KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

2019年夏の旅~パート6・最後は「とき」で

2019-08-25 16:38:14 | Railway&RailwayModels
 前回の続きで、新津鉄道資料館の館内から。




午前中に訪問した新潟交通電車線で使われた部品も展示されていた。




それらに触発され(!)今回、こんな写真集を購入。
そのすぐ後に、購買の方から「ラーメン無○蔵・・・」、と、聞いたことのあるお店を耳にして、はっと振り返ると、さっき支払いで渡したお札と一緒に、昨夜のラーメン店でのレシートも一緒に渡してしまったようだ。ぼくはこういうことを、よくやらかす。

新津駅へ戻るのにももちろん、シャトルバスで。

しかしこの日は、同じ市内にある美術館へも立ち寄ることとなり、到着までに30分以上かかった。

そして新津からは昨日同様、信越線で新潟へ。


列車は、新しくできた高架ホームへ。

新幹線ホームへ移ると、

帰京のために乗車する「とき」が停車していた。車両は北陸新幹線で使われている「E7」系ではあるが、

ロゴマークの下の帯、金、青に、朱鷺色(ピンク)が加わり、

さらに、朱鷺をイメージしたというオリジナルのロゴマークが追加された、限定バージョン。

ちょうどこのとき、東京方面から来た「とき」も、同じくE7系だった。

普通車(指定席)に乗車。

窓から、先ほどの高架ホームと同じ高さにあるのがわかる。
定刻通り出発。熱かった新潟とも、また来る日までしばしのお別れ。

長岡、越後湯沢を経由し、高崎に近づいたときには、


先ほどまで見た晴天とは打って変わって、曇天の空模様。雨まで降っていたようだ。

乗車から1時間半、大宮で下車。

新幹線を見送り、あとは在来線で都内へ出て、お盆のさ中とはいえ、混んでる駅の中を歩くのは・・・と思って在来線ホームへの階段を降りると、

「快速 むさしの号」が。これに乗車し、


約1時間後、都内を通らず、八王子に到着。これにて2日間におよぶ旅行はおしまいです。
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2019年夏の旅~パート5・灼熱の新津編

2019-08-21 23:59:58 | Railway&RailwayModels
前回の続き。
信越線の列車に乗り、次の目的地、新津で降りる。前日にも通過した駅だ。

この日は改札を出て、新津の鉄道資料館へ久々に行こうと思うが、駅を出て階段を下りたところにある、

インフォメーションセンター「あ、キハ」へ。「キハ」(ディーゼルカーの記号)と秋葉(あきは)区を掛け合わせたようなネーミングだ。ここへ入ったのは、資料館までレンタサイクルを使おうとしたためだが、

「鉄道資料館へ行くのでしたら、きょうはレンタサイクルはお勧めできない」と却下された。

気温がさらに上がって、熱中症のおそれもあるからという理由もあるが、この日はシャトルバスが出ているのでそちらを使ってくれという。昼食をまだ食べていなかったので、シャトルバスの時間を聞いてから、「あ、キハ」を後にした。


商店街に入って最初に目についたこの店に入り、

チャーハンを食す。

待っている間、TVのワイドショーで「あおり運転の被害に遭い、顔面殴打された」被害者のドライブレコーダー映像について報じていた。この容疑者も先日逮捕されたが、車を運転する身としては、他山の石として気を付けたいものだ、と改めて思った。

店内が混んでいたためか、食事をして店を出たら、シャトルバスの時間を過ぎてしまっていた。
次のバスが来るまで、もう少し商店街を歩こうと思ったが、この日の新潟は、西日本に接近していた台風の影響から、フェーン現象による吹きおろしの熱風の影響でどんどん暑くなる。さっきの店でニュースも流れていたが、新潟で37℃、上越で40℃に達したとも報じていた。そんな中を歩き続けるのはさすがにたまらないと感じ、

