KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

くさったみかんじゃない

2011-03-28 22:10:21 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、「金八先生ファイナル」を4時間ブチ抜きで放映していましたが、ぼくはザッピングで少しずつ、それと最後の30分を見ました。32年間、8シリーズ分の3年B組生徒が勢揃いして、金八先生がひとりずつ出席をとるように名前を呼んでいくのはすごかったな。ま、あれはTVだから出来る手でもあるんだろうけどね。

 ぼくは金八先生に関しては、オンタイムではない。(平成は7年度から、ぼくは平成2年度卒なので)この頃は学園ドラマといえば、「スクールウォーズ2」や、映画だと「ぼくらの七日間戦争」がちょうどやっていたので、そっちのほうがまだ話はついていけた。文化祭で当時はやりの8ミリビデオ使って制作したドラマは「七日間戦争」が下敷きだったような気も。でも「スクール2」は高校生だし、おまけには少年院の話だ・・・。あぁなつかしいな。

 ま、余計な話はどうでもいい。ともかく、そのシーンでは昔の映像も一緒に流れてたけど、生徒役の出演者がみな幼いおさない。子供の頃、中学生っていうとみな大人に見えたし、中学でも1年と3年じゃ全然違うと思い込んでいた。でもアルバムとかで振り返ると、まだまだ子供っぽさが残ってるんだね。

 中学2~3年当時の担任が、毎日、A4藁半紙1枚に新聞みたいにまとめた学級通信を発行していた。クラス内6班で班ノートを交代で書き(内容はクラスについて最近思うこととか日記とか・・・あ、このブログみたいな感じだったね)、その内容を元に担任が自分の意見を加えて纏める、というものだった。

でもある日、「君たちはくさったミカンじゃない!」なんて見出しだされて正直「???」と思った。元ネタが「金八先生」だったなんて知らなかったから。当時はなんとなくこんな意味なんだろうなとやり過ごしてしまったんですけどね。

 ドラマの一部に、クラスから敬遠され、仲間になれない生徒を受け入れるかどうか、金八が尋ねるが、誰も答えないので、「あの子は悪か!違う!悪は君たちの心の中にある!」と生徒を一喝する金八。

 そうだ、と思ったね。ぼくの中学時代にも、クラスにとけ込めず脱走したり休んだりを繰り返すクラスメイトがいたので。もちろん彼の常軌を逸した(と思われる)一連の行動も、あとから思えば、思春期特有だったのかもしれないけれど、問題が起きるたびにクラス会を開き、どうすべきかを考えあった事を思い出した。

 いささか強引に話を変えてしまうが、今、震災や原発事故などで今まで経験したことのない、あらゆる困難を目の前にして、放射線物質その他を恐れて水の買いだめに走ったり、対応の遅い(?)政府や電力会社を一方的に批判するのをよく目にする。

 人のことを悪だと批判できるのは、自分が悪の心も持っている事を自覚した者だけだ、みたいなことを金八先生も言っていたと思うが、ニュース記事のコメント見ても、憂さ晴らしや高みから見下したような内容は、読む人の心を痛めるだけだ。もしそれを喜んだり、触発されて行動するような者がいるとするなら、その人には間違いなく「悪」の心を持っているといえるだろう。しかも、自分が「悪の心」を持っていることに気付かない事も多いから、そういう人はもう放っておくしかないのかもね。

 かくいう自分も、時に人を陥れたい、そう思う「悪意」を少しは持っていることを自覚します。だけど、それを露呈させたらどうなるか、もう痛いほど分かっているのと、元々臆病者なので、めったに行動にはしないように努めてますが。

どうかこれからも、見守っててください。

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ぎえんきん

2011-03-26 23:45:51 | 日記・エッセイ・コラム

 きょうは土曜でしたが出勤でした。きょうはフロア内の移動で、机から、棚から仕事に関するあらゆるものが大移動と、ようは体力勝負な1日でした。終わると頭も肩もぐったり、もう若くないのかナァ、とちょっとぼやいてみたり、それにしてもカグスベールってすごく役立つんだナァと感心したり。

 ところで、話は全然違うのですが、

今回の東日本大震災について、被災者救援義援金をOCNのポイントークから交換しました。




はじめて使うポイントークでささやかながら支援したく。
1口500ポイントで100円分だそうで、これを今回10口分行いました。

 じつはこのブログでデコ記事(↑)貼り付けたのは今回が初めてだったりします。使い方がいまいちよく分かってませんがご容赦を。

以上、報告でした。

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これ、なんですか?~って衛星で復活ぅ!?

