KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

やり直しの修学旅行~その4 奈良・薬師寺

2018-10-31 22:41:05 | 旅行記
さて、2日目の朝です。

時刻は朝7時20分。いつも乗る通勤電車とは違う(そりゃ遠くに来ているんだもの・・・)、近鉄電車でまずは、新大宮から乗車。

途中に見える、平城宮跡の広大な敷地にぽつんと建つ、復元された朱雀門。

隣の大和西大寺で乗り換え。
前日は特急で駅を素通りしましたが、京都線、奈良線、橿原線が平面交差する一大ジャンクション的な駅でして、

ホームの端から見る。その1。右に京都方面、直進が大阪難波方面。

その2。こちらは逆側。直進が奈良方面、右に橿原神宮前、天理方面。その中間に、車両基地への引き上げ線も。
圧巻は、この分岐器の数。ここまで来ると、芸術みたいにも見えるから不思議。
京都方面から来た、1番線に停車した橿原神宮前行き特急が、この分岐をいくつも跨いでいく。

ここでずっと見ていては旅がいつまでも始まらないので、あとから来た普通列車で、最初の目的地へ。




西ノ京駅で下車。たくさんの通学客としばらく同じ方向を歩く。
テスト前なのだろうか、電車内でも参考書持って勉強する学生が多かったような。

最初の目的地である薬師寺。しかし開門時間前(8:10)だったため、しばらく周辺を散策する。


歴史道、と書かれた石碑。左へ唐招提寺、右に薬師寺。

その唐招提寺は、こちらも時間前でした。

ぐるっと付近を回ったところで、ちょうど8時半、開門と相成りました。

本来の門からは逆から入ったことになりましたが、こちらが中門。後ろに西棟が見える。

中門をくぐると、目の前に金堂。

左手に西棟。

右手には、創建当時からの東棟・・・でしたが、現在解体復元中。完成(落慶)は2020年予定。

回廊には、釈迦の一生(後半生)を紹介した壁画が。
その様子は、特別に入場することができた、西棟でも確認することができる。東棟ではおそらく釈迦の前半生を垣間見ることができるのだろう・・・。

その奥にあるのが、平成15年落慶という、大講堂。

そして、昨年(平成29年)落慶した食堂(じきどう)。
内部には阿弥陀三尊浄土図、仏教伝来の歴史を壁面全体、14枚の壁画に描かれている(もちろん、撮影禁止でしたので写真はないです)。

回廊の外側になりますが、東院堂です。

続いて、道路を渡り、玄奘三蔵院伽藍を目指します。

こちらも薬師寺の敷地です。中学時代はもちろんここまで来ていません

これが玄奘三蔵院伽藍。その名の通り、玄奘(西遊記にも登場する三蔵法師ですね)の頂骨をお祀りしている。「不東」という言葉には、玄奘がインドへの修行の旅の間、東の自国へは帰らないという強い決意と、玄奘が広めた仏教の大切さを表現したもののようだ。

見学を終えたのが、9時過ぎで、人もほとんどおらず、静かに、のびのび拝観することができた。この調子で、次の目的地へ向かう。
西ノ京から近鉄郡山まで移動。

外堀緑地という、整備された遊歩道を歩く。文字通り、かつて存在していた郡山城の外堀跡。



この道を抜け、ほどなくすると、JRの郡山駅に着いた。


・・・というところで、続きは次回。
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やり直しの修学旅行~その3 京都から奈良へ

2018-10-28 21:42:26 | 旅行記
 前回のつづきです。京阪ダブルデッカー車に乗って、丹波橋駅で下車。


連絡橋を渡り、近鉄線のりばの出口へ

駅周辺をすこしぶらぶらと。
道路橋から、眼下の近鉄特急を見る。

逆側から近鉄線と、京阪線の交差部を見る。
こう見ると、切り通しあり、台地ありと、地面の起伏が大きい。

前に「ブ○タモリ」で、この辺りを放送してたときに、豊臣秀吉が伏見を日本の首都にしようと、道路をまっすぐに敷いたとのことで、

踏切から見ると(電車に一部隠れてしまったが)、町が段々畑のように、奥へ行くほど建物がどんどん下がっていく。
こちらは近鉄丹波橋駅の、南側から。

思えば、近鉄電車をちゃんと撮影したのは、今回がほとんど初かもしれない。
こんどは一段下がって、京阪の丹波橋駅の南側へ。

右に見える側線は、今は行き止まりになっているが、かつてはこの駅で京阪-近鉄(昭和38年9月まで奈良電気鉄道)相互乗り入れを行っていて、レールが近鉄線とつながっていた。京阪三条(当時)-奈良間、近鉄京都-宇治間などの列車が走っていたという。