近くの駄菓子屋にとびこんだ。

この店は、一度来たことがある。そのときは、小学校の給食を再現したランチを食べたが、今回は駄菓子とジュースのみ。

ネーミング的にも、デザイン的にもあやしい(!?)スナック菓子と、

なつかしい「ヨーグル」。

一息ついて、ふたたび新津駅にもどる。今度はシャトルバスに無事乗車できた。
走行中、気温を表示する表示板をみかけた。

写真ではガラスに反射して数字が見えないが、気温は36℃を示していた。

バスは10分もしないうちに、新津鉄道資料館に到着。

早速、屋外展示の車両を見に行く。

485系特急電車(国鉄色)と、

DD14形ディーゼル機関車。除雪用のロータリーヘッドを取り付けた状態は、なんとなくザリガニにも見える(^^;

485系は、中に入ることができ、

さらに、運転席も公開されていた。

聞くと、ミニSLが故障したため、急きょ企画を変えたのだとか。

そして新たに追加された、115系電車と、2階建てのE4系新幹線(MAXとき)。



こちらは、新幹線始発前に、軌道に障害物がないかを確認走行する、軌道確認車。展示車両の中では一番新しい。


そしておなじみの200系新幹線と、C57蒸気機関車。

建物の裏側には、実際に使われていた鉄道標識、設備(ポイントマシン)も陳列されている。


国鉄(当時)赤谷線で使われた駅名票も。


鉄道資料館のはなしは、次回も少し続きます。
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2019年夏の旅~パート4・加茂駅周辺編

2019-08-20 22:51:39 | Railway&RailwayModels
 前回の続き。
 かぼちゃ電車を十分見て、商店街をさまよって元の道がわからなくなりかけたKouChanでしたが、

無事戻ってきました。図書館で少し涼んで生き返ったところで、

禁断の(!?)タクシー呼び出し。

「・・・駅へ行きなさるのかね」タクシーの運転手は不思議そうにぼくに尋ねた。ここからよくいく駅は別にあるらしかった。

「もっとも、こんな場所からタクシー移動しようなんて、鉄道ファンくらいしかいないからな」

360度、一面水田の地帯を、車はまっすぐ進む。

「新潟からバスで来たのか、そいつぁ大変だ。そういうのを見たけりゃ、燕三条からレンタカー借りて走ったほうがずっと早いで」

タクシーは左折して、信濃川を渡る。

「・・・駅へ行くから、きょう行われる夏祭り目当てかと思ったで」

そんな会話を20分ばかりして、着いたのは、

信越線の加茂駅だった。

駅には、たしかにこの日の夜の夏祭りを知らせる看板があった。

乗ろうとしていた列車は、少し前に出てしまい、次の列車が来るまで約1時間。駅でじっとしているわけにもいかず、駅周辺を散策・・・。と言いながら、

やってきたのは、駅の反対側、今は西口駅舎として使われている。

そしてこの空き地、かつてここ加茂から、村松、五泉を結んでいた蒲原鉄道の駅があった場所だ。

駅舎の待合室に貼られていた地図。その中で、ちょっと面白い地形を見つけた。

これはもしや・・・!

ということで、歩いてみることにしたのだが、よくよく考えれば、こんなところまで足を延ばしたら、目的にしていた次の電車に間に合わず、また1時間待つ羽目に・・・!

ということは避けたかったので、加茂川にかかるこの鉄橋までにした。

下から眺めると、信越線は複線(線路2本)に対し、影で見ると、3本線路があるのがわかる。
こちらから見たときの一番左に、さきの蒲原鉄道の線路があったようだ。


対岸から。
枕木は残っていそうだから、なんだか今にもやってきそうな雰囲気ではある。


さすがにこれ以上屋外にいるのは(高温で)危険と感じ、次の列車の時間も迫ってきたので、ひき返す。

どうにかこうにか、次の列車にはまにあった。

・・・そういえば、先ほどのタクシーの運転手が、こんなことも言っていた。

「加茂駅に着いたら、冬鳥越へ行ってくれる(別の)タクシーに乗るといいよ。美人の湯が有名だけどさ」

この宿題は、次回同じように新潟来て、レンタカーで回るようになったらやってみることにしよう。


ということで、以下次回へ。
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2019年夏の旅~パート3・新潟のかぼちゃ電車編

