先月、衆議院が解散し、昨日から総選挙の告示を受け、選挙運動が行われている。2年前に続いてなんでこんな年の瀬に、いろいろと忙しいのに・・・。と思いながらも。
今回は「アベノミクス解散」と、首相は宣言した。どこかで見た、デジャビュのようなものを感じて、なぜだろうとちょっと考えてみたら、いつぞやの「郵政解散」に通ずるところがあるなと思えてきた。
700億円もかけてなぜ解散なんかするんですか?という、小学生が問いかけたウェブページがあったが、実際には大学生が作った「なりすまし」サイトだったことがわかり、炎上してしまった、という話題もある。ここで「公民」の教科書をひもとくと、
「内閣による衆議院の解散は、(中略)、重要な問題に関して、総選挙で直接国民の意思を問うために行われる」
と書いてある。この重要な問題、というのが、今回は与党のいうアベノミクスだという。
最近では、選挙、政治への関心がある人とそうでない人で、格段に意識の差が広がっているようにも思う。ぼく自身は、権利があるなら使わなきゃ損だろう、と思い、投票所に足を運んで、その時その場の思いつきで投票する。しかし一昨年、前回の総選挙では本当に誰に入れたらいいかわからなくなって参ってしまい、こんなブログ記事も書いた。
白票は、今のところ「無効票」の一つに数えられてしまう、というのが通例のようだ。氏名や政党名を書き間違えた票(愛称やニックネームは、その人と分かれば有効票になるらしい)、適した候補者や政党がないので「該当なし」とかいたもの、「○○候補ガンバレ♪」「××党嫌い」のように余計なことを書いたもの、「A候補とB候補」のように1枚に2人以上を記入したもの、ふざけて落書きしたもの(適当に考えたものだが、あるのか、そういうの?)等と同じ扱いになってしまう。
そんな中で、「投票用紙に何も書かず、白票で投票することが、今の政治に対するノーの意思表示を示す」という意見広告もある。(注:リンクは貼りません。ブ○ゴス等で調べれば簡単に出てくると思います・・・)マンガのように当選票よりも多かった場合ならいざしらず(現実にはありえないが)、何も書いてないので、意志もへったくれもなく、あえて意味を持たせたところで、「白紙委任」、つまり結果を信任、ということにされてしまう。
ところで、無効票のことを調べてみたら、スウェーデンでは、既存政党へノーの意思表示として「ドナルドダック党」(あるいはドナルドダック)と書いて投票をすれば、有効票としてカウントしてくれるという。冗談だけど、やってみる価値はありそう・・・?
もしかりに今回の総選挙で、投票総数の8割くらいが何も書かれていない「白票」だとしたら、どれだけ恐ろしいことか。政治家なんて、国会議員なんて、いてもいなくてもかんけーないさ、というサイレント・シチズンの声を聞かずにはいられまいか、候補者のみなさま。
いろいろ書いたが、つまるところ、選挙で自分の意思表示をするには、だれかしらの政治家、または政党名を書くしかない。国民の意思を直接政治に反映できないところが「間接民主主義」の歯がゆさだと思うし、「なぜ解散するの」という小学生のフリをした若者の疑問にもつながっていく。選挙で支持する政党、あるいは候補者を選んでも、票を集められなければ落ちてしまうし、当選したとも、スキャンダルで辞任させられる国会議員もいるだろうし。
だったら、国民の生活を左右する、重要なことに関してのみ、2択の「全国統一国民投票」なるもので決着をつけるほうが、よっぽど国民のためにならないか、みんなまじめに考えないか・・・と思うが、それは先の間接民主主義を否定することになってしまうので、それもダメかぁ?
