KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

改製原戸籍のはなし

2022-10-31 21:04:53 | 日記・エッセイ・コラム
 最近の休日は、父親関連の書類作成とか、諸々の変更手続きなどをカメ並の進捗ながら進めているKouChanです。
昨日は、ようやく墓地使用者の変更(父→自分)登録が終わり、次は、もう使わない父の乗用車の手続き相談で自動車メーカー店へ。
そこで、残ったローンを走行距離で相殺し引き取りをして貰うことで進めることになったが、車自体が”遺産”となるため、相続の手続きが必要だと聞かされた。
必要な書類として、戸籍謄本、印鑑証明書に加えて、「改製原戸籍謄本」がいるとのこと。
 翌日のきょう、母と遺族年金の申請をするため事前に年休を貰っていたので、ついでに区役所へ立ち寄り、その「改製原戸籍謄本」も入手しようと思い、区役所を訪れたのだが、父が生まれた市、婚姻届を出して本籍を移した市でないと申請できないという。午後を少し回っていたが、休みもこれ以上あまり取れないことから、今日中に入手しようと、電車で1時間で行けるT区役所へ。

そういえば、何年か前、高知県に住む祖父についても、相続の関係から改製原戸籍を取るために、祖父が生まれた東京の某区役所まで両親が取りに行った、という話を思い出した。

無事に区役所で改製原戸籍を入手できたとき、もう日が半分暮れかかっていた。
その帰り、幼いときにこの近くに祖父の家があった(今は当然だがない)ので、そのとき通った横丁っぽい道を歩いてみる。


祖父の家は線路沿いで、昔は蒸気機関車も走っていたらしく、列車の振動が家にも響いて大変だったのだとか。

おまけ
 昨夜「ドン、ドン」と外で音がするので、何事かと思ったら、


どこかで打ち上げ花火を上げていた。どこからかは分からなかったが、自分の部屋からこんなにはっきり見えたのははじめてだ(下の明かりは近所の道路灯)。もしかして父への鎮魂の意味もあったのだろうか・・・とはぼくの勝手な思い込みであります。
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父を送る

2022-10-22 23:08:54 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の続き、ではありますが、父の葬儀までは1週間の空きありました。火葬場の予約が満杯で、ようやく葬儀社が予約を取れたのが10月15日の朝の早い時間だけだったのです。
 それまでの間、会社から公休をいただき、葬儀社との打合せや区役所への戸籍に関する届け出、健康保険証等の返納、公共料金の名義変更(父→自分)など、進められそうなところから開始しましたが、役所関係の手続きの半分近くは葬儀が終わらないと進められず、半ば悶々した中で、迎えた葬儀の日。
喪主は自分が務めました。
通夜は無し、告別式1日のみの家族葬ということで、参列者も母と弟一家、そして義妹のご両親というごく少数。遠方に住む親戚(両親の兄弟姉妹)へは、みな高齢ということや、その他もろもろの事情から、連絡は葬儀が終了した後で行いました。

告別式に続いて、初七日法要も行ったのち、出棺。葬儀社の持つ小さな霊柩車に父の棺を乗せ、喪主の自分も乗り込み、市営の斎場へ移動。
葬祭場では、お坊さんの最後の読経のあと、いよいよ火葬。
その待ち時間に、母が探してきた、昔の父の写真を見て、みなで昔の思い出話に花を咲かせる。
昔の父の写真は、どれも初めてみるものばかりだった。小中学生のころの集合写真を見せられたが、自分の子供の頃に似ている顔を探してこれが父ではないかとか話をしたのだが、正解はもちろん分からない。

1時間半後、無事に収骨を終えた父を抱え、斎場を後に、次は精進落とし。

精進落としの段取り、店の予約からコースの設定などは、ほぼ弟に任せていた。ここにきて、ようやく少し肩の荷が下りた気がした。
精進落としを行った料理店は、自宅からも近く、父も1度訪れたそうでしたが、そのときは席が満杯で食事できなかったそうなので、今回ここで食事できたのは何かの縁だったのだろう、と思いたい。

こうして、父はようやく帰宅することができた・・・という経緯で、葬儀は一つの区切りをつけましたが、今度は四十九日法要に向けての準備や、まだ完了していない手続きを引き続き進めていくので、まだまだ忙しくなりそうです。
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父を看取る

2022-10-16 21:03:04 | 健康・病気
 今回は個人的には辛いですが、大事な話を書きます。
去る10月8日未明、父が永眠しました。
なお、葬儀は昨日(10月15日)家族葬にて行いました。

闘病についてはこのブログでも何度か書きましたが、父のがんとの戦いは、その数年前から始まっていました。
先月、前々回に入院した話を書き、病状は詳しく書けないとしましたが、じつはこの時点で、癌が肺にまで転移し、肺炎も発症しており、いつ急変してもおかしくない状況と医師から言われておりました。
しかし9月中は輸血や点滴のおかげもあって、会話もでき、リハビリによって体も手足を少し動かすこともでき、ひとまずは安心していましたが・・・。

