KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

12月へ少し期待する

2018-11-30 21:55:35 | 日記・エッセイ・コラム
 11月が間もなく終わる。

今週1週間、いやここ1か月ほど、息つくひまなく業務に追われる日々。同じことの繰り返しでさすがに少し参ってしまい、好きなことにもあまり積極的になれなかったような気がする。

それでもきょう、とりあえずひとつの山は片付いた(と思っている)。
しかまた来週も同じような、いやそれ以上の激務になりそうな気がするので、明日あさってはしっかり休息を取っておかないと。

そんな中で、少し先のはなしですが、毎年末のさいたま鉄道模型フェスタへ、今年も参戦を予定しています。


今回はそれだけです。
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家にいても旅はできる、タイムスリップも(!?)

2018-11-25 17:15:38 | Railway&RailwayModels
 最近の休日は必要最小限の外出にとどめているKouChanです。というのも、最近は仕事のストレスなのか、先の予定がほぼないためか、出不精になり、また出かけても、帰ってくるとひじょうに疲れてあと何も気力が起きないことがありまして。

そんな中で先日、「はじめて」神保町の「書泉」に行き、そこで買ったのが、この本でした。


「秘蔵カラー写真で味わう 60年前の東京・日本」(光文社)

著者のJ.ウォーリー・ヒギンス氏が、1950年代から撮り続けてきたカラー写真、それも、鉄道に関する写真をメインに約350枚を1冊の新書に収蔵したもの。
ヒギンス氏の写真は、雑誌「鉄道ファン」でも連載されており、半世紀前の東京の街や都電、意外と鮮やかだった電車、列車のシーンを見るのが楽しみだった。

最近、昔の写真や映像に色を付けて復元したものがTVや本などで多数紹介されているが、こちらは最初からコダックのカラーフィルムを使用しているとのことで、写真ももちろん天然色(古い!?)。

 当時の東京の街(とくに氏の沿線だったという井の頭線や銀座線のカラー写真は美しい・・・)を中心に、全国の都市の写真が、ページをめくるたびに鮮やかに飛び込んでくる。知っている、あるいは訪れた町の昔の姿(くりかえしますが、天然色、カラーで!)、また当時の風俗(生活の様子を切り取ったもの)も分かるので、読んでいくうちに、1950~60年代の東京、および日本の各都市を旅している気分になるので、気に入ってます。
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やり直しの修学旅行~その11(終) そして???へ

2018-11-21 23:34:18 | 旅行記
 前回のつづき。京阪電車で降りたのは・・・

西三荘駅でした。

駅の目の前に広がる、松下電器の工場。

その敷地内にある「パナソニックミュージアム」を見学してきました。

門の向こうの建物は、創業者、松下幸之助の歴史館

工場の建物をバックに、松下幸之助の銅像。

旅行計画時には予定をしていなかった今回の見学。
行ってみようと思うようになったのは、1日目の電車内で見かけた、この中吊り広告からでした。

元来電気屋(大学で電気工学を専攻していた、という意味で)であったので、変わった電化製品を見るのも面白いなと思い、1日目のホテルで行き方や時間を調べ直し、計画をその場で変更(とはいえ、あとでまた書きますが、最後の帰京時は新大阪から新幹線に乗ることは最初から予定していました)。

変わった電化製品の展示は、こちらの「ものづくりイズム館」で見ることができた。ちなみにこの企画展は11月24日までですが、今サイトを見てみたら、続編もやるようですね。

見学を終えて駅に戻る。
乗る電車がくるまで複々線の京阪電車をいくつか撮影して楽しむ。



京阪電車に乗り、淀屋橋を経由して、地下鉄御堂筋線で新大阪へ。
新大阪で、北大阪急行のポールスターに遭遇。

今回に限らず、出張などで大阪へ来たときは(あまり回数は多くないけれど)、駅内のお店で食べて帰るが、最近は、ある意味ベタというか、この店のお好み焼きがお気に入り(この店、関東にもありますが・・・)だったりします。