2011-03-24 23:13:34 | 音楽

 震災前に書きたかったネタが、ようやくかけそうなので。

あのスネークマンショーが復活!・・・W○W○Wでだけど。

とにもかくにも、70年代末から80年年代初頭、パンク&ニューウェーブの波に浮かれるいたいけなヤング&やる気満々な業界人の度肝を抜いた集団、スネークマンが21世紀も10年以上経って、R60として帰ってくるとは。

番組クレジットに、もちろん小林克也氏、伊武雅刀氏が揃って登場。いまや「ス○ステのDJ」とか、「くも○い」でお馴染みな顔とはまったく違う、咲坂さん、桃内さんのコントがまた見られる(BS入ってないから見られない・・・でもいいのさ)とは。

なぜぼくがスネークマンショーを知ってるかって・・・?YMO聴いていれば自然と入ってくるのさ。

「これ、なんですか?」「・・・・コン○ームです」

「あのさぁ、YMOと書いてなんて読むか知ってる・・・YMO、イモ」

「ひあうぃごー、えぶりぼーでぃ、かもーん、ろっくんろーる!」→ちなみにこのギャグ、かの全員集合でも志村けんがやってたようです「お上手~ぅ」。

「じつは私は猛烈に、かんたまがきゆいのです」

・・・持っているCDやYoutubeで改めてコントを聴くと、やっぱ過激&向こう見ずだなぁと思う。それゆえCDになってもすぐ発禁になることも。運転中にこれを聴いて笑いすぎて事故起こしそうになったというコメントもあるくらいだし。今回こうして当時のギャグを活字にするのにもけっこう勇気がいる。

本当の批評精神はこういうものだ、ってのを、30年以上前の作品なのに、強く感じるね。これを聴いていたから、音楽や世相の捉え方が少しひねくれたのかな?とたまに思う。

でもこれは映像よりも、やはりラジオやCDで、シチュエーションとしては、夜中にヘッドホンで聴くのが一番なのかなと思う。ファンサイトにもYoutubeのリンクがあるようなので、ためしに聴いてみるのも一興かと。最初は「若いやまびこ」あたりから、心臓に自信のある上級者には、「ジャンキー大山ショー」か「今夜はごちそうさま」なんてのもどう?

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さそりの火

2011-03-21 22:40:54 | 本と雑誌

 俳優の渡辺謙さんが、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を朗読する動画が広まっていて人々の共感を呼んでいるようですが、今回はそれをちょっと真似して、こんなはなし。

 先日、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだ。実家に帰ったときに本を借りてきたのだ。この話の中に、「さそりの火」という話が出てくる。

昔、バルドラの野原に1匹のさそりがいて、小さな虫などを殺して食べてきた。あるとき、さそりはイタチに襲われる。イタチから逃れようとさそりは走って逃げたが、捕まりそうになったとき、目の前の井戸に落っこちてしまう。井戸に落ち、おぼれるさそり。

そのとき、さそりはこう言って祈った(以下『』内は物語の引用)。

『ああ、わたしはいままでいくつものの命をとったかわからない、そしてそのわたしがこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けんめいににげた。それでもとうとうこんなになってしまった。(中略)どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにくれてやらなかったんだろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。わたしの心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次にはまことのみんなの幸せのためにわたしのからだをおつかいください』

いつしかさそりは、自分の体が真っ赤な美しい火になって燃え、今も夜の闇を照らしている・・・というもの。

 ぼくはまるであの、井戸に落ちる前のさそりのようだ。小さい虫を殺して食べて生き延びたように、口やブログでこれまで、散々見栄はったり虚勢張って物言いをしてきたのだが、結局最後はいつも我が身かわいさゆえの行動を起こしてばかり。ここ最近のみっともなさを振り返るだけでも、顔から火が出るほど恥ずかしく、自己嫌悪に陥ってしまい、外にも出たくなくなってしまいそう。

 さそりのいう、まことのみんなの幸せ、ってなんだろう?そして、みんなの幸せのために体を灼くなんてこと、できるだろうか?

