勇気では、積極的主体的に挑戦する姿勢が求められる。

2011年05月14日 | 勇気について
1-2.勇気では、積極的主体的に挑戦する姿勢が求められる。
 「勇」気ある「者」、勇者・勇士とは、ほかでもない「戦士」のことである。戦う者が、死の危険に臆することなく果敢に戦う姿勢をもつとき、「勇気がある」といい、勇敢な戦士として「勇士」となる。おおきな禍いに遭遇したとき、これに打ちひしがれて愕然としているときは、「元気を出せ」という。さらに、この禍いを払いのける気力を奮い起こし、攻勢的になるべきならば、これを鼓舞して、「勇気を出せ」ということになる。勇気は、逃げ出したくなるような禍いの危険・危機に遭遇して、これから逃げず挑戦する積極的な姿勢をもつものになる。
 病いでも、「元気を出せ」を越えて、「勇気を出せよ」というのは、この病魔と「闘う」べきところでいう。周囲の家族が悲嘆し不安に心乱れる状態になっていても、かれらに対しては「しっかりして」とはいっても、「勇気を出して」とは言わない。病魔と戦う当人について勇気はいう。難しい手術で危険に臆し躊躇しているようなとき、ひるむことなく立ち向かっていく姿勢を求めるなら、「勇気を出せ!」とはげます。病人に言って、家族にいわないのは、前者には危険があるのに対して、後者には手術に関してはそれがないということであろうか。危険の除去に主体的に取り組めるのは本人で、家族は、病気自身については代わることはできないのである。
 解雇されてその禍いに愕然とし悲嘆していたとすると、「元気をだせ」という。が、受身に終始しているだけのところでは、なお勇気はいわない。心機一転、未来に向けて積極的に生きようというところで、「勇気を」という。解雇は不当として戦うのなら、「勇気を」という。その未来には困難と危険がまちうけている。これに応じるところで、それを乗り越えていくべきとき「勇気を!」となる。