亡くなる前日、10月7日は、それまでの暑かった日々から一転、大粒の雨が降る寒い1日でした。
朝、病院から突然、血圧がそれまでの半分以下になり、意識レベルが低下し、急を要する事態となったとの連絡を受け、母、そして弟夫婦も長野から駆けつけ、4人で面会することに。
病室の父は、もう会話ができなくなり、酸素マスクを装着し、苦しそうに息をする(眠っている?)状態。でも、耳や、体に触れているのは本人も認知しているというので、声をかけたり、体をさすったり、息が苦しそうであれば、ナースコールで看護師を呼び、痰の吸入をお願いしたり。
そんな中、時々、右腕を上げたり下ろしたりする動作を何度かしていた。こちらの声かけに反応をしているのかとも思ったが、ふと母が「釣り竿を動かす動作」ではないかと言った。釣りが好きで、昔はヘラブナ釣りの同好会にも入っており、最近まで気分のいいときは釣り竿や浮きの手入れもしていたくらいの釣り好きだったことを思い出した。

夕方、少し落ち着いた状況となったことから、病室の父に付き添って宿泊する母を残し、弟夫婦と一旦帰宅。
その数時間後の午後11時、母からの連絡で、血圧がさらに下がったとのことで、義妹に留守をお願いし、弟と二人で再度病室へ。
父の状態は見た目変わっていないようでしたが、心拍のモニタは昼閒見た数値からさらに下がっていた。
12時過ぎ、血圧測定を行ったが「もう測定できません」と夜勤の看護師さん。
それから1時間、とにかく声かけしたり、体をさする、手を握るのを続けていたが、いよいよ心拍もモニタ数値が目に見えて下がっていき、1時半に心拍ゼロの状態に。

午前1時38分、静かに息を引き取りました。
長い病苦から解放されてほっとしただろう、というのが、そのときの気持ちでした。

帰る身支度をするというので、一旦病室を出た待合室で、看護師から「葬儀はどこかお考えでしょうか」。何も考えていないと答えると、病院のほうから、葬儀社を紹介いただいた。すぐさま連絡していただき、1時間後の午前3時に病院へ来るという。

1時間後、身支度を終えた父は、苦しそうな表情から一転して安らかな顔に、服もチェックのシャツ、ベストを着て、ジーンズを履いていた。服は、事前に母が用意したもので、旅行の時に気に入って着ていたものだという。
葬儀社の方とは、霊安室でお会いし、家族葬で行うことと、父は葬儀まで葬儀社へ安置することとなった。午前3時15分、病院を出発。
父と別れ、3人で自宅に帰ってきたのは、朝4時近くでした。

この後のことは、次回まとめます。
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小型車製作記

2022-10-02 21:19:46 | Railway&RailwayModels
 最近また、ちまちまと気の向くままに鉄道模型、車両キット工作を続けてますが、形になってきたのがふえてきたので、いくつか紹介します。
今回はサブタイトルのとおり、小型車、それも、GMキットのストラクチャーとして販売していたものですが、かつては「バリエーションキット(Vシリーズ)」として発売していた小型車両です。



まずは、江ノ電1000形タイプ。


作り方は前に江ノ電1000形を作った時とほぼ同じですが、今回はサンライン号1501-1551編成に。オレンジ色のラインはデカールで、あらためて新品を購入したので、仕上がりが綺麗になっていとうれし。
続いて、このキットのおまけで付いてきた、601号。


あれ、1編成(2両)分できている・・・。タネ明かしすると、1両は前述の通りだが、もう1両は某中古模型店で箱状に組立済のものを購入。
動力は鉄コレ動力の大型路面電車用を使用。トレーラ車(右側)の台車は、まだ仮のものを使っている。連結はドローバーでできるようにした。

お次は、一気に西へ飛んで、京阪600形。
これも子供の時には高く、またキット作る技術もなく手を出せないでいたが、再販を機に購入。
鉄コレですでに600形(1次車)は持っていたので、今回は2次車タイプに。


こちらも、オマケキットで260形を製作。2両編成にしたかったので、こちらは2箱購入した。


・・・どの車両も(江ノ電を連接車にする大がかりな改造をのぞいて)凝ったことは特にせず、ほぼ説明書の指示通りの組立をしたが、継ぎ目の修正や塗装はいつまで経っても上達しないので、見苦しいところもあるかもしれない。限られた時間で、しかも気が向いたときに少しずつ進めてたもので、運転会等でお披露目がなかなかできず、悶々としていたので、今回こういう形でお披露目することにした。
実を言うと、これ以外にもまだ手つかずのキットが多い。小型車でもまだ箱○登○はまだ作っていない(どんな編成にするかも思案中)し、京阪電車に至っては、260形の別バージョン(!)を作ってみたくて、きょう3箱目(!!)を購入してしまった。

はたしてどんなのものができるか、いつできるのか?
それ以外にも、GMエコノミーキットの通勤電車もたくさん箱状態で残っている。こちらも早く組み立てたいという思いもあるが。

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