戦う面からは、大胆・果敢が勇気になる。

2011年05月23日 | 勇気について
1-5.戦う面からは、大胆・果敢が勇気になる。
 勇気は、たたかいの場にいう。危険への恐怖に忍耐することがまず必要だが、うちなる恐怖に耐えるだけでは、外にある(恐怖をもたらす)危険自体は、危険なままである。勇気ある者は、その恐怖抑制でこころを冷静に保ちながら、つぎには、肝心なこととなる、禍いをもたらす危険なものの排撃にと進まねばならない。恐怖をもたらすほどの危険なものには、よほどの決意をもってかかる必要がある。その攻撃的姿勢の構築に大胆さ・果敢さが求められよう。勇気は、積極的には、この攻勢的な果敢さにある。勇気は、たたかいの美徳である。 
 毒蛇が部屋にいるのを発見すると、その危険に恐怖反応をする。勇気は、これを抑えて、平気になれるのでなくてはならないが、それだけでは、なお勇気には欠ける。それだけなら、「動じない」「肝が太い」と言われるにとどまる。平気になるだけでは、恐怖は去っても、肝心の危険な毒蛇自体は去っていないのである。勇気は、禍いをもたらす危険なものと闘い、これを排撃するところまでいくべきである。毒蛇を捕らえてこれを戸外に排除する積極的な行動に進む必要がある。
 その行動へと大胆さ・果敢さをもって進むとき、危険な対象は、対抗的に一層危険な形に出てくることであろう。毒蛇は、威嚇の姿勢をとり、飛びかかり、毒を吐きかけるなどの新規の危険をもたらす。大胆で果敢な勇気は、はじめの危険=恐怖のみでなく、さらに、この新規の危険への新規の恐怖を抑制・忍耐しつつ、危険の排撃へと勇往邁進することになる。
 「大胆で、命知らず」と勇敢な戦士を形容するが、その果敢な勇気は、能動的で積極的攻勢的なものとして、恐怖への忍耐である消極的な(受身の)勇気とは区別されよう。が、前者は、同時に常に恐怖を前提にし、後者、恐怖の忍耐を踏まえているというべきである。「命知らず」の勇士は、死の危険に臨んでいるが、この危険は、感情的には恐怖の反応をもたらす。恐怖を心底にもっての、危険に立ち向かう果敢な攻勢的勇気ということになろう。危険のない(したがって恐怖のない)圧倒的強者は、「勇気」をもってはげますことは不要である。勝ち目のなさそうな弱者を「大胆に、果敢に、勇気をもって!」とはげます。かれには、戦う姿勢をもてば常に危険な(恐怖すべき)場面がまっている。果敢・大胆の勇気も、「危険への」攻勢的勇気として、(危険への)恐怖とそれへの忍耐をもっているというべきであろう。