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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

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陶潜は、古い時代のままの生活に目を注ぐ

2020年05月23日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【2-2.陶潜は、古い時代のままの生活に目を注ぐ】異世界・異境を語るに際して、陶潜の『捜神後記』が、浦島説話のような異時間を語らないのは、陶潜というひとの好み・価値観がかかわる。空間とちがって、主観的な時間は頼りにならない。同じ時間でも状況しだいで長くも短くも感じる。そんなあいまいな時間など論じるに足りないと陶潜は考えていたのではないか。時間よりも空間重視の立場である。未知の渓谷をさかのぼり、行く手を遮る深山の奥に秘された洞窟があり、これを通り抜けていくと、その向こうに別世界があったと、空間的に異世界を定位するだけで十分と考えていたのであろう。
 時間的なものは、主観的で捉えようのないところがあり、ひとによっては、時間は、先後が逆転さえする。自分の時間感覚が狂っていて、「橋が落ちた」のは昨日なのに、明日のことと時間定位した場合、「明日、橋が落ちる」ことが明々白々だと思え、「自分には予言が出来る」と確信することが可能である。時間感覚は、今浦島での錯覚の体験に限らず、主観の在り方に応じて変容し、信頼するにたりないものがある。また、地理的な空間とちがって、捉えどころがなく、「雄略天皇の御世戊午22年の秋7月、丹後の国で」奇怪な浦島失踪事件があったと言っても、年も月も同じ数字のことで記憶に長くはとどまらず、年号など聞いたとしても、その支配下にない者には無意味な符丁でしかなく、右の耳から左の耳へと抜けて意識にはとどまらなかったことである。これが伝承されていくときには、一律に過去一般になって、「むかし、丹後の国で」となっていく。時間は、自明と感じられるが、いざこれを捉えよう、明確にしようとすると、曖昧模糊としてきて捉えようがなく霧散してしまうものでもある。空間的なかたちで、深山の洞窟の向こうにとはっきり別世界が確定できるのであれば、仮に伝承されているものには異時間的なものがいわれていても、あいまいで信ずるに足りないものとして、省かれることになったのであろう。 
 もうひとつは、陶潜の『捜神後記』の場合、別のかたちで異時間的なものが空間的な世界のなかにすでに存在していることもかかわってこよう。つまり、「桃源郷」では、晋という現代のなかに、秦の昔がそっくり残っていた。そこにと世を避け隔絶した生活をしていたひとびとは、秦のむかしのままにとどまり、そのあとの漢とか魏、晋の時代を知らなかったのである。ひとつの孤立した現実の空間のもとに、ふるい時代がいわば化石化し空間化して厳然として存在していたのである。
 これは、現代ではすくなくなったが、まだときには可能な異世界体験である。なつかしい古い時代の生活をしている国々があるのを見て感激したりすることがある。かつては、日本でも、都を遠のくと、遠のくほどに、より古い時代(の生活)が見いだされ、「桃源郷」ならずとも、地方にいけば、新時代には無縁の過去の時代(の生活)が満ち満ちていたはずである。簡単に古い時間の残存が体験された。空間化した形でふるい時代が、歴史博物館のような光景がひろがっていたことである。そういう古い時代の光景は、「浦島」のような主観的な錯覚の体験とちがって、客観的に存在する事実であり、もし時間的なものが問題にされるとしたら、まずは、こちらの方こそを取り上げるべきだということになってよい。陶潜は、「桃花源記」では、そうしている。体験としての異時間性(錯覚)にはふれないが、生きる時代を異にする奇異な人々の存在、秦の時代しか知らない生きた化石のような人々が存在していること(真実)は、しっかりと語る。 
