もって生まれたものの個人差は、節制でも大きいが・・

2013年06月15日 | 快楽への欲求を理性的に抑制(節制論3)

2-1-1. もって生まれたものの個人差は、節制でも大きいが・・
 いくら過食しても肥満しないひとがいる。反対に、「水を飲んでも太るんだから」となげくひともある。前者は、節制しないのにスマートで、後者は、節制に努めてもなかなか報われない。性の問題では、美形の偏重に、そうでない者は悔しい思いをする。もって生まれた個人の資質、その差異・差別はどうしようもなく、天に向かって苦言を呈したくもなる。
 食の節制は、一度失敗しても決定的なことにはならず、いくらでもやり直しがきく。だが、性の場合は、そのあり方をまちがうと、自分のみならずひとの人生をも狂わせ、一生を棒に振ることも生じる。もっとも、その多くは、狭義の性的な節制の範囲外のもの、つまり、動物的な性欲自体ではなく、もっと人間的に高級な精神生活のレベルでのトラブルである。恋愛・希望となり、嫉妬・絶望となってのもので、性欲が基礎にはなっているが、その生理自体を原因とするトラブルではない。が、性欲は人間関係をふまえて精神世界にまで影響を及ぼしており、そこに繰り広げられることも広義には性の節制の話となりうる。
  いずれにしても、天与のもの、所与のものは、運命・宿命として受け入れて各人生の大前提とする以外ないが、なかにはその天与の大きな相違・差別を変える試みをするひともある。天に抗して栄養吸収の効率を悪くする薬を飲むとか、性的なものでは容貌を変えることもある。しかし、痩せ薬を飲むことは節制ではない。節制は、天に逆らった後の話で、意志をもっての努力のレベルの問題になる。