苦痛が起床を促すより、起床が苦痛になる方が多かろう

2023年10月24日 | 苦痛の価値論
3-6-3-2. 苦痛が起床を促すより、起床が苦痛になる方が多かろう 
 本論考は、苦痛をテーマにしているので、苦痛は覚醒価値をもつと、苦痛によって目覚めることを主として見ているが、苦痛ということで起床時に想起するのは、苦痛に覚醒作用があるというより、目覚めること自体が苦痛ということの方が多かろう。
 睡眠欲は大きく、この欲求を中断させることは苦痛である。起きるときの苦痛で想起するものは、多くは、この欲求を、その快楽を中断させられる不快感であろう。起きること、覚醒への刺激としての苦痛は、あるとしても大したものではないが、起きかけての、まだ寝ていたいという欲求の抑止される不快・苦痛は大きい。覚醒時の一番の苦痛は、目覚まし時計の不快ではなく、睡眠欲自体を中断される不満・苦痛である。食欲、性欲とならんで大きな生理的欲求としてあるのが睡眠欲であり、これを中断・妨害されるのだから、その不快感は強い。
 覚醒させる目覚まし時計などの苦痛は、苦痛といえるかどうかというぐらいである。かりにベルが大きな苦痛刺激だったとしても、眠っている段階では、つまり無意識・無感覚では苦痛は意識されない。それを意識する段階では苦痛だとしても、すぐ目覚ましの音を止めるのであって、苦痛を感じることはおそらくほとんどないのが普通であろう。これに対して、もっと寝ていたいという睡眠欲は覚醒時に大いに働く。意識がもどって布団の中で暖かく気持ちいい状態を続けていたいのに、それを中断して、欲求不充足にするのであり、眠気がとれるまで、その不快・苦痛は持続する。覚醒時の一番の苦痛は、目覚まし時計の覚醒させる苦痛ではなく、もっと寝ていたいという快楽を中断させられる欲求不満の苦痛の方になる。
 眠っているのではなく、起きていて眠気がさすとき、その眠気を抑止するために、覚醒の苦痛を与えることがあるが、これは、結構しっかりとした苦痛と自覚される。そこでは、眠気、睡眠欲求が生じているのであるが、この欲求を抑止される不満・不快は、それほど大きくはないであろう。まだ、布団の中で睡眠の快楽をむさぼっている状態ではなく、その睡眠欲は未だ充足できず快は感じていないのだから、無い快楽をまだ無いままにしているだけで、不快は小さい。それに対して、眠い時の苦痛刺激は、まだ起きていて感覚はあるのだから、はじめから苦痛と意識されることで、この苦痛は大きい。水をかぶって眠気を覚ますとして、そこでの睡眠欲求不充足は感じないぐらいに小さいが、覚醒刺激としての苦痛は大きく、冷水をかぶる場合など、結構持続する苦痛となるであろう。
 起床時の睡眠欲不充足の不快・苦痛は、はっきりとした苦痛であるが、この苦痛も、一応は、覚醒に資するものであろう。眠たいのでその快楽を充足して再度寝ようとするのを抑止するとき抱く不快・苦痛は、覚醒に資するものではない感じだが、やはり、覚醒につながろう。その苦痛から逃げて再び眠るのではなく、その苦痛を耐えて苦痛を感じ続ける以上は、その苦痛は、意識を刺激し活動する方向に向けるから、覚醒を促す。
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