【2-2.陶潜は、古い時代のままの生活に目を注ぐ】異世界・異境を語るに際して、陶潜の『捜神後記』が、浦島説話のような異時間を語らないのは、陶潜というひとの好み・価値観がかかわる。空間とちがって、主観的な時間は頼りにならない。同じ時間でも状況しだいで長くも短くも感じる。そんなあいまいな時間など論じるに足りないと陶潜は考えていたのではないか。時間よりも空間重視の立場である。未知の渓谷をさかのぼり、行く手を遮る深山の奥に秘された洞窟があり、これを通り抜けていくと、その向こうに別世界があったと、空間的に異世界を定位するだけで十分と考えていたのであろう。
時間的なものは、主観的で捉えようのないところがあり、ひとによっては、時間は、先後が逆転さえする。自分の時間感覚が狂っていて、「橋が落ちた」のは昨日なのに、明日のことと時間定位した場合、「明日、橋が落ちる」ことが明々白々だと思え、「自分には予言が出来る」と確信することが可能である。時間感覚は、今浦島での錯覚の体験に限らず、主観の在り方に応じて変容し、信頼するにたりないものがある。また、地理的な空間とちがって、捉えどころがなく、「雄略天皇の御世戊午22年の秋7月、丹後の国で」奇怪な浦島失踪事件があったと言っても、年も月も同じ数字のことで記憶に長くはとどまらず、年号など聞いたとしても、その支配下にない者には無意味な符丁でしかなく、右の耳から左の耳へと抜けて意識にはとどまらなかったことである。これが伝承されていくときには、一律に過去一般になって、「むかし、丹後の国で」となっていく。時間は、自明と感じられるが、いざこれを捉えよう、明確にしようとすると、曖昧模糊としてきて捉えようがなく霧散してしまうものでもある。空間的なかたちで、深山の洞窟の向こうにとはっきり別世界が確定できるのであれば、仮に伝承されているものには異時間的なものがいわれていても、あいまいで信ずるに足りないものとして、省かれることになったのであろう。
もうひとつは、陶潜の『捜神後記』の場合、別のかたちで異時間的なものが空間的な世界のなかにすでに存在していることもかかわってこよう。つまり、「桃源郷」では、晋という現代のなかに、秦の昔がそっくり残っていた。そこにと世を避け隔絶した生活をしていたひとびとは、秦のむかしのままにとどまり、そのあとの漢とか魏、晋の時代を知らなかったのである。ひとつの孤立した現実の空間のもとに、ふるい時代がいわば化石化し空間化して厳然として存在していたのである。
これは、現代ではすくなくなったが、まだときには可能な異世界体験である。なつかしい古い時代の生活をしている国々があるのを見て感激したりすることがある。かつては、日本でも、都を遠のくと、遠のくほどに、より古い時代(の生活)が見いだされ、「桃源郷」ならずとも、地方にいけば、新時代には無縁の過去の時代(の生活)が満ち満ちていたはずである。簡単に古い時間の残存が体験された。空間化した形でふるい時代が、歴史博物館のような光景がひろがっていたことである。そういう古い時代の光景は、「浦島」のような主観的な錯覚の体験とちがって、客観的に存在する事実であり、もし時間的なものが問題にされるとしたら、まずは、こちらの方こそを取り上げるべきだということになってよい。陶潜は、「桃花源記」では、そうしている。体験としての異時間性(錯覚)にはふれないが、生きる時代を異にする奇異な人々の存在、秦の時代しか知らない生きた化石のような人々が存在していること(真実)は、しっかりと語る。
浦島説話が異時間体験を語るのは、異境からもとの世界に帰ってからのことだから、まず、陶潜の「桃花源記」のように語り、古い懐かしい時代の残存を示して、さらに帰郷してから浦島的な奇怪な異時間体験を語ることもありうる。ただし、主観的な錯覚として浦島体験はあるのだから、客観的な真実を語ろうという姿勢においては、陶潜のようにして、浦島体験は語らずということになるであろう。しかも、異時間体験の話となると、どうしても、誇張・虚偽が入ってしまう。1年故郷を離れていて、帰郷時に、突然の(1年分の)変貌を見出して奇怪に感じたとしても、それは、1年の飛躍に留まるはずである。奇異な時間感覚もすぐに錯覚と分かる。だが、それでは、ひとの関心などひくことはできない。1年の飛躍でしかなくても、大きく誇張して100年とか200年の時間経過・飛躍をかたってしまう。真実を語ろうという者には、その誇張・虚偽は、許しがたいことである。自身の語りのなかにそれを混入させることは、虚偽の毒を入れることにほかならず、浦島的な異時間の誇大妄想の部分は、排除する必要があると、真実を語ろうとする者は考えることになる。