 浦島説話が異時間体験を語るのは、異境からもとの世界に帰ってからのことだから、まず、陶潜の「桃花源記」のように語り、古い懐かしい時代の残存を示して、さらに帰郷してから浦島的な奇怪な異時間体験を語ることもありうる。ただし、主観的な錯覚として浦島体験はあるのだから、客観的な真実を語ろうという姿勢においては、陶潜のようにして、浦島体験は語らずということになるであろう。しかも、異時間体験の話となると、どうしても、誇張・虚偽が入ってしまう。1年故郷を離れていて、帰郷時に、突然の(1年分の)変貌を見出して奇怪に感じたとしても、それは、1年の飛躍に留まるはずである。奇異な時間感覚もすぐに錯覚と分かる。だが、それでは、ひとの関心などひくことはできない。1年の飛躍でしかなくても、大きく誇張して100年とか200年の時間経過・飛躍をかたってしまう。真実を語ろうという者には、その誇張・虚偽は、許しがたいことである。自身の語りのなかにそれを混入させることは、虚偽の毒を入れることにほかならず、浦島的な異時間の誇大妄想の部分は、排除する必要があると、真実を語ろうとする者は考えることになる。

異時間を語る者と、語らない者

2020年05月13日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
2.『幽明録』と『捜神後記』
【2-1.異時間を語る者と、語らない者】浦島太郎のような異時間体験は、主観的な体験としては、「今浦島」と言われるものを代表にして、しばしばあるが、それは、客観的には錯覚にとどまる。そして、その錯覚は、通常、当人がすぐに気づくことでもある。だとすると、昔話・説話の伝承者の資質のちがいによって、異時間を語る浦島とこれを語らない山幸彦のちがいのように、これが誇張され際立たせてとりあげられるばあいと、客観性を尊んで、異時間体験は錯覚で些事として捨象されるばあいとがでてくることになる。
 異境・異世界に行っての異時間体験を際立たせる方の話として、例えば、中国の話で、『幽明録』に採録されているものに「天台の神女」というのがある。二人の男が深山にはいりこんで道に迷い何日もさまよっていたところ、ある谷間で二人の女性に出会い、彼女たちの住む桃源郷のようなところに行った。そこで半年ほど楽しく暮らすことになった。やがて、故郷にかえりたくなって、山を下って帰ってみたら、親戚も知人もいなくなっていて、自分たちの七代後の子孫に出合うことになった。その後二人は、家をでて行方不明になったというような話である。
 これに類似した話を陶潜の『捜神後記』は、いくつかあげている。しかし、いずれも、『幽明録』のような、帰郷してみたら膨大な時間が過ぎていて七代後の時代になっていたというような浦島的な時間的異常性については、これを述べることがない。そのなかで一番『捜神後記』で有名なのが、「桃花源記」である。桃の花のさきほこる渓谷をさかのぼって、山中の洞窟にはいり、そのさきに別世界を、のどかな桃源郷を見いだした。そこの住人は、秦の時代に世を避けてこの桃源郷に住みつき隔絶して、漢、魏、晋の時代を知ることなく平和に暮らしているのだった。しばらくそこにいて帰った。再び行こうとしたが、行き方がわからなくなっていたという話である。もちろん、行き来に際しての時間的な異常さは、言われることがない。
 『幽明録』の「天台の神女」と同様の異世界へ迷い込んだ話になるはずであるが、陶潜の『捜神後記』は、いずれの話も『幽明録』の「七代後」などというような時間的異常さは、いうことがない。浦島のように、異境・異世界にとしばらく離れて、そののちに帰郷したのであれば、各話の体験者自体においては、おそらくは、時間的異常さが体験されたはずであろうが、それは、陶潜からいうと、主観的なもの、錯覚にすぎず、そういう些事など述べる価値がないということだったのであろう。しかも、その錯覚の異時間は、その旅の間の時間の長さ(さきに「天台の神女」でいえば、半年)であるはずを、針小棒大に、100年200年にと誇張する。そうしないと、今浦島的体験はだれでも大なり小なり持っていて、聞くものを引き付けられないからである。話を面白くするためとはいえ、そういう誇大妄想の虚偽を語ることは、事実・真実の異境体験をおとしめ汚すことになると思えば、むしろ、語るべきでないということになってよい。