時間は17時前でしたが、早めの夕食を。

新幹線に乗車。ゆっくり座って帰りたいから、新大阪始発の電車に乗る。

揺られること約2時間半、新横浜に無事到着。

これにて、やり直しの修学旅行は以上。長い連載でしたが、無事完結できました。そして疲れました・・・。
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やり直しの修学旅行~その10 寺を回って思ったことなど

2018-11-17 17:03:58 | 旅行記
 前回のつづき。

JR奈良駅で、家や会社への土産を買う。
持って帰るには重くて今回は断念した、「大仏プリン」は、買ってその場で食べました。美味。

奈良駅の改札口。

高架駅になって随分きれいになっている。

高架ホームとなった奈良駅。昔は地上駅だったが、その時の記憶はほとんどない。
大和路快速に乗車。発車して左に分かれていくのは、万葉まほろば線(桜井線)。


前の日に訪れた郡山、法隆寺を通過し、王寺駅。

隣にもうめったに見られなくなった、201系電車が。

ところで、昔の寺社とかを巡るとき、歴史性を感じるか、建物や仏像、装飾品への芸術性を見るか、捉え方は様々だと思う。ぼくが(あまり多くはないけど)地方へ行ってお城や寺社を見て回るときは、そこでの歴史を感じながら見ていることが多い。創建した人がどんな思いで建てたか、誰のための寺だったのか・・・などなど。

とくに今回、奈良に来て、薬師寺、法隆寺、東大寺などを回って思ったのは、当時最先端の外国文化であった仏教を、積極的に、政治の分野から、当時の人々の生き方にまで反映させていることが垣間見えたりすること。

寺にはご本尊があり、ご本尊を護る本堂(金堂)があり、釈迦の骨(仏舎利)を収めた舎利殿(五重塔、ほか)があり、そしてそこに住まう僧たちが修行する講堂があり、山門、回廊がこれらを取り囲んでひとつの伽藍を形成する。それが、訪れた寺ごとに違いがあり、比較するのも面白いと感じたり。また最近は、創建時の姿に再建する(薬師寺・興福寺など)動きもあって、いつかまた訪れることがあれば、そのときまた、新しい姿を見せてくれることだろう・・・。

そんなことを振り返りながら、いつのまにか電車内でうとうと・・・。
気が付いたら大阪・天王寺に着いた。

ここから環状線に乗り換え。

京橋で乗り換える。

1日目以来の、京阪電車に乗る。



さてどこへ・・・!次回最終回。
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やり直しの修学旅行~その9 奈良・東大寺&春日大社

2018-11-14 22:56:18 | 旅行記
 前回のつづきです。
バス停着いてすぐに来たバスに乗ったら、目的とは違う交差点で右折してしまい、

奈良ホテル前というバス停であわてて下車。戻る途中、さきほどまで訪れた興福寺がすぐそこに見える。
しかし悪いことばかりではない。春日大社の一の鳥居をくぐることができた。

ここから、奈良公園内を散歩。なにごとも、前向きに。

東大寺にもどってきました。あきらかに観光客の層が変わってきてる!

「アンタ、また来たの?」って、言われたみたい・・・!

前回は時間前で入れなかった、正倉院を見学。

大仏殿の裏側を散策する。
この広い敷地は、かつて講堂があった場所。それを示すかのように、大きな礎石が残っている。

道路の真ん中に、ぽつんと1個だけ石が。
遠足中の小学生たちは気づいていなかったかもしれないが、これは食堂跡の礎石。


二月堂に到着。
この写真を撮った直後、老夫婦に声をかけられ、二月堂をバックに記念写真を撮影してあげた。そのお礼なのか、「あなたのも写しましょうか」と言われたが、少し恥ずかしくて断ってしまった。でも今思えば、やっておけばよかったかなぁ・・・。

