今、ハノイのホテルです。明日からハノイ国家大学で短期集中講義をし、漢喃研究院などで古書の調査をして7日に帰国します。
締め切り遅れの仕事に追われていましたが、「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」の続編については、ベトナム出張前に某記念論集の編集事務局あてに何とか提出できました。刊行期日はいつになるか聞いていません。おそらく3月末か4月あたりになるものと推測しています。
今回の拙論は続編であるため、「三経義疏の共通表現と変則語法(下)」という題名にしてありますが、森博達さんのご教示により、今後は「変格漢文」という呼び方にすることにしました。今回の論文でも、本文では「変格」の語を用いています。
(上)論文では主に『勝鬘経義疏』を扱いましたので、今回の(下)論文では、『法華義疏』と『維摩経義疏』を中心にしました。今回は(中)として『法華義疏』だけ取り上げ、『維摩経義疏』の用例は(下)に回そうかとも考えたのですが、どの疏も変格語法がどっさりあり、詳しく検討していると『法華義疏』だけでも(中の一)(中の二)(中の三)……などとなっていきそうでした。
そこで、(上)や(下)という題名で変格語法については論ずるのは今回で終りにすることとし、思想に関する論文を一本書いたうえで、以後、語法関連の論文については、「三経義疏における尊敬と謙譲の表現」といった形で、個別のテーマごとに扱っていくことにした次第です。
「当時の日本仏教の状況を考えると、日本撰述とは思われない」とか、「天才であった聖徳太子以外に書けるはずがない」などと推測だけで断定するなら簡単なのですが、南北朝末から唐初ころの中国・朝鮮の仏教の状況を考慮しつつ、実際に三経義疏の原文に当たって細かく調べていくとなると、けっこう手間がかかります。花山信勝の訓読は労作ですが、親切に説明を補った形で訓んでいるため、変格漢文であることが分からなくなっており、問題が多いですね。
さて、今回の論文では、確定には至らなかったものの、日本撰述の可能性が高いことに触れました。つまり、「中国の学僧が書いたものではない」と指摘するにとどめてきたこれまでの拙論の論調から、一歩進めたわけです。上宮王撰述かどうかは、さらにその先の問題ですが、平行して書いていた某日本思想史講座の担当個所(受容期から奈良時代の仏教)では、一般向けの概説であって論証過程は書けないため、三経義疏は上宮王撰と見て良いと記してしまいました。御物本の『法華義疏』は、乱雑な訂正がなされた草稿を急いで書写したものであって、見事な書体であれを書いた人は著者とは別人だと思いますが……。
今回の三経義疏論文を書いてみてよく分かったのは、これまでは、三経義疏のそれぞれの疏の冒頭10行程度くらいさえ正確に読めていなかった、ということですね。その典型は、『法華義疏』の冒頭部分です。そこでは、「釈尊がこの世界に現れた意図は、この『法華経』を説いて、人々にすぐれた修行をさせ、唯一の素晴らしい悟りを得さるためだ」と述べているのですが、次のように句読を切るのが伝統となっています。
若論釈迦如来応現此土之大意者、将欲宜演此経教、修同帰之妙因、令得莫二之大果。
この句読に基づく花山信勝『法華義疏(上)』(岩波文庫)では、「将に宜しく此の『経』(法華経)の教を演べて、同帰(万善同じく一如に帰す)の妙因を脩し、莫二(一乗平等)の大果(大乗の極果)を得せしめんと欲してなり」と説明を補足しながら訓んでいます。
しかし、このように、
将欲宜演此経教、
修同帰之妙因、
令得莫二之大果。
と切ったのでは、七字・六字・七字となって落ち着きません。末尾の二句が対句となるよう考慮し、
将欲宜演此経、
教修同帰之妙因、
令得莫二之大果。
と切り、「まさに宜しく此の経を演[の]べ、同帰の妙因を修せしめ、莫二の大果を得せしめんと欲すればなり」と訓むべきでしょう。「教」は、「教えて」という動詞でなく、「令」と同じく使役の語と見れば「~を修せしめ、~得さしむ」という対句になりますし、実際、古代朝鮮諸国の金石文などでは、「令」以上に「教」の語を使役としてよく用いています。
普通の漢文であれば、「教~、令~」とせず、「令~、~」だけで「令」が全体にかかるのですが、「教修」という表現も仏教経典にはよく用いられますので、それに引かれたのか。それはともかく、さらに問題なのは「宜演~」です。
これは訓読では「宜しく~を演[の]ぶべし」となりますが、この経典を演説するのが適当である、というのであれば、直前の「将欲」は不要です。「将欲」は「将」一語と同じ意味であって、「まさに~しようとする」の意ですので。ここのように「将欲」に「宜しく~すべし」の「宜」を続けた用例は、漢訳経論や中国仏教文献にはありません。
となると、ここでの「宜」は、時期・能力に応じて「宜しく(適切に)」説く、という意味で用いられていることが考えられます。しかし、時機や相手の能力に応じてうまく説くということなら「巧説」その他の言い回しがありますが、「宜演」などという用例は他にありません。「時宜」という言葉は経論では盛んに用いられていますし、『法華経』でも「随宜説法」という表現は何度か見えますが、これは「宜しきに随ひて説法す」であって、「宜しく説法す」ではありません。『法華義疏』が「宜演~」を適切な説き方で法を述べるという意味で用いるのは、「よろし」という訓に引きずられたものであって誤用なのです。
さあ、どうでしょう? かの『法華義疏』の冒頭は、こうした変格語法がこれ以外にもいくつも見られるんですよ。また、木簡や金石文とこうした経典の注釈とでは性格が違うので、比較することはできないのですが、百済や新羅の金石文や木簡でこれまで報告されている変格漢文の中には、こうした用法は見られません。日本で書かれた可能性は十分有ります。
