4-6-3-1. 創造的意思を発揮しての苦痛と時間
価値あるものを創造するには、時間を割き、困難に直面して苦痛を甘受し忍耐することが必要だが、その時間と苦痛が活きるには、結果を生み出す能動的営為がなくてはならない。ひとのために一日の時間を割くとすると、途中で、辛いことになろうが、そこで苦痛を回避していたのでは先に進まない。苦痛甘受の忍耐が必須である。だが、時間を割き犠牲にして苦痛を我慢するだけでは、創造物はならない。価値ある物という結果を先に見て、それのための目的的な活動になっているのでなくてはならない。自身の一日を他者のために投げ出し、苦労をするのだが、肝心なことは、相手の求める価値あるものを創造することである。相手が雇ったのが、竹籠を作って欲しかったためだとすると、竹籠を編むという作業をするのでなくてはならない。
ものの創造には、苦痛が必須ということで、むやみに苦痛をもって願いを達成しようとすることがあるが、それは、苦痛の買い被りであろう。無意味な苦痛がありうる。かりにその苦難が宗教的修行だったら、何かを作り出す営為ではないから、いくら苦痛を重ねても、その苦痛自体は、価値ある物を生まない。苦痛即価値あるものの産出とはならない。苦痛といえば、病気がそれの代表になろうが、病気で苦しみ、辛い目にあって苦痛にのたうちまわっていても、そのこと自体からは、価値ある物が産み出されることはない。元気で運動して筋肉を痛めつけつづけても、なにも価値ある物がそれで生産されるわけではない。物の創造的な活動となって、目的実現への具体的な営為があってはじめて、価値ある物が創造されるのである。
時間を割いて自身の時間を喪失・疎外するとしても、その時間のうちで、創造的な目的があって働くのでないと、その時間は、価値ある物を生み出さない。することがないので、つまらないテレビやスマホを、「下らない、不愉快だ」と思いながら、半日見てつぶしたとすると、時間は喪失していて、自分の時間は無でしかないとしても、その時間は、生産的創造的に使用されていないのであって、物の創造とはならず、その創造の価値はないということになろう。無意味無駄な時間使用にとどまる。価値ある物の創造では、割かれた時間がその物に結晶しているし、苦痛苦労の結晶でもあるが、創造的な目的の活動のための時間であり苦痛であってのみ、価値として結晶するのである。立派な創造物がなってはじめて、それに費やした時間と苦痛が活きる。そして、その価値を評価するときには、それに結晶した時間と苦痛をもってするのである。
価値あるものを創造するには、時間を割き、困難に直面して苦痛を甘受し忍耐することが必要だが、その時間と苦痛が活きるには、結果を生み出す能動的営為がなくてはならない。ひとのために一日の時間を割くとすると、途中で、辛いことになろうが、そこで苦痛を回避していたのでは先に進まない。苦痛甘受の忍耐が必須である。だが、時間を割き犠牲にして苦痛を我慢するだけでは、創造物はならない。価値ある物という結果を先に見て、それのための目的的な活動になっているのでなくてはならない。自身の一日を他者のために投げ出し、苦労をするのだが、肝心なことは、相手の求める価値あるものを創造することである。相手が雇ったのが、竹籠を作って欲しかったためだとすると、竹籠を編むという作業をするのでなくてはならない。
ものの創造には、苦痛が必須ということで、むやみに苦痛をもって願いを達成しようとすることがあるが、それは、苦痛の買い被りであろう。無意味な苦痛がありうる。かりにその苦難が宗教的修行だったら、何かを作り出す営為ではないから、いくら苦痛を重ねても、その苦痛自体は、価値ある物を生まない。苦痛即価値あるものの産出とはならない。苦痛といえば、病気がそれの代表になろうが、病気で苦しみ、辛い目にあって苦痛にのたうちまわっていても、そのこと自体からは、価値ある物が産み出されることはない。元気で運動して筋肉を痛めつけつづけても、なにも価値ある物がそれで生産されるわけではない。物の創造的な活動となって、目的実現への具体的な営為があってはじめて、価値ある物が創造されるのである。
時間を割いて自身の時間を喪失・疎外するとしても、その時間のうちで、創造的な目的があって働くのでないと、その時間は、価値ある物を生み出さない。することがないので、つまらないテレビやスマホを、「下らない、不愉快だ」と思いながら、半日見てつぶしたとすると、時間は喪失していて、自分の時間は無でしかないとしても、その時間は、生産的創造的に使用されていないのであって、物の創造とはならず、その創造の価値はないということになろう。無意味無駄な時間使用にとどまる。価値ある物の創造では、割かれた時間がその物に結晶しているし、苦痛苦労の結晶でもあるが、創造的な目的の活動のための時間であり苦痛であってのみ、価値として結晶するのである。立派な創造物がなってはじめて、それに費やした時間と苦痛が活きる。そして、その価値を評価するときには、それに結晶した時間と苦痛をもってするのである。