1ヶ月くらい前の話であるが、実家に帰った際、両親から「あんたこれ読むかい?」と1冊の本を貸してくれた。
それが渡辺淳一「鈍感力」だった。氏の作品といえば「失楽園」や、最近映画やドラマにもなった「愛の流刑地」が有名で、男と女の究極かつ純粋な愛を描いた作品、というイメージを持っていたが、これはエッセイだという。「愛ルケ」はたしか新聞の夕刊に連載されていたもので、時々読んでいたが、全体の話はわからない。
本の厚さのわりに、分量は少ないから1日でも読めちゃうよ、というので時間を見つけて読んでみた。一読して、「鈍感力」というのは、つまり、「人間が生きていき、末永く幸せに暮らしていくために必要な力、周りにいちいち過敏にならず、平然としていられること」のようである。「そんなわけないだろう」と、読んでいて思うことがあったが、裏を返せば、自分がそれだけ「ひ弱」で「敏感」、つまり「鈍感力」がたりない、ということになる。
学生のころ、読んだSF小説で、星新一の(たしか)「程度の問題」というショートショートを思い出した。ある男がスパイとして某国に潜入し、スパイと悟られぬよう生活を送るのだが、そう思うがあまり、アパートの部屋をめちゃくちゃにしたり、おもちゃに爆弾が仕掛けられていると思んこんで身を隠すなど、いろいろとハプニングを起こしてしまい、まもなく本国へ帰還されてしまった。彼の後任のスパイは、少し鈍いタイプだったのだが、盗聴器に気づかずすぐ身分がばれ、もらったお菓子を食べて毒殺されてしまった。と、極端といえば極端な話なのだが・・・。
とどのつまり、センスや感性も重要だが、あくまでもほどほどに、というのが一番大事なことのようだ。
話は全く変わりますが、
今月号の「とれいん」誌に掲載された「たまでん物語II」の記事にはたまげた。