2019-08-17 17:29:26 | Railway&RailwayModels
 前回の続きです。

新津から新潟へ。1日目はここまでで、駅前のビジネスホテルへ。

夕食は、ビル1階にあったラーメン店で。

旅先でのラーメンって、なぜかおいしく感じるのよね。
・・・
・・


2日目の朝。


カーテン開けて初めて気づいたことだが、自分の泊まった部屋も(ちょっとだけ)トレインビュースポットだったようだ。
朝食後、すぐにチェックアウト。最初は、新潟交通BRT(バス)の快速に乗車。

新潟駅前(万代口)のバスターミナルは、半分新しく、

半分昔のまま(?)

わずかにちらっと見えた、この2連接バスに乗車・・・と思ってたが、

やってきたのは普通のバス。運用上、仕方ないことでしたが。

8時きっかりに出発。万代橋を渡り、

ほどなくして、進路を西に向けて進む。

市役所前からは、かつての新潟交通電車線があった道路を進む。

その新潟交通の電車を偲ばせるバスともすれ違った。

関屋分水路の鉄橋を渡る。歩道部分は、かつての電車線の跡。

左手に見える土手と道路をまたぐ鉄橋は、かつての電車線の線路跡で、左側の木の向こう側に東青山の停留所があった。

20分ほどで、終点の青山へ。大型ショッピングモールに沿うように、各方面からのバスターミナルとなっている。


10分後に出発したバスが終点に差し掛かる最後の交差点を曲がる。時間に少し余裕があったなら10分待ってこれに乗ればよかったかな?

青山からは味方方面、月潟行きのバスに乗り込む。
線路跡は進行方向右手に続いていた。


 新潟交通電車線は、白山前(県庁前)-燕間を結ぶ鉄道線で、中ノ口川に沿って走っていた路線だった。また白山前-東関屋間は、前述したとおり、道路上を走る路面区間となっており映像アーカイブスも多数残っている。1999年4月4日、最後まで残った東関屋-月潟間が営業廃止となった。


バスはその、中ノ口川に沿った道路を進む。電車線の廃線跡をなぞるように。

この角を左折する。中央の空き地が電車線の跡地で、その先に「木場駅」があった(バス停は「木場駅跡」)。

その後も、細い道を右へ左へ進み、出発から45分ほどして、終点の「月潟」に到着。

バス停の前は図書館だった。

少し戻り、川のほうへ歩いていくと、

あった、「月潟駅」。

そして・・・!

いました、いました!3両残った保存車たち。

最後に残った、モハ10型11号。車体は昭和41年更新だが、車歴でいうと開業した昭和8年となっている。
黄色と緑のツートンカラーが、野菜のそれとそっくりなため、「かぼちゃ電車」ともよばれていたそうだ。

こちらも開業から廃止まで使われた荷物電車、モワ51。

そして、雪搔車、キ116。

車内はどれも入ることはできなかったが、外から覗くと、鉄道関係の部品がたくさん保管されているのが確認できた。


また、駅舎の中も入れなかったが、面影十分な感じで残っている。

駅名票や一部の線路、信号機も、そのまま残されている。

駅名票は、燕方面が空白になっていた。燕方面廃線後は、ここが終点だった。

これらはもちろん、保存会さんのお力によるところが大きいと思う。本当に頭の下がる思いだ。

時々、「ズドン!」という、鉄砲のような音が響く。おそらくだが、対岸の水田の(害)鳥対策だと思うが、音の大きさから、こっちに間違って飛んでくるんじゃないかと思うほどビビってしまった。

駅跡の隣に、「角兵衛慰霊碑」というのがありまして、こちらも寄ってきました。


まだ10時を少し過ぎたばかりなので、「月潟商店街」を歩いてみた。

では戻ろうと思ったが、どこをどう歩いたのか、元のバス停の場所を見失ってしまった・・・!

この日はとても暑かった。西日本に接近しつつある台風の影響で、朝のニュースでも、新潟はフェーン現象により気温が37度まで上昇するとの予報だったのだ。
どうなる?この続きは次回・・・!