時間的なものは、主観的で捉えようのないところがあり、ひとによっては、時間は、先後が逆転さえする。自分の時間感覚が狂っていて、「橋が落ちた」のは昨日なのに、明日のことと時間定位した場合、「明日、橋が落ちる」ことが明々白々だと思え、「自分には予言が出来る」と確信することが可能である。時間感覚は、今浦島での錯覚の体験に限らず、主観の在り方に応じて変容し、信頼するにたりないものがある。また、地理的な空間とちがって、捉えどころがなく、「雄略天皇の御世戊午22年の秋7月、丹後の国で」奇怪な浦島失踪事件があったと言っても、年も月も同じ数字のことで記憶に長くはとどまらず、年号など聞いたとしても、その支配下にない者には無意味な符丁でしかなく、右の耳から左の耳へと抜けて意識にはとどまらなかったことである。これが伝承されていくときには、一律に過去一般になって、「むかし、丹後の国で」となっていく。時間は、自明と感じられるが、いざこれを捉えよう、明確にしようとすると、曖昧模糊としてきて捉えようがなく霧散してしまうものでもある。空間的なかたちで、深山の洞窟の向こうにとはっきり別世界が確定できるのであれば、仮に伝承されているものには異時間的なものがいわれていても、あいまいで信ずるに足りないものとして、省かれることになったのであろう。
もうひとつは、陶潜の『捜神後記』の場合、別のかたちで異時間的なものが空間的な世界のなかにすでに存在していることもかかわってこよう。つまり、「桃源郷」では、晋という現代のなかに、秦の昔がそっくり残っていた。そこにと世を避け隔絶した生活をしていたひとびとは、秦のむかしのままにとどまり、そのあとの漢とか魏、晋の時代を知らなかったのである。ひとつの孤立した現実の空間のもとに、ふるい時代がいわば化石化し空間化して厳然として存在していたのである。
これは、現代ではすくなくなったが、まだときには可能な異世界体験である。なつかしい古い時代の生活をしている国々があるのを見て感激したりすることがある。かつては、日本でも、都を遠のくと、遠のくほどに、より古い時代(の生活)が見いだされ、「桃源郷」ならずとも、地方にいけば、新時代には無縁の過去の時代(の生活)が満ち満ちていたはずである。簡単に古い時間の残存が体験された。空間化した形でふるい時代が、歴史博物館のような光景がひろがっていたことである。そういう古い時代の光景は、「浦島」のような主観的な錯覚の体験とちがって、客観的に存在する事実であり、もし時間的なものが問題にされるとしたら、まずは、こちらの方こそを取り上げるべきだということになってよい。陶潜は、「桃花源記」では、そうしている。体験としての異時間性(錯覚)にはふれないが、生きる時代を異にする奇異な人々の存在、秦の時代しか知らない生きた化石のような人々が存在していること(真実)は、しっかりと語る。
浦島説話が異時間体験を語るのは、異境からもとの世界に帰ってからのことだから、まず、陶潜の「桃花源記」のように語り、古い懐かしい時代の残存を示して、さらに帰郷してから浦島的な奇怪な異時間体験を語ることもありうる。ただし、主観的な錯覚として浦島体験はあるのだから、客観的な真実を語ろうという姿勢においては、陶潜のようにして、浦島体験は語らずということになるであろう。しかも、異時間体験の話となると、どうしても、誇張・虚偽が入ってしまう。1年故郷を離れていて、帰郷時に、突然の(1年分の)変貌を見出して奇怪に感じたとしても、それは、1年の飛躍に留まるはずである。奇異な時間感覚もすぐに錯覚と分かる。だが、それでは、ひとの関心などひくことはできない。1年の飛躍でしかなくても、大きく誇張して100年とか200年の時間経過・飛躍をかたってしまう。真実を語ろうという者には、その誇張・虚偽は、許しがたいことである。自身の語りのなかにそれを混入させることは、虚偽の毒を入れることにほかならず、浦島的な異時間の誇大妄想の部分は、排除する必要があると、真実を語ろうとする者は考えることになる。