 陶潜にとって、異世界にかかわって語るべき大切なことは、広い中国の大地のどこかに実在しているはずの、深い山中の別天地へとたまたま迷いこんでしまったこと、そこで奇異な世界を垣間見ることになったという珍奇な体験だったのであろう。中国大陸の西や南の少数民族のもとには、都市部とはまるで異質の異境・秘境が、桃源郷の名にふさわしいようなところが、今も数多く存在している(中国が国家資本主義社会になってからは、あらゆるところが急激に資本制化していて、社会生活上の異境は、老人が守るだけの遺風になっており、そういう秘境・異境も、均一の経済観念のもと、観光地化するか、放棄され廃墟になるかして、まもなく消滅していくことになりそうである)。主観的な奇怪な時間的錯覚などをもって異境・異世界にさそわなくても、すでに、十分、実在している奇々怪々な秘境・異境があるのだから、その真実の姿を語るだけでよかったのであろう。 


第二次異時間体験で、浦島は自分の最期を見た

2020年05月03日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-7.第二次異時間体験で、浦島は自分の最期を見た】玉手箱を開けることで浦島は一瞬にして白髪の老人になったという。箱に何か入っていたとすると、恐らくは、乙姫に請うて、皆には内緒でもらった鏡になろう。浦島は自分の顔を見る機会がなく若いつもりでいたであろうが、故郷は長大な300年という時間の経過を見せていた。かれは、長命も度を外れていることになり、老人も終末期の高齢者となっていたはずである。それを玉手箱の中にあった鏡で見て知り、愕然とし、そのショックで死を迎えることになったのではないか。浦島は、故郷の知り合い等にと外へと意識を注いでいた間は、老化した自分を自覚することはなかった。しかし、確実に老化していたのであり、死の切迫を知らねばならなかった。それを、玉手箱に鏡があったとすれば、その鏡をもって実現することになったはずである。
 手箱から取り出した鏡は乙姫が日頃これをよく見ていたから、乙姫を思いつつ、浦島は、これを覗いて見たことであろう。竜宮謹製のその銅鏡には、神獣が、竜とともに亀姫(乙姫)の亀も彫ってあったであろうから、浦島は、その裏面、鏡面には当然乙姫の姿をと期待した。が、裏返してみた事態はまるで異なり、驚天動地で、愕然とすることになった。自分が老人になっていることを発見したのである。乙姫が「箱は開けないで」と忠告したのは、これを予知していたからである。その発言は、不死の常世の国から無常のこの現世に帰るのだから、浦島は300年という年を取るはずと承知していて、その真実を知るよりは、知らないままに死ぬ方がよいとみてのものであろう(このくだりは、浦島太郎の昔話は、「今浦島」体験をもっての話と見るよりは、神々の常世・永生と、時間の動きの急速なこの無常の現世との関わりの話と見た方が良さそうである)。しかし、浦島は、箱を開けてしまった。帰郷時の故郷の奇怪な変貌という第一次異時間体験をふまえての、自己自身の突如の変貌という第二次異時間体験をすることになった。 
 この第二次の体験では、まずは、慣れない鏡のことで、対象的に物事を捉える習慣しかなかったであろうから、自分を見出すのではなく、他者を見出したはずである。若干映りの悪くなった鏡(もちろん銅鏡である。銅鏡というと歴史博物館で「三角縁神獣鏡」のような錆びた裏面のみを見慣れている現代人は、鏡面にもそのようなイメージを抱きがちになるが、磨かれた銅鏡の鏡面は、現代の鏡と比べてもそんなに遜色はなかった)をみて「あ、お父さん!しわだらけの情けない姿になって。いや、お祖父さんですか?」と驚愕させられ、この世界と自己の時空が掻き乱されパニック状態となったに違いない。どうしてここにと、空間が混乱させられ、遥かな昔のお祖父さんまでがいたのでは時間も分からなくなり、自身の時空の見当識がゆさぶられ、自己自身もあいまいになってきたことであろう。「箱から白い煙が出て」ということになっているのは、頭が真っ白になったということであろう。しばらく、鏡の中の顔面の口を動かしたり、手を顔にもっていったり、裏側を覗いて見たりして、矯めつ眇めつしながら、ほかの動物とちがい自己意識をもち自己の反省のできる人間のことであり、落ち着くとともに真実を理解することになったであろう。鏡の人物が自分自身であることに気づいたはずである。落ち着いて真実を把握すると同時に、さらに一層驚愕させられることになった。自分が老人になっていて、しわだらけで情けない姿になっていると分かったのである。その突然の老化に仰天させられ愕然とする、自己自身の第二次異時間体験となった。「たちまち太郎はおじいさん」の唱歌の通りである。
