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「老いて死なぬは、悪なり」といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・

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日本は4千万人ぐらいが適正人口かも

2010年05月04日 | 日記
 「こどもの日」がくる。思えば、そとでこどもを見ることが少なくなった。車社会になって道路からこどもが追い払われていることもあるが、最近は、こどもそのものがいなくなっている。過疎地域では学校の統合・廃校が目立つ。小生の住んでいる広島市内の牛田地区でも、二葉山のふもとに四つ目の小学校をつくる予定でいたのをやめてしまった。今、そこは、老人たちのゴルフの競技場などになっているとかいう(そのゴルフ大会には、小生の女房も町内会から誘われているようだが、まだそこまでの老年ではないと断っているらしい。が、その日に備えているのか、テレビのゴルフ番組は、韓流ドラマの合間に時々見ている)。
 子供の減少が大きな政治問題となっているわけだが、つい最近までは、逆であった。小生らの子供の頃は、戦前ほどではないが、まだ、日本は海外に移民して人口を減らすべきだとの考えが若干は生きていた。中学の時、同級生の一人とその家族は、かれの中学卒業と同時に南米へ渡っていった。いま北朝鮮の飢餓が問題になっているが、その北朝鮮への帰国事業が展開されたのは1960年代である。その頃でもまだ、ごみごみした貧しい日本からは出て行きたいと、バラ色の幻想を与える北朝鮮に多くの朝鮮人が帰っていったぐらいである。
 そんな時代からいうと、いま人口が減少しているのは、いいことに思える。先の長くない老人や年金のことは一応無視して、21世紀を長く生きぬく若者自身にとって「持続可能」な日本国ということでは、仕事も少なくなってくることだし、少数化の方がいいということになるのではないのか。
 「少子化大臣」なるものがあるが、小生には、まずは、それは、少子化推進の対策大臣という感覚である。そのあと、「そういえば先の少子化大臣は若い女性で自らが子供を作って範を示していた、いまの大臣も・・・、そうだ、子供を増やす「増」子化大臣だ」と、自分の(おそらくは素直な)語感を訂正する。日本の人口を減少させることが善だという子供時代の刷り込みは消えない。
 フランスは、増子化の対策に大胆な方法をとっているようだが、あそこは、広く、かつ、平野が圧倒的な国だから、もっと増えても大丈夫なのだろう。だが、わが国には、海岸にまで山の迫った狭い国土しかない。「持続可能な」適正人口は、今の半分以下の4千万という一部の主張が正解のような気がする。

中国山地の美術館

2010年05月02日 | 日記
 ゴールデンウィークで高速道が混んでいるようだが、小生のいる広島の近くには、高速道に乗れば、身近に、けっこう魅力的な美術館がいくつもある。いま、一番行って見たいのは「奥田元宋美術館」、その次が、日本一の庭園付きの島根の「足立美術館」。そして「ウッドワン美術館」。だが、これらの中国山地にある魅力的な美術館、車に乗らない者には、そう簡単にはいけないところに置かれていて、いわば高嶺の花にとどまる。
 これに対して、広島市内では、町のど真ん中に、市立と県立のいい美術館があるのは、なんともありがたいことである。しかもいい企画が結構ある。かつ、奇怪な現代ものをあつかう現代美術館は、市内の比治山に隔離されていて一般市民の白い眼を気にしなくてもいいようにと配慮されている。
 小生のような車に乗らない者からいうと、中国山地のは、遠い。高速バスを使えば、瀬戸内海は瀬戸田の「平山郁夫美術館」にはいけるようだが、どうしてか、平山郁夫のは、見たいと思わない。が、奥田のには引かれる。県立美術館の所蔵品に、全山真っ赤な紅葉の山を描いた奥田の絵があるが、魂を奪うような見事な絵である。平山は瀬戸内の海を見て大きくなり、奥田元宋は中国山地の出で、山を見て育った。小生も、中国山地の端っこの野山を見ていたから、奥田の絵に自然の真髄の描かれているのを感じる、というか、ぴったりするものがあるのかと思う。広島の自然自体は、江戸期の奇人頼山陽がいみじくも「山凡、川俗」と見下したように、凡俗である。奥田のは、その凡俗の背後に輝いている自然の崇高さ(壮美)を描き出してくれている感じがする。
 しかし、車に乗らないので、中国山地の奥深くまでは、いけそうにない。死ぬまでに一度、奥田美術館には行ってみたいと思うが、見ないままに終わるのかも知れない。車に乗らずエコの生活をする小生には、中国山地の美術館は、東京や京都の便利なところの美術館(これらは他の用事のついでに見られる)以上に遠方のものになる。