法華堂とも呼ばれる、三月堂。

手向山八幡宮。ここを過ぎると、次の春日大社まではちょっとした山道をゆく。

若草山。
上ると見晴らしがよさそうだが、10月としては珍しいくらいの陽気、むしろ暑いくらいで、そこまでの体力がない。

さて、このお土産屋さん。「神仙境」とある。

中学の修学旅行で、ここが昼食のチェックポイントだった。入ってみると、奥の食堂らしきところで、当時の自分たちと同じように昼食を摂っている。食事できるかと尋ねてみたが、団体の予約がほとんどで、一般の方へはごく一部の時期を除いて食事提供は行っていないのだとか・・・残念。

気を取り直して参道までの道をふたたび歩き、奈良公園最後の目的地、春日大社に到着。

今回は、特別参拝で、本殿近くまで行くことができた(拝観料500円)。

参拝ルートに続く、たくさんの灯籠。


こんどは、参道を、さきほどの一の鳥居方面を下っていく。昼食場所を探すためでもあるのだが。
そんな中で、こんな茶屋風の店に入る。

こんどは、一般の客でも大丈夫みたいだ(でもほとんど外国の観光客ばっかり・・・!)。
この店で出している、「万葉粥」御膳をいただく。

疲れている胃にもほどよくいい。

午後からは、まずこの巡回バスに乗車。


着いたところは、初日に立ち寄ったJR奈良駅。さて、どこへ行くのか・・・続きは次回。
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やり直しの修学旅行~その8 奈良・東大寺&興福寺

2018-11-11 17:42:23 | 旅行記
前回のつづき。いよいよ3日目です。
朝食後、2泊したホテルをチェックアウトし、旅がスタート。
またも近鉄新大宮の駅前、踏切で伊勢志摩ライナー用車両が通過していく。

この日は電車を使わず、路線バスで移動する。

近鉄奈良駅前。やはり観光客や修学旅行生はほとんどおらず、通勤通学客が乗ってくる。

バスはここからさらに東へずんずん坂を上っていき、「東大寺大仏前・春日大社前」で下車する。

まずは東大寺を訪問。

南大門の前にて。時間はまだ朝8時前というのに、もう多くの観光客、修学旅行生たちが。

もちろん、シカも!

南大門の金剛力士像。阿形(左)、そして吽形(右)。

中門で左に曲がり、

受付を経て、大仏殿へ入る。
巨大な大仏殿。江戸時代再建の三代目。昭和55年に修理し現在の姿に。

幅57メートル(間口7間)、奥行55メートル、高さ48メートル。大仏殿前の人の大きさを見ても、その巨大さがわかるが、奈良時代の創建時、鎌倉時代の再建時のそれと比べると、大きさは小さくなっているのだそう。

そしてご本尊、大仏さまこと「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」。


盧舎那仏の両脇に仕える脇侍「虚空蔵菩薩(向かって左)」と「如意輪観音(同右)」。

創建時代から残る、八角燈籠

大仏殿内部の裏に、東大寺創建時の伽藍全体を再現した木製の模型がある。

伽藍を出て、。修学旅行では行かなかった、正倉院を見学しようと思ったが、公開時間前(このとき8:40)だったので、

最後に訪問を予定していた、興福寺へ。最初に乗ったバスを、2停留所分もどる形で。
まずはご本尊のいる、東金堂と、

隣の五重塔。

南円堂と、

その一段下に、三重塔。

まっすぐ北に進むと、突き当りにあるのが、北円堂

興福寺は、藤原家の氏寺として、平城京遷都とともに建立したが、周囲より一段高い台地にある。
北円堂のある場所から、奈良駅、平城宮方面を見る。

高低差がわかるのは道路くらい。

そして、目玉は何といっても、今年10月落慶したばかりの、300年ぶりに創建当時の姿に再建された中金堂。

訪問した前の週(10/7~11)に落慶法要が行われたばかり。ニュースでも報じてましたね。
一般拝観はまだできない(10/20より)時期だったためか、所どころ気になるモノはあっても、美しい姿をみることができた。