追伸 明日はひさびさに有明にでも・・・?
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2019年夏の旅~パート2・磐越西線・ばんえつ物語編

2019-08-16 08:25:25 | Railway&RailwayModels
前回の続きです。福島へ戻ってきました。



ここから、東北本線でまずは郡山まで戻る。



本宮駅。前に一度降りたことがあるが、駅舎、ホームは改装工事中だった。

その時の話はここにありますが、(2012年当時)96歳のおじいちゃんの、SLを見たときの興奮を目の当たりにして、鉄道、とくにSLの影響力の大きさを見せつけられ、ぼくにとっても衝撃の一幕だった。


そうこうするうち、ほどなくして郡山駅到着。
昼食がまだだったので、一度外へ出て、視線の先に真っ先に見つけた某ファストフード店で少し遅い昼食。


駅へ舞い戻り、いよいよ磐越西線へ。こちらも数年ぶりに乗車。

田園風景から、裏磐梯とよばれる山間部を右へ左へ。


車窓を眺めていると、案外クネクネ走行していることに気付いた。


終点の会津若松。早速、お目当ての列車がチラリ。

跨線橋の上から。
そして、



「SLばんえつ物語」。
機関車はもちろん、C57-180!長い間整備を続け、先月から運用復帰した。ぼくにとって、SLがスマートでかっこいいと決定づけた1台。

客車も、以前乗った時から大きく変わっていた。両端に展望車(写真はグリーン車)。

汽車は、定刻の15:25に出発。


客車は、12系という古い客車の改造。そのため座席は4人ボックスの相席。向かいには自分より年上の壮年の夫婦、隣は若い男性。特に会話とかはなく、列車はレールの音をリズミカルに刻み、時折汽笛をボーと上げながら進む。
喜多方で向かいの夫婦が下車し、別の客が乗り込む。

「少々大きな声を出しますがよろしいですか?」不意に、若い男性がボックス席に声をかけてきた。

今回の列車の車掌(新米?見習?)が、1車両ごとに挨拶をする。


次の停車駅、野沢で15分停車。

この間に、機関車の整備を行う傍ら、写真撮影や、機関室に入れるサービスまでやってくれるというので、

つい調子に乗って・・・(^^;

このとき、教えていただいたのが、このプレート。
C57-180が現役を引退してから、新津市にある第一小学校に保存されていたが、復活のための整備を行うために学校を去る際に、当時の小学生が描いたイラストだそうだ。10.3.6の数字は、お別れセレモニーの日(平成10年3月6日)のようだ。

さて時間になったので発車・・・と思ったら、「ただいま客車の整備中のため、発車が遅れます」そしてほどなく、エアコンが切られてしまう。先頭の客車にある(発電用の)ディーゼルエンジンを整備しているようだ。けっきょく、15分ほど遅れて、野沢駅発車。

隣の若い男が、とある小さな駅で下車した。
大きな荷物を持っていたので、観光というよりは、実家への帰省だったのかもしれない。この列車の前後2時間くらい列車がないことを考えると、イベント列車でありながら、沿線の人にとっても足の一つなのかもしれない、ふとそんな風に思った。



津川駅では、機関車整備と、給水が行われた。


阿賀野川に沿うように走る。


五泉に到着したときには、日もだいぶ傾きかけてきた。以前に比べ、日没が目に見えて早くなっている。


新津駅に到着。

15分ほどあった遅れは5分程度にまで縮まっていた。

今回はここまで、続きは次回
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2019年夏の旅~パート1・飯坂電車・飯坂温泉編

2019-08-15 12:25:10 | Railway&RailwayModels
 一昨日~昨日まで(8/13~14)、ひさしぶりの乗り鉄旅行してきましたので、今回から数回に分け、その報告をばいたしたく。

1日目の朝7時半、東京駅にいました。

何年ぶりかの、東北新幹線乗車。しかも車両はE5+E6系。

ただし席は普通車、列車も「やまびこ」。これで目指すは・・・

初下車となる福島!


