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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

このブログ廃止で、以下に移る予定
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裏山で、シマヘビを見た

2010年04月21日 | 日記
 今日は、うちにいたので、昼食後、山(広島駅の北になる双葉山)に上がってみた。今年はじめて、へび(シマヘビ)を見た。旧日本軍が設置していた高射砲か機関砲の跡地の石垣で、例年の通り、ひなたぼっこをしていた。ただし、昨年のとちがい、小型だった。日向ぼっこするにはそこらでは一番の場所なのだが、昨年の主は、もう死んだのか。
 この小山でも最近までけっこうへびがいた。今日のような「しまへび」が多数であったが、ほかに、「まむし」「やまかがし」「青大将」「かなへび」を時々見かけた。「じむぐり」「ひばかり」かなと思える影も見たことがある。
 だが、いのししが牛田山から進出して棲みついて以後、だんだん、それらのへびは、少なくなった。昨年は、「しまへび」「かなへび」以外は、見る事がなかった。このやまのへびは、しまへびもふくめて、みな美しく、とくに、「やまかがし」は、見事な虹色の若年のがいてほれぼれしたことがある。たぬきやテンもいなくなった感じであり、いのししがこれらを駆逐したのであろう。みぞに入って出られなくなった子狸がソプラノで「コーコー」と母に助けを求めていたのに出会ったことがあるが、あのたぬきは、無事に成長したのだろうか。
 へびが少なくなったからか、小鳥がふえて、最近は、地上におりて餌をさがしているのが目立つ。先年の台風のあとの春は、うぐいすの声が絶えていたが、この春は、うちの庭にまでとんできて、美声を朝から聞かせてくれている。

壊れかけの液晶対策、完成!

2010年04月20日 | 日記
  PCとTVを無線で結ぶ機器(値段は一万三千円ほど。HDワイヤレスAVキットという商品)がとどいたので、使ってみた。なかなか、いい。USBメモリー風のものをUSBポートに差し込んで発信機とし、TVの方はこれまたコンパクトな受信機にHDMIでつなぐだけでOK、単純明快にできている。動画は、多くの容量を食うので、速度が間に合わないようだが、鮮明で大画面なので見やすい(メモリー容量の小さいPCでもやってみたが、ソフト類の動きが極端に鈍くなり使い物にならなかった)。
 これで、液晶が壊れかけのPC、いつ液晶のディスプレーが壊れてもよいようにと準備はできた。こういうときに限って、おそらくは、いつまでも、液晶、壊れないで頑張るのではないかと想像する。今回のPCとTVを結ぶ機器、大画面で楽しむには便利そうだから、ときには、使いそうだ。といいながら、不要の機器類、だんだんたまっていく。ごみ屋敷の主の気持ち、分からないでもない。

PCのディスプレー(液晶)のバックライトの不具合に備えて。

2010年04月18日 | 日記
 昨日、PCの液晶画面が暗くなり壊れかけたが(バックライトが何度か消えかけて、とうとう消えた)、画面の縁に衝撃を加えたら直った。けさもしっかり生きていた。昔のTVと同様、どやしつけて「かつ」をいれると、あるいは、しばらくは、使えるのかも知れない。全面的に使用不可能になるのが何時になるか不明になった。
 いま使っている机上の(ラップトップ)PCは、ハードディスクやメモリーを代えたりして気に入るようにしているので、PC自体を買い換えるのは、しばらく後にすることにした。その代わり液晶が駄目になったときでも、応急的には使えるように手段をとることにし、画面をTVで見られるようにと、接続のピンあたり合うのをさがした。あれこれとウェブを検索していたら、この4月に発売したばかりのイスラエル発で本邦初とかのPCとTVを無線でつなぐ機器のあることが分かったので、早速これを注文した。



パソコンのディスプレーが壊れかけに!

2010年04月17日 | 日記
 何年も毎日何時間かは点けていた机上のパソコン、とうとう、寿命の感じだ。液晶を明るくしているバックライトが、今日、急に、消えるようになってしまい、画面は、うっすらと映っているのが分かる程度になった。
 そのうっすらと映っている画面から、必要なものをコピーにとって、完璧に壊れてもいいように準備した。ついでに、昔のテレビを直す要領で、壊れてもいいからと、画面の下の縁をとんとんと打ってみたら、なんと、断線でもしかけたのがひっついたのか、直った。
 ただし、寿命には近いから、買い換えて準備しておく予定。バックライト自体の故障でない可能性もあろう。そのひとつに、先日NTTの光通信にした際に、若干のソフトを組み込んだことが思い浮かんだ。それらのソフトがバックライトを消すことなどありそうもないが、どうせ壊れたらそれも終わりだからと、NTTのソフトを全部、削除しておいた。
 ひょっとしたら、しばらく生きることになるかも知れないが、新しいのを準備しよう。

携帯型公衆電話としての「携帯」

2010年04月17日 | 日記

 二三年前から、携帯電話をもっている。ただし、通常は、電源を切っている。いままで、自分の携帯に電話してもらったことは、ない。自分からかけた回数も十回になるかどうか。
 もつことにしたのは、町に公衆電話がほとんどなくなったからである。つまりは、携帯型公衆電話として「携帯」をもっているだけである。多くがもっているというが、よくも話しすることがあるものだと感心する。自分では携帯がなくても、公衆電話機能以外は一切、必要性を感じたことはない。仕事によっては、便利なことはよく分かる。だが、ふつうの、たとえば高校生あたりには、ほとんどが持っている感じだが、日頃は不要だろう。
 電話の発信する電波は、ミツバチを狂わせるとかいう。本当かどうかは知らないが、人間の脳も破壊するとか。もう何年か後、携帯電話利用者が全員、脳を破壊されて、狂ったミツバチになったら、どうなるのだろう。人類が脳を破壊されたら、その次の、携帯電話を使っていなかった霊長類が地球の支配者になるのだろうか。人類が占めていた巨大な空間があくから、その場所では、多くの生物が新たな進化を始めることになるかも知れない。