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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

このブログ廃止で、以下に移る予定
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光ネキストなるものに変えてみたが・・・

2010年04月17日 | 日記
 インターネットを結構使うが、ものによっては速度が気になり、映像などは途中で動きがなくなり、ついには、PC自体が停止状態になっていたので、昨週末に光通信に変えた。昨日は無線ランを設置もした。
 だが、思ったようには速度は速くない。若干、宣伝とちがっていて失望した。外国のニュースなどTVと同様にスムースに動くかと思いきや、少しよくなった程度であった。相手の出力のこともあるのだろうから、こちらの方が整備したからといって、そう簡単にTVなみのことを求めるわけにはいかないのだろう。
 今回は、三台の機器、つまり、NTTのもの―yahooBB―無線ランをつけることになったが、光ファイバーの端末のNTTの機器に無線ランまでのすべてが内蔵されていた。装置としては、一台ですむということだ。こんど変えるときは、一台にまとまるようにしようと思うが、そのころには、携帯電話のように、各PC単独でウェブにつながるようになっているかも知れない。
 こういう方面、まさに日進月歩だが、こうややこしくては、装置を売る方も買う方も大変である。今回送られてきた機器に添付してあった解説書とパンフレットとの間ですら、設置の仕方について異なることを書いていて(間違いではなく、機器の設定内容の変更)、迷わされた。また、古いPC(ウィンドウズ98)では、もう、新製品の無線ランとの接続のための暗号の種類(文字数など)自体が適合せず、接続できなかった。どうしたものかと、あれこれ見ていて、新規格の無線ランの方の暗号を一旦解除して、あらためて、古い規格にあう字数の暗号に変えればいいと思いついた。しかし、ウェブ自体でも、もう98などでは、組み込めないソフトが圧倒的で、この際、98は、非常用にとっていただけのことだし、お払い箱にすることにした。といっても、フリーのOSのUBUNTU(リナックス系)では、今度の無線ランも適合したので、捨てるには、惜しい気もする。





高速バスで山陽道を楽しんだ。

2010年04月15日 | 日記
今日は、早めに帰れたので、大學前(福山平成大)発の高速バスで広島バスセンターまで2時間かけて帰った。新幹線は速いけど、トンネルばかりで、景色を楽しむには、高速バスが一番だ。
 三原久井インターから本郷インターあたりまでは、山頂を縫うようにして走るので、遠くの山や野が眼下に広がり、新緑が鮮やかになりつつあって、さわやかであった。
 ちょうど、つつじが濃い桃色であちこちに咲いていて、きれいだった。そういえば、最近、つつじに朱色のをみかけなくなった。50年ぐらい前には、この中国地方には、朱色の花びらのつつじがたくさんあった。こどものころ野山で色々の植物を食べたが、つつじも入っていた。その頃は、桃色のは食用にならないが、朱色のは食用になるということになっていた。朱色のつつじの花びらは、甘くておいしかったのである。
 最近は、朱色のを見かけないので、酸性雨あたりで、色があせて変色したのかも知れないと思い、桃色(というより、紫がかった薄い色)のつつじを先年口にしたことがある。あまくはなかったが、食べられたし、あとで、お腹をこわすこともなかった。ただし、かつての朱色のつつじは、背が低いままだったが、いまの桃色のものは背が高くなるから、別種のものであろう。
 では、朱色のは絶滅したのか。絶滅の原因は、酸性雨ぐらいか。それとも、ひょっとしたら、われわれの世代の子供たちが、戦後まもない時期に、すべて食べつくしてしまったのだろうか。

