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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

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快即悪とするのは、行き過ぎだろう  

2025年04月08日 | 苦痛の価値論
4-7-2-2. 快即悪とするのは、行き過ぎだろう 
 快は、人を魅了する。享受したい代表であり、それにのめり込んで現を抜かすようになって、よからぬ状態を作り出しもする。快がしばしば否定的結果をもたらすというのは、わかる。また、苦痛を回避せず、これを甘受して忍耐することで、人間的生に価値あるものが可能になるから、その点では、苦痛は、良い手段・犠牲となりうる。だが、自然的日常的には、快にしたがい苦痛を回避することで良好な結果となるのであって、快即悪、苦痛即善とするのは行き過ぎであろう。が、精神的世界では、反自然的に、快を悪とし、苦を善とすることが少なくない。
 カントは、自慰より自殺の方が悪は小さいと見た(『人倫の形而上学』「徳論」§7等)。自慰は快楽の肉欲に屈したものだが、自殺はそうではないからだと。自殺は、(神から与えられた)尊い生命をないがしろにする悪であるが、それより快楽の自慰の方が一層の悪だとし、快楽に対して厳しい見方をした。カントは、敬虔主義の強い影響下にあったというが、一般的に言って宗教など超越世界を求めるものにとっては、この肉体の牢獄から解放されることが大切であり、その肉欲の代表が性欲・食欲(その快楽)ということで、快楽を嫌悪するのは、宗教世界ではごく普通のことであった。それは、仏教でも同様である。禅宗の僧の中には、美味しい味噌汁では困ると言って、壁を削って味噌汁の中に入れてまずいものにして食した者もいる。ましてや性的快楽は肉欲の代表で、これからの超越は大切だった。
 精神世界では、快は、なくてもよい些事である。喜びの快感情はなくても、価値物獲得がなればいいのである。問題は、感性世界での快であろう。これにかまけていたのでは、生が何かに挑戦していくことが上の空となって生促進にマイナスとなる。その点では、快は、悪といってもよい。快にのめりこみ陶酔した状態では、外界への注意はおろそかになり、先へと進むことを放棄した状態になる。とくに、麻薬のように、生促進のために資するものがゼロで快楽享受のみというのでは、激痛軽減にその快楽を利用するような場合を除けば、根本的にその快楽は悪である。酒等の麻薬が、悪として嫌悪され排除されるのは、もっともなことである。
 しかし、快楽全般を悪とみなすのは、行き過ぎであろう。ひとも動物として、その動物的機能のもとでは快不快(苦痛)をもって適切に生の保護・促進が可能になっているのである。美味しいものは、身体に優れた栄養をもっているのであり、まずい苦痛をもたらすもの、苦いものは、有毒であることを知らせる感覚・感情である。性的な方面でも、人類はめぐまれているから中には逸脱する者もいるが、不倫等の逸脱で家族を壊すようなものを厳罰にして処すれば、おおむね、うまく種の再生産がいくようになっている。かりに、性的快楽がないとしたら、だれが子供を作ろうとするであろうか。食が快でないなら、たちまちに栄養失調になる。節制という中庸の在り方を古来人類は規範としてきた。食も性もそういう節制の姿勢をもって快を享受してきた。カントなどの厳格主義、敬虔主義は、精神的生を第一にする人においては有意義かもしれないが、これを人間一般の在り方として採ることはできないであろう。快楽全般の否定は、行き過ぎとなる。

