「宮脇俊三と鉄道紀行展」というイベントの一環として、先週末から玉電のモジュールを展示・運転しています。運転は週末までお預けですが。きのうもその手伝いで来ておりまして、この日はイベントの監修をされている、ご長女の宮脇灯子さんもお見えになりました。
で、今日の本題はここから。
閉館後、スタッフの何人かと食事をし、いい気分で解散し、新幹線に乗るために東京駅へ行く途中、中央線の車内案内板に釘付けになった。「東海道本線、降雨の影響で運転見合わせ」とのこと。新幹線なら大丈夫だろうと思っていたのだが・・・やはり見通しが甘かった。
新幹線の改札口は人で溢れかえっていた。あとでTVみたとき、同じ場所に北京五輪で金メダルを獲った、ソフトボールの選手も何人かいたらしい。発車予定時刻をすでに2時間も過ぎているらしい。ぼくは自由席だしこだまだし、空いている席に座れればそれでいいので、とりあえず発車しそうなこだまを選んで座席をゲット。時刻は20:50。やれやれ後はコレで一眠りすれば・・・。
とんでもなかった。列車は新横浜の手前で足止め(しかも1時間以上!)。ようやくホームに入れたとき、時刻は22:30を過ぎていた。ここで、小田原~三島間が激しい降雨のため上下線とも運転見合わせと知り、復旧の目処も立たない状況という。一旦乗車した以上、もはや他の交通手段も無理(東海道線も止まっている)なので、動き出すのを待つ。そして動き出したとき、既に日付が変わってきょうの0:25をさしていた。
その後も小田原で再度3~40分ばかり足止めされ、ようやく三島に着いたのは1:40。ぼくはここで下車なのでいいのだが、ここから先へ行く列車、もうムーンライトながらも行ってしまったあとなので、初電までのいわゆる「休憩列車」が用意されているという。列車の中で一夜を明かすことになる人はさらに大変だろうな、などと思う。
時速300km/h、東京~新大阪を2時間半という、世界に名だたる「SHINKANSEN」も、ひとたび雨に見舞われたらこの体たらく、ってのもどうかと。もう少し何とかならなかったのかねぇ。しかし翻って、最近の異常気象というものは、新幹線をも止めてしまうものかと、ここにきて恐ろしささえ感じるようになった。
で、ここで思った。前にもよく似た経験をしたなぁ、ってね。