どうにか無事に新居への引越を終えました。ただしまだ段ボール箱はほとんど開けてません。だってめんどくさいし、ほとんど鉄道雑誌だし(ヲイ!)・・・。
新生活にまつわる話はまた別の機会にして、きょうはこんな話でも。
今回のことに限らず、3月、新年度への切り替えの時期は、ホントに引越が多い。きょうの移動中にも運送会社や自前の(?)トラックを何台も見かけた。しかし、引越業者って、最近は若者のなり手が少ないのか、昨日の積み込みには明らかに東南アジア系の学生バイト(と勝手に思っている。けど名札に”トーマス”ってかいてあったから・・・)が積み込み作業やっていた。でも静岡って、留学生や外国人労働者が他より多いそうなので、これ普通なのかも知れない。
雑誌も多いけど、鉄道模型(例の路面モジュール)も前回の引越から多くなった。前回は2~3箱で済んだものが、今回は衣装ケースにして12箱分。「ジオラマ、良くできてますねぇ」今日来た引越屋の兄さんたち、積み込みの時に見たのだろう、ぼくのモジュールみて感動したようだ。三茶モジュールに至っては「ここ毎日通りますよ!」・・・変なところで尊敬されてしまった。
本や雑誌なんて、小さい箱に纏めても、ひとりで担ぎ上げるのに大変な重さになるのに、それを彼らはヒョイヒョイ持ち上げてさっさと積み、またきょうもキビキビとした動作で積み下ろす。それをそつなくこなすのを見ると、ぼく自身の苦い思い出がよみがえる。ほんの数年前までは話したくもなかったことが。
学生当時、卒業する先輩の送別会費用を出し合うために急にお金が必要になり、バイトを探したが、大学内ではみつからず、しかたなくアルバイト求人誌でみつけた派遣の事務所(ようなもの)に入った。簡単な作業でしかもその日払いなのが魅力だった。仕事をもらい、明日何時にどこそこへと告げられ、行ってみると、その場でつなぎを渡された・・・。作業とは「引越」だった。当時業界でも一番厳しかったといわれるS社(「○強しまっせ~♪」で有名な、あの会社です)のつなぎを着て、事務用品から机からパソコンから、上から下ろされる荷物を流れ作業の要領で運び出す。
スポーツやっていて多少体力に自信があったとはいえ、大学に入ると運動らしい運動はもうやっていなかった。思った以上にきつく、1時間もしないうちに足腰に力が入らなくなる。それをみた社員の方に「手抜いてやってんじゃねぇよ!」と怒鳴られ、またべつの場面でも怒鳴られ・・・。
それを2日間続けた(続けたうちに入るのか?)。2日目は本来バイトが二人予定していたがひとりが来ず、社員との二人だけの作業だった。しかもこの日はマンションの4階からエレベータを使わず荷物を運び下ろすのがメインだった。前日の疲れもあり・・・また怒鳴られる。
それでもなんとかこなし、余った時間に引越業者の事務所で洗車の手伝いをしていたのだが・・・。隣で作業していた社員に「お前のようなとろい奴、初めてみたよ・・・」。もう返す言葉も気力もなく、ただ、ここは自分のいるべき世界ではないということをイヤというほど思い知らされ、帰りに乗った埼京線の電車の中でひとり悔し涙を流した・・・。
それからしばらくの間、引越業界、しかもS社についていえば「○強しまっせ~」と、明るくさわやか、ときにお茶らけたイメージのCMを流していても、もはや信じることができなくなってしまった。
もう、こんな話、今だから笑って書けるんだけどね。仕事の都合とかで引越を業者に任せたり、あるいはよその家での引越の場面をみたりするけど、きっとこの中に、あのときのぼくのような人もいるにちがいない・・・そう思うときがあります。
(注:もしかすると過去に同じことを書いたかも知れないですが、今回はより詳細にかきました・・・)。