戦いには、知が最大の力になる

2010年04月15日 | 日記
 『孫子』は、兵法の根本は、敵を知り、自己を知ることだと説く。両方を知れば、負けることがないと。
 スポーツ等、技術をもってするものは、日本では、がむしゃらに、練習、練習と、鍛えることになりがちだ。技術は身につけるものだから、反復が大切なのは確かである。
 だが、効果的な練習ということがある。筋肉等身体を痛めるまでになったのでは、元も子もない。壊さないで最大限の効果をということになるには、科学がいる。頭がいる。
 マラソンで田舎の高校を日本一にまで育てた、その方面では神のように尊敬されている老先生は、徹底して「科学」されたようだ。生徒の日常から、練習での心拍数の変動までをチェックして過度の負担がなく、効果的な練習をさせて、日本一にしてしまったのである。
 その先生の日頃を拝見することができるところに小生いたので、言えることだが、けっして、感情的になることのない、理性と慈愛にあふれた先生で、話すときも、ささやくような声であった。腕力や感情で強引にひっぱっていくことができる方ではなかった。科学・知恵でもって、まさに『孫子』の兵法の真髄(知が最大の武器)を実行されていたようである。

老化防止には、ウォーキングだけではだめと分かった!

2010年04月15日 | 日記
 マラソン指導では天才的な老先生の一文に、有酸素運動で遅筋を鍛えると肥満予防になるが、高齢者は、さらに、速筋を鍛える必要があるとあった。腹筋・懸垂などで、筋力を高めて敏捷性・巧緻性を回復させていく必要があると。
 加齢とともに、鈍くなり、骨密度も落ちて、転倒し骨折しやすくなるが、これは、速筋の筋力アップで防ぐべきものなのだと。  
 ウォーキングぐらいでいいのではと思っていたので、なるほどと納得した。これからは、ダンベルをもって筋力を高めるようにしたい。老人が、小さな段差に躓くとき、顔面を打つようになるというが、それは、とっさには腕でささえることができず、頭部までばったりと倒れていくからである。
 ウォーキングをして基礎代謝を高め、ダンベルで筋力アップして、死の当日まで、しゃんとして生きるようにしたいものである。

日本人のルーツは?  現生人類の祖先たちは、どこから?

2010年04月11日 | 日記
 よく、現生人類は、原人がアフリカを出て、ユーラシアのどこかで進化したのだと言われる。最近もシベリアでそれに資するものが発見されたとか。
 だが、気になるのは、では、現代のアフリカ人は、どうなるのか、である。原人から別方向で進化したのか。そうではないのなら、いつ、ユーラシアから、アフリカに帰っていったのか。原母アダムのミトコンドリア内の遺伝子をたどるとアフリカ発の単一起源になるのだそうだが(どの程度信用していいものか・・・)、あるいは、人類は、各地の猿から、進化したのではないのかと、小生は思いたくなるところがある。
 群れて付和雷同する日本猿と日本人の方が、大陸の個人主義的な人類よりは、近い感じがするからである。小生など、敗戦で原始的な生活を子供の頃していたから、記憶としては、子供の頃は、まだ日本猿だったような気がする。猿として、春は、野の草々を食べ、秋は柿の木に登り、山中でアケビを採っていたのではなかったかと。日本猿から、いつしか人類になり、原始時代から現代までを突っ走ってきたといった記憶である。
 日本猿として手先が器用なので、欧米から「猿まね」「安かろう悪かろう」といまの中国のように罵られながら、やがて技術では世界の最先端を行くようにもなった。しかし、精神文化は、戦後、無から出発した時みんなそう思っていたように、「後進国」のままである。英語圏など、ウェブで、古典は、なんでも読めるぐらいだが(中国でも古典は相当なものがウェブで読める)、いまだ、わが国では、読めるものがほとんどない。
 テレビも、食と性の動物的欲求に訴える番組とか、どこの局をみても、日本猿が群れてわいわい騒いでいるようなものばかりである。ああいう番組を見ていると、やっぱり日本人は、アフリカ発の単一起源によったものではなく、前縄文期に日本猿から進化したのではないか、そういう多元的起源論が出てきてもいいのではないかと、ついつい思ってしまう。