浅学非才ゆえ、内容が内容だけに、奥歯に物が挟まったような言い方、書き方しかできない、難しいなぁ・・・。
<追記・本ブログについて>
11月30日をもって、前サーバー(OCN Blogzine)でのサービスが終了し、本サイト1本となりましたので、タイトルの(goo Ver.)を外しました。
今回は「アベノミクス解散」と、首相は宣言した。どこかで見た、デジャビュのようなものを感じて、なぜだろうとちょっと考えてみたら、いつぞやの「郵政解散」に通ずるところがあるなと思えてきた。
700億円もかけてなぜ解散なんかするんですか?という、小学生が問いかけたウェブページがあったが、実際には大学生が作った「なりすまし」サイトだったことがわかり、炎上してしまった、という話題もある。ここで「公民」の教科書をひもとくと、
「内閣による衆議院の解散は、(中略)、重要な問題に関して、総選挙で直接国民の意思を問うために行われる」
と書いてある。この重要な問題、というのが、今回は与党のいうアベノミクスだという。
最近では、選挙、政治への関心がある人とそうでない人で、格段に意識の差が広がっているようにも思う。ぼく自身は、権利があるなら使わなきゃ損だろう、と思い、投票所に足を運んで、その時その場の思いつきで投票する。しかし一昨年、前回の総選挙では本当に誰に入れたらいいかわからなくなって参ってしまい、こんなブログ記事も書いた。
白票は、今のところ「無効票」の一つに数えられてしまう、というのが通例のようだ。氏名や政党名を書き間違えた票(愛称やニックネームは、その人と分かれば有効票になるらしい)、適した候補者や政党がないので「該当なし」とかいたもの、「○○候補ガンバレ♪」「××党嫌い」のように余計なことを書いたもの、「A候補とB候補」のように1枚に2人以上を記入したもの、ふざけて落書きしたもの(適当に考えたものだが、あるのか、そういうの?)等と同じ扱いになってしまう。
そんな中で、「投票用紙に何も書かず、白票で投票することが、今の政治に対するノーの意思表示を示す」という意見広告もある。(注:リンクは貼りません。ブ○ゴス等で調べれば簡単に出てくると思います・・・)マンガのように当選票よりも多かった場合ならいざしらず(現実にはありえないが)、何も書いてないので、意志もへったくれもなく、あえて意味を持たせたところで、「白紙委任」、つまり結果を信任、ということにされてしまう。
ところで、無効票のことを調べてみたら、スウェーデンでは、既存政党へノーの意思表示として「ドナルドダック党」(あるいはドナルドダック)と書いて投票をすれば、有効票としてカウントしてくれるという。冗談だけど、やってみる価値はありそう・・・?
もしかりに今回の総選挙で、投票総数の8割くらいが何も書かれていない「白票」だとしたら、どれだけ恐ろしいことか。政治家なんて、国会議員なんて、いてもいなくてもかんけーないさ、というサイレント・シチズンの声を聞かずにはいられまいか、候補者のみなさま。
いろいろ書いたが、つまるところ、選挙で自分の意思表示をするには、だれかしらの政治家、または政党名を書くしかない。国民の意思を直接政治に反映できないところが「間接民主主義」の歯がゆさだと思うし、「なぜ解散するの」という小学生のフリをした若者の疑問にもつながっていく。選挙で支持する政党、あるいは候補者を選んでも、票を集められなければ落ちてしまうし、当選したとも、スキャンダルで辞任させられる国会議員もいるだろうし。
だったら、国民の生活を左右する、重要なことに関してのみ、2択の「全国統一国民投票」なるもので決着をつけるほうが、よっぽど国民のためにならないか、みんなまじめに考えないか・・・と思うが、それは先の間接民主主義を否定することになってしまうので、それもダメかぁ?