締め切り遅れの仕事に追われていましたが、「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」の続編については、ベトナム出張前に某記念論集の編集事務局あてに何とか提出できました。刊行期日はいつになるか聞いていません。おそらく3月末か4月あたりになるものと推測しています。
今回の拙論は続編であるため、「三経義疏の共通表現と変則語法(下)」という題名にしてありますが、森博達さんのご教示により、今後は「変格漢文」という呼び方にすることにしました。今回の論文でも、本文では「変格」の語を用いています。
(上)論文では主に『勝鬘経義疏』を扱いましたので、今回の(下)論文では、『法華義疏』と『維摩経義疏』を中心にしました。今回は(中)として『法華義疏』だけ取り上げ、『維摩経義疏』の用例は(下)に回そうかとも考えたのですが、どの疏も変格語法がどっさりあり、詳しく検討していると『法華義疏』だけでも(中の一)(中の二)(中の三)……などとなっていきそうでした。
そこで、(上)や(下)という題名で変格語法については論ずるのは今回で終りにすることとし、思想に関する論文を一本書いたうえで、以後、語法関連の論文については、「三経義疏における尊敬と謙譲の表現」といった形で、個別のテーマごとに扱っていくことにした次第です。
「当時の日本仏教の状況を考えると、日本撰述とは思われない」とか、「天才であった聖徳太子以外に書けるはずがない」などと推測だけで断定するなら簡単なのですが、南北朝末から唐初ころの中国・朝鮮の仏教の状況を考慮しつつ、実際に三経義疏の原文に当たって細かく調べていくとなると、けっこう手間がかかります。花山信勝の訓読は労作ですが、親切に説明を補った形で訓んでいるため、変格漢文であることが分からなくなっており、問題が多いですね。
さて、今回の論文では、確定には至らなかったものの、日本撰述の可能性が高いことに触れました。つまり、「中国の学僧が書いたものではない」と指摘するにとどめてきたこれまでの拙論の論調から、一歩進めたわけです。上宮王撰述かどうかは、さらにその先の問題ですが、平行して書いていた某日本思想史講座の担当個所(受容期から奈良時代の仏教)では、一般向けの概説であって論証過程は書けないため、三経義疏は上宮王撰と見て良いと記してしまいました。御物本の『法華義疏』は、乱雑な訂正がなされた草稿を急いで書写したものであって、見事な書体であれを書いた人は著者とは別人だと思いますが……。
今回の三経義疏論文を書いてみてよく分かったのは、これまでは、三経義疏のそれぞれの疏の冒頭10行程度くらいさえ正確に読めていなかった、ということですね。その典型は、『法華義疏』の冒頭部分です。そこでは、「釈尊がこの世界に現れた意図は、この『法華経』を説いて、人々にすぐれた修行をさせ、唯一の素晴らしい悟りを得さるためだ」と述べているのですが、次のように句読を切るのが伝統となっています。
若論釈迦如来応現此土之大意者、将欲宜演此経教、修同帰之妙因、令得莫二之大果。
この句読に基づく花山信勝『法華義疏(上)』(岩波文庫)では、「将に宜しく此の『経』(法華経)の教を演べて、同帰(万善同じく一如に帰す)の妙因を脩し、莫二(一乗平等)の大果(大乗の極果)を得せしめんと欲してなり」と説明を補足しながら訓んでいます。
しかし、このように、
将欲宜演此経教、
修同帰之妙因、
令得莫二之大果。
と切ったのでは、七字・六字・七字となって落ち着きません。末尾の二句が対句となるよう考慮し、
将欲宜演此経、
教修同帰之妙因、
令得莫二之大果。
と切り、「まさに宜しく此の経を演[の]べ、同帰の妙因を修せしめ、莫二の大果を得せしめんと欲すればなり」と訓むべきでしょう。「教」は、「教えて」という動詞でなく、「令」と同じく使役の語と見れば「~を修せしめ、~得さしむ」という対句になりますし、実際、古代朝鮮諸国の金石文などでは、「令」以上に「教」の語を使役としてよく用いています。
普通の漢文であれば、「教~、令~」とせず、「令~、~」だけで「令」が全体にかかるのですが、「教修」という表現も仏教経典にはよく用いられますので、それに引かれたのか。それはともかく、さらに問題なのは「宜演~」です。
これは訓読では「宜しく~を演[の]ぶべし」となりますが、この経典を演説するのが適当である、というのであれば、直前の「将欲」は不要です。「将欲」は「将」一語と同じ意味であって、「まさに~しようとする」の意ですので。ここのように「将欲」に「宜しく~すべし」の「宜」を続けた用例は、漢訳経論や中国仏教文献にはありません。
となると、ここでの「宜」は、時期・能力に応じて「宜しく(適切に)」説く、という意味で用いられていることが考えられます。しかし、時機や相手の能力に応じてうまく説くということなら「巧説」その他の言い回しがありますが、「宜演」などという用例は他にありません。「時宜」という言葉は経論では盛んに用いられていますし、『法華経』でも「随宜説法」という表現は何度か見えますが、これは「宜しきに随ひて説法す」であって、「宜しく説法す」ではありません。『法華義疏』が「宜演~」を適切な説き方で法を述べるという意味で用いるのは、「よろし」という訓に引きずられたものであって誤用なのです。
さあ、どうでしょう? かの『法華義疏』の冒頭は、こうした変格語法がこれ以外にもいくつも見られるんですよ。また、木簡や金石文とこうした経典の注釈とでは性格が違うので、比較することはできないのですが、百済や新羅の金石文や木簡でこれまで報告されている変格漢文の中には、こうした用法は見られません。日本で書かれた可能性は十分有ります。