ここから、福島交通(飯坂電車)に乗り、飯坂温泉を目指す。


阿武隈急行線と、改札、ホームを同じにしている。

駅名標も、阿武隈急行と、

裏面の福島交通は、こうなっていた。

福島交通の車両は、元東急車の1000系。といっても、正面は一新され、赤帯もないのでそれとはなかなか気づかないが。

車内はなんか見覚えのある、ベージュとオレンジが交互に配置されたシートだ。

10時ちょうどに発車。
最初の2~3駅はJR線と並行して走り、JR線をオーバークロスした後は、飯坂温泉へ、進路を北に向けて走る。

途中の桜水駅で下車。乗った列車がこの駅止まりだったためだが。

広い構内に車庫と工場があり、駅を出てそれらを見ると、

なつかしの7000系。惜しくも今年3月で引退してしまった。まだ走っていた時に乗りに行きたかったが、ついに乗車はかなわず(_ _;

駅に戻る。

この日も猛暑に近い高温で、わずかな時間でも、外を歩き回るのは大変だ。

改札の上に、電車の接近表示器があり、出発した駅がランプで表示(福島方面は「いおうじまえ(医王寺前))される。

飯坂温泉行きの列車に再び乗る。少しづつ上っていき、摺上川の鉄橋を渡り、飯坂温泉駅に終着。

改札を出ると、なんとなく昭和レトロ感が残るきっぷうりば。

駅舎は近年改装されたようだ。


街を少し歩く。この先に、足湯ができそうな場所があるのを地図で見つけたもので。

・・・あれっ。看板にも「足湯」って書いてあるのだが。

近くには神社と、浴場がある。

階段を上がると、旧堀切邸という、ちょっとした広場があり、ちょっとしたミニコンサートもやっていたが、入口だけちょっと見ただけだった。

30分後には駅に戻り、電車でまた福島へ戻らないといけない。しかし朝からの移動や、気温上昇で、体中汗ダラダラ、一刻も早くさっぱりしたいと思い、

先ほど見た浴場、「鯖湖湯」に飛び込み、入湯料200円と、石鹸、タオル代300円を払ってそのまま入湯。

俳人、松尾芭蕉が飯坂に立ち寄った際、この湯(鯖湖湯)につかったと伝わっているそうだが、そんなことに思いをはせる暇などなく、とにかく汗を流したかった。

入ってて気になったのが、バスタオルがなかったことだったが、持ってきていた汗拭きタオルと、先ほど購入したタオルをなるべく濡らさないように使うことで何とかしのぐ。

いや~、生き返った。

番台にいた女性の主人に足湯のことを話したら、「それでしたら上にある「旧堀切邸」にありますよ」・・・もっとよく見ておけばよかった。
そうこうするうち、電車の時間が迫っているので、駅へ戻り、

復路の福島行に乗車する。

頭(髪の毛)は、まだ乾ききっていなかったが、電車のクーラーの風にあてれば自然に乾くだろうと、福島まで戻る数十分間、車内を脱衣所(服は当然、脱ぎません!)がわりに座席に座っているうちに、ちょっとうとうと・・・。


つづきは次回へ(今回から試験的にハッシュタグつけてみました)。
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上野の恐竜博へ行ってきたはなし

2019-08-12 15:56:35 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日のことですが、上野にある国立科学博物館でやっている「恐竜博2019」に、家族と姪っ子一家で(自分がついてきた感じでしたが)行ってきました。


行ってみると、入場まで50分待ちとのこと。

そこで、行列に並ぶ。

林の中に、こんな像があるのを今まで知らなかった・・・。

博物館の正面を見る。

50分待ちとあるが、10分後、「中に入る」ことはできた。というのは、

その先で、入場時刻を記した整理券が配を配っていたため。「時間までは常設展をご覧いただきたい」というので、とりあえず、すぐ近くの地球館に入ったのだが、

すごい混雑。全部見ると軽く2時間はかかりそうなのを、数十分では1フロア分を見て回るのが精一杯。
ほどなく時間が近づいたので、集合してからようやく、「恐竜博」の会場へ。