苦痛甘受の忍耐に人間界はあると宗教は語る 

2025年04月01日 | 苦痛の価値論
4-7-2-1. 苦痛甘受の忍耐に人間界はあると宗教は語る    
 人が人になったのは、動物なら快に引かれ不快(苦痛)を回避し逃げるのを、必要に応じて快不快の自然に従うことを拒否し超越して、超自然的世界を切り開いたことにある。『創世記』は、ひとが今日の人になったのを、エデンの楽園からの追放に言い、楽園から追放されたことで生じる中核に苦痛を置いた。アダムは、エデンの楽園を追い出されて、自然のものをあるがままに享受することはできなくなり、価値あるものを得るには汗水を流し苦労・労働をもってしなくてはならなくなった。イヴは、産みの苦しみを不可避とすることとなった、という。自然的に快の状態で穏やかにすごすことはできなくなり、生きるには、苦痛が不可避となった。苦労・苦痛を回避せず、これに挑戦し、苦痛を甘受し忍耐をして、やがて価値豊かなものを生み出した。
 この地上の人間が、延々と苦労・苦痛を重ねてきたのは確かである。類人猿の中でも弱小の人類の祖は食に事欠く状態を続けたのであり、それこそ草の根を食べ、ハイエナも残したような骨の髄をしゃぶってさんざんな目にあいつつ、へこたれず耐えて、人となったのである。苦難から逃げず創意工夫を重ねて人類は、万物の霊長となり、自然を支配するものとなった。歴史の中でも、艱難辛苦が圧倒的であった。人が人を奴隷とし、敗者・弱者に残虐な仕打ちを加えるようなことをもって、人間による人間の支配を行った。それは、原始のアダムとイヴに与えられた苦痛どころではない過酷なものであった。
 仏教もこの人間界を「苦界」「苦海」と捉えた。西方のように、楽園追放後の労働をもって苦痛が発生というのではなく、根っからの悲観主義で、この人間世界が根源的に苦痛をもって成り立っているという発想であった。生まれてから死ぬまで苦痛状態にあるのが「生老病死」の人間界だと見た。この世の苦に耐えこれを忍べば、来世は救われて極楽浄土に生まれることができ、逆に怠けて楽をしようというような者は、より悲惨な餓鬼・畜生に生まれ変わると想像した。一層苦痛の大きな地獄界に生まれ変わらないためには、この世での苦痛への忍従が必要と説かれた。あるいは、苦は、人の執着心あたりが生み出しているもので、真実にはそれは無・空だと、苦を苦と感じないようにもっていくようなこともした。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」とまではなかなかいかないであろうが、精神的レベルの絶望などの、耐えがたく、死以外に楽になる道はないというほどの苦悩でも、思いを変え生きざまを変えれば即消滅もする。色(苦)即空である。西方のアダムのように、苦に耐えるのであるが、仏教あたりが苦を苦と感じないようにして耐えるようにと導いていったのは、東方世界は、それほどに自然は過酷で、支配者は冷酷だったからなのかも知れない。


この世は苦界、あの世に極楽・天国  

2025年03月25日 | 苦痛の価値論
4-7-2. この世は苦界、あの世に極楽・天国  
 高度文明下にできた世界宗教は、この世俗世界を苦しみの支配的な「苦界」とみなす。快は、少ないし瞬時に終わるが、苦痛は、到るところにあり、しかも長々とつづく。苦に満ち満ちた世界がこの世だと言いたくなる。もちろん、それでこの世はうまく回っていくのである。快が多く長いのでは、麻薬中毒のように快にのめり込み現実の世界へと外へと目を向けていくことが少なくなる。そういう生命体では、早々に他の動物の餌食になって絶え果てることになったであろう。逆に苦痛は、長々とつづく。苦痛は損傷を知らせるもので、これがしっかり感じられることで生は無事を保ちやすくなる。かつ、その損傷を十分ケアするには、その苦痛は長く続く方がよい。別の緊急の事態で一旦痛みが忘れられたとしても、その事態が終わったら、また痛みはじめるのが損傷に注意し対処するためにはふさわしい。苦痛がこの世に満ち満ちているのは、耐えがたいけれども、理にかなっている。
 さらに、人間は、苦痛を、動物よりも多く受け止める存在になっていることもある。自然は、苦痛からは逃げるから、苦痛を体験するのは少しで済むのに対して、ひとは、必要な場面では、この苦痛を回避せず、積極的に受け入れていく。苦痛の受け入れをすることで大きな価値を確保できるような状況においては、ひとは、苦痛を避けることなく、甘受していく。自然の動物とちがい、ひとが一層苦痛を感じる機会が多くなる所以である。
 そのうえ、ひとは、ほかの動物と同等の損傷をうけても、ながく大きくその苦痛を感じることもある。犬など足に大けがをしても結構平気のようで痛みも持続しない感じである。苦痛を感じてもそれへの対処の方法がなければ、苦痛を感じる分、生はダメージをより大きくして生存競争に不利になる。人間でも、対処しようのない内臓などには痛覚はない。しかし、外傷ぐらいはなんとかできるので、大いに痛んで、そこを処置するまで痛みつづける。そのことで、生は小さなダメージで済む。ということで、苦痛をひとは大きく長く感じるのでもあろう。ことさらにこの人間界は、苦に満ち満ちた苦海、苦界となった。
 この、苦痛に満ち満ちた人間世界を脱出して苦痛から解放された世界が天国・極楽ということになる。快適な世界であろうが、動物的な強烈な快楽を楽しむような世界と想像されることはあまりない。そういう快楽は苦痛とうらはらで畜生・動物のものということなのであろう。極楽を描くとき、食や性の快楽に満ち満ちた世界とされることはなかろう。極楽浄土が描かれるときには、精神的な高度の快適な世界で、妙なる音楽がながれ、美しい宝石類に満ち満ちた高貴な世界として描かれる。この世の者が来世に期待するものは、快といえば快であろうが、なにより苦悩・苦痛のない安らかな世界への再生、往生安楽国である。

