにも有名ですね!!。あの古の時代に、学識豊かな日本人が居た事は日本もすてたものではありません。かの国の大臣までになり、すっかり皇帝の信任を得て帰国も適わぬ身となり歌も沢山残しているようです。又、日本では碁盤の目状の都をお手本に平城京、平安京も作りましたが島国の為城壁は作りませんでした。このあたりが長安と言う城塞都市の、如何にもユーラシア大陸の繋がり感じるところです。「城壁厚く」との措辞と季語の「薄暑」がぴったりマッチしていて素敵な海外句となりましたね!!。
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お礼 (龍峰)
2012-06-06 22:46:24
かつらたろう 様

4句も取り上げて頂き、詳しい古代中国の歴史解説有難うございます。たまたま出かけた4月は向こうでは桐の花の満開でした。歴史をたどり、日本人の足跡に思いを致すには格好の花でした。かの阿倍仲麻呂も眺めては日本を思い起こしたでしょう。仲麻呂はかの地で科挙の試験に合格し、皇帝使えるところまで行った。杜甫でさえ合格しなかった試験、しかも外国人にして然り。如何に彼が優秀だったかを示しているでしょう。長安の市内の公園の中に立派な碑が建てられています。他に空海らの碑もありました。拙句は甘い月並み句に流れてしまいましたが、長安で紹興酒に少し酔ったということでお目こぼしをお願いします。
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好きな句 (四捨五入)
2012-06-07 11:47:39
望郷の歌人ねむるや桐の花

阿倍仲麻呂のことはよく知りませんでしたが、望郷の念にかられながら、彼の地で大活躍したとは大物ですね。また、外国人の彼を重用した唐という国も度量の広い国でしたね。翻って、2-3時間で渡れる現代では、人心はかえって退歩したように思われます。
桐の花は仲麻呂を賞賛しているのかも。
明石公園で桐の花を間近に見ましたが、写真の桐の花はまるでスケールが違い、驚きました。

長安の城壁厚く薄暑かな

長安へは行ったことがありませんが、「城壁厚く」と聞きますと、長安の過去の栄華が偲ばれます。一度は訪ねてみたいです。

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お礼 (龍峰)
2012-06-08 10:15:18
2句を取り上げていただき有難うございます。教科書で僅かに習っていた阿倍仲麻呂もかの地の現場に立てば思いも新たになりました。本人は向こうで習得した政治制度やいろいろな世事を日本に持ち帰り、役に立ち、活躍したかったことでしょう。それにしても先人は優秀であったのだと感心しました。長安の旧市街を囲む城壁は立派でした。最も現在のものは民の時代のものだそうです。城壁は煉瓦造りで上に立てば風は爽やかですが、周りからは熱気も感じました。
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