大胆さは、危険に無頓着で、肉を切らせて、骨を切る。

2012年11月02日 | 勇気について

5-8-3.大胆さは、危険に無頓着で、肉を切らせて、骨を切る。
 大胆さは、危険を前にして、これを小・些事と見下して、ものともしない態度をとる。危険に無頓着であり、大様にかまえ平然として危険と対決する。
 大胆さの養成は、危険・恐怖に無頓着でおれる態度をつちかうことである。危険には恐怖し不安をいだくが、過度になりがちで、危険に平然とした適正な対応がとれるようにと、恐怖への鈍感力を身につける必要がある。理性のリードのもと、危険の妄想をしずめ危険と恐怖に頓着しないような工夫をすることである。未来への否定的な妄想をやめたり、自分には守り執着すべきものはない等と達観すれば、危険との解釈は消えて、恐怖は霧散する。鈍感力は、皆もっている。最初の轟音に驚愕しても二度目はみんな鈍感力を発揮して平気になれる。「あすはあすの風がふく」「どうにでもなれ」等と危険に無頓着になり、大様な対応を反復・習慣化していけば、鈍感力は身についてくる。
 恐怖心が小さくなれば大胆になるが、大胆は、単なる恐怖への鈍感さではない。大胆不敵の構えをもって、危険と対決するのでなくてはならない。危険を小と見下し、怖じず臆さずおのれのなすべきことを平然として実行していく。防御向けのエネルギーもできるだけ攻撃や目的とすることにとまわして、危険が現実化した禍いも覚悟して、それにとらわれることなく目的実現に邁進する大様な構えをもっている。大胆さは、肉を切らせて(危険に無頓着になり、何らかの危害を身に被る覚悟をし)、骨を切るのである。