その金堂を、少し下がって、南大門跡から。

ちなみに、ここから石段を下ると、猿沢池。


中金堂の後ろ(写真の左)にあるのが、かつて仮金堂とされた建物。

本尊である木造釈迦如来像ほかを中金堂へ移して金堂としての役割を終えた後、現在は講堂(仮)となっている。

こちらは食堂。
今は阿弥陀如来像をはじめとした、国宝館として一般公開(有料)されている。

この興福寺では、今後も南大門、中門などの復元工事を計画しているという。時が経つと、また違う姿をみせてくれるのだろう。

興福寺から、ふたたび東大寺へ戻る。先ほどの正倉院を見ていくのだが・・・この続きは次回。
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やり直しの修学旅行~その7 近鉄電車撮り鉄編

2018-11-09 23:57:38 | 旅行記
 本題の前に。
このシリーズ「その1」で立ち寄った「三井寺力餅」さんで、TVロケをしていたと書きましたが、

どうやらこの番組で放映するようです。放映日も明日11日(土)ですが、放映地区が限られていて、ぼくの住む関東では放映されないみたい・・・。どんな放送になるか、もし視た方いましたら教えていただけるとありがたいな。とはいえ、自分は間違いなく映っていませんけど。

では、前回のつづきです。
キトラ古墳周辺地域から、壺阪山駅へ。

人はほとんどいないが、案山子が多い。


ホームで待っていると、橿原方面から、特急「さくらライナー」が。


行き違いで吉野方面からやってきたあべの橋行き急行。

これに乗車して、橿原神宮前で下車。
近鉄線は、線路の幅が新幹線や京急と同じ標準軌(1435mm)だが、吉野線、南大阪線は、JR線と同じ狭軌(1067mm)となっている。

しかし車体は他の近鉄線と同じ。2両編成の特急も。

橿原線のホームから。普通電車の8600系。

あらためて、先ほどの吉野線とレール幅の違うのがお分かりいただけるかと。

発車を待っていると、隣に謎の車両が・・・!

大和八木で途中下車し、交差する大阪線ホームへ。

特急も停車する駅だが、アーバンライナーは通過。

普通・準急と急行・特急が交互にやって来る。



先ほど橿原神宮前で見た、謎の車両、もとい事業用車も。


だいぶ日も暮れかかってきた頃、名古屋方面から、京都ゆき特急が来る。

車両は、はじめて近鉄特急に乗った時と同じ、30000系ビスタカー。リニューアルを経て「ビスタEX」となる。

大阪線から、連絡線を通って、橿原線に入る。

乗車は、スタートの大和西大寺まで。時間はわずか20分弱でしたが、楽しいひとときでした。


次回からは3日目のはなしです。




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やり直しの修学旅行~その6 飛鳥編

2018-11-07 22:28:20 | 旅行記
 前回のつづき。昼食後、法隆寺を後にし、

バスに乗車。また近鉄電車に乗るために、筒井駅へ。

バファローズ、なんだか懐かしい・・・!

普通~急行を乗り継ぎ、橿原線の終点、橿原神宮前へ。

ここからは、吉野線に乗り換えて、

飛鳥駅で下車。

駅前から歩いて数百メートルの「国営飛鳥歴史公園」の、高松塚周辺地区。

まずは敷地内にある「国営飛鳥歴史公園館」にて、写真は撮りませんでしたが、公園全体の概要や立体模型などで確認する。

遊歩道を、まずは高松塚古墳をめざし歩く。

そしてこの小高い丘が、高松塚古墳。

誰の陵墓かは今もわかっていない。
周辺は公園として整備され、散歩中の人やハイキングの中学生らが行きかうくらい。

さらに歩く。

人影もほとんどなく、大きな道路に出ても、クルマもあまり通らない。

自分はなぜこんなことしているのか。ただただ、まっずぐ延びる道を歩いているだけ。余計なことを考えまいと頭を空っぽにしようとしても、なぜか何かしら考えごとをてしまう。でも実は、そんな環境を長いこと待ち望んでいたのかもしれない。ただ歩いているだけなのに、自然と思考がぐるぐるしていると思うと、顔が妬けてしまう。