 たとえば、いま毎日報道される、大地震伴う原発事故。放射線物質による被曝(ひばく)のおそれがある、そんな中で、命の危険も顧みず、懸命に復旧作業にあたる消防隊や、自衛隊員たちの勇気、でしょうか。もちろん、彼らははじめから高い志を持っていたことは間違いないでしょうけど。

 まだ状況は安定しているとはいえません。計画停電はまだしばらく続くし、もし今後、大きな余震が起きたり原発事故がひどくなって、今以上の災害が起こることも・・・。あの地震以後、もう何が起きても、受け入れるようにしてきたつもりですが。

そんな自分に出来る事って、節電?募金?それとも、むやみにキレないこと?

・・・心を落ち着け、自分を見失わないように努めよう、まずは、そこからだとおもいました。

<追記>

こんな立派なこと書いてもて、もし今後電力が回復したり、物流も回復して便利さを取り戻したら、すっかり忘れてしまいそう・・・?

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おでかけ

2011-03-20 18:08:21 | まち歩き

 地震以外のネタを久々に書きます。

 3連休の中日で、天気も良かったので、1年以上ぶりに海老名のビナウォークへ行ってきました。

Img_70201

 目的は新しくオープンした「ポポンデッタ」に行くこと。鉄道模型店は、昨年1月のGMストアー撤退以来かもしれない。

 その前に昼食にラーメンをいただく。空腹だからどこでも良かったのだが、待ち時間がなさそうな店に入る。

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 注文したのは、真っ黒な黒醤油ラーメン+味付玉子。1杯につき10円が地震の義援金となるそうだ。コレに書いてあった。

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空腹を満たしたところで、ポポン~を目指すが、見つからない。ビナウォーク2階とだけしか情報を得てなかったので、あちこち探したが、はたして、店は先ほどのラーメン屋の真上だった。

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さすがに開業したてとあって、賑やかだ。

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定番のレンタルレイアウトはもちろん、

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小田急の運転台を再現したコーナーも。

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レジの上には記念列車のヘッドマークが・・・。先日走行した5000系10連の引退列車のものもある。

で、祝儀のつもりで、こんなものも買ってしまった。

Img_70341

最初は予定してなかったけど、35%OFFだったというのと、小田急だからということで。

Img_70311

 これは海老名だけじゃなかったけど、日曜ということもあり、赤十字やボーイスカウト達による義援金募金活動をよく見かけたなぁ。もちろん、ちょっとだけですが募金してきましたよ。

帰り、地元の駅のスーパーに寄る。品薄だったり、すでに品切れの商品もあったが、そんな中で、久々に牛乳を入手できた。

牛乳コーナーには、最後の1Lパックが残っていた、が、これには手を出さない。上の段に200mlのパックで大量に置いてあったので、そちらを選ぶ。2個取ろうとしたが、「牛乳製品はひとり1個まで」の張り紙を見てはっと思い出し、1個を元の位置に戻す。ウエシマ作戦はまだまだ継続中でっす。

ありゃ、地震以外の事書こうとしてたくせに、義援金募金や買物の話を書いている・・・!

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どうぞ、どうぞどうぞ・・・ってちょっと違う?

2011-03-18 22:54:06 | ニュース

大地震から1週間、いろんな意味でつかれました。なので、今回は、ニュースの拾い読み。

(1)ダチョウ「ウエシマ作戦」ネットで拡散

ダチョウ倶楽部の定番ギャグ「どうぞどうぞ」が、こんな場面で役に立つとはね。ガソリンなどの買いだめ問題の解決に一役買っているようだ。

ほかに関東で輪番停電の始まる頃から、エヴァンゲリオンからの着想だという「ヤシマ作戦」という節電を呼びかけることもはやっている。ちなみに、ぼくはヤシマ作戦もウエシマ作戦も継続中です。とはいえ、ぼくの場合、買い物が夜遅くにならないとできず、ほぼ品薄な状態が続いてますがね。今週に入って、スーパーやコンビニでパンと牛乳と乾麺をほとんどみかけない。