このあと、ふたたび京都駅に戻ります。
近鉄ではなく、京阪電車に乗車。上りホームから、淀屋橋行き特急を捉える。

左に見える車止めも、かつてはレールが近鉄線へ続いていたことの名残りのようです。

出町柳行きの準急に乗り、興福寺を経由し、

JR奈良線で京都駅へ。京阪のホームの仕切り越しに、奈良線の103系電車が。


京都駅へ戻ってきたのは、先ほどの近鉄線を始発から乗車したかったため。

しかも、念願の(!)近鉄特急に。車両は、当代の主力、ACEこと22000系。


最後尾の4号車の席に。


16:30 近鉄京都駅を出発。
先ほどの丹波橋を出発するとしばらくして、京阪宇治線、宇治川を越えてゆく。


17:00には大和西大寺に到着。そして西大寺を出発すると、電車は平城宮跡の真ん中を突っ切っていく。写真がぶれてしまったが、建物は復原された第一次大極殿。

17:05 定刻通り、35分で近鉄奈良駅到着。


乗ってきた電車を撮影できたことから、こんどはカメラを車内に忘れてはいない、ということですね。

繁華街を通り抜けて、JRの奈良駅へ。写真は現在は総合観光案内所となった、かつての奈良駅舎

しかし宿泊は新大宮のビジネスホテルのためまた近鉄奈良へ戻り、新大宮まで1区間乗車する。尼崎からなんば経由で乗入れしてきた、阪神の電車でした。

夕食は、駅前の天丼店で。


というところで、つづきは次回、2日目に入ります。
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やり直しの修学旅行~その2 京都編②

2018-10-27 12:24:43 | 旅行記
前回のつづき、京都市内へもどってきました。

京津線から地下鉄東西線へそのまま乗車して、二条城前駅で下車。

もちろん、目的は中学以来の二条城への見学ですが、昼食がお餅だけではさすがに少ないので、まずは近くにあったラーメン屋へ。


お腹を満たしたところで、二条城を東大手門から入る。

重要文化財の唐門から、二の丸御殿へ


修学旅行生と外国からの観光客がホント多いな・・・。

修学旅行の集合写真はたぶんこの辺りから撮ったんだな。
二の丸御殿の内部は基本撮影禁止ですので、中を知りたい方は実際に足を運ばれるかホームページをごらんあれ。

二の丸内部の見学を終えると、庭園へとコースが続く。

28年前に見たのと変わらない、庭園の池。

東橋を渡り、本丸へ。


本丸御殿を右に見て、本丸庭園を歩く。

かつての天守閣跡へ続く階段。

上った天守閣跡からの眺め。

お城といえば天守閣、というけれど、こうした天守閣のない(跡地しかない)城もけっこうあるんですよね。
続いて、本丸御殿の正面へ。

内部は改装工事中でした。


二条城を見学した後は、再び地下鉄で三条(京阪三条)へ。
かつて宿泊していた旅館のあった場所は、今またホテルの建築中でした。

どのようなホテルになるのか、ビジネス用か、観光・団体用になるのか??完成後が気になる。

ここからは、最近関西来たらだいたい乗っている、京阪の特急に今回も乗車。

中間にあるダブルデッカーの、2階席に。座席指定券ナシで乗れる。

目線もこんな感じで。


地上に出て、丹波橋駅手前で、近鉄線とクロスする・・・というところで、続きは次回へ。
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やり直しの修学旅行~その1 京都編①

2018-10-23 21:54:06 | 旅行記
 ということで、「やり直しの修学旅行」と題しまして、先週の旅行のはなしを書きはじめたいと思います。
まずは1日目から。

