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日中の一触即発を懸念する、韓国メディアのコラム。一見の価値あり。

2014年02月19日 15時57分52秒 | 日記
 二日ばかり私用が立て込んで、このブログを書き込む時間が取れませんでしたが、今日から再開です。

 昨日の黒田日銀総裁の再度の大幅金融緩和を実施するニュースで、日経平均株価が400円以上大幅に上がりましたが、今日は様子見に入って80円前後下がっているようです。

 米国FRBに代わって、日本がカネをばら撒く役目を背おわされているように見えてしまうために、今後の日本経済を考えると、国民にどういう負担がのしかかるのか不安を感じざるを得ません。

 どちらにしても株式市場は、海外の投機ファンドがひたすら儲けの幅を拡大しようと虎視眈々狙っているため、今後どういう動きになるか予断を許せません。

 さて、安倍首相の姿勢は相変わらずであるし、百田NHK経営委員の選挙応援時の発言を嫌悪したせいか、キャロライン米国大使へのNHKインタビュー申込を拒否されているようである。

 どうも日本国民の意志とは違う方向に進む安倍政権に、我々日本国民はどう言う形で意思表示をするべきなのか、判断に迷う今日この頃です。

 日中間の溝も一向に埋まらず、日中外交の道が見いだせない状況に、韓国のメディアがコラムで、今こそ日中の関係修復に韓国朴大統領が乗り出すべきだと書いています。

 特に中曽根元首相が就任した頃、外交の混迷した時代に平和な関係を醸成するために、差配した中曽根氏のリーダーシップを高く評価しています。

 なんだか韓国メディアに指摘されるのも、こそばがゆい気がしますが、韓国との関係も決して改善していないだけに、北東アジアの日中韓三国の外交交渉を改善できない安倍首相と外務省の劣化も気になるところです。

(韓国 中央日報より貼り付け)

【コラム】危機の安倍、巨人の中曽根を記憶すべき
2014年02月19日11時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

安倍晋三首相が四面楚歌に陥った。信じた同盟国の米国は、昨年12月26日の靖国神社参拝強行後、「失望」したとして背を向けた。弟と側近を米国に派遣して「平和を祈る行為」だと説得したが、返ってきたのは冷笑だけだった。国内では参拝が日本の外交に悪影響を与えているという非難世論が半分を超えた。オバマ大統領の4月の日本訪問を控え、内憂外患の非常事態を迎えた。

安倍首相の政治的な師である小泉純一郎首相の参拝当時とは雰囲気が完全に違う。2001年に就任した小泉首相は5年5カ月の在任期間に6回参拝したが、米国は「日本の政治家と首相が自ら決めるべき問題」として日本の肩を持った。今の米国の冷たい雰囲気は、バイデン副大統領の意表を突いて参拝を強行した事実だけでは説明がつかない。日本が韓日米協力を通じた地域安定というオバマ政権のアジア戦略を正面から無視したのが日米葛藤の核心だ。米国メディアは安倍首相を「極端な国粋主義者」「北東アジアの問題児」と呼んでいる。

戦後の日本政治の巨木である中曽根元首相のリーダーシップを振り返る必要がある。中曽根首相が就任した1982年も、現在のように日本と周辺国の関係が最悪の状態だった。しかも中曽根氏は現職首相としては最初に靖国神社を参拝した問題の人物だった。それでも在任期間、韓国・米国・中国と最高の蜜月関係を謳歌した。ミステリーだ。

カギは民族主義と国際主義を結合させた戦略的柔軟性にあった。中曽根首相は国際関係の流れを冷静に把握し、自国の利益と相手国の立場を調和させ、均衡点を見いだす現実主義者だった。若い時代は憲法改正と在日米軍の大幅縮小、自主国防を主張し、「吉田路線」と呼ばれる戦後体制の解体を目指した。「吉田路線」とは米国に安保を依存する軽武装、重商主義が核心だ。しかし1970年代に防衛庁長官を務め、日米関係の現実を認識した。首相になる頃には「日本の戦後30年は非軍事性と汎国民性を特徴に、元禄、明治時代に比肩するほどの偉大な時代だった」と日記に書いた。

民主主義、個性、国際的視野を重視する国際市民としての国民教育を先導した。革新勢力である日本教職員組合元委員長を教育審議会委員に抜てきした。1986年に藤尾正行文相が韓国併合について「形式的にも史実的にも両国の合意に基づくものだった」と妄言を吐いた後、辞任を拒否すると、すぐに罷免したのも中曽根首相だった。

1982年の就任当時、周辺国との関係は歴史教科書の余波で最悪の局面だった。中曽根首相は就任直後、瀬島龍三伊藤忠商事顧問を密使として送り、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の権翊鉉(クォン・イクヒョン)民正党事務総長と談判させた。40億ドルの経済協力を提供することで合意し、1983年1月に日本首相としては初めて韓国を訪問した。1984年の全大統領の訪日当時、天皇の植民地支配に対する最初の謝罪性発言を誘導した。日本首相では初めて日中戦争の侵略的側面を認めた。隣接国を侵略した歴史をきちんと教えるという条項も作った。失われた20年を取り戻すために強い日本を目指し、保守右傾化一辺倒という批判に直面した安倍首相が銘記すべき部分だ。

中曽根首相が1985年に靖国神社を参拝した時も周辺国の怒りはピークに達した。中曽根首相はその後、参拝しなかった。兄弟のように親しかった改革派の胡耀邦中国総書記が保守派の反撃で追放される危機に直面して決心したと述懐した。2005年に小泉首相に参拝中断を促した前任の首相でもある。安倍首相と違う点だ。中曽根首相の在任期間は日本の魅力が大きく高まった時期だった。

北東アジアの混沌の中で、我々も長い呼吸を持たなければいけない。相手を道徳的に非難するだけでは事態を解決することも、国益を守ることもできない。2012年に李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問と天皇の謝罪要求の影響を記憶する必要がある。日増しに力が強まる中国と安保・領土・歴史のすべての戦線で対立している日本の不安心理を理解する姿勢も必要だ。両国が出口戦略のない力比べをしている状況では、小さな刺激も破局を招くことになる。

日本が苦境に陥った今こそ、過去を省察するよう手を差し出す最適な時期かもしれない。中国と日本を仲裁できる唯一の国は韓国だ。北東アジアの指導者が民族主義過剰から抜け出し、1980年代の成熟した国際主義に復帰するよう助ける役割が可能だ。朴槿恵外交のイニシアチブ、本当の勝負はこれからだ。

李夏慶(イ・ハギョン)論説主幹

(貼り付け終わり)