 この体験は、現代人が鏡を見て間髪を入れず「ひどい顔!」と失望するのとはわけが違う。鏡の自分を見た経験がなければ、その鏡の像は、見ている自分とは別なものとして、はじめは他者を見たことであろう。見たことのない自分を自分と分かるはずがないのである。写真を見たことのない人たちがはじめて集合写真を撮ってもらい、これを見たところ、映っているのが誰かは一人をのぞいて皆分かった。その誰かが分からなかった唯一の人とは、自分自身であったという。自分の姿を一度も対象として見たことがなかったのであれば、自分だけは見知らぬひとだったのである。浦島も、初めて見る自分の顔であろうから、ましてや老いて醜い鏡のその顔のこと、到底自分とは思えなかった。「随分前のことになるが、逞しかった父も、年取ってこうなったか」と思えば、父を見出したことであろう。「それにしては、あまりにも年を取り過ぎている。よくは記憶してないが、祖父だろうか」と思ったかも知れない。しかし、祖父や父がここにいるはずもないし、いったい誰だと、戸惑いつつ、口を開けたりゆがめてみたりして、やがて、「自分の顔面と見なさざるをえない」と思うようになっていったことであろう。そして、まだ十分に自分とは思えない鏡像を見ながら、それでもやはり自分であるにちがいないと自分を納得させつつ、その自分の老化のすさまじい姿に茫然となったことであろう。友人たちがとっくの昔にあの世にいっていることを合わせて、寂寥感・虚脱感にとらわれて、生への気力を一気に失い、生きるしかばね状態となったことであろう。 
 これは、異時間体験というよりは、自身の思い込みとその実際とに乖離があって、その実際を知って驚かされるということである。突然、新規の事柄が出来して、とまどう驚き体験という方がいいのかも知れない。もちろん、鏡をもっての浦島の老化の自覚は、若いつもりでいたのに、実際には長大な時間が過ぎていて老人になっていたという時間についての驚きでもある。しかし、長い時間的なブランクをもって成り立つ「今浦島」体験とは、区別される。「今浦島」の体験は、長く見たことがなかったものを見たとき、一方で、その間の記憶の更新はないから昨日の今日という感じでいるのに、他方で、目の前にあるものは、長大な時間を思わせるような変貌を見せているという奇怪な体験になる。だが、ここでの鏡をみての老化の自覚では、浦島は、銅鏡を覗いてみるような若者ではなかったろうから、若いときの記憶像をこの時に想起して結びつけるといったことはなかったはずである。その老いぼれた、鏡のなかの自分は、自分とみなさざるを得ないが、「はじめまして」といいたくなる疎遠な、はじめて見る顔であったろう。漠然と若いつもりでいたその自覚を、自分をはじめて映した鏡が破ったのである。「喜望峰」をアフリカ最南端に鎮座する巨峰だと思い込んでいた者が、グーグルアースで平凡な「岬」と見知って驚き、「これがなんで希望の巨峰だ、絶望させる岡だ」と落胆するようなものである。鏡をみての浦島の体験は、それと同じ驚愕体験であるが、同時に突然の老化の自覚ということでは、奇怪な異時間体験でもあったということができる。 
 驚愕の老化の現実をふまえて、半ばしかばねになった浦島は、セミの抜け殻のようになって、孤独のなかで最期を迎えることになった。その間、好奇心の強い人間のことだから、再度、鏡を手にして自分の末期を見た可能性がある。鏡をのぞきこんだ時見たものは、おそらく、老人顔の自分を初めて見たとき以上に疎遠な感じの、まるで生気のないゾンビ化したひとの死相だったであろう。到底自分とは思い難く、これを突き放して対象化して見たとすると、死神が鏡の中からじっと自分を見ているのを発見したはずである。そして最期に、乙姫の鏡ゆえに乙姫のかすかな痕跡でも見つけたいと、手垢や指の跡でもついていないかと、かれは、目を皿のようにして鏡を見まわし、さすが竜宮謹製の銅鏡のこと、鏡の裏面に彫られた亀がうっすらと鏡面に浮き出るように磨かれていて、それが乙姫(亀姫)の陰影を作り出しているのを見つけ出したことであろう。浦島は、その神々しい乙姫に、老いさらばえた自分を鏡の中で重ねて、微笑む自分をやっと自分に違いないと実感しながら、安らかに息を引き取ることになった、と想像しても良いのではないか。