鯉の滝のぼり―日本の河川は、ヨーロッパでは滝だ。

2010年05月01日 | 日記
 今日から五月。五月晴れのこいのぼりの季節。だが、その「こいのぼり」、見る事が少なくなった。こどもが少なくなったこともあろうし、こどものいるところでは、のぼりを立てられる余地のある住宅事情にはないというところであろうか。
 鯉は、滝をのぼって龍になるということになっているが、いくら元気な鯉でも、垂直の滝をのぼることは無理だろう。ただし、滝が垂直でなくてもいいのなら、鯉を含む魚は、滝をのぼる。どの程度の角度までを滝といっていいものか。90度のものが純粋なものだろうが、60度ぐらいでも日本では滝というだろう。量の問題であれば、30度も20度のも、さらにはほんの5度程度でも滝といえば滝だろう。
 そういえば、文明開化の明治期にこんなことがあったとか。
 毎年河川の氾濫に苦しんでいた日本は、西洋の堤防技術をと、はるばると、堤防をもって国土をなすオランダから技師を呼んだ。世界最新の技術をと勇んでやってきたオランダ人技師だが、かれは、日本の川を一目見て、仰天、「これは、川ではない。滝だ」といって帰ってしまったとか。
 どの程度の急流からを滝とするかは、地域によって異なっていい。オランダの堤防の技師が日本の急流をみて、「滝」と見なしたのは、われわれから見ると「おおげさ」な、うそっぽい話になるが、かならずしも、そうでもなかったのかとも思う。ヨーロッパの大河は、波がたつことも希なぐらいにゆったりと流れる。よく見なければ流れていることすら不明である。そういうところでは、白波がたつ程度の急流なら、もう滝ということになるのであろう。
 西欧の絵画で「滝」と表題のあるのを見たことがあるが、それは、波がたっている急流程度で、はじめは、どこに滝があるんだろうといぶかったことがあった。「洪水」との題の絵なども、はじめは、「どこが?」と疑問を生じたことがある。そして、よくよく見ると、道路が水びたしになっていて、なるほどと納得した。一夜にして激流が町を押し流し、家屋の残骸から樹木・岩石までの散乱した後を残す日本の洪水とはちがって、ゆっくり水位も上昇するので、つかっても、家は無事ということになる。川辺の町の門などには、1789年には、ここまで水につかったと落ち着いて印しをつけている。
 鯉の滝のぼりの滝は、西欧並みの滝なら、無理なく、みんな平気の平左ということになろう。近頃は、こいのぼりを集団にして、川の両岸につなをわたして、風になびかせているところが結構ある。現地で見れば、壮観であろう。竹ざおよりよほど高いところを泳ぐから、龍への変身もイメージしやすい。ただ、映像でみることしかない小生の場合、なんとなく、昔あった、串刺しの目刺しをイメージしてしまう。干物の目刺しの集団では、滝をのぼり、龍になることなど、さらに想像しにくい。つまらぬ想像はやめたほうがよさそうである。

鵜飼い

2010年04月28日 | 日記
 鵜を最近あちこちの河で見かける。今日も、のんびりと川の中の石のうえでひなたぼっこしているのを見かけた。川にいるのだから、「川鵜」なのだろう。いつ見ても、暇をもてあましてボーとしている様子であり、近寄っていって「つまらなさそうだが、一緒に魚でも獲って遊ばないかい!」と「鵜飼い」に誘いたくなる。
 日本の鵜飼いでは、鵜にひもをつけて逃げないようにし奴隷化しているが、中国の鵜飼いをみると、ひもなどつけず自由にさせている。それでいて、ちゃんと漁をなりたたせている。しっかりと家畜化されている感じである。ひとと漁をすることが鵜にも好都合なのであろう。洪水のときなどでも、最低限の生活は保障される。
 遊び心があるのかもしれない。鵜のまねをする「からす」は、よく遊ぶ。まねされる鵜も魚をとって楽しいのではないか。鵜は、自分だけだとすぐ満腹してしまうので漁の楽しさは、すぐ終わるが、鵜飼いがはきださせてくれるので、いくらでも漁が楽しめるということである。あるいは、長い首の一部をしばって大きな魚はのどにつまるようにしているので、「のどがつまった、ウッ、ウッ、とってくれー」と鵜飼いのところへ戻ってくるのか。
 だいたい、漁は、獲るまでが面白いのである。鵜も、魚を追っかけて捕まえるまでが楽しいのであり、獲ったら、もうあとは、吐き出さないと次が楽しめない。ネコでも、ねずみを捕っては、逃がして、ねずみには迷惑だが、猟を楽しむ。
 日本のは、長いひもをつけて、鵜飼いが「この手綱さばきが難しいんです」とやっているが、どうしてひもで操ることになったのであろうか。日本の鵜飼いの鵜は、海鵜だという。川鵜でないので、ひもをつけていないと、潜ったままどんどん下流に逃げて、海に帰っていくのかも知れない。