ちなみに「アオシマ作戦」というのもあるらしい。「事件は現場で起きているんだ!」ということで、現地でがんばっている人を応援することらしいのですが、それ以上はよくわかりません。

(2)AC大量CMに苦情殺到…脅迫電話も

 少しかなしい話だと思った。何回か前のブログでぼくも、ちょっとACのCM多くていらつくナァ、と書いていた(もちろん、その後にオチはつけてますよ)のですが。とはいえ、それ以外のカードローンだとかビールだとか、とかくやかましいCMの代わりにこういった啓発モノを流すのはいいことだと思っている。大量に流れるからか、最後のコーラスが癪に障るらしくて、脅迫まがいの事件にまでなっているという。自分の心の広さ(狭さ?)を測られた気がした。

(3)磯山さやか、テレビで放映されない忘れられた被災地、茨城の惨状訴える

 報道では、今回の震災でとりわけ被害の大きかった宮城、岩手の沿岸部や、福島の原子力発電所の問題を多く取り上げている。窮状であることや、先の見えない不安を伝えている各放送局の姿勢はよくわかる。だけど、TVには映らない、そのほかの地域にだって被害が出ているのはたしかなわけです。巨大地震に埋もれ、被害が大きいにも関わらず報じられない地域、思い当たるだけでも、長野、新潟、静岡、山梨、千葉・・・とくに、火曜夜の地震で震度6強で被害の大きかった富士宮が、個人的には心配です。

 TVではなかなか取り上げられることもないかもしれないが、心配する人はいますし、応援する人も必ずいます。ぼくたちは、そんな地方のことにも目を向けなくてはなりません。

(4)プロ野球分離開幕、セは25日 パは4月12日

mixiのぞくと、この件でけっこう怒っているマイミクさんが多いことにちょっと驚いた。きっと、プロ野球の公式戦→ドーム&ナイター+中継→節電体制なのに電気使うのか。という思考か、あるいは、某新聞社のお偉いさんのKY発言が怒りを買ったのか、そのどちらかだろうと思う。

 大変な目に遭っている被災者のことを思うと、とても野球なんて・・・という選手団の気持ちもわからなくはない。一方で、被災した方々を勇気づけるのには真摯なプレーを見せて楽しませる(喜ばせる)ことも、とても大切なことだと思う。今はまだ被災者への思いが強すぎるから、開催中止の声が大きいのだろう。といって、なにもしないつもりなのたろうか。

 個人的には試合をして欲しいと思う。ただ、昼間に屋外の野球場、もしくは河川敷の練習用野球場などで、チャリティーとして行うことを。

(5)ジャイアントパンダの公開は延期に…動物園・水族館の営業中止状況

 主な理由は、余震の影響でお客様の安全が確保できないことと、例の停電という。

 リンクは貼っていないが、被害を受けた仙台の水族館も、管理されている魚が次々弱っている・・・というニュースも聞いた。

 地震の影響を受けた人が、かつてないほど多くいるのは承知だ。先が見えない不安と、健康問題、夜中まで続く停電など、目の前真っ暗な現実がいつまで続くのかと・・・。

だけど、ぼくは言う。こういう大変な時こそ、笑って、楽しいことを考えて生きていたい!

誰かを励まそうとする人まで、暗く落ち込んでいてはやっぱりダメだと思う。

今すぐには無理かもしれないが、今後地震も、避難活動も一段落着いて、心に余裕が出来た頃に、上野のパンダやその他の動物を、まずは被災者のこどもたちに優先して見せてあげるというのはどうだろうか?

 それに限らず、被災者だけでなく、ぼくらも明るく元気になれるために、なにか(楽しいことを)考えられないだろうか?