浦島は、空の小箱しか携行できなかった

2020年04月23日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-6.浦島は、空の小箱しか携行できなかった】浦島は、竜宮の乙姫(亀姫)と結ばれた。が、釣りつられての刹那的快楽を求めての結びつきだったから、長続きはしなかったのであろう、離婚してしまった。山幸彦の場合は、快楽を求めて竜宮に行ったのではない。釣り針を探す苦難の冒険の旅に出たのである。その中で、竜宮の豊玉姫を妻とし、海幸彦との戦いに使える、潮の干満を操れる魔法の玉「しおみち(潮満」」玉と「しおひ(潮涸)」玉を手に入れて帰郷した。「桃太郎」のような、略奪をもっての帰還ではなかったから、鬼ヶ島からの報復を心配することなど無用だったどころか、のちに山幸彦の一族は竜宮との結びつきを深めてもいる。冒険の旅の成功譚の代表である。しかし、浦島は、離婚し、かつ、山幸彦の向こうを張って、何につけても隣りと同じようにしたがる日本人の習性にしたがって、一応玉手箱(玉匣[たまくしげ])を手にしてはいたものの、むなしい帰郷であった。玉といわず、玉匣と、匣(手箱)をいうのは、玉などもらえる状態ではなく、せめて見栄のための小さな手箱だけでも、ということだったのであろう。その小箱には中身はなかった。というか、ないことを隠すのが、その箱であった。あったとしても、それは、自分の身を抜け殻にしてしまった玉=魂の痕跡か、抜け殻の自分を映す鏡ぐらいだったであろう。    
 日本での冒険の旅は、故郷に帰ることで終わる。古代の浦島も山幸彦も、江戸時代の冒険譚の代表の桃太郎も、冒険の旅の末には故郷に帰る。グリムらのメルヘンの若者の冒険の旅は、巣立ちした動物のように、古巣には帰らないで、新天地に落ち着き先を見出して終わる。西洋の桃太郎なら、鬼ヶ島にいって、鬼の王女と結婚して鬼ヶ島の新王となる。略奪は、持って帰れる宝物ではなく、それを含めた国土そのものを略奪する。だが、日本の桃太郎は宝物を持って、帰ってくる。故郷へ錦を飾るということは、最近までよく言われていた。自立精神が希薄である(もっとも、古くはヨーロッパ人の冒険の旅でも故郷に帰るのが一般であった)。冒険に成功したのなら、帰っても、威張りたい、褒められたいということで分かるが、失敗した者ですらも、慰めてもらいたいということであろう、帰っていく。穏かな故郷の自然にいだかれて、亡き父母、爺婆が、草葉の陰で「よお帰ってきてくれたのお」と、情けない自分なのに宝物のように思ってくれ、慰めてくれるのであろう。
 浦島は、宝物を持って帰れなかったので、見栄の空箱をもって舞い戻ってきた。どこにでも居そうな日本人の一人である。英雄や石部金吉ではしんどいが、浦島は、情けない者としての自覚をもつ庶民の琴線に触れるところがあるのであろうか、おそらく山幸彦よりも人気がある。語られるだけでなく、古くから書籍にも繰り返して取り上げられてきた。苦しむためだけに生まれてきたかのような庶民の若者には、快楽・享楽の生活は、夢のまた夢であった。せめて、淫本『源氏物語』(「我国淫本の権輿」とは斯界の通人永井荷風の言)の万分の一でも、淫らな願望を満たすことができればと夢見たことであろう。浦島のような生き様が破綻することは承知していての悲しい願望であった。それが浦島太郎において語られているのであり、自分たちの悲しく情けない夢だと共感されたのであろう。 
 浦島説話では、「望郷の念にかられ、ほんの一時の帰郷を願い出た」ということになっている話もあるが、見栄のための空の小箱の携行しか許されなかったのであるから、かれは、あいそをつかされたのである。鯛や鮃の尻を追いかけ飲み食いするのみの無能者ということになって竜宮を追われた浦島は、故郷に安らぎをもとめて帰ったのではないか。その故郷がかれに安らぎの場として存在するためには、失敗を知っているもの、これを、快楽主義者の成れの果てかと、あざ笑うものがいたのでは、よくない。帰郷時に長大な時間経過をもたらした異時間体験は、幸いであった。みんな草葉の陰に憩い、早く来いよと誘ってくれる優しい家族や友人ばかりを想うことができ、安らかな終わりとなりえた。 
