節制・勇気をけなす者と、正義をけなす者。

2012年11月24日 | 節制・勇気と正義のちがい・・

*「勇気について」は、連載を終了しました。まとめたもの、広大図書館の「広島大学 学術情報リポジトリ」に入れてもらいました。以下のアドレスです。(http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00033771
*つけそえて、しばらく以下に「節制・勇気と正義のちがい・・」を考えてみます。

1. 節制・勇気をけなす者と、正義をけなす者。
1-1. 節制・勇気は、正義とともに枢要な徳といわれるが・・・
 古代ギリシャ以来、節制・勇気・正義は、枢要な徳目として説かれてきた。だが、節制と勇気は、単純に徳とみなすことはできない、といわれることがある。悪人が節制して健康になると、ますます悪行に精だすことになる。悪人は、勇気をもてば、より危険な犯罪に手をそめることになるであろう。つまりは、節制や勇気という個人のための私徳は、その個人しだいでは、悪をそそのかしかねないのである。
 これに対して、正義の場合は、かりに悪人が実行したとしても、悪・不正をやめて正義を行うのである。不正をして私欲をみたすような悪人であっても、正義を守れば、みんなのために善となる。悪人が自身に正義を貫くと、自分の不正を自身で禁じることになり、悪を拒否した正義のひととなる。正義は、社会生活に資する公徳の代表で、これは、節制や勇気とちがって、だれが行っても善となり徳として通用することになる。
 だが、法を守り不正をしない正義など、普通のひとには当たり前のことで、正義は、単なる法(律)の世界であって、(美)徳に達するものではないとも見なせる。正義は、守らないと不正になって犯罪となる低い基礎的な規範にとどまる。これに対して、節制や勇気は、守れなくても犯罪にならないことはもちろん、非難もしにくいぐらいで、つらぬくことが困難な高い美徳になるのだともいいうる。

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