いのししの弁明

2010年04月23日 | 日記
 わが家の裏山の双葉山が、いのししの侵入で小動物絶滅の危機に瀕していると書いたが、いのししの方からは、「お前ら人間の好みの生物の多様性をいっているだけのことだろう、見るのも不愉快な怠惰なパンダとちがって、わしらは、自分で生きており、生活がかかっているんだ」といわれそうだ。
 牛田山からひっこしてきた双葉山のいのしし君も苦労しているのはよく分かる。あちこちをほりかえしても、みみずは少なく、ちょっと過ぎて畑や庭をほりかえしたら、おおさわぎされて、若干、気の毒だ。餌になるものが少なくてこまっているようだ。広島駅と双葉山のあいだに鉄道病院があるが、その脇道の草むらをいのししがほりかえしていたことがある。そこにいくには、山とのあいだの住宅街と危険な車道を横切る必要がある。そういう危険をおかしても、おそらくは、みみずが少量食べられただけである。さすがに、二晩ほど掘り返してあとは諦めたようである(その脇道でも、夏には、みみずが猛暑のなか、死の行進をしているのをときに見かけた。―なお、その場所には常々気になることが別にある。年に二三度草が刈られるのだが、なかに、野ぶどうの木(ではなく、美味しい山ぶどうかも)があり、少しのびたかなと思ったら刈られてしまい、その繰返しで、蔓として伸びることができないで何年にもなる。通るたびに、「気の毒」になって仕方がない)。
 すがたは見たことはないが、双葉山のいのしし君、栄養不良になっているのではないかとすら思える。いつぞや、鳥インフルエンザで騒いだ冬だったか、小生が猪君のけもの道を直角に横切っていたら(われわれ人間の道からいうといのししが横切っているのだが)、すぐ先の、一休みしているような気配を日頃から感じていたところで、大型の動物らしい音声で「ゴホン、ゴホン」と咳をしていた。栄養が十分とれずに風邪を引いたようだった。
 食料には不自由の様子なのに、この山に豊富な「どんぐり」には手をつけていない。双葉山は、「しりぶかがし(尻深樫)」の群生しているところで、これは、小生らが生のままで食べても十分おいしい。谷間になるところには、スコップですくえるぐらいたまりにたまっているのだが、いのししは、そこらでも、土を掘りあげているだけで、全然食べていない。ヨーロッパでは、森に豚を放して「どんぐり」を食べさせることを一般的にやっていたようだが、猪(=豚)にも好き嫌いがあるのだろうか。食料輸入ストップで日本が飢餓列島と化したときには、小生は、あの「しりぶかがし」も食料にするつもりである。それぐらい、美味なのに、これには見向きもしない。不思議なことである。
 飢えていても菜食主義者が肉を食べないように、かれらには、かれらなりのやり方というものがあるのだろうか。マーキングにしても、そこらで一番大きくて昔なら精霊がやどっているとでもいいたくなるような山桜の古木には、遠慮してか、どろをなすりつけていない。大きな山では食物連鎖の頂点には立てない猪だが、ここでは、頂点にたっているので、支配者としての尊厳を自覚して配慮しているのかも、と思いたくなる。と思うのは人間のかってな妄想で、いのししからいうと、単にその古木の表皮がごつごつしていて不快だから、近くのヒノキのやわらかな皮に肌をこすりつけているだけのことなのかも知れない。