2.4mもの長い腕が発掘された、「謎の恐竜」デイノケイルス。


展示の目玉となったのは、この「むかわ竜」

北海道むかわ町で最初に見つかったという、「新種」の恐竜。
複製の骨格の足元にあるのが、実物のむかわ竜の化石。


展示のラストのほうには、まさしく「恐」竜の代表格、ティラノサウルス。


ところで、ぼくの小さいころは、恐竜は爬虫類の仲間とされてきた記憶があるが、最近の研究では、鳥類の始祖的存在とされているようで、

こんな展示もあった(現在のニワトリの骨格標本)。

その日の夕食、たまたま某有名フライドチキンが出てきたのだが、だれかが言った、フライドチキンの骨で、鳥の標本を作ったがいる、という話に大笑いしたのと同時に、この日見た恐竜の骨格を思い出すと、不思議と腑に落ちた感がした。
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鉄道模型コンテスト2019のはなし~早めのBonus Track

2019-08-10 14:21:37 | Railway&RailwayModels
 きょう夕方から、また姪っ子たちが家に遊びに来るので、その間更新が滞りそうなので、今のうちに書き上げようと思います。今回はオマケ特集(??)

Track-1で、ひとつのモジュールに春夏秋冬をミックスした作品(学校)を紹介しましたが、紹介しそびれた作品がありましたのでまずはこちらから。

これは左から春(桜)、夏(海とユリノキ)、秋(紅葉)、冬(雪、初詣)がわかりやすい(日々輝学園高等学校 神奈川校)。

天橋立の風景、背景をあえて水墨画にしたところが渋い(本郷中学校・高等学校)

宇治の平等院。昨年の金閣寺を踏襲したもの、水の表現などが手馴れた感じでいい。準備中に撮影して申し訳なかったね(青陵中学校・高等学校)

学校の最寄駅の町並みを、すべてペーパーで再現した。手前の水路を表現するため、建物のサイズ等を調整したという(東京都立西高等学校)

ところで今回、出展した時にこんな冊子をもらった。

「STEAM」とはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(美術)、Mathmaatics(数学)の頭文字で、この5分野による深いつながりを通じて、鉄道模型のジオラマづくり、今後の理系教育やものづくりにおいて高い効果があると期待されているのだという。ジオラマをデザインするための観察眼、表現したいものを考えること(コンセプト)、材料に何を使い、どのように製作するか、完成したらどのようにPRするか、それらすべてのヒントがこの1冊に詰まっている。学校卒業して20年以上経つのに、毎日読み返している。前回悶々としながら、なかなか言い切れなかったことが書いてある。

ということで、この話はこれでひとまず終了です。


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鉄道模型コンテスト2019のはなし~Track-6

2019-08-09 23:23:36 | Railway&RailwayModels
暑い日はもうしばらく続くようです。


きっと、この時の余熱がまだ残っているのかもしれません。

 今年の高校生たちの作品を見るにつけ、「一生懸命頑張っている」感はどこもビンビン伝わってくるのだが、いざ作品をみてみると、「何らかの要因」でくっきり差が出てしまっているように思ってしまった、ことについて。

 丁寧に、あるいは精密な(と、ぼくが感じる)作品を製作した学校の話を聞くと、全部ではないが、3DプリンターやCADなどを使っているという。学校に常駐されていたり、最近では授業の一環として使っているところもあるというから、ぼくからしてみればうらやましい限りだ。

 かたや、学校によっては、部費割り当てが多くないため、3Dプリンタはおろか、市販の模型品さえままならず、レール以外はすべてペーパーだけで作った、あるいは日用品を駆使した、「見た目」荒々しい作品も中にはあったが、これこそいかにも高校生らしいと思えた。出来の良しあしにかかわらず、ぼくはこうした作品には好印象を持つ。

 しかし、これまで目を見張るような高い技術を持っていたのに(あれ、どうしちゃったのかな?)と感じてしまう学校も少なからずあったように感じた。3年(中高一貫校なら6年か!?)で部員が完全に入れ替わってしまう厳しい世界(!?)で、高い実力を維持し続けるのは、並大抵のことではないことは十分にわかる。もし鉄道が好きなら、ジオラマ製作が好きであれば、もう少し情熱を注いでほしいなぁ、と、これはどの学校にも期待したい。たとえ作品が思う通りにならなかったとしても、見てくれる人はその良さを見ているのだから。