 浦島の場合は、快楽に感けてのことで自業自得となりそうだが、勇敢で真摯な冒険精神に富む海洋民族の若者たちは、幸を求めて海にと出かけていき、しばしば帰らぬ人となった。嵐の大海原で遭難し海の藻屑となり果てた者が多かったろうが、ときには運よく異国に流れ着いてのち、長年月を経て帰郷したといった話もあったことであろう。その間に、老いた両親はもちろん、夫の帰りを待ち続けた妻も飢えと過労で病死し、子供は、孤児となり行方不明になっていたといった悲惨な浦島も生み出したはずである。さきの太平洋戦争では膨大な数の戦士が海で異国の地で凄惨な死をとげたが、絶海の孤島やジャングルの奥地でなお生き残っていても戦場の無数のしかばねの中で行方不明となれば死んだことにされた。お骨のない骨箱が、玉(魂)のない浦島的な玉手箱が故郷に送られていて、戦後しばらくして日本に帰ってみたら、自分の墓があって、妻は家をでて再婚していたといった悲劇の戦士浦島もあった。自分の知る者がすべていなくなっていて、そういう悲劇の追い打ちにあわずに済んだ浦島は、悲しくも幸いだったともいえる。太宰治は、浦島が突如老人になり、不幸な最期を迎えたとする普通の見方を拒み、実は逆で、浦島の「三百年の年月」は、すべてを忘却のかなたに置き去ることであり、それは、むしろ、「人間の救ひである」、浦島の最期は「幸福」だったと説いている(太宰治『お伽草紙』浦島さん)。この解釈だけには太宰に私も共感できる。  

快楽に感けた浦島の不幸、未来に生きる山幸彦の幸い

2020年04月13日 | 昔話の異時間・異世界-浦島太郎と山幸彦-
【1-5.快楽に感けた浦島の不幸、未来に生きる山幸彦の幸い】浦島と山幸彦は、同じように竜宮に行った青年であるが、その人生の展開は大いに異なる。その違いは、なんといっても、冒険の成功と失敗のちがいである。山幸彦は、成功し、得難い宝物をもって帰郷して、それをもとに現実的に、未来に向かって活躍しつづけ、大成した人物となる。他方、浦島は、失敗し呆然自失で帰郷し、絶望に打ちひしがれて孤独な最期を迎えた。その違いが、また、浦島が異時間の感覚をいだき、山幸彦でそれが問題とならなかったことに関わりをもつ。
 異境・異世界への旅は、冒険の旅であり、試練の時であって、その人生に大きな実りが可能となる時である。故郷を出ていくのは、豊かな幸・富みを獲得しようがためである。海山の幸彦達は、漁に、狩りに出かけて、海山に寝泊まりしながら幸・獲物を得て、我が家に帰ってくる。商人なども旅にでて、町の幸彦たちは何ヶ月、何年と帰れないこともあった。成功話であるとしたら、帰郷したときには、待ちかねていた故郷・我が家のものたちと再会して、富み・幸を共に享受できるのでなくてはならない。獲物をもって、富みをもって帰郷してみたら、我が家は廃虚となっていて、だれもいなくなっていたというのでは、成功話は、惨めな不幸話にと反転してしまう。動物が命がけで獲物を探し捕らえて巣に持って帰るのは、それを待つ愛しい子供たちがいるからである。鬼ヶ島の宝物をもっての「桃太郎」の帰還は、宝物に喜ぶであろう「おじいさん、おばあさん」あればこそである。ということは、成功話としては、帰郷時に、待ち望んでいた人々とか、主人公が再会したいと思っているひとと会えるのでなくてはならない。つまりは、旅のあいだも、自分と故郷が時間的展開を同一に保って同時的な進行をしていることが求められるのである。
 山幸彦の場合、兄弟葛藤の決着をつけるべき未来が待っていたのであり、未来へと意識は向かっていたはずである。現在を過去と並べるなら、出立時以降の記憶の中断をもって、突然海幸彦が年取って現れるであろう。だが、未来にむかっている意識は、海幸彦に鉄槌を加えることに集中し、過去の記憶像と現在のそれに飛躍を感じていても、それは、主観の錯覚で些事と打ち捨てられるであろう。不遜な海幸彦に懲罰を加え海山の統率者となる未来の夢をえがき、その未来を目指して一途に進み、海幸彦懲罰を現実のものとしていく。その現在とその未来の間には、異時間感覚は存在しないであろう。過去は、すでに存在した記憶に属する確定した時間であるが、未来は、その時間は、山幸彦にも海幸彦にも、なお存在せず未確定にとどまっている。その時間自体が存立していないのだから、未来を行き来できるようなタイムマシンでもない限り、異時間もその感覚も成立のしようがないことである。 
