たぶんこれらの理由は、「日本人だから」ということで片づけられるかもしれないが。
たとえば、中国産の冷凍ギョーザに毒薬が混入された、という事件ひとつにしても、現在進行中で事件の全容がはっきりしていないにもかかわらず、「中国」「ギョーザ」そして「冷凍食品」というキーワードが一人歩きしてしまう。結果、専門店のギョーザや冷凍食品の買い控えまで起きてしまっている、という。
日本人は、「風評」というものを人一倍気にする人種なのかもしれない。一旦「これが怪しい」とされてしまうと、全体がその流れに「ワーッ」と乗っかってしまう。それでいて、本質を見ていないから、別の怪しい流れに変わると今度はそっちへ流れていく。芸能にしても、スポーツ選手にしても、食生活にしても。
ちょっと話が抽象的なので、自分の得意なジャンルで語ってみる。
「鉄道が好き」というと、最近まで「鉄道オタク」とひと括りにされ、決まって「暗い・地味な男」というイメージがつきまとっていた。ところが最近、「鉄子」とよばれる新幹線が恋人という女性アイドルが登場したり、鉄道をテーマにしたマンガやドラマが大ヒットしたこともあり、ぼくの周囲でも、ある日突然「じつは自分も鉄ちゃん(鉄道ファン)なんだよ」と声をかけられ少し嬉しくなったりする。媒体による二次的要因のおかげといわれればそれまでなのだが、この数年で「鉄道」というジャンルがメジャー化している、と思っている。
でも今、メジャーになりつつあるこの「鉄道」のジャンルも、ある日突然流れが変わってしまったらどうなるだろうか?数年前の福知山線脱線事故を参考に、以下にシミュレーションしてみる。
たとえばある通勤列車が脱線し、乗客、乗員に多数の死傷者がでた、という事故が起きたとする。事故発生から1~2日、このときまだ事故原因などまるで分からないので、 「運転士に何かが起きたのか?」「ATS(鉄道の信号システム)は作動しなかったのか?」「過密ダイヤが事故を招いたのでは?」といったごく一部の「専門家の意見」が「情報」として繰り返し流される。
それを聞いた人達が「運転士に何かトラブルが起きた」「ATS(鉄道信号のシステム)は作動しなかった」「過密ダイヤが事故を招いた」と、いつの間にか「?」が取れ、あたかも事実であるかのように流布される。そこへさらに追い打ちをかけるように、「鉄道会社から十分な補償が貰えず困っている」「電車に乗るのが怖い」という、事故の当事者(多くは被害者側)のインタビューが流される。その結果、「鉄道会社=悪」という図式が人知れずできてしまい、誰からともなく、「鉄道会社はなぜ責任を認めない!」「社長は辞任しろ!」「もうこんな電車には乗りません!」となってしまう。こうなるともう話の本筋からまったく離れてしまい、逆に解決の道は遠のいてしまう。
真の原因なんて、よほどのことがない限り、はっきりするのには時間がかかる筈なのに、と思っている。これが原因で、せっかく増えた鉄道ファンが去っていく、なんてことになったら、それこそ風評被害だ、と思うのだが。