 T-TRAKについては、前々回にも書きましたが、一昨年の一般参加開始から3年もすれば、認知度も当然ながら上がり、参加者も倍近くに増えてきた。しかもぼくのような「中途半端な鉄道好き」からは思いもよらないような発想を持った作品も数多く拝見し、それらは確実に評価を得ていることからも、これまで地道にづづけてきたことが、少し報われたのかなと。

 そして一番の目的である「モジュールをつなげて走らせることの面白さ」、毎回苦しい思いをしながらも実際に作って出すことで、作品について話すことができ、また多くの出展者、ギャラリーの方たちの話を聞くことができ、その中で友人もたくさん得ることができた。特に若い人がこの面白さにひかれたのか、回を重ねるたびにどんどん技術が上がっていくのが作品を通して知ることができ、なんだかうれしい。
今後もそんな彼らから、どんどん新しい作品が出てくることは間違いないと、確信している。

 そんな鉄コン、来年(2020年)についてですが、公式サイトにもある通り、本大会を11月に開催し、またそれに先立つ8月には、初めてとなる地方大会(九州)を行うとのこと。オリンピックの影響でしょうが、ここで意外な方向へ進むことに、なんだか新たな面白さが期待できそうで、この話を聞いて以降、ずっと考えがぐらついているKouChanです。


 さて、これで最終回と書きましたが、例のごとく、まだ紹介したい学校のジオラマがありますので、それをボーナストラック(!!)として、次回書きたいと思います。まさに敗者復活(!?)ですよ。
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鉄道模型コンテスト2019のはなし~Track-5

2019-08-07 23:17:37 | Railway&RailwayModels
暑い日が続きますが、ばてたりしませんように。

前回に引き続き、T-TRAKジオラマコンテストの作品をいくつか。


リアリティあふれる、山岳地帯の作品。

バスコレによるギミックを組み込んだモジュールも、去年おととしに比べ、増えてきましたね。
そうそう、ギミックといえば、

今回は大宮車両センターのトラバーサーが前に後ろに動く!子供に相変わらず大人気。


話を戻して、山岳地帯といえば、箱根をイメージさせるこちらもいい雰囲気。


こちらも、山を背後に控えた駅の風景・・・

と思いきや、裏に廃線跡が!奥の情景に気付かず、「やられた~!」感たっぷり。


一方で、都内で最も新しい駅、高輪ゲートウェイも登場。シンプルな作りながら、特徴を巧みに捉えている。

久里浜車両工場。メーカーにいらっしゃいます京急好きな方の作品です。

ところで、話に聞いたところでは、今回T-TRAKジオラマでも海外からの出展もあったとかで、その辺にいたスタッフらしき女性に尋ねたところ、

「あ、コノ作品、ワタシ作りまシタ」なんともびっくり!
ベトナムの景観世界遺産(チャンアンの景観関連遺産)より、ニンビン省に残る、先史時代の古都ホアルーを再現したとのこと。


で、その隣の作品は、また何とも言えず・・・!

今年の夏の思い出の1ページに・・・と思ってたら、

こんなジオラマまで!今やってる某朝ドラ風だが、絵日記は本物。この発想は驚いた。

今回は、路モジチームからは自分を含め6人参加。




またお世話になっているスハの会の方も初参戦されました。

最初は3人しかいなかったことを思うと、少しうれしい気も。

そして、最後に拙作をば。

京都のとある街をモチーフにしたのですが、かなり欲張りすぎた感が・・・。
今回見てほしかったのは、やっぱりこの部分(^^;


そして、高校生のほうもそうですが、小さなモジュールも、たくさんつなげれば一つの大きなレイアウトができ、


長大編成の列車だって十分走らせることができる。





この楽しさを知ってもらいたいという思いから、3年間、続けてきた。

そろそろ何かしら結論を出さねばならない時かもしれない。

次回はいよいよ最終回の予定。
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