 ひとは、動物とちがい、些事に渡るまで目的論的に生きる。もちろん、未来には大きな目的を描き、それを実現していくために己をかけていく。価値あるもの・幸を求めて自らに犠牲を背負い、その苦難に挑戦していく。希望・目的を実現するための辛い手段を選んで、これを生きがいとし耐え忍んでいく。山幸彦は、兄の海幸彦から、失った釣り針を探してこいと難題を課されて、これを果たすために探索・冒険の旅に出た。それを果たし、兄を懲らしめ勝者となるために艱難辛苦を乗り越えて、未来の幸いのためにと生きた。山幸彦は、神武天皇の祖父となり、日本の支配者として長く君臨する一族の始祖となった。
 この山幸彦に比べて、浦島は、情けない。竜宮に行ったのは、快楽にひかれ乙姫(亀姫)に誘惑されてのことであった(亀は、亀頭をもつ。もちろん、露骨に、首をひっこめて亀頭の入る穴も見せる)。若者らしい未来への冒険的精神は、欠落していた。竜宮に行っても、鯛や鮃の舞い踊りに浮かれた日々を過ごしただけで、「ただめずらしく、おもしろく、月日のたつのも夢のうち」(文部省唱歌浦島太郎)という体であった。その結末は、竜宮追放であり、みじめな老化、死あるのみであった。未来にと生きる者は、当然、不幸を求めることはなく、幸いを求めて生きる。だが、浦島は、今の享楽に生きたのであり、未来の幸いを希求して現在の辛苦に耐えるといった姿勢はなかった。現在の幸を食いつくそうというだけであった。その果ては、幸の消えうせた不幸を嘆くのみとなる。浦島の場合、運が悪くて不幸・禍がもたらされたのではない。自らが招いた不幸である(というのは、少し酷であろうか。恵みの少ない若者が大海原にひとり漁に出ていたのである。妻をめとることもままならない生活のなかで、亀を見て幻想をいだくほどに渇していた。都の若い貴族たちが現実にほしいままのことをしていた、その千分の一にも及ばないことを、しかも幻想の中に満たそうとしたにすぎない。実際には、快楽主義的でも刹那的でもありえなかったのであろうから、恵まれた山幸彦と並べるのは、酷かも知れない。が、物語としては、幻想とも夢とも説くわけではなく、乙姫との夢のような生活をしたという設定であり、ここでは、それにしたがった浦島を論じざるをえない)。  
 未来に幸を求めて生きる者は、幸に会えるようにと自身を犠牲にする。今の禍い(わざ=業、会い)に挑戦しこれを乗り越えて幸い(幸、会い)を可能にしようと、自己否定をもって変わっていこうとする。その自己を踏まえれば、ほかの者も同じように変わっているはずとみる。長らく会わなかったとしたら、自分が変貌していっているように、相手も変貌していると思う。「男子三日会わざれば刮目して見るべし」という姿勢で生きる。だが、自分が変わらないから相手も変わらないと思って十年一日のようにして関わるなら、相手の意想外の変貌・進歩に仰天することになる。今浦島体験となる。
 浦島のような失敗した旅・冒険の場合、故郷に対して一面では、なつかしい海山を前に安らぎたい、皆に会いたいということがあるが、他方では合わす顔がないのでもあって、帰ってみたら、だれもいなくなっていたという異時間体験も意味を持つ。故郷の海山は、昨日の今日という自分の感覚を受け入れてくれて、浦島たちに安らぎを与えてくれるが、知り合いは一人残らず亡くなっていて、長大な時間の経っていることを思わせた。それは、一面では、寂寥の事態であるが、他方では、自身の失敗の旅をだれにも知られないで済むということでもある。失敗を話さなくてもいいように、皆、消えてくれたということでもある。「桃太郎」は、かりに、鬼ヶ島で敗北して命からがらに逃げ帰ったのだとしたら、みんなにあわす顔はなかったことであろう。浦島は、未来へと挑戦する気迫などゼロの、「月日のたつのも夢のうち」の快楽主義者の成れの果てだから、それどころではない。知る者がいたら、道楽者の『父帰る』ほどではないが、「ぬけぬけと、よくもまあ帰ってきたことよ」と侮蔑の眼を覚悟しなくてはならなかったであろう。