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試練の日 パート2

2011-03-16 22:15:21 | 日記・エッセイ・コラム

 火曜日、朝5時前、余震に揺すられるように起こされた。この日も、横浜線は全線運休だった。なので、通勤ルートは月曜と同じ。横浜駅は、JRも運転をしていたので、電車通勤はかなったのだが、ホームは大混雑。

 この日も計画停電が、午後から予定されていた。そして、こんどは実行された。

 昼食後だったことや、停電が前もって予告されていたので大した驚きはなかったが、電灯やパソコンが消えるといつもとは全然違う。そんないつもとは違う職場の雰囲気を、なかば愉しみながら業務をこなした。

 しかしやっぱり今は非常事態であることに変わりはない。定時になっても、帰りの足がない上、帰っても自宅が今度は停電する時間帯だし。そんなときに実家からメール。うちによって泊まっていけば?というので、食料も少ないし帰るのも大変だと判断して、一晩だけ甘えさせて貰うことにした。

 帰ると、父が携帯電話をいじっていた。ケータイ持たされるのが嫌いだったはずなのに、と半分からかったのだが、これで家族全員、電話&メール連絡が可能になった。新しいので、ワンセグも入るし、緊急地震速報も流れる。そう思っていたら、TVで突然緊急時新情報、直後、ゆさゆさと横揺れが・・・。M6.0という、静岡東部を震源とする地震が。かつて住んでいた三島、長泉が震度4、TVで用意したフリップのせいで、震度6に見えてしまった。安心できるはずが、ちょっとしたパニックになってしまい、布団に入ってもなかなか寝付けなかった。

 で、今朝はまた5時起き。駅まで送ってもらったのだが、ホームは大混雑。電車も普段の半分しか来ない。ただ動かないよりははるかにマシだ・・・と余裕を持っていたのだが、来る電車来る電車どれも満員で、列はなかなか進まない。列車のドアが開いたと同時に狭いドアに殺到する。列の端に並んでいたのが災いして、なかなか乗れない。列の前にいるのに、そのたびはじき出される。ずっと後ろにいた人達が流れに上手く乗って、乗り込んでいく・・・。なんだなんだなんだなんだこの状況は!?

「ふざけんじゃねー、どうしても俺を乗せねーつもりなのか!!」

ついぶちきれてしまった。頭から列車につっこみ、閉まるドアと格闘し、乗り込むというよりはねじ込んだ感じになり、電車はようやく発車した。

 しかし困難な状況は自分だけではないのは当然だ。自分がブチきれたせいで他の人に迷惑をかけてしまった、と直後にはっと思い、途端に降りたくなるくらいの恥ずかしさを感じた。が、すでにドアは閉まっている。乗り切れない人に向かって「ゴメンナサイ・・・」と繰り返しつぶやくのがやっとだった。

 どうにかこうにか、今日も業務をする。停電が午前中に予定され、こんどは予告なしで起きた。作業中のデータはあとで見たらやっぱり壊れてしまっていた。で、停電の時にしかできない作業に切り替えて何事もないように努めたのだが、ゆうべほとんど眠れてなかったので、午後からうつらうつら・・・。席を立ったり、目薬差したりして何とか目を覚まさせる。

 そして帰宅。横浜線も本数が半減されていたけど、運転していた。単純計算で混雑は2倍。押しくら饅頭は仕方ないにしろ、これで気兼ねなく家に帰り着けると思うと、もう苦痛も苦痛でなくなる気分だ。

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 駅を降りたら、駅前のロータリーは計画停電の最中で真っ暗だった。スーパーも開いてないので、コンビニで食料調達するが、もう残っていたのは、ラーメンとシューマイだけだった。そのラーメンが・・・、

Nec_0885

単なる偶然だと思うのだが、福島白川風ラーメン(あくまで、風、ですが・・・)。

ラーメン食べながら被災者たちのことを考えた。もし自分が彼らと同じ状況に立ったとしたら、発狂するかパニックになるかのどちらかもしれない。この2日間の、みっともない振る舞いから、そう考えざるを得ないと思った。こんな軟弱者が言うのも何ですが、避難されているみなさま、どうか望みは捨てないでください。

 そして昨夜、突然の地震に驚かれた静岡の友人達、大丈夫でしょうか?さらには、震度6強という富士宮のあの駄菓子屋さんは大丈夫でしたでしょうか?ちょっと心配です。

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試練の日

2011-03-14 22:11:43 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本大震災の影響で、きょうから計画停電が実施されました。

