勇猛果敢の勇気では、しっかりした理性が肝要となる。

2012年11月03日 | 勇気について

5-8-4.勇猛果敢の勇気では、しっかりした理性が肝要となる。
 同じ勇気でも、恐怖の忍耐は、特定の危険に構えるだけですむ。大胆の勇気は、危険に無頓着なのだから、危険の具体相を検討することはなくてすむ。だが、果敢の勇気は、危険なものを攻撃するのであり、危険の具体相を周知することがいるし、反撃されることになろうから、その新規の危険にも目を配っていなくてはならない。攻撃の応酬で危険の様相は、その都度変化するから、果敢の勇気は、大様にかまえていたのでは済まず、臨機応変に対処することが大切となる。
 果敢な勇気は、猛烈に敵を攻撃する姿勢をもつ。そこで的を外したのでは、勢いあまって大きな無駄を作ってしまう。興奮しても的をしっかりととらえた攻撃が肝要となる。がむしゃらな猪突猛進では動く標的は狙えない。ボクシングなどの戦いでは、無暗に攻撃するだけでは勝てない。加減しつつ、ここというところで果敢になるように、かつ、相手の出方次第で作戦の変更もできるようにすることがいる。感情に流されないように、冷静な理性のヘゲモニーが貫徹されねばならない。
 果敢さは、容赦のない猛烈な攻撃を企てる。恐怖が抑えられれば、それがすすむし、果敢になれば、恐怖もふきとぶ。さらに、怒りとか憎悪をいだくなら、容赦ない過激な果敢さともなる。だが、猛攻の果敢さは、盲滅法・がむしゃらでは、生きない。反理性的な暴勇に陥らないようにコントロールされているのでなくてはならない。