坂道の一番上、さらに上って、展望台から、これまで歩いてきた道を見下ろす。

ここは、国営飛鳥歴史公園の、キトラ古墳周辺地区。

ということで、こちらがキトラ古墳。


こちらも、現在は周辺が整備され、公園のようになっている。
2000年代に調査が行われ、石室内から、四方の壁面に描かれた四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)がすべて揃っていたこと、天面には天文図が、また獣頭人身の十二支も6体(子、丑、寅、午、戌、亥)描かれていることが確認された。
キトラ古墳は特別史跡に指定され、発掘調査のようすや、再現された石室の内部を、併設する「四神の館」で見ることができる。



見学を終えて、公園横の休憩所で一息ついてから、駅へ歩き出した時、さすがに秋だからか、汗をかくような暑さがどこかへ行って、涼しい秋風が吹いてきた。

以下、次回へ。
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やり直しの修学旅行~その5 奈良・法隆寺

2018-11-05 00:22:52 | 旅行記
 旅行記再開。前々回やりました、薬師寺訪問のつづきです。
JR郡山駅(もちろん奈良県)から、2つ先の法隆寺駅へ、電車で移動。

法隆寺の駅は、小ぎれいな橋上駅となっていて、たぶん自分が修学旅行で立ち寄った時の面影はない・・・のではと思う。
ここから、法隆寺までは歩いても結構ある(1キロくらい)ようで、たまたま駅前のバス停に停まっていたバスが、法隆寺参道まで行くというので、迷わず乗車。

バスは信号待ちで何度か止まりながらも、約15分で法隆寺参道へ到着。

周りは観光バスだらけ。バス用駐車場には修学旅行生や社員旅行客、海外からのツアー客などさまざま。

落ち着いたころを見計らって、南大門から入場

・・・の前に、手前にあるのが、魚の形をした石。「鯛石」とも呼ばれているそう。

一説には、近くにある川(大和川か?)が氾濫したとしても、この石まで水はやってこない、ということを、聖徳太子が知っていてこの地に建立したのだとか・・・本当かどうかは謎。それを知ってか知らずか、修学旅行生たちがなぜかありがたそうにこの石を踏んで入っていくのが印象的だった。

西院伽藍の入り口である中門(国宝)は、この時は修復中でした。

回廊から伽藍の中へ入ると(中学の修学旅行ではこれができなかった!)、目の前には五重塔が。

奥には大講堂。

そして、ご本尊である釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀如来像を安置する金堂(建物はすべて国宝)。

これらを見んと、修学旅行生も観光客もみな、左側の階段から内部に入る。
続いて、回廊を抜けて、寺の東側へと進む。
右に鏡池、

左に東堂、聖霊院。

このときは、大宝蔵院の内部も見学できた。

ここには有名な百済観音像が安置されており、ここでそれを見ることができ、中学時のやり残しを果たすことができた。
続いて、東大門を抜け、東院伽藍へ。

先ほどの西院伽藍よりは規模の小さい東院伽藍。以前書いたが、ここはかつての聖徳太子の一族の住居(斑鳩宮)の跡地になる。

回廊の奥に突き抜けて見える屋根は、夢殿のもの。

正面の八角形の建物が、夢殿。もとは斑鳩宮の跡地に、高僧行信により建立されたが、いつからか夢殿と呼ばれたようだ。聖徳太子等身の救世観音像が安置されている。
夢殿は、内部を覗き見ることはできたが、救世観音像は残念ながら拝めず(秋の御本尊御開帳は10/22~11/22)。
左手に、絵殿、舎利殿。