朝起きると、JRは都内中心部を除いた在来線がほぼ運休。地震以後、デスクの様子が心配なので、早起きをして定時に会社に着くように準備して出勤したのだが・・・。

Nec_0874

まず横浜線は案の定、終日運休。

そこで、まずバスで隣の長津田へ。東急田園都市線は各駅停車だけだが運転はしていた。横浜へ出るには、あざみ野まで行き、そこから市営地下鉄に乗ればよい。最大乗車率190~220%ともいわれるこの路線を必要に迫られて体験乗車。さすがウワサ通りだ。

Nec_0877

あざみ野で地下鉄に乗り換え。動いているとはいえ、休日ダイヤの上、車両のキャパシティもかなり小さいので、あっという間にさっきの電車なみの混雑に。おまけに外の気温がぐんぐん上がり、このままでは気分悪くなりそうだと思い、コートを脱ぐ。

地下鉄にこのまま乗っていれば、会社近くまでいけるのだが、あまりの暑さと窮屈さに耐えきれず、横浜で下車。降りると、改札は入場規制がかかっていて、その列がずーーっと続いていた。

それは地上も同じ。

Nec_0878

JRの改札にはシャッターが・・。長い行列は東横線と京急線。

この先はバスを利用。40~50分かかって、ようやく会社前に。バスの車窓から外を見ると、GSはすでに品切れで閉店しているところもあった。地震の爪痕がこんなところにまで出ていることを改めて思い知る。

会社に着いたら、同僚達に驚かれた。そうかもしれない。きょうの電車通勤は自分一人だけだったから(徒歩か自動車通勤者ばかりなんです・・・うちの課は)。

帰りの交通が心配だったのと、会社も3時以降停電が予告されていたので、それまでに出来る仕事をこなし、3時からは電気なしでも出来る、主に片づけを行った。とはいえ、勤務中は結局停電は起きなかった。

帰宅は、前回同様、同じ方向に帰る人の車に相乗り。隣の駅が最寄りという、ぼくの最初の課長(現取締役)の方と3人、特に大した渋滞もなく帰って来れた。

立ち寄ったコンビニは、看板の明かりを消していた。中にはいると、食料品、それも、パン、カップ麺、レトルト、水(ペットボトル)がすっからかん。まったく入荷がないらしい。店主曰く「いつもはこっちがあっという間になくなるんだけどねぇ」と指さしたのは、お茶とお酒のコーナー。あまりの品薄状態に、客のひとりも「ひでぇなぁ」と舌打ち。とりあえず残っていた惣菜と、牛乳もないのでヨーグルトにカップスープを買っていそいで帰る。いそいでといったのは、この時点であと10分で最後の停電が始まるからだ。

 家についてから、いつ停電になってもいいような対策をする。節電というので炊飯器、電気ポットはすでに切ってあり、冷蔵庫も、傷みやすい食品は朝のうちに消費していたので、万事OKの体制で臨んでいたのだが、30分経っても、1時間経っても停電は起こらない。そのうちニュースの字幕で「計画停電終了」・・・。

まぁ、こうして試練とも言える1日が終わったわけでして。終わったあとで言うのもはばかられそうだが、こんな苦労をさせるのがきょうの目的だったのだろうか?と思いたくなった。明日もこんな状態だったらホント体力もたないよ・・・と愚痴のひとつでもこぼしたくなった。

おまけ

 震災後あたりから、TVのCMにやたらに公共広告モノがふえた。こういう時期だからマナーとか思いやりとか、被災者の気持ちを考慮して・・・・などなど、言わんとしていることはよく分かるのですが、同じCMをずーっと見させられると逆にイライラしてしまう。とかいいながら「こんにちワン」とか、「ありがとウサギ」(決してありがとう詐欺、ではない)とついつい口ずさんでたり・・・こんなぼくは、まだまだ修練が足りないのでしょうか?

