3-4. 欲求達成への主体の態度のちがい-意欲・貪欲から渇望・哀願まで-
欲求の目的達成への道程、手段のプロセスにおいては、さらに実践理性つまり意志に関して、その自律と他律のちがいが大きなテーマになる。
その欲求を実践理性=「意志」の主導のもとに自律的に展開するとき、この意志に感性も乗り気になって参加すると「意欲」になる。意志や意欲は、欲求(好んでの価値受容)においてよりは、価値実現・対象変革の実践に主として用いられ(意志は、嫌なこと=反欲求でも必要となれば行う)、欲求においても対象変革的に欲求する場面でいう。欲求内容自体が高度に精神的社会的なものからなり、意志をもって自律的に欲求実現へと向かう。食欲などの動物的欲求レベルではいわない。その欲求内容が高嶺の花であれば、「憧憬」「あこがれ」となる。意欲に泥臭さ・がむしゃらが加味されると「貪欲」といわれ、これは食欲・性欲にも機能する。
欲求は、自分で求めているのだが、その充足の方便を他者に求めていくことも多い。自律でなく、他律的でもある。強く欲求していても自身ではどうしようもなく他律にまかせて待つ以外ない場合がある。「渇望」「切望」になる。「願望」は、他者依存の欲求の代表になる。「期待」や「身近な希望」も他律的で、他者に乞い願う。はいつくばっても欲求充足を他に頼むようなものは、「懇願」「哀願」といったものになる。
「欲しい」と「欲する」を区別するが、より感情的で、ひとに他律的に哀願する傾向が強いのは、「~が欲しい」「~して欲しい」であろう。「~を欲する」は、より理性的意志的で、頼むとしても毅然とした態度をもっており自律面がより強いものになろう。
欲求の目的達成への道程、手段のプロセスにおいては、さらに実践理性つまり意志に関して、その自律と他律のちがいが大きなテーマになる。
その欲求を実践理性=「意志」の主導のもとに自律的に展開するとき、この意志に感性も乗り気になって参加すると「意欲」になる。意志や意欲は、欲求(好んでの価値受容)においてよりは、価値実現・対象変革の実践に主として用いられ(意志は、嫌なこと=反欲求でも必要となれば行う)、欲求においても対象変革的に欲求する場面でいう。欲求内容自体が高度に精神的社会的なものからなり、意志をもって自律的に欲求実現へと向かう。食欲などの動物的欲求レベルではいわない。その欲求内容が高嶺の花であれば、「憧憬」「あこがれ」となる。意欲に泥臭さ・がむしゃらが加味されると「貪欲」といわれ、これは食欲・性欲にも機能する。
欲求は、自分で求めているのだが、その充足の方便を他者に求めていくことも多い。自律でなく、他律的でもある。強く欲求していても自身ではどうしようもなく他律にまかせて待つ以外ない場合がある。「渇望」「切望」になる。「願望」は、他者依存の欲求の代表になる。「期待」や「身近な希望」も他律的で、他者に乞い願う。はいつくばっても欲求充足を他に頼むようなものは、「懇願」「哀願」といったものになる。
「欲しい」と「欲する」を区別するが、より感情的で、ひとに他律的に哀願する傾向が強いのは、「~が欲しい」「~して欲しい」であろう。「~を欲する」は、より理性的意志的で、頼むとしても毅然とした態度をもっており自律面がより強いものになろう。