7:39新横浜→9:35京都
中学時代はこだまで3時間以上かけての移動でしたが、今回はもちろん「のぞみ」。時間も2時間弱に大幅短縮。車両も0系からN700Aへ。

京都駅では、修学旅行らしき学生さんおよび先生方の姿も。
そのあと、東海道線(琵琶湖線)で、1つ隣の山科へ。


ここ山科から京津線に乗り換え。

新色も気になるが、オリジナルの水色+黄色ラインが魅力の800形で、大谷まで乗車。
その大谷で、新色(右)とのツーショットが実現する。

この大谷駅は、急勾配の途中にあって、ベンチの脚の高さが違うのも見どころですが、ここから、並行する国道1号線を歩いて登る。

10分ほど歩いて、京津線のトンネル出口へ。

ここは有名な急カーブ。


先ほどの車両が折り返してきて、この急カーブを曲がる。

引き続き歩いていくと、今度は一転して下り坂となる。

蝉丸神社を横切り、

JR線のトンネル上を電車は跨いでいく。

さらに歩いていくと、先ほどの京津線の線路が道路に出てくる。

京津線は上栄町~びわ湖浜大津までは道路上を走り、路面電車となる。


この区間も乗らずに、道路を下っていく。
終点のびわ湖浜大津手前にある、このお茶屋さんに入る。

緑茶と、大津の銘菓という「三井寺力餅」のセットをいただく。そういや、もうすぐお昼時。


じつはこのとき、店内ではカメラ持った人たちが何人もいていろいろ撮影していた。こっそり店の人が教えてくれたことによると、某有名お笑いタレントさんの旅番組ロケだという。タレントさんは店の奥にいるらしく、自分が店にいる間は出てこなかったが、もし出くわしたらインタビュー受ける心の準備をしていたものだが・・・そうはならないものですねぇ。
(11/17追記:2018年11月10日放送されました。その模様は上のリンクから番組のHPで紹介しています)

びわ湖浜大津から、こんどは電車に乗り、先ほどのお茶屋さんを右に見て、京都方面へ戻ります・・・というところで第1回はここまで。

今回は、いつもの乗り鉄、撮り鉄の延長みたいな感じでしたが、次回からちゃんと(!?)観光しますので。
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そうだ、○○へ行こう

2018-10-20 22:12:35 | 日記・エッセイ・コラム
 じつは、今週1週間、会社を休み、3日ほど旅に出てました。
もちろんずる休みとかではなく、勤続20年により、会社で認められる特別休暇を申請したものです。

少し前まで、中学時代の修学旅行のはなしを10回にわたって書いてきましたが、書き続けているうちに、当時の事を思い出す一方で、いろいろとやり残していたり、もう一回行ってみたい、いや行くべきだろう、という思いが少しずつ湧き出してきまして・・・というのが今回の旅のキッカケでして。

こんなところとか、


念願だったここへも、じっくり(!?)見学できたし。


で、ココは一体どこなんだ~!


・・・というわけで、次回からサブタイトルを、「やり直しの修学旅行(仮)」として、(おそらく)平成最後の旅行記をご報告しようかと思います。

今回も長期化が予想されますが、引き続き気長にお付き合いいただけたらと(^^;
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日本鉄道模型ショウ2018、ミニレポート

2018-10-15 20:18:32 | Railway&RailwayModels
 最近急に涼しくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今回は、昨日まで開催してました「日本鉄道模型ショウ」も2階小展示ホールで行いました運転会の模様をば。

Oゲージ、個性的、あるいは古典的車両が元気に快走。安定してますね。


Nの体験運転コーナーでは、四季島も登場

車両展示コーナーでは、スハの会有志さまによる、横浜を通る鉄道車両大集合。
個人的お気に入りはこちらでした。


そして、路面電車




路面電車のオマケ的に始めた地下鉄ももう10年近く続けてるのかな?
途中不調でしたが、喜んでいただけて何よりでした。



今回、路面モジュールを見たあるお客様から、こんなお言葉を頂きました。
「一つ一つの風景は、それぞれ違うのに、組み合わせたときになぜか一体感が出て、とても不思議ですね」

その通りだと思った。そして、その組み合わせは毎回変わり、同じ組み合わせが再現されることはまずない(と思う)。なので、毎回新鮮でありながら、一体感が出ているのが、こちらも不思議だと思っている。

そして、そんなジオラマを所せましと(!?)今回もレイバーたちが大暴れ!



てっぱくには、ついにシ○カリオン主役3機種が勢揃い。


最後は、ジオラマではなく、来場されたお客様の作品から。

九州鉄道の豪華客車をNで再現。もうスゴイの一言。
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日本鉄道模型ショウ2018、開催中

2018-10-13 23:25:36 | Railway&RailwayModels
 さて今年も、蒲田の大田区産業プラザ(PIO)にて、「日本鉄道模型ショウ2018」を本日と明日鉄道の日(!)開催しています。

今年も、路モジは二階の小展示ホールで運転会をやってます!