東院伽藍の北側には、中宮寺というお寺もあり、そちらへも立ち寄る。法隆寺拝観チケットを持っていると、割引で入ることができる。
中宮寺は、聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御願により創建。創建時は現在の場所から500メートルほど東にあり、現在は史跡公園となっている。

こちらが中宮寺の本堂。本尊菩薩半跏(国宝)を安置する。また、聖徳太子の死後、御妃であった橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の命により、夫である太子の行かれた天寿国の世界を刺繍にした「天寿国曼荼羅繍帳」(国宝)の複製も見ることができる。本堂は昭和時代の落慶。

法隆寺、中宮寺を見学したところで昼時となり、最初の参道まで戻る。参道にひしめく食堂で目立って見えた「柿の葉寿司」が気になり、


気温もあたたかく、めずらしく冷たいざる蕎麦と一緒に注文した。
これが柿の葉寿司。中はサバ寿司。

もう少し書き進めたいところでしたが、今回はココで時間切れ。続きは次回へ。
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千代田線の電車のはなし

2018-11-03 23:01:13 | Railway&RailwayModels
 ただいま連載中の旅行記ですが、今回はちょっとお休みしまして、きょうのお出かけ話を。

きょうは綾瀬にきてました。目的は、すでに定期運転から引退し、11月11日まで休日限定で臨時運転する、東京メトロ6000系電車への、最後の乗車でした。

千代田線の綾瀬から、北綾瀬への支線に乗り換える。
かつてはここも6000系の3両編成が走っていたが、今は元東西線の05系3両編成だ。


メトロ6000系は、小学生のころから小田急沿線に住んでいたことから、なじみは深く、当時はもちろん普通にみることも乗ることもできた。

その当時の1枚。撮影は1989年。

目的の列車が入ってくる少し前まで、駅前近くのファストフード店で昼食を摂ってました。
回送でロマンスカーが車庫(右手方向)へ向かっていった後、

お目当ての列車が車庫から出てきた。


いそいで北綾瀬駅へ戻り、ホームからやっとの思いで撮った1枚。

今回の列車には、当時の営団地下鉄Sマークがシールで再現されている。
非常用扉が正面からみて左に偏っていて、左右の窓の大きさが極端に違う。この独特のデザインは、その後開通した有楽町線や半蔵門線にも引き継がれていく。
登場は1971年で、じつに47年もの間、千代田線や乗り入れ先の常磐線、小田急で走り続けてきたわけで、そのことが、正面に付けられたヘッドマークでもわかる。


乗車は綾瀬からになるので、先ほどの支線に乗って一足先に綾瀬まで戻り、その列車の到着を待つ。そして入線。

ホームは大混雑。事情が分かっていなさそうな人がその状況に戸惑っていた(!?)様子。
ドア上の次駅案内表示は、今のLCDではなく、昔の3色LEDによ文字表示。

荒川を渡る直前、並行して走る東武線には、同じ東京メトロ日比谷線03系が。

今回はドア横に陣取っていたのでしたが、昔はドアの窓が今の大きさの半分しかなく、おまけに上のほうにあったので、小学生の低学年当時は、この電車に乗ると、外が見えなくて半分ガッカリしたものだ・・・というのも思い出した。

荒川を渡ると、列車は滑るように地下にもぐり、北千住へ進入する。
その次の町屋で下車し、多分最後になるであろう、見送りをしました。


ココからはオマケです。
町屋で電車降りて地上に上がり、都電荒川線(さくらトラム)で飛鳥山へ。

車内で見かけた広告で、北区飛鳥山博物館で、都電の写真展をやっているのを知り、無料だったこともあったので、見てきました。
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