自然体でうまくいっているひとでは、節制はいらない。

2013年06月08日 | 快楽への欲求を理性的に抑制(節制論3)

2-1. 自然体でうまくいっているひとでは、節制はいらない。
 自然的欲求には本来、自らを制御する機能が備わっている。食欲では、満腹してくると満腹中枢が働き始め、自動的に食への欲求をなくしていく。食欲には何といっても、おいしさ(のど越しの快楽)であり、これに引かれて、満腹してもさらに過食してしまうのだが、それでも度を過ごして摂取していると、快でなくなり、さらに過ぎると嘔吐までもよおすようになる。
 性欲の場合、多くの動物では、出産・生育の都合に合わせて発情するという自然的な制御がある。ひとでは、これがほとんど働かない状態にあり、制御は、性欲のそとから理性的に行うことが求められる。だが、性的な交わりは、人間関係の基本にかかわることとして、帰属する社会からの強い抑制圧力が加わっていて、日頃は個人の意志において制御しなくてはとまで思わなくても済んでいる。夫婦であっても、当の社会に生きる中でおのずと形成された抑制があって、羞恥心という形をとって、公衆の面前での抱擁やキスにはブレーキがかかる。
 もって生まれ、育った環境によって身についたものをもってして、健やかで、ことさらに節制のいらないひともある。だが、旺盛な生の欲求と恵まれすぎた環境のもと、おいしいもの、快楽をもたらすものがあると、ついこれをむさぼり快楽主義的になりやすく節制を心がけることが必要となるひとも多い。