きょう放送していた、「ヘキサゴンII」のスペシャル番組を見て思ったこと。
この番組、クイズというよりは、いわゆる「おばか」タレント達の珍回答ぶりが番組のウリのようで、小学校レベルの算数問題に悪戦苦闘したり、とんでもない回答を導き出したり。信じられない回答が連発する中、最近は結構正解するタレントさんもでてきて、最近のを見ているとスザンヌちゃんがよく正解を導き出す。しかしそれを見ているこちら側はなぜかホッとした気分になるのが不思議でたまらない。
番組の後半で、二人一組で回答するコーナーがあり、問題の答えがすべて「○○と△△」のような形式になっていて、○○はほかのタレントさんが交代で答え、△△の箇所をチーム最下位のタレントが全部答えていく。この形式にすると、いままでビックリするような珍回答ばかり繰り返したタレントさんたちが、結構正解を出すようになっていく。「○○」という前提になる言葉がでてくると、それに連なる言葉がさくさくとでてくるようだ。 司会の紳助氏、これを見て一言、「彼らは言葉は知っている。だけどそれがどういう意味の言葉なのか、わかっていなかっただけだ」。これを聞いたとき、あるひとつのエピソードを思い出した。
「奇跡のひと」ともいわれていた、ヘレン・ケラーとサリバン先生の話のなかに、こんなのがある。あるとき、サリバン先生は、ヘレンが、覚えた言葉を家に飼っている犬にくりかえし教えているのを見た。言葉をまるで「ゲーム」のひとつと思っているヘレン。どうすれば、物には名前があり、言葉には意味があるということを教えられるだろうか・・・。これはのちに、ヘレンが井戸から流れ出ててくる「つめたいもの」を触ったときにはじめてこれが「water(水)」だと理解した、という感動の話につながっていくのだが。
そう考えると、「言葉」では知っていても、それは一体何のことか、聞いたことはあるけれど、何を意味しているのか、いわゆる「キーワード」や「キャッチフレーズ」としての「言葉」が一人歩きしていることが大変多いようにも感じる。最近、雑学やクイズを扱うバラエティー番組が増えているが、物事をちゃんと知りたい、言葉の正しい意味を知っておきたい、という知的欲求が働くから人気も出るのだろうか、などと考えてしまう。クイズ番組をみていて、問題聞いただけでは分からなくても、正解が聞いたことある言葉だったりすると、思わず「なるほど~ぉ」と独り言が出てしまうのも、そのせいなのだろうか。
このコラム書いていたら、なんだか国語辞典欲しくなっちゃったなぁ・・・。