ここ最近の本業の忙しさから、きょうは夕方のちょっとしか参加できませんでしたが、盛況だったようです。



そして夜は中華料理店で懇親会でした。料理が美味しい(*^^*)




明日は朝から参加の予定。いろいろ面白いものを持ってこようかな?
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修学旅行記 その10(終)~アルバムに載らなかった写真より

2018-10-10 23:22:53 | 旅行記
「平成が終わりを迎えようとする今、平成の初めごろの話を書く」との思いつきから、中学時代の修学旅行(平成2年)での思い出話を、夏休みの宿題で作成したアルバムを読み返すつもりでこれまで綴ってきました。

そんな中で、使われなかった写真群が小さいアルバムにまとまって出てきました。

その中から、場所が特定できた(と思ってる)ものに限り、状態が多少悪くてもあえて載せてしまいます。
いわゆる番外編です。中学生の写真技術なんてこんなもんよ、と少しイキがって見せたりして(^^;

1日目(4月24日)より、北野天満宮の楼門(→その2参照)


同じく1日目(4月24日)より、金閣寺にある鯉魚石(りぎょせき)。

写真が真っ暗でスキャナで調整したのですが、わかるかな?

2日目(4月25日)より、東大寺の大仏・・・ですが。(→その5参照)


2日目(4月25日)より、薬師寺の金堂(→その6参照)


2日目(4月25日)より、こちらも金堂ですが、法隆寺のそれ

屋根しか写っていません(_ _;

3日目(4月26日)より、二条城の庭園(→その8参照)


同じく3日目(4月26日)より、清水寺の写真。

清水の舞台(本堂)は、やはり撮影していましたね。
そして、舞台の上から眺めた京都の街も(一部をトリミング)


音羽の滝も。写っている女子学生は自分の学校の生徒ではなさそうです。


使われなかったのには、どうもそれなりの理由(!)があったようですね・・・でいいのか?

中途半端な感が否めませんが、最後までご覧いただきありがとうございました。
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修学旅行記 その9~京都を立つ

2018-10-08 11:06:00 | 旅行記
昨日は10月にしては季節外れの暑さ(!)で半分ダウンしてました(_ _;
ここにきて寒暖差がはげしくなっているようですので、皆様お体お気を付け下さい。

では前回のつづきです。

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『京都市内編 PART3 食事と買い物編』


『~ちょっとお休み~
 清水寺の見学も無事に終えた。坂を下りフラフラ~、と寄り道しているうちに、予定時間を5分も過ぎている!!しかも「順正」がわかりにくいところにあるので、到着が10分遅れとなってしまった』

「順正」は今は「清水順正おかべ家」という、ゆどうふの老舗です。アルバムには書いてありませんが、初めてのできごとで衝撃を受けたのが、「天ぷらを塩に点けて食べる」こと。それまで、天ぷらは「醤油」に点けるのが当たり前と思っていたので、中学生にとっては、食べ方が斬新(!?)で驚いたわけで。
余談ですが、今は「そばつゆ」に点けて食べるのが好きです・・・。

「順正」の割りばし袋。生八ツ橋を買ったイラストも。

『<私が買ってきた土産>
 上段 生八ツ橋、ちょうちん
 中段 パンフレット(左から、薬師寺、竜安寺、金閣寺)
    お守り、参拝券(左から、薬師寺、竜安寺、金閣寺)
 下段 京都絵ハガキ、金閣寺絵ハガキ、法隆寺資料』

『たくさんのお土産をせおって清水寺を後にし、』

これはマンガ特有の誇張表現ですね(^^;

『14:10 こだま440号で京都を後にした』

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『京都・奈良 一部ハイライト』

最後のページで、旅の振りかえりをしながら、一路小田原を目指します。

『京都 竜安寺石庭
 ここの整った、しかも落ち着きのある庭には感動した。さらに、静けさまでも感じる』

『奈良 東大寺大仏殿
中の大仏が大きく、迫力あったが、写真に入りきらないので、少し残念だ』

『小田原 17:37着』


『解散式は車内で』

これはアルバムに載せていません。
一緒に京都、奈良を回った班のメンバーや、3年7組の男子、女子生徒です。みんな元気かなぁ?

