
子供の減少が大きな政治問題となっているわけだが、つい最近までは、逆であった。小生らの子供の頃は、戦前ほどではないが、まだ、日本は海外に移民して人口を減らすべきだとの考えが若干は生きていた。中学の時、同級生の一人とその家族は、かれの中学卒業と同時に南米へ渡っていった。いま北朝鮮の飢餓が問題になっているが、その北朝鮮への帰国事業が展開されたのは1960年代である。その頃でもまだ、ごみごみした貧しい日本からは出て行きたいと、バラ色の幻想を与える北朝鮮に多くの朝鮮人が帰っていったぐらいである。
そんな時代からいうと、いま人口が減少しているのは、いいことに思える。先の長くない老人や年金のことは一応無視して、21世紀を長く生きぬく若者自身にとって「持続可能」な日本国ということでは、仕事も少なくなってくることだし、少数化の方がいいということになるのではないのか。
「少子化大臣」なるものがあるが、小生には、まずは、それは、少子化推進の対策大臣という感覚である。そのあと、「そういえば先の少子化大臣は若い女性で自らが子供を作って範を示していた、いまの大臣も・・・、そうだ、子供を増やす「増」子化大臣だ」と、自分の(おそらくは素直な)語感を訂正する。日本の人口を減少させることが善だという子供時代の刷り込みは消えない。
フランスは、増子化の対策に大胆な方法をとっているようだが、あそこは、広く、かつ、平野が圧倒的な国だから、もっと増えても大丈夫なのだろう。だが、わが国には、海岸にまで山の迫った狭い国土しかない。「持続可能な」適正人口は、今の半分以下の4千万という一部の主張が正解のような気がする。