浅学非才ゆえ、内容が内容だけに、奥歯に物が挟まったような言い方、書き方しかできない、難しいなぁ・・・。
<追記・本ブログについて>
11月30日をもって、前サーバー(OCN Blogzine)でのサービスが終了し、本サイト1本となりましたので、タイトルの(goo Ver.)を外しました。
現状の日本だと、白票は、投票はすれど意志がないとみなされるので、こういうスケープゴート的なものがそろそろ必要なのかなと。
案外、既成政党より票を集めちゃったりして。
議員定数が減って困るのは、むしろ多数派政党のほうかなと考えます。少数の政党は、本当に精鋭(?)しか立候補せず、かつ注目度も比較的高いので、少数ながら当選する率が上がり、そうすると与党の多数派とくっついて、政治の世界で幅を利かせやすくなる・・・そんな風に思いますね。だから今、少数でも新党が続々生まれてくるのではないかと。
>世襲議員
世襲だから議員になれるとは限りません。政治家一家でも政治に素人ならすぐに化けの皮がはがれます。そういう人を見極め、人気だけで選ばないように、われわれ有権者がしっかり見ていかないといけないかなと。
ではでは。
重複の件は言うまでもなく小選挙区で落としたはずの議員がゾンビのごとく比例で復活することで、民意に見せかけた詐欺のようなものだと思います。これでは「選挙に行っても変わらない」と思われても仕方がないです。それに議員が当選を重ねるほど民意から離れていく原因のひとつではないか?と思います。
もうひとつは議員の日常の仕事が紹介されないこと。普通の人は議員のことを「選挙のときだけ低姿勢でお願いに来る人」、「議会中にいねむりしたり、経費と称してムダ使いしている税金泥棒」、「とりまきのじいさん連中の言う事しかきかない人」、「当選しても役なし議員じゃザコ扱いで選挙で演説してた政策なんてできないんじゃないか?」などマイナスイメージしかないです。
実際の仕事と効果を見える化することで誤解(?)が少しは解けるとは思うんですが・・・。
ほかにもあるんですけど、重複と議員の仕事の見える化から何とかしてもらいたいです。
ま、投票する側も努力が必要なんですけどね。
先日聞いた、ある候補者の演説より
「選挙の時にはペコペコお願いするけど、当選したら別人28号になって態度が変わってしまう」・・・その人本人のことではあるまいな。
とはいえ、有権者の我々の側も、朝駅前で街頭演説する議員さんを見かけたり、活動報告ビラを配っているのを見るけど、あれ普段からちゃんと受け取ってる人って、どのくらいいるんだろうか?選挙で人が決まらず困るくらいなら、普段から関心を持って接してないといけないんですよね、本来。選挙の時期だから、その時だけ政治に関心を持つ、というぼくの態度も、あまり感心できないと思うのですが、どうでしょう?
それは発信力と実現力、そして、本気度があるわけで、よくわからない人がビラ配りしていても、受け取りたいという気にはなりません。ビラに書かれていることが、実行される可能性が低いから読んでも仕方ないと無意識に感じているのだと思います。
いまは選挙の時期でも関心を持たない輩がいるので、そちらのほうが問題です。高齢者優遇の政策も既得権益が幅を利かせているのも、知ったかぶりかあるいはテレビに出てくるアホ情報を鵜呑みにして選挙に行かない輩がいるから変わらないんだと思います。
選挙をやる前に頼んでもいないのに新聞やテレビが自○党300超か?なんていう報道をしている時点で選挙を冒涜していると自分は感じています。
まるで試合をやる前に「ジャ○アンツが優勝するからジャ○アンツファンになろう!」と暗に言っているようなものです。これも選挙に対する関心を低下させる工作だと思っています。
今回のように大儀のない選挙をいきなりやるんだったら、いっそのこと議員の任期を2年に短縮して、隔年で選挙を行うようにすれば、選挙への関心や腐敗対策にもあるかと考えています。
気づいたら選挙も終わっちゃってました。
たしかに、有名な政治家、大臣経験者、テレビで見たことある人なら貰わないことはないでしょう(前住んでた区では維新(当時みんな)江○氏がいました・・・)。
今回、自分なりの総括(のようなもの)をアップしましたが、どちらかと言えば今のまま政権続けても大丈夫なの?という確認のためだったように思います。出来レースと思われるかもしれないですが、政局が簡単にひっくり返って、混乱しか残さなかった政治というのも迷惑千万でしかない、そう思うのですが。
この続きは、またお会いしたときにでも・・・?
では。