損傷しても痛まない部位がある

2021年11月23日 | 苦痛の価値論
2-3-2-1. 損傷しても痛まない部位がある
 損傷、傷みに痛みを感じるのだが、身体の部位によっては損傷が生じても、痛みの感覚の生じないことがある。髪とか爪は、切断という大きな損傷をうけても、少しも痛くない。痛覚がないのは、それなりの理由があるのであろう。動物の場合、引っ掻いたりしっかりと物をつかむために爪を立てて指に力を入れる。それが痛んだのでは力が入れられなくなるから、爪には痛覚はつけていないのであろう。人類の場合、それよりは、指先に力を入れて物を掴むのに、硬くないとうまくいかないという、いわば甲殻類の外皮のような役割をもつことになっているが、その爪に痛覚の必要性はなさそうである。 
 毛髪は、外皮にまとう体毛としては、擦り傷などに効果的であろう。少々の侵害は体毛が防ぎ、これは傷つくことになるからそこは無痛がよい。いまは、侵害は、衣服で防御しているから、体毛は少ない。だが、頭の髪は、ふさふさとして残っている。歳とともに禿げるひとがあるが、それでも、結構、後頭部には残る(女性は禿げる人が少ない。頭頂部に物を載せる等の影響があったのであろうか。あるいは、性的魅力を髪に感じることが、どうしてか昔の男子にはあったとも聞く)。後頭部への必要性は、赤ちゃんが後頭部の髪を薄くしがちであるように、おそらく、寝たときに生じるのであろう。重い頭の表面が傷まないようにということである。その後ろ髪が痛覚をもっていて痛んだのでは寝にくい。脇の下なども同様に、擦り傷対策に有用なのであろう。
 髭は毎日剃って傷つけるが、痛覚がなくて幸いである。氷河期をもって人間になったことで、つい最近まで、首筋が寒いとふさふさの動物の毛皮で襟巻をしていたように、男子は厳寒の中をマンモス狩に出かけたようだから防寒のために顎に髭がついたのかも知れない。そうではなく、男子は、動物のオス同様何かにつけて死闘を演じてきたから、殴られてもダメージを少なくするために髭があるのだという人もいる。男子にはどういうわけか胸髭もある。顎や胸に髭がある理由は、よくは分からないもののようである。
 内臓も、多くは基本的に痛覚がなく(激痛の代表格の尿路結石のようなものもあるが)、大きく傷んで周辺にまで影響を及ぼさないかぎり痛まないのが普通であろう。これは、おそらく、痛んでも対処のしようがなく、無駄な痛みとなるだけなので、痛覚をもたなくなっているのであろう。持っていた者は散々に痛みに悩まされて淘汰されてしまったことであろう。

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