苦痛を、犠牲・生贄を神は求める

2025年03月18日 | 苦痛の価値論
4-7-1-1. 苦痛を、犠牲・生贄を神は求める  
 かつての人々は、神に願いを聞き入れてもらうためには、その代償に苦痛をもってしなくてはならないと考えた。願掛けをして願いをかなえてもらおうとするとき、それ相当のものを神にささげることが必要となった。身を清め神社に籠って一心にこれを祈願するようなことからはじめて、ひとの苦痛・犠牲を神にささげた。共同体として神に願うときには、なにより大切なもの、人の命をささげるようなこともした。人の間で相手の有する価値物を得るには、自身の苦労をもって作り上げた物を、等価ということで交換して実現したが、そのように、神との間での交換を想定したのである。洪水とか旱から逃れさせてもらおうと、太陽神などに、自分たちの可能な最大のささげものをした。かけがえのない価値のある人の命をもってしたのは、どこでもそうであった。生命再生産の能力をもつ若い女性が犠牲にされることが多かった。我が国のヤマタノオロチの話によると、毎年、若い娘を犠牲にささげていたという。その遺骨は残ってはいないが、中南米の遺跡には、しばしば、そういうことをうかがわせる多数の遺骨があったり、ミイラとして残っていたりする。どこでも、生贄を捧げて神に願い事をかなえてもらおうとしたようである。ヨーロッパの寒い地域には、高貴な装いをした、おそらく王であったものを撲殺した遺体が時々見つかるという。一番の価値を有する人間を捧げたのであろう。あるいは、神の憑依していた王なのに、その威力がなくなり災いが続くので神に彼を返したのである。神は、残酷な犠牲を人間に求めた。そう人間たちは解して(悲劇的な妄想をして)、耐えがたい苦痛・犠牲を繰り返してきた。
 神が求めたのは、あるいは、ひとが価値あるものと見たのは、苦痛であり、犠牲であった。それを捧げたのである。その果実を受け取る快の方は、神のものであろうが、神と一体になるようなときには、人も快をいだいた。祭りごとをするとき、陶酔し神と一体になることがあった。神への祭りごとは、楽しいものでもあった。踊りとか相撲は、神にささげたものであった。だが、切実な願い事をするという場合は、苦痛・犠牲をもって、それを捧げてその見返りに願い事を実現してもらおうとするのが普通であったろう。神に願い事をするとき、身近には、自分たちの快を抑止して苦痛を甘受するという手段をとる。お茶断ちをしたり、好きな何かを絶って、願い事を神にかなえてもらおうとした。早朝に起きてお百度を踏むのも苦痛・犠牲を神にささげれば(ぬくぬくとした布団の中で祈願するのと違い)、これに値する願い事が実現してもらえるという発想である。ささやかな願い事だから、ささやかな苦行のまねごとで済んだのであるが、あらたまって神に願うほどのものは、命がけのものであるのが多くの場合であった。世界のどこでも、橋を架けたり大切な建物を作るときなどには、人の命、いけにえを神に捧げた。豊かな自然からの実りを求めるときも、いけにえを出した。アステカなどの中南米の王国では、生命力にあふれた若者を捧げたようで、その心臓をえぐり出して血を捧げるような残酷なことを頻繁に行っていたようである。スペインのコルテスの何百人かの軍隊が何万もの軍隊からなるアステカ王国を征服できたのは、頻繁に多数のいけにえ提出を求められていた周辺の弱小部族たちがコルテスに加勢したことが大きいという。それほどに冷酷無残な(何より無意味な)生け贄神事を繰り返していたのである。 