 最後、今日1日、たいへんな思いをされた方々、そして被災者(みてるかな?)のみなさまをはげますつもりで、こんな写真を貼っておきます。

Nec_0880

春はもうそこまで来ています・・・。

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地震の影響は時々刻々明らかになる

2011-03-13 13:42:05 | 日記・エッセイ・コラム

 前回が尻切れトンボな終わりかただったので、今回はそのつづき。思いつくままに書き連ねるので、多少読みにくいかもしれません。

・昨日からテレビはずっと地震の情報ばかりだった。午後からは主に福島原発の建屋爆発事故も起き、あらたな被害をずっと報じていた。津波に襲われた沿岸の街、大船渡、陸前高田、宮古、気仙沼など、ほとんど生活している様子がなくなっていた・・・。家はなくなり、船は陸地に乗り上げ、列車は折れ曲がり。ひどいを通り越して、言葉を失った。TVの画面越しではあるが、津波の恐ろしさを改めて感じた。

・有線その他放送で、サザンの曲をかけるのはしばらく控えた方がいいかもしれない、とふと思った。

・放送といえば、TVKが昨日から、テレ東もきょうから通常番組を流していた。アニメを放映することに批判的な意見もあるらしいけれど、深く心が傷ついた、被災者特にお子さまやお年寄りの方々を元気づけられれば、ぼくはそれもありなのかなと思う。

・昨夕、買い出しに行った。近くのア○タへは、駐車場が大混雑。上階の駐車場が入れなかった。なぜかといえば・・・。

Nec_0872

専門店はほとんど休業。

Nec_0873

地震の影響は、こんなところにまで来ていたのね。

・夕飯用にケンタッキー(ここは開いていた)でチキンを買ってきたが、入荷がなく、一部商品が供給出来ない状態となっていたが、長時間並んでなんとか入手はできた。

・チェーンメールが出回っているらしい。千葉のガスタンク爆破の影響で、有害な雨が降るだろうと。もちろんガスメーカーはそれを否定している。ケンタで並んでいる人にも、そのメールが来て回したという人がいた。チェーンメールの影響は、人々によけいな混乱を招くことと、ただでさえ限られた回線をつぶし、本当に必要な連絡を出来なくさせてしまうことにある。

 それに限らず、ブログやツイッターでも「拡散情報」という内容をよく見かけるようになった。非常事態なので、読んで自分が納得するのは自由だが、よかれと思ってコピーして一度に回すのは上記の点からひとつ思いとどまった方がいいと思う。

・自分がこんな思いをしても、被害に遭われ、家を失い、今も避難場所でたいへんな思いをされている方々、あるいは今もまだ救援、救助を待っている方々、とくに、孤立した集落にいて公に情報がない方々もふくめ、心よりお見舞い申し上げます。彼らへの救援はいち早く行って欲しいと思う。外国からの救援要請を政府はこの際どんどん受け入れるべきだと思う。あまりにも範囲が広すぎるうえ、民間ボランティアが今の状態で被災地に赴くのは非常に困難だから。震災救援に便乗したトラブルを防ぐもとにもなるし。とくにまだ取り残された集落や、1万人以上とも言われる安否不明者の一刻も早い確認をお願いしたい。

・さきほどマグニチュードがM8.8からM9.0に修正された。

・こんなブログを書いてきて、読む人にいらぬ不安を煽ったりしていないかと、ここ数回分はビクビクしながら書いている、大丈夫だろうか?

(13:40)

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地震から一夜明けた朝

2011-03-12 10:02:19 | 日記・エッセイ・コラム

 災害情報をワンセグで見ながら、4時間ばかり眠った。

 朝6時、目覚めてワンセグつけると、今度は長野、新潟で震度6の地震・・・。慌てて上田にいる弟へ安否確認のメールを送る。

 昨夜は全然連絡付かなかった実家へ電話。交通遮断されて会社待機していた父も、自家用車便乗で夕方にはかえって来れたそうで、まずは一安心。

 その後、弟からも無事の連絡が来た。義妹の実家にいるとのこと。

 昨夜自宅まで送ってくれたオグピー氏に電話。すると、横須賀線はまだ不通の状態だという。落ち着いたら会社に行って、少しでも片づけをしたいと思っていたが、この分ではとても無理だな。電車も間引き運転なので、きょう、あすはなるだけ外出を避けようと思う。

 備えあれば・・・ということで、コンビニへ食料を買い出しにいってきた。もちろん、カップ麺やおにぎりを確保するのが目的だが、棚にはほとんど食料は残っていなかった。ATMもおろせない。

 ならばと、炊飯器に残っていた御飯を小さな塩むすびにし、捨てる予定のペットボトルに飲み水その他用の水を確保し、風呂の水も補給した。

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