『あとがき
 この修学旅行は、今までの中学生活の中でも、これだけ大きく、自主的に行動できた喜びはほかにないと思った。2日目の奈良コースも、まだ行ったことのない寺をいくつも回り、予定を組み、そして実行、成功とつながっていく。この一つの大きな行事は、今までの経験の集大成ではないかと思った』


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アルバム本文は、これで以上ですが、じつは今朝になって、アルバムに使われなかった修学旅行の写真が出てきまして(先ほどのクラスメートの写真とか・・・!)。

次回、そうしたアルバム収録洩れの写真を見直した上で、本当の纏め(最終回)としたく。
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修学旅行記 その8~京都市内編

2018-10-06 11:28:53 | 旅行記
 最初は簡単にできるだろうと始めたこの修学旅行シリーズですが、やってみると意外と大変。アルバムから絵や写真を取り込むだけでなく、補足の解説書くのに勉強し直したりすることもあるので、気づくと普段の倍以上の時間かかってる・・・!

その成果を今回もご覧ください(^^;
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『京都市内編
修学旅行もいよいよ大づめ。最後の二条城、清水寺をしっかり見学したいと思います。』

この日のコースはごらんのとおり。

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『京都市内編 PART1 二条城』

『<解説>
 徳川家康が上洛(京都入りすること)の際の宿舎として造営したもの。しかし天守閣は落雷により焼失。現在まで再建はない。
 1867年、15代将軍徳川慶喜の大政奉還がここで行われ、武家政治700年の歴史が終わったことで有名』

天守閣焼失後、本丸御殿が徳川慶喜の住居として建築されるも、明治14年に解体。現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を,明治26年から27年にかけて本丸内に移築した。

絵葉書より。

『現在も史跡として残っている』
1994年に、ユネスコ世界遺産に登録されました。


クラス全員の集合写真。バックは二の丸御殿。
中央に座るのが担任のS先生。あだ名は「テリーマン」。だって、風貌があまりにもそっくりで、他のたとえが思いつかない(^^;社会科の担当で、2年生からお世話になりました。中学まで社会科が得意だったのはこの先生のおかげかもしれない。
ちなみに、先生の右2人目、背中を丸くしているのが自分です。

『<ひとくち感想 Vol.9>
 二の丸の見学で、大政奉還、その他再現、また当時のまま残されたふすまなど、徳川文化を物語るようだ』

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『京都市内編 PART2 清水寺』

『<解説>
 桓武天皇のころ、蝦夷征伐で功績のあった坂上田村麻呂に、天皇が長岡京の古い紫宸殿(ししんでん)を賜って本堂とし、北観音寺と名づけたのが後に清水寺となった。
平安末期に、延暦寺との争いで度々戦火を受けた。
現在の建物は、1633年、徳川家光が古いしきたりに則って再建したものである。』

 紫宸殿(ししんでん)は、天皇の内裏、私邸であったが、平安時代中期以降は、即位の礼など重要行事を行う場としても使われるようになった。
 本文では上のように書いているが、奈良の修行僧、賢心(けんしん)が、夢のお告げにより音羽山へ向かい清らかな湧き水を出る滝を見つける。そこで滝行を行う行叡(ぎょうえい)から霊木を託される。賢心は、その霊木から千手観音を刻み、行叡の庵に安置した。2年後、坂上田村麻呂は、妻の病気平癒を願、薬であるシカの生き血を取るため音羽山へ鹿狩りをした。しかしそこで出会った賢心に、殺生はよくないと説かれ、観音菩薩の教えに感銘した田村麻呂が後日、千手観音像をご本尊として寺院を建立する・・・というのが清水寺の始まりとのこと(また、勉強し直しかな?)。

『入口の門:ここまで登るのに、細い土産店の坂道を登らなくてはならない』
左が仁王門。右奥が西門と三重塔。

『音羽の滝:細い3本の滝は、願いがかなうと言われ、水を飲む人もいれば、白衣の行者が合掌し、水に打たれることもある』
3本の滝は、1本の同じ水源らしい・・・。

縁結びの神をまつる、地主神社。

『<ひとくち感想 Vol.10>
清水寺は、このころ工事中で少し足場が悪かったが、清水の舞台から見た京都の街が小さく見えた。いよいよしめくくり。最後の見学だ。』


清水の舞台は、当時復元工事中で、白い幕が張られていたように思う。舞台には立てたようだが、観光客や他の修学旅行生が多くて写真撮る余裕もなかったかと思う。


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もう少し書きたかったが、このあと私用で外出のため時間切れ。
続きは次回(たぶん最終回)へ。
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