苦痛は、神仏・超越界へと結ぶ貴い価値とみなされた

2025年03月11日 | 苦痛の価値論
4-7-1. 苦痛は、神仏・超越界へと結ぶ貴い価値とみなされた
 お賽銭は、信者が神に捧げる価値物であり、これをもって神につながる手段にする。宗教的な苦行・苦痛は、自身の身を犠牲にしてのこのうえない捧げものになる。その苦痛によって価値あるものが創造され、この価値を捧げて神仏につながるのであり、己の苦痛が超越界へと媒介する。ひとが他者につながろうとするとき、相手をひきつけるものをもってする。相手のために犠牲になり、苦難を代わりに引き受けるなどすれば、好意・善意の贈与となり良好な関係が形成可能となる。神仏もその延長上に、犠牲・苦痛をもって価値あるものをささげれば、親密な関係がなるということなのであろう。苦痛をささげることで、神仏からの見返りがあるという発想は、世俗の価値観を模倣したものになろう。苦痛という耐えがたいマイナスを引き受けることで、その向かう神仏にそれだけのプラスの価値を捧げたという意識になれる。
 苦痛・犠牲をもってすることに宗教的価値を見いだすのであって、逆の快楽をもってすることは、ほとんどない。世俗の価値あるものの創造では、快をもってこれを実現することもある。栄養摂取は快楽を手段としてこれを実現する。だが、神仏への祈願とか、神的能力を身につけるという場合は、基本的に苦痛がこれを可能とするのであって、快楽の場合は、逆になり、すでにもっている卓越した能力を喪失するとみなされもする。久米仙人は、女性の白い足を見ただけで、情欲を抱いただけで、その神的能力を失ってしまった。快は、ひとにおいて、辛苦をもっての生産・創造の反対で、享受、消費活動に属することが多い。世俗の支配者に犠牲(苦痛)をもって奉仕するように、超越的な支配者としての神にも、価値を捧げるのであり、労苦・苦痛をもって、これに尽くすのである。快楽は、その逆である。享受の快をもってかかわるのは、自分が支配者の位置にあってのことで、神仏に快でもってかかわるのでは、恐れ多いということになろう。みこしを担いで走り回り、これをぶつけ合うような乱暴なことが最近でもなお続いているが、その衝突などで犠牲を出すようなことがある。血を見る行事がいまもあるのは、若い生に満ち溢れた者の犠牲を、神に捧げることが求められていた名残であろうか。宗教的な苦痛甘受は、神に捧げるということとともに、苦痛を抱くことにおいて、修行でそうであるように、自身が鍛えられて神的能力を身に着けるということ、したがって神により近くなるということでもあった。
 ただし、神につながるには、常に苦痛の犠牲をもってということではなかろう。神と一体化することは快であり、そういう一体化の快は、宗教でも価値ある営為となっていた。古い時代には、神事ということで、酩酊・性的振る舞いなどの快の営為もあった。神に願い事をする場合は、苦痛を奉納することが何よりだが、神と一体化するというような場合は、神と一つになることは快であろうから、快となる人の営為が求められて自然であったろう。快楽の酩酊は、神と分離した日頃のしらふ状態をなくし神がかり状態になって神に一体化するということだった。性的まねごとは、豊かな実りを求めて、生の生産のまねごとをすることで、神に豊かな生産を求めたのであろう。歌舞なども神事としてあったが、これは、本来、神に喜んでもらおうということで、自分たちの快を求めたものではない。相撲とか神楽は、あるいは、盆踊りも、神に奉納したもので、人間が楽しむことは、それに付随する副産物だった。が、しだいにこれを楽しむのは何より人間自身ということになっていった。