勇気には、大胆・果敢であればあるだけ、よく効くブレーキがいる。

2012年11月04日 | 勇気について

5-8-5.勇気には、大胆・果敢であればあるだけ、よく効くブレーキがいる。
 勇気は、恐怖忍耐では行き過ぎはまずないが、大胆・果敢の攻撃的勇気の場合、行き過ぎて誤まることがある。激怒にかられ危険を忘れて挑発にのったり、憎悪から残忍な過激な行動にでることがある。大胆・果敢の勇気は、ブレーキがないと、ときに行き過ぎて自他に害悪をもたらす。
 この攻撃的勇気へのブレーキとして、反攻撃で贈与的な愛が有効なときもあるが、愛などの感性は、きまぐれで、えこひいきする。適正なブレーキは、理性をもってすることであろう。理性は、攻撃目標へと勇気を冷静に導くとともに、攻撃の停止も適宜に判断することができる。理性は、勇気のすすむ方向を制御するハンドルであり、鼓舞するアクセルであり、さらにはブレーキともなる。
 一旦戦いをはじめると勝っても負けても戦いをやめることは難しくなる。勝っていると、ここでやめてはもったいないと思い、負けていると、負けの損害を取り返すまでは、やめるわけにはいかないということになる。攻撃の惰性に流れる感性・欲求を抑制する、冷静で的確な強い理性がいる。
 理性という御者・騎手を得た馬は、安心して疾駆できる。暴れ馬のように暴走しても、それが理性の制御下にあるものならば、まれに見る駿馬として疾走するのである。理性の制御のもとにあれば、その勇気は、無思慮な匹夫の勇、